へっぽこ先生の悪巧み

「楽しんでる場合じゃねえんだよ!」


 魔王城からやや離れた宿屋下の酒場で、シヅマは怒声とともに、罪なきテーブルに拳を打ち付けた。店内に居合わせた客が何事かと一斉に振り向くも、他に何も起こらないと知るや、再びそれぞれのテーブルでそれぞれの会話の花が咲いていった。


 目立つことがことさら嫌いなシヅマは人々の注目が外れるまで息を潜めて、微動だにしなかったが、目線がこないようになって、始めて安堵の息をつくと同時に、ひどく疲れたようにうなだれた。


「はあ、何やってんだか、オレは」


「ふぉいふぉい、ひったいふぁにをふぉんなにふぁれてふぃるんふぁい?」


「食いもん口に入れたまま、話すんじゃねえよ。まずは飲み込め」


「ん……ふう、では、もう一度。一体何をそんなに荒れているんだい?」


「そりゃ、荒れるわ。ここに来たのは一体何のためだ? 魔族にしか使えないっていう特殊な呪術を探すためだろうが」


「もちろん忘れていないさ。キミが子供のようにはしゃいでいる隣で、ボクはちゃんといろいろ調べていたさ」


「いやいや、『そんなの』頭につけて、説得力かけらもないからな」


 シヅマが指さした先には、エルクの頭のヘアバンドがあった。正確にはそのヘアバンドから触覚のように二本のバネの先についている星形の飾りのほうだ。エルクが頭を動かす度に、不規則にその飾りが揺れるので気が散って仕方がない。


「ふふ、これかい?」


 よくぞ聞いてくれたと言わんばかりに、エルクは口元をほころばせた。


「これを売店で見かけたときに、ボクの身体に電流が走ったのさ。つい衝動買いしてしまったんだ。まさか呪い以外でボクの感性に訴えるものが、こんな地の果てにあったなんてね。ここに来るまで、ボクは百年早く生まれてきたのだとすら思っていたくらいさ」


「本当そう思うわ」


 皮肉でも何でもなく、シヅマの声には心底からの心情が込められていた。こいつさえ、この時代に生まれてこなければ、出会うこともなかったのにと。


「いや、違うな」


 すっかり悲観論者と化したシヅマは自らの考えを否定した。エルクがいなくても、おそらく別の誰か、ともすればエルクよりも強烈で、奇天烈な人物と出会ったかもしれない。人間性はともかくとして、根っこの部分が悪党ではないだけましだろう。


 そこでシヅマはため息をついた。もう自分を騙しづらくなってきているし、何よりも疲れてきた。


 このまま考えても、奈落の底へと落ちていくだけなので、シヅマはエルクの調査の結果とやらを聞くことにした。


「で、先生はどのようなご見解で?」


「はあ……キミは本当に駄目な生徒だな。さっきの話に暗示があったというのに」


「どこにそんなもんがあったってんだよ? つか、戯れ言にしれっと重要な情報を混ぜるのは止めろ。めんどくせえ」


「やれやれ、少しは知的な会話をやりとりしようとは思わないのかね?」


「めんどくせえ」


 シヅマが一向に乗ってこないので、エルクはふてくされたように唇をとがらせるも、すぐに自分の中で落とし所を見つけたらしく、にやりと微笑んだ。


「うわ、なんでこいつ、笑ってんだ? 気持ち悪いな。どうせ自分には誰もついてこれないとか思ってんだろうな」


 シヅマの予想は完全に的中していたが、正解は知り得ぬことだ。知ったところで、別段功を誇ることもなかっただろう。追求することでもないので、シヅマはエルクが説明を始めるまで待つことにした。


「全くキミは油断も隙もないな。ボクを困らせて、関心を引こうだなんて」


 勘違いも甚だしいが、下手につつくとやぶ蛇なので、シヅマは辛抱強く沈黙を保った。教師とは概して「説明したがり」であり、エルクもまた例外ではなく、すぐにしゃべりたい欲求に負けるだろう。そんなシヅマの予想はすぐに的中した。


「まあ、しょうがない。ボクが懇切丁寧に説明してあげようじゃないか。さっきも言ったけど、ボクは未来を見通す知能と普遍的な美を併せ持つ超人なわけだが」


「……そうだな」


「返答までの間が気になるけど、話を続けようか。まず、ボクは天才だってこと。では、天才とは何か。いろいろ定義はあるだろうけど、ボクは数世代先の技術や文化をもたらすものだと思っている。言い換えれば、天才とは未来からの時間旅行者であると断言してもいいくらいさ」


