光の中へ

 翼の長い緑の竜そのものとなったアイリは、目を閉じて小さく息を吐き、竜の形をした闇が迫ってくるのを心で感じた。

 そしてゆっくりと大剣を上段に構えると、今まさに目の前で襲いかかってこようとする闇に向かって力の限り振り下ろした。

 大剣が闇に触れた瞬間、そのわずかな刃の接点を中心として電気がほとばしり、すさまじいばかりの衝撃があたり一面を襲った。

 押しつぶされた空気は行き場を失い、一瞬にして膨張し旋風を引き起こした。大地にはひびが入り、その裂け目からは赤いマグマが吹き上げてきた。

 アイリはあまりの衝撃に意識がなくなりそうになったが、そのたびに左手首の傷がうずき、彼女を正気に戻らせた。

 彼女が大剣に力を込めると、刃先はじりじりと闇に食い込み手ごたえを感じた。

 そのまま闇を切り裂きながら突き進み大剣を振り下ろすと、手に感じていた圧倒的な力はふっと軽くなり、竜の形をした闇はまっぷたつに割れ、アイリの両脇を疾風のように過ぎていく。

『やった!』

 しかし、ふたつに割れた闇はアイリの後ろでふたたびひとつになって竜を形づくり、先ほどと同じように向かってきた。

 そしてまた想像を絶する衝撃がアイリを襲った。

 このせめぎ合いが何度となく繰り返された。

 まるで雷のごとくぶつかり合う光に包まれた緑と闇のふたつの竜。

 ぶつかり合うたびに光は強くなっていった。


 いつまでこんなことを繰り返せばいいのかと思った時、アイリの頭の中で金色の竜の声が聞こえてきた。

『そなたはよくやった。あれが見えるだろう。これからはワタシの番だ。もう少し力を貸してくれ…』

 アイリの体からさらに勢いよく光があふれ出し、緑の竜の輝きがひときわ強くなった。

『光があるところに闇があり、闇があるところにもまた光がある。しかし光の中には闇は存在し得ない! 闇は闇のまま消え去れ! あまねくワタシの光で満ちよ!』

 緑の竜を包んでいた光が金色の輝きを増しながら闇に覆いかぶさり、渦を巻きながらその中に猛烈な勢いで流れ込んでいった。

 光のゆらぎと空気の摩擦で空間は歪み、激しく鳴る音もまた闇の中に呑み込まれていった。

 光は止めどなく吸い込まれていくが、闇に近づけば近づくほどその流れは遅くなるように見えた。

 そのうちに闇の中から細かい光の結晶が吹き出すようになり、そのたびに闇は少しずつ小さく、竜の形も崩れてきているようだった。

 闇の中に散らばる小さな光のくず。まるで夜空に輝く幾千もの星を見ているようだった。

 竜の形をした闇は宙にはりつけにされもがいているようだったが、それでもなお最後の力を振り絞りくびきから逃れるように向かってきた。

 アイリもまた力の限りに大剣を振り下ろした。

 そしてそのふたつがぶつかり弾きあった時、大剣はついに粉々に砕け散ってしまった。

『そんな…!』

 だが、闇もまたすでに竜の形をしてはいなかった。

 もはや薄い影でしかなくなっていた闇の中心に、光を包み込んで強く輝く小さな球体が見えた。

『あれだ! パパ、力を貸して!』

 アイリは腰に差していたヨシュアの形見の短刀を引き抜き両手で握りしめた。

 緑の竜は地上に転がっているその球体へ向けて大きく羽ばたき舞い降りると、アイリは重力を味方に短刀を突き刺したのだった。

 球体は薄いガラス玉のようにあっけなく割れ、中から光が一気にあふれ出した。

 アイリの長い金髪が光り輝き、世界は光に包まれた。

 ガラス玉の中に残っていた小さな闇のカケラが突如として大きく膨らみ竜の形となった。

『なに!?』

 しかしそれはアイリに向かってくることはなく、光り輝く金色の竜と向きあい、その光の中に吸い込まれていった。

 アイリが金色の竜を見たのはそれが最後だった。


『これでワタシもアイツもやっと救われる…』

 気が付くとワタシの正面にあの少女が立っていた。

 光り輝く世界の中、優しく微笑みながら手を差し出している。

 ワタシがためらいがちにその手を取ると、彼女は満面の笑みを浮かべた。

 彼女と言葉を交わしたのを最後に、光のカケラとなったワタシの体はバラバラに砕け散っていった。


 *


 ワタシの目の前に広がる大海原。

 水面みなもはキラキラと太陽の光を反射し黄金色こがねいろすじを描いている。

 さらさらと波が寄せては返す音が静かに響いてくる。

『お母さんたちは、この海の向こうから飛んできたのよ』

 その声に下を見ると、あの少女とその子供ルカがいた。

『すごーい! 海の向こうには何があるの?』

 ルカは目を輝かせ少女の話に聞き入っている。

『海の向こうにはね、太陽のまぶしい真っ青な海があって、空がオレンジ色に染まる海があって、星のまたたくくらーい海があって、そして、その向こうにはお母さんと彼…この竜しか知らない国があるのよ』

