第29話 琢磨の本心

 由奈と別れてから、琢磨はずっと頭の中で考えていた。

 彼女が琢磨とのドライブを通して、何をしたかったのか。


『琢磨の相談相手にもなれなかったのだから』


 その言葉に込められた本当の意味を、琢磨は解釈できずにいた。

 彼女に琢磨が相談するようなことはなかったはず。

 何度考えても、琢磨の中で結論は導き出せなかった。


 そして、なぜ彼女が先週ドライブできなかったことで怒っているのか。

 彼女は、琢磨が網香先輩とデートしていたことをまるで知っているような口ぶりだった。


 琢磨自身が顔に出やすいというのもあるけれど、それでなぜ彼女を傷つけることになってしまったのかがわからない。

 あくまで、琢磨と由奈の関係は、夜のドライブを楽しむという関係性。

 それ以外に付属した意味をなしていないはず。

 けれどもしかしたら、由奈はそれ以外にも何か琢磨におもっていたことがあったのか?


 だとしても、今の琢磨にはそれが何なのかは分からない。


 それからも、由奈に謝罪のメッセージを入れようかどうか迷っていたが、理由が分からないまま返事を送っても、誠意のない謝罪になってしまうだけだと思い、由奈に返信を送ることなく週末を開けた。


 週明けからは、今週末納期予定の仕事が大詰めで忙しく、由奈のことを考えている余裕なんてなく、あっという間に時間だけが過ぎていく。

 今日も気が付けば日は沈み、オフィスの窓からは街灯の光が煌びやかに輝いている。

 その中の電飾の一部となる一角で、PC画面と睨めっこしながら黙々と作業を進めていた。


 金曜日まででぎりぎり終わりそうな感触に、思わずため息が漏れ出てしまう。

 すると、近くから似たようなため息が聞こえてくる。


 ちらりと顔を上げてため息の聞こえた方を見れば、部長席で網香先輩が疲れた様子でこめかみを押さえていた。


 やはり網香先輩も、今回は大分やられているようで、苦い表情で首や肩を回したりしていた。

 網香先輩を少しでも楽にさせてあげたい。琢磨の根から思っている気持ちが芽生える。


 一つ息を吐いて、もうひと頑張りして網香先輩の仕事を手伝ってあげよう。

 そう意気込んで、琢磨は再びデスクに向き直り、目の前のタスクに取り組んだ。



 ※※※※※



 あれから何時間が立っただろうか。

 辺りを見渡せば、他の社員は全員が帰宅し、残っているのは琢磨と網香先輩の二人だけ。

 広いオフィスで、琢磨と網香先輩周りの電飾だけが心許なく付いている。

 しばらく二人のキーボードをカタカタと打つ音だけがオフィス内に響き渡っていた。

 すると、その音の一つがぴたりと止む。

 ため息とともに、網香先輩が琢磨を見つめる。


「杉本君。仕事熱心なのはうれしいことだけど、明日も仕事なんだから、あまり無理しちゃダメだよ」

「その言葉、網香先輩にそのままお返しします」


 琢磨は網香先輩の方を見ることなく、作業を続けながら答える。


「はぁ……全く、誰に似ちゃったのかしらね」


 視界の端で、額を押さえて呆れた顔を浮かべる先輩が見える。


「さぁ? どこの網香さんに教わったんでしょうね?」


 皮肉めいたようにわざとらしく言って見せると、網香先輩は少しむすっとした表情を浮かべた。


「私のせいじゃないでしょ! 杉本君がとっとと退社しないでこんな時間まで残るのが悪いんだから!」

「俺のせいですか!?」


 思わず作業を止めて驚愕の視線を網香先輩に向けると、先輩はくすりと笑った。

 しかし、すぐに笑いを抑えてすっと真顔になる。


「でも、今回は手伝ってくれて助かっているわ。正直私だけじゃ回しきれない量だったから。杉本君がいてくれてよかった」

「少しでもお役に立てたなら光栄ですよ」


 網香先輩に感謝されるだけで、琢磨は救われたような気分になる。

 こうして網香先輩の傍にいて、少しでも仕事の負担を軽減することが出来ているのならば、琢磨にとっては本望だ。


 最後の一行を打ち終えて、琢磨はようやく切りのいいところまで作業を終える。


「よしっ、終わったぁー!」


 背もたれにもたれかかり、思いきり伸びをする琢磨。


「お疲れ様。上がって頂戴」


 労いの言葉をかけて、網香先輩は引き続きキーボードでカタカタと文字を打ち込み、作業を続けていた。


 琢磨はその様子を見て、すっと席を立ちあがり網香先輩の方へと向かう。


「作業振ってください。手伝います」

「いいわよ。私ももう少しで終わるから」

「……あんまり無理しすぎないでくださいね」

「杉本君は優しいわね。気遣いありがと。でも私、体力だけは自信あるから!」


 そう言って、握りこぶしを作ってみせる網香先輩。

 けれど、彼女はプロジェクトリーダー。周りの社員に気を配り、自身の仕事を同時にこなさなくてはならない立場。

 いくら体力があっても、精神的な疲労は蓄積されるものであり、いつか体調を崩さないかと心配になってしまう。

 心配そうに見つめる琢磨を見て、網香先輩が優しい眼差しを向けてくる。


「ホント、杉本君は優しくて気遣いも出来て凄いわよね」

「え? いやぁ、そんな大層なことじゃないです。ただ、お世話になった先輩を放って見捨てるわけにはいかないので」

「そういう所よ。気づいていないかもしれないけれど、杉本君は恩義深くて優しい後輩だわ」


 誇らしげな視線で見つめてくる先輩に対して、琢磨は思わず視線を逸らす。

 すると、網香先輩は頬杖をついて琢磨を見つめる。


「ねぇ、杉本君。あなたはやはり、プロジェクトリーダーになる素質を十二分に備えている逸材だと私は思っているの。どうしてする気がないの?」


 純粋な疑問といったような形で尋ねてくる網香先輩。

 琢磨は、前にも言ったことを口にする。


「それは、前にも言ったじゃないですか。谷野を一人前に育てるまでやり遂げたい気持ちが――」

「分かっているわ。杉本君が谷野さんを一人前に育てあげたくて、その上で他の社員の面倒見もよくて、周りに気も配れる。仕事に対して一切妥協しない人っていうのも、十分に伝わってる。だからそこ、どうして杉本君は、他の部署に行っても問題なく仕事をしていけると思うのよ。他に何か理由があるんじゃないの?」

「……」


 琢磨は黙秘を選んだ。

 だって、網香先輩の部署で働きたい。それが何よりも今、琢磨にとって一番の目標であり夢だからとは本人の前で言えない。


「昇給もあるし、確かに前よりも仕事量は増えるけれど、今後の将来のキャリアアップを考えれば、私はプロジェクトリーダーを今すぐにでも引き受けるべきだと思うけれど。それとも、何かそれを阻む障壁のようなものがあるのかしら?」


 なおも追及してくる網香先輩。

 琢磨は少し呆れを通り越して怒りすら感じていた。

 いつもは周りの社員の様子にいち早く気がつくことが出来るのに、自分へ向けられた好意や善意に対してはめっぽう鈍感で気づかない。

 入社してからというもの、何度もそれとなくアプローチを駆けてきたつもりでも、ここまで男として認識されていないと、こっちとしてもさすがに堪えるものがある。


「先輩のせいですよ」


 気が付けば、琢磨はそう口走ってしまっていた。

 その言葉を聞いて、網香先輩が慌てた様子で自分を指差す。


「へっ? 私のせい!? ごめんなさい、何か私、杉本君に悪いことしたかしら?」


 挙動不審にぎこちなく困惑する網香先輩。

 琢磨は呆れ交じりのため息を吐いて、気が付けば言葉を吐き出していた。


「どうしてこういうことにはめっぽう鈍感なんですかね先輩は。俺がこんなに真摯に先輩のために尽くしてるのか、そろそろ気が付いて欲しいです。プロジェクトリーダーを断ったのも全部、先輩の傍にいたいからに決まってるからじゃないですか!!」

「へっ……?」


 きょとんとした表情を浮かべる網香先輩。

 そしてしばらくして、はっと思い至ったような顔を浮かべる。


「それってもしかして……」

「俺のこと、ちゃんと見てくれてるなら、そういう面でもちゃんと見て欲しいっす!」


 琢磨は力強い口調で網香先輩に言い放っていた。

 冷静になってはっと気が付いた時には、網香先輩が驚愕に満ちた表情で琢磨をじっと見つめていて、口をあんぐりと開けて呆けている。


「そ、それじゃあお先に失礼します」


 琢磨は慌てて踵を返し、自分のデスクから鞄をひっつかんでオフィスを後にした。

 オフィスのエレベーターホールで立ち止まった時、琢磨は後悔の念に苛まれる。


 今まで胸の中で抱えていた気持ちを、思うがままぶちまけてしまった。

 琢磨は思わず頭を抱えてしゃがみこむ。


 あぁ、やってしまった。今まで溜め込んでいた想いをぶちまけてしまった。

 恐らく、仕事で切羽詰まっていたのと、由奈の件で色々とストレスが溜まっていたのもあるだろう。

 けれど、言ってしまったことはもう言い訳できない。


 網香先輩と、これからどう接していけばいいのかわからなくなってしまった。


「何やってんだ俺……」


 こんなことが言いたいわけじゃなかったのに、どうして今日に限って、あんな衝動的な行動に出てしまったのだろう。

 悔やむにも悔やみきれない気持ちが琢磨の胸をずきずきと痛みつけた。

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