第36話 夢を見つめる旅

 由奈を助けて助手席に乗せてから、琢磨はノンストップで向かったのは、とある高台。

 駐車場に車を止めて、さらに頂上へと向かう階段を二人で登っていく。

 階段から降りてくるのは、男女のカップルばかり。

 ここは、県内でも有名なデートスポットになっており、夜のドライブデートにはもってこいの場所である。

 頂上に到着して、さらに突端の展望場へと向かう。


「着いたぞ」


 少し息を切らしながら付いてきた由奈が、思わず感嘆の声を出す。


「凄い……綺麗」


 眼下に広がるのは、煌びやかに輝く平塚や茅ケ崎を含む湘南の夜景。

 今琢磨たちが来ているのは、夜景デートスポットとしても有名は湘南平。


 光り輝く街並みは、函館山の夜景を思い浮かべるように透き通って綺麗に見える。

 奥には、相模湾が一望でき、天気の良い昼間なら、三浦半島や伊豆大島などもうかがうことができる絶景スポットだ。

 小さい頃、家族で夜景を一度見に来た事があったけれど、琢磨はそのとき以上の感激を受けていた。


「ホント、きれいだな……」


 展望台から眺める景色は申し分ないほど美しい。

 由奈の横顔も、その夜景にうっとりとしていて、いつもよりも美しく見えた。


「私ね、何もないの」

「えっ?」


 唐突に由奈が意味を計りかねる言葉を口にした。

 ぽかんと口を開けて由奈を見つめていると、由奈は琢磨の方をちらりと見てから、もう一度視線を夜景に戻して話し出す。


「琢磨さんに見られた大学での姿」

「あぁ……」


 四阿の下で一人寂しくおにぎりを頬張るひとりの少女。

 それは、琢磨がドライブを一緒にしている明るい性格の相原由奈とはかけ離れていた。


「最初はね、高校卒業してすぐに働きに出るつもりだった。でも結局、両親に大反対されて、半ば無理矢理大学受験させられて今の大学に合格した。だから、今の私には何も目標がないの」

「目標……」

「そう、将来やりたいこととか、社会に出てからの目標みたいなもの」

「まあでも、おぼろげにこうなりたいとか思っていることはあったとしても、大半の大学生は遊び呆けてるだけで、将来の夢に向かって全力で取り組んでる奴なんてそうそういないだろ」

「それはそうなんだけど……私の周りは違ったの」


 由奈の声のトーンが暗くなる。


「どういうことだ?」


 琢磨が尋ねると、諦めたように言葉を紡いだ。


「私の周りは、意識高い子が多かったっていうか、みんな目的をもって大学に進学して、夢を追ってる子ばかりだった。だから、何か目標を作ろうと、周りに追いつこうとして色んな事にチャレンジしてみた。興味のない分野の授業を受講してみたり、普段行ったこともない飲み会に参加してみたり、出来る限りのことはやった」


 その先の答えは、何となく琢磨も予想がついた。


「でも、結局私のやりたいことは見つからなくて、一緒に授業受けてる子たちにも負い目を感じるようになって、気づいたら授業を一人で受けるようになってた。向こうは何とも思ってないのにね」

「……」


 琢磨は黙ったまま由奈の話に聞き入っていた。


「目標を持っていない輪の中に入っても良かったんだけど、そしたら、自分の指針が示せないままの大人になりそうで怖かったの。だから、私は孤独を選んだ」


 将来に何も希望を持てず、由奈は自分の将来を探すために、大学で一人身になることを自分から選んだ。

 それは、琢磨の送っていた大学生活とは真逆で、由奈の気持ちを理解することはできない。


「そんなときに、私は琢磨さんに出会ったの」

「えっ……?」

「ヒッチハイクして海ほたるに行ったときね。私は何か新しい自分探しをしていたんだと思う。そしたら、一人で夜の海を眺めながら将来を悟ったようにぼやいてる琢磨さんに出会った。最初は、一人ドライブなんて変わった趣味をしている人だなって思ったけど、もう一つ私の心の中で感じたの。この人は、自分の信念を持ってるんだって」

「俺が?」


 思わぬ由奈の言葉に自分を指差す琢磨。

 由奈はコクリと頷いてから言葉を紡ぐ。


「一人で孤高の存在でも、地に足ついて社会の中で自分の居場所を持っていて、それで確立しているカッコいい大人なんだなって」

「待て待て、俺はそんな大層な奴じゃねぇ」


 由奈は過大評価しすぎだ。由奈が思っているような希望も持ってなくて、夢を追うのを忘れた残念な男だ。


「うん……それはなんとなくわかったよ。あぁ、この人は夢なんてとっくの昔に捨てて、現実に向き合って生きてる人なんだって」

「……そんなことねぇよ」

「そうかな? 私には、今の琢磨さんはそう見えるけど?」


 そうじゃない。琢磨はただ、由奈を利用したような最低な男なんだ。


「違うんだ」


 唇を噛み、食いしばるようにして、琢磨は己の胸の内を懺悔する。


「そんなんじゃない。俺は夢を追うのを諦めて、ただ仕方なく人生を送っている一社会人に過ぎない。その中でも、少しでも自分の自己実現が出来るような人生を送れるようにって、人生の目標を探して、世間を彷徨っている可哀想な一人身の大人だよ」