『どんな国なの?』

『そうね…不思議な国だったわ…』

 少女はそう言うと遠くを見た。

 懐かしいこの光景。

 そうだ、これはワタシが一番幸せだった日々。

 われ知らず涙がこぼれ落ちた。

『あれ? 竜も涙を流すんだね』

 少女とルカは不思議そうにワタシを見上げた。

『目にごみでも入ったのかしら?』

 ふたりは顔を見合わせて笑った。

 その笑顔につられワタシも笑った。

 涙がとめどなく流れた。

 目の前はぼんやりとかすみ、まるで波が押し寄せワタシの心まで洗い流すようだった。

 そして波が去ったあとには澄み渡った深く濃い青空が広がっていた。


 ワタシの体は水面に輝く光と溶け合って、この世のすべての記憶の中から消し去られていった。


 *


 立ち尽くすアイリの前で、色をなくし、ただ形だけを残していた金色の竜は、徐々にその輪郭も光に溶け込んで曖昧あいまいなものとなり、やがて跡形もなく消え去った。

「終わったのね……」

 アイリから金色の竜の記憶は急激に失われ、そこにいたという感覚だけを残すのみだった。

 あとに残ったのはくすぶった焼け野原と静寂だけだった。地面から吹き出したマグマは熱を持ったまま黒く固まっている。

 空を埋め尽くしていた竜たちは散り散りに飛び去り、青空が広がってきた。

 地面に降り積もった灰はまだ熱く、黒や灰色で塗られていたが、その中にいくつもの小さな花が咲いていた。黄色い小さな花が。


 フローレスが駆けつけた時、アイリは膝をつき泣いていた。

 緑竜石は光をなくし、ただの緑色の石となってアイリの胸元を飾っていた。

「アイリ、大丈夫か?」

「………」

「アイリ…」

「あ、フローレスさん…」

 振り向いたアイリを見てフローレスは黙ってしまった。

「あれ? どうしたんだろ…」

 土ぼこりですすけた顔を洗い流すように、アイリの両の目から涙が止めどなく流れ落ちていた。

「どうしたんだろ。わたし泣いてるの? なんで?」

「アイリ、よくやってくれた。おかげで国と人々は守られた」

「わたしが、よくやった…? こんなにたくさんの人と竜が死んでるのに?」

「アイリがいなければもっとひどいことになっていたはずだ」

「もっとひどいことに…?」

「そうだ、覚えていないのか?」

「…いえ、覚えてるんだけど、それよりもなんだかすごく大切なことを忘れてしまった気がして…」

 アイリはそう言うと、ふたたび顔を背けた。

「大切なこと?」

 フローレスも心の中に多少の引っ掛かりを感じたが、それ以上深く考えようとはしなかった。

「そうだ、竜とともに生きる、だった……」

 アイリがぽつりとつぶやいた。

「竜と…? ああ、ザハドの妹…確かマリアンナの言葉だったか、それがどうか…」

 フローレスはアイリに話しかけたつもりだったが、彼女がただひとり言を口にしているだけだということに気付いて言葉をつなぐのをやめた。

「アイリ、やったな! ……どうした? 怪我でもしたか? おい、アイリ…」

 馬を降りながら声をかけてきたレイモンだったが、アイリはもはや反応すらしなかった。

「疲れてるんだろう。少しそっとしておいてやれ…」

 ルイやダレスもやってきたが、この普通ではない気配を感じ取って声をかけるのをやめた。

 アイリはいつまでもその場に座り込んだまま、灰の降り積もった何もない空間をただ呆然ぼうぜんと眺めていた。

「どうして戦わなくちゃいけなかったの…」

 フローレスと3人の男たちは彼女の嗚咽おえつにも近い声を耳にしながら、竜の飛び去っていく空を見上げて、ようやく戦いが終わったことを実感するのだった。

 アイリのすすり泣く声が聞こえ、忘れたころに吹いてきたそよ風が彼女の長く美しい金髪を揺らした。


 * * *


 それから数日後、城の敷地を開放し盛大な祝宴が行われた。

 竜に勝利したお祝い、死んでいった兵士たちへの鎮魂、この国の未来を祝して、と、さまざまな名目のