第31話 追及する後輩
琢磨は谷野を連れてオフィスを後にした。
帰宅ラッシュの満員電車に揺られて向かったのは琢磨の自宅。
実家に到着すると、谷野はもの珍しい様子で琢磨の家を眺める。
「へぇー……ここが先輩の家」
「ちょっと待ってろ、今鍵取ってくるから」
琢磨はそう言って、谷野を実家の前で待たせ、一度家の中へと入る。
両親に飯はいらないと手短に伝えてから、すぐさまスーツから私服に着替え、玄関に置いてある車の鍵をひっつかみ、靴を履いて外に出た。
「悪い、待たせた」
「いえいえ」
琢磨は伸縮門扉をガラガラっと開けてから、駐車してあるミニバンの運転席に乗りこむ。
エンジンをかけ、ライトをつけてから、ゆっくりとハザードランプを灯しながら前進して、車庫から車を家の前の車道へ出す。
車を路側帯に止め、運転席から一度降りて、門扉を閉じる。
「乗ってていいぞ」
「あっ、はい!」
呆けていた谷野はふと我に返り、慌てたように返事をして助手席に乗りこむ。
琢磨も門扉を閉め終えて、谷野を追うようにして運転席に乗り込む。
座席の位置とミラーを調整して、出発の準備を整えると、ようやく一段落した。
「よしっ……で、どこに行きたいんだ?」
「へっ?」
谷野は間抜けな声を上げる。
「いや、どこか行きたいところがあるから、俺とドライブしたいなんて言いだしたんだろ?」
「あぁ……えっと・・・・・・」
谷野は、琢磨に連れて行ってもらえるならどこでも良かったので、行き先を考えていなかった。
「そ、それじゃあ私! 江の島に行きたいです!」
「はいよ」
琢磨はカーナビで目的地をセットする。
フットブレーキを解除、ギアをドライブに入れて、ウィンカーを出して車を発進させた。
「それで、今日はどういう風の吹き回しだ?」
「へっ?」
「へっ? じゃねぇよ。何かあったからドライブしようなんて誘ってきたんじゃないのか?」
「あー・・・・・・えぇっとですね」
谷野はしばらく顎に手を当てて黙考する。
そして、真面目な表情のまま顔を上げて話だした。
「聞きたいことが色々ありすぎて、何から話したらいいか分からないんですけど……まずはまあ、網香部長と何かあったのかから聞きましょうか」
「いきなり直球だな……。まああれだな、ちょっとした衝突が起きた結果、ギクシャクしてるだけだ」
「むぅ……」
説明に納得いかないといった様子で頬を膨らませる後輩。
赤信号で停車してから、琢磨はため息を吐いた。
「何?」
「私だって大体の察しはつきますけど、琢磨先輩の口から正直に話してほしいです。私って、そんなに信用ならない後輩ですか?」
後輩は少し怒っているようにも見えた。
確かに谷野とはかれこれ半年ほどの付き合いになる。
仕事仲間とは言えど、職場内での人間関係がぎくしゃくしていたら気を使うだろう。
琢磨のプライベートにも関わることなので、あまりいいたくはない。
けれど、後輩に心配かけてばかりじゃ、先輩としての威厳が立たない。
ここは正直に話した方がいいだろう。
「俺さ、入社してからずっと、網香先輩のことが気になってたんだ」
「は、はぁ……」
急に突拍子もないカミングアウトに、驚きと不安の入り混じった表情を浮かべる谷野。
信号が青になり、車を発進させながら話を続けた。
「でも先輩は、俺の好意に気づくどころか、ただの可愛い後輩程度にしか思われてなくて、結局この間ドライブデートした時も、先輩は俺の将来のことばかり気にしていて、全く恋愛対象として見られていことにちょっとむしゃくしゃしたんだ」
琢磨は気づいていない。
今隣にいる彼女も、好意に気づいてもらえず、ただの可愛い後輩程度にしか思われていないことに。
なおも、琢磨は話を続く。
「それで、今までの溜め込んでいた気持ちを抑えきれなくなっちゃんだろうな。網香先輩に半ば告白じみたことを言っちまったんだ」
「えっ!? つまりそれって、先輩が網香部長に想いを伝えたってことですか!?」
「なんでお前が一番驚いてるんだよ」
「あっ、いやぁ……先輩が衝動的にそんなことをしちゃうなんて意外だなと思いまして」
谷野は適当に理由をつけて誤魔化した。
琢磨が網香部長に恋煩わせているのは周知の事実であったけれど、こうして琢磨先輩の方からアプローチを直接的にかけたことに驚いていたのだ。
「まあそれで、俺が一方的に想いを伝えたせいで、そのまま有耶無耶のまま流れて、今の状態になっているっていったところかな」
「なんですかそれ……」
「ホント、笑えるだろ?」
自虐的に笑う琢磨。
しかし、谷野は全く笑っていない。むしろ、少し怒っているように見える。
「笑えないですよ。それってつまり、先輩は網香先輩に想いを伝えた挙句、余計に職場で顔を合わせるのが辛い状態ってことじゃないですか」
「まあ、そうとも言える」
「なんで先輩は自分が告白したにもかかわらず、そんなに平然としているんですか?」
谷野は琢磨の落ち着いた様子に少しイラついていた。
普通だったら、仕事も手に付かず最悪の場合寝込んでしまってもおかしくないような状態だ。
「俺は、網香先輩が辛い時に傍にいて助けてあげられれば、それでいいからな」
琢磨は嘘偽りない言葉を口にする。
しかし、谷野にとっては納得のいく言葉ではない。
「なんですかそれ。つまり、先輩は仕事で困っている時に網香先輩を助けられれば、付き合わなくてもいいと?」
「そうは言ってない。でもまあ、今はそれくらいの距離感が俺にとってはちょうどいいんだよ」
意味わからない。
「もしかして、プロジェクトリーダーになりたくない理由も、網香先輩の傍で見守っていたいからですか?」
谷野が尋ねても、琢磨は黙ったままだった。
それは、肯定していると同じようなものである。
琢磨は形式上『谷野を一人前にするまでは今の仕事をやり遂げたい』と言う理由で、プロジェクトリーダーの件を断っているのだから。
車は一般道から首都高速に入り、横浜横須賀道路から鎌倉方面へと向かって行く。
空は藍色にそまり、視界も薄暗くなり始め、隣に座っている谷野の表情もうかがえなくなってきていた。
「網香先輩の話は分かりました。じゃあ次の質問です。先輩、私にもう一つ隠し事してますよね?」
「何もしてないぞ?」
ちらりと谷野を横目で見る。
彼女は何か確信があるように、咎めるような視線で琢磨を睨み付けていた。
琢磨は首を傾げて思考する。
けれど、思い当たる節が全くなかった。
お手上げだというように琢磨は首を横に振ると、谷野は鋭い視線を琢磨に向けたまま言った。
「私を家まで送り届けてくれた雨の日。先輩、この前大学であった女の子と一緒にいましたよね?」
まるで、浮気を見つけた妻のような剣幕で問い詰めてくる谷野。
琢磨は、谷野の詰問にどぎりとした。
「な、なんでお前がそんな事知ってるんだよ……」
琢磨は半ば諦めたように返事を返すと、谷野は真面目な声で告げてくる。
「実は見ちゃったんです私。先輩が家に送り届けくれた雨の日、ビルの下で雨宿りしている時に、先輩の車から由奈ちゃんが降りて行くの。先輩は由奈ちゃんとどういう関係ですか?」
またもや、直球で聞いてくる谷野。名前も知っている所からして、谷野は大体のことを把握しているらしい。
「この前も言ったろ、ドライブ仲間だって」
「でも、向こうはあからさまに先輩の事避けているように見えましたけど? 何かあったんじゃないですか?」
琢磨を更に追い詰めてくる谷野。
何故ここまで谷野が由奈に対して問い詰めてくるのか、琢磨は知らない。
琢磨が他の女と一緒にいることをわざと谷野は由奈に伝え、動揺を誘わせたことを。
そして、由奈ちゃんの心情から察するに、二人の間に何かしらの衝突が起きたことも、すべて谷野が仕向けたことに。
「それは……お前に関係ないだろ」
「あります。大ありです」
「どこが?」
琢磨は思わず睨みつけてしまう。
しかし、谷野も琢磨に負けないほどに睨み返してきていた。
「だって、せっかく先輩に共通の趣味友達が出来たんですよ? 歓迎しないと!」
「ホント失礼な奴だなお前は」
琢磨の後輩は、相変わらずずけずけを物を言ってくる後輩で困りものだ。
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