「ああ、おまえの言いたいことがようやく分かってきた。要は、魔王城の設備とかが時代を超えちゃってるって言いたいんだろ?」


「……その通りなんだけど、どうしてキミはボクに結論を話させないのかな?」


「だったら、まずは結論から言え。回りくどいんだよ」


「ふん、それはボクの教育方針に反するな。ボクは生徒には思考の順序を学んでもらいたいからね。キミのように直感で結論にたどり着くのは感心しないな」


 エルクの言は負け惜しみにしか聞こえないが、シヅマは反論せず、肩をすくめて、受け流した。要するに師弟の相性が合わないということだ。


 それにしても、師には恵まれないものだと思う。いや、それとも弟子として、あるいは生徒として不肖なのかもしれない。どちらにしたところで、巡り合わせが悪いのだけは間違いない。


 改めて、己を取り巻く環境の不遇さを認識したところで、シヅマは魔王城を取り巻く環境について、一つの疑問が生じた。疑問をため込む趣味はないので、シヅマはエルクに尋ねることにした。


「オレの授業態度のことは置いておいてさ、気になることがあるんだよな」


「ほう、それは何だい?」


「いやな、仮にここの技術が数世代先を行っているとして、教国側はそれを脅威と捉えるんじゃないかってこと」


「うん、ボクもそれは気になっていた。だから、レティを聖騎士団の詰め所へと向かわせて、それとなく聞き出すよう言ってみたんだ」


「聖騎士団? 何だってそんな奴らがこんな僻地に居座ってやがるんだ?」


「いや、よく考えてごらんよ。今は敵対していないとはいえ、かつては不倶戴天の敵だったんだよ。潜在する脅威に対して、警戒するのは当然だろう?」


「ふん、なるほどな」


 教王シザリウスは凡庸と先述したが、決して無能ではない。名君とは呼ばれずとも、堅実な実務能力と相対する部門の調整力に優れている。特に保身という点においては歴代随一と言ってもよく、そんな彼がいくら降伏してきたと言っても魔族を野放しにするはずがないのだ。魔族が矛を逆しまにして、なんてことになったら、責任問題にも発展しよう。そこで教国は魔族の地に聖騎士団員を送ることにしたというわけである。


 さらに「勇者兵団」と呼ばれる教国の切り札とも言うべき一団から「一名」を派遣される話もあったようだが、それはシザリウス自身が強烈に反対したという。勇者兵団が極少数の超精鋭部隊だからである。構成人数はわずか十三人だが、いずれも神話伝説に描かれる神具聖具を携え、その戦闘能力たるや、一人が一万の兵に匹敵すると言わしめるほどだ。


 つまり、教国は十三万もの別働隊を擁していることでもあり、その中から一万の兵を出すのはいささか出費が痛すぎるというわけである。勇者を送るくらいなら、金ばかりかかる聖騎士団を送ったほうがよほどいい。魔族が蹶起したら、真っ先に倒されることになるが、責任を取らされることになる教王はともかく、教国からすれば、大義名分も得られるので、どちらに転んでも、被害はさほどない。


 ここまでの説明を聞き、道理でうるせえのがいねえとの感想を持っただけのシヅマはようやくレッティールの不在に気づいたが、そこには触れず、エルクの手際の良さを褒めてやることにした。


「さすがは先生。手が早いじゃないか。見直したぜ」


「いやいや、それほどでも……いや、まあ、あるかな? だけど、ここで評価されたも困るな。何しろボクは手持ちの札をまだ全部を出してないのだからね」


「へえ? 他に何があるってんだ?」


「まずはこれを見てくれ」


 テーブルの上に広げられたのは魔王城とその周辺施設が描かれた地図だった。入り口の掲示板に貼ってあったものと同じもので、こちらは土産物として売られていたものだ。結構値が張ったので、否が応でも記憶に残っていた。


「これを見て、何か気づくことはないかい?」


 エルクに問題を出され、シヅマは地図を凝視して、何かを得ようと試みたが、彼の感性に触れるものは一切なかった。しばらくして降参の合図を送ると、エルクは鷹揚に頷き、できの悪い生徒を責めるようなことはせず、地図の一点を指さした。


「これ、奇妙に思わないかい?」


「魔王城がか? 特に何か変だとは思わないが」


「そうかな? よく思い出してほしい。魔王城の後ろに大きな尖塔があったことを」


「ああ、そう言われりゃ、確かにあったな。だけどよ、地図なんだから、そう言うのって、簡略して描くもんじゃねえのか?」


「うん。その通り。ただし、一般的にはという意味ではね。だけど、こればかりは違うだろう。あんなに目立つ建造物が描かれていないは逆におかしいと思わないかい?」


「まあ……そうだな」


 シヅマは歯切れ悪く肯定したが、あまり納得できないでいる。尖塔が地図に載っていないのは客に提供する施設ではないからだろう。


 思い返すと、魔王城の奥へと続く扉には「関係者以外立ち入り禁止」の木製板がかけられていた。そこから推察するに、従業員の宿泊所とするのが適当なところだろう。その推論を直接エルクにぶつけてみたところ、彼女はもっともらしく頷いた。