 ただ好きな人を追い求めているだけの、どうしようもない社会人。

 けれど、由奈は首を横に振った。


「私には、琢磨さんはまだもがいているように見えるけど、違う?」

「なっ……!?」


 由奈の鋭い指摘に、琢磨は度肝を抜かれる。

 というよりも核心を突かれたと言った方が良いかもしれない。


「あぁ……由奈の言うとおりだよ。将来十年後二十年後なんて自分がどうなっている何かなんてわからない。でも、一度夢を諦めてしまった以上、何か他の物に縋ってないと生きていけない。それを、恋愛感情で誤魔化そうとしてた。でも結局は、自分の中に渦巻いている将来について逃げられることもなくて……俺が一人ドライブしてたのは、自分の夢を見つけるためだったんだ。でも、いつの間にかそのことすら忘れて、ただ社会の闇に呑まれまいともがくことも忘れかけていた。そんな時、俺は由奈に会った」


 まだ彼女は学生で、将来の決断をするには多くの時間が残されている。

 その時間を無駄にしてほしくないと思った。


「由奈にはまだ、俺と違って多くの選択肢が残ってる。だからそこ、由奈が俺の二の舞にならなって欲しくないと思って、一緒にドライブを始めたんだと思う」

「うん」

「だから、由奈には自分の目標を見つけて欲しいと思ってる。俺はそれを応援したい」


 自分の胸の気持ちを伝える。

 そして彼女はにっこりと微笑んだ。


「それは違うよ、琢磨さん」

「えっ……?」


 驚いて由奈を見れば、由奈はゆっくりと言葉を紡いだ。


「琢磨さんも、将来の夢、見つけるべきだよ」


 その言葉に、琢磨は唖然とした。

 そうだ、助けるだけでなく、自分自身も見つけなければ、根本的な問題は何も解決しないのだ。

 由奈は湘南平の夜景に目を移して語り出す。


「多分この光の数くらい、夢を追って輝いている人がいると思う。でもその反面、その間間に夢を持っていない暗闇の人が無数にいる。でも、自分の夢を見つけて、それを実現させるために動き始めれば、いずれその闇に一つの光がともって、この夜景の光の一つくらいにはなれると思う。私はそう信じてる」


 由奈の言葉は、根拠があるはずではないのにどこか現実味を帯びていて、琢磨の胸に突き刺さるものがあった。

 それは、今まで琢磨が忘れていた夢を追うという熱なのかもしれない。

 今まで、夢だと思って追い求めていたものは、他の人に押し付けられたただの欺瞞。

 それは結局、現実に押しつぶされて、嫌々ながらも今を受け入れて働いている奴らと同じだ。

 俺は今も昔も全く変わっていない。

 自分の夢を相手に押し付けて、夢を追うことを諦めていた。

 琢磨は由奈が思っているようなカッコいい大人ではない。

 けれど、今からでも自分の夢を見つけることは遅くないと彼女は後押ししてくれている。


 すると、突然琢磨の手が温かいものに包まれた。

 見れば、由奈が琢磨の手を取って、にこりと微笑みかけてきている。


「琢磨さん。私と一緒に、夢を探しませんか?」


 夢と言う曖昧な言葉。明確な言葉で今は言いあらわすことはできない。

 恐らく、琢磨と由奈の求めている夢は違うもので、いずれはお互いに夢を見つけてその道を進み始めていくのだろう。

 だからそれまでは、彼女と一緒に夢を一緒に探し続けるのもいいのかもしれない。


「私は少なくとも、あの時琢磨さんに助けられた。さっきだって、無数の人混みの中から一粒の光を探し出すように私を見つけ出して助けてくれた。だから今度は、私が琢磨さんを助ける番。琢磨さんの夢探しを、少しでも私に手伝わせてほしい」


 真っ直ぐな黒い大きな瞳で見つめてくる由奈は、嘘偽りのない心からの言葉で言ってきてくれている。

 ならば、琢磨もまた、心から思っている言葉を返さなければと思った。


「何カッコつけてるんだよ。ばーか。お前の夢も見つけるんだよ」

「ふふっ……そうだね」


 お互いに微笑み合い、ぎゅっと熱い握手を交わし合う二人。

 琢磨と由奈の夢を探すドライブの旅は、明確な目標を持って再開する。



 ※※※※



 湘南平をあとにして、琢磨は由奈を家の前まで送り届けていた。

 これでもう、琢磨も由奈も隠し事無しだ。


「ありがとう、家の前まで送ってくれて」

「いいって、気にするな。あんな事があったあとだ。また変な奴に絡まれるかもしれないしな」


 由奈の家は、ごく普通の一人暮らし用のアパートだった。


「それじゃあまたね、琢磨さん」

「おう……またな」


 由奈は助手席から下りて、マンションの入り口の前で立ち止まり、琢磨を見送る体勢に入る。

 しかし、琢磨は先に入れと由奈に顎で示す。由奈も譲らずに首を横に振ってその場から立ち去ろうとしない。

 仕方なく、カーウィンド―を開けて、琢磨が由奈に語り掛ける。


「俺が去ったあと、後ろから変な奴に襲われるかもしれないから、マンションの中に入るまでは見送られてくれ」

「もう、琢磨さん過保護すぎ! 子供じゃないんだから」

「まあでも、それくらい心配してるってことだよ」

「あ、ありがと……」


 思わず頬を染めて感謝の意を述べる由奈。


「だから、先に中に入れ、そこからなら見送っていいから」

「うん、わかった」


 由奈は納得して踵を返してマンションの中へと入る。

 鍵でドアの施錠を解除して、マンションのエントランス内へと入っていく。

 そして、くるりと振り返り、ひらひらと手を振ってきた。

 琢磨も手を振り返して、一安心したところで、車をようやく発進させた。

 こうして、琢磨と由奈のドライブは、二人の新たな夢を見つけるという明確な目的を持ち、これからも続けていく。


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