第30話 自分の性格6~球体2~

 今日も球体の水谷一志です!笑


 …と言うわけで今回は前回に引き続き、僕の性格、「球体」について語っていきたいと思います。


 僕は哲学が好きなんですが、哲学者たちの考える概念にも、いろいろありますね。それでこれは僕が発見した(と自分で勝手に思っている、笑)ことなのですが、


 「それぞれの哲学者の考える概念は、その哲学者の意識から出発している」


 と言うことが言えると思います。


 (哲学専門の方、間違ってたらごめんなさい)


 …何を当たり前な?と言う意見があるかもしれません。でもこれ、当たり前のようで当たり前でないです。例えば有名なデカルトの「我思う、ゆえに我あり」について。これはあらゆる事象を疑って疑って、最終的にその疑っている自分自身の意識は確かに存在すると結論づけるものですね。でも、それと同時にデカルトは「神」の存在も確かなものだと結論づけました。


 これに関してですが、もしデカルトがキリスト教徒でなく仏教徒であったなら、このような解釈には至らなかったと(私見ですみませんが)思います。と言うことは、デカルトはキリスト教と言う「意識」に縛られていた、と言う解釈も成り立ちませんか?


 (何度も言いますがこれは完全に哲学専門家でない僕の私見です…)


 そしてこれはあらゆる哲学者に当てはまる…僕はそう思います。それは各哲学者の「偏り」に近いものかもしれません。そして僕自身ですが、そう言った「偏り」が少ないように感じるのです。(もちろんゼロではありませんが)


 これは僕の頭の中のイメージですが、僕の頭の中心に円錐が立っているとします。そしてその周りにあらゆる「概念」が浮かんでいるように感じます。デカルトの「概念」、ニーチェの「概念」、ヴィトゲンシュタインの「概念」…。それら各哲学者の意識から出た「概念」が僕の周りに存在し、その中心に自分の意識を置いている…。そんなイメージを僕は持っています。


 あとこれは僕がそれらの賢人たちに肩を並べていると言う意味ではありません。こんなレベルの低い僕がそんなことできるはずがございません。あくまで僕の「イメージ」です。


 この「自分の中心」、「円錐」を束ねていくと「球体」になるイメージです。次回もまた「球体」について語っていきたいと思います。


 ではまた!

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