「うん、そうだね。実に妥当な線だと思う。だけど、実証されたわけじゃない。この世のあらゆる推論は検証されなければ、意味がないというものだよ」


 いやな予感がした。検証と言うが、どのような方法を用いるのか。筋を通すのならば、まずこちらの身分を明かし、調査の許可を得る必要がある。仮に許可を得たとしても、時間がかかるし、何よりも許可が下りない可能性のほうが遙かに高い。


 学問のためという自作免罪符で、しばしば正攻法を無視するエルクに聞きたくはないが、ここは重要なことなので、思い切って尋ねることにした。


「で、どう調査するつもりだ?」


「時間もないことだし、ここは少々強引に進めたほうがいいね」


 シヅマは自分が予想した中でも最悪の選択をエルクが選んだことで、天を仰いだ。ついに犯罪に手を染めるのかと暗澹する気持ちになる。


 ともすれば、シヅマは冒険者資格を剥奪されることにもなりかねない。誰でも冒険者資格を取ることはできるが、その一方で、資格を喪失しやすいという面もある。


 特に国や地域で罪とされることを犯すのは冒険者にとって最大に禁忌であり、露見すれば、功績など全く考慮されず、即座に組合から名前を抹消されてしまう。一度ブラックリスト入りしてしまうと、組合の全支部に通達され、再取得するのは非常に困難を伴うものになる。


 正直なところ、シヅマは冒険者資格にあまり未練はない。この呪いさえ解ければ、帰郷して家を継いでもいいし、独立して、別に旗揚げしてもいい。いつまでも体力頼みの冒険者などやってられないし、今度こそはまっとうな職業で慎ましやかに暮らすのだ。


 シヅマの心の天秤は遵法よりも拙速に傾いた。夢見る普通の生活を手に入れるためには、危険を冒す必要もあるだろう。今がそのときだ。


「ま、いざとなりゃ、こいつ囮にして、逃げてもいいしな」


 一度、暗い考えにとらわれてしまうと、どこまでも落ちていく見本のようなことをシヅマは考えた。


 ただ、多少の思惑はある。仮にエルクがとらわれたとして、助けに行って、大立ち回りを演じるより、被害はずっと少なくなるだろう。


 エルクならば、気の利いた弁明の一つや二つ出せるに違いないし、シヅマよりは魔族も脅威は覚えないはずである。つまり、エルクだけならば、助かる公算が大きいというわけだ。


 目的こそ違うが、シヅマとエルクの利害は完全に一致した。そうと決まればと言わんばかりに、シヅマはテーブルの上に身を乗り出した。


「やるんなら、さっさとやっちまおうぜ。東邦の諺にも『善は急げ』って言うしな」


「まあ、そう焦らない。まずはレティの帰りを待とうじゃないか。それに彼女こそがボクたちにとっての切り札になるんだから」


「どういうことだよ?」


「そこは自分で考えてみなよ。すぐに答えを与えるのは、教育上、よろしくないからね」


「ご厚情、感謝感激の至り」


 そう皮肉たっぷりに言い返してやりたかったが、西邦の言葉でどう言えばいいのかわからなかったので、シヅマは無言でふんと鼻を鳴らした。


 エルクに言われたとおり、少しばかり考えてみたが、すぐに億劫になって、思考作業を停止する。


 考えたのは、実行の時間帯としてはまだ早いということだけだ。魔王城は閉園したが、近くの宿泊施設やそこに至る道にはまだ人が大勢いる。人混みに紛れるにしても、彼らが起こす人の波に逆らわなければならず、目立つことこの上ない。誰かが不審がれば、通報からの逮捕なんてこともあり得よう。


 となれば、実行は夜半過ぎとなるが、すると別の問題が発生する。その問題とはシヅマの眼前で教師然とした少女のことだ。エルクは誰よりも早く就寝し、誰よりも遅く起床する。つまるところ、朝も夜も弱いということである。もっとも、エルクが肉体的な強さを発揮したのを見たことは皆無なわけだが。


 手柄は独占、問題は押しつける主義の信奉者であるシヅマは懸案を口にしたところ、今度もエルクは根拠なき自信に満ちた顔で答えた。


「夜更かしは美容の敵だとは分かっていても、求め続けた答えがそこにあるとすれば、眠気なんて起きるはずもないさ」


「ほう……その言葉、覚えておくからな」


 エルクの豪語は話半分に聞いていたほうがいい。いや、半分もあれば、シヅマの心的負担は激減していただろう。


 それでも、時間はシヅマに合理化という武器を与えた。もし、エルクが言行不一致であれば、その場に放置するか、あるいは足を持って、引きずっていく所存である。引きずっていく間に後頭部を強打することがあるかもしれないが、眠気覚ましにはちょうどいいだろう。


 さしあたっての方針が決まり、さて、レッティールが戻ってくるまでどうやって時間を潰すかを考えようとしたところで、店の雰囲気にそぐわない聖騎士が入ってきた。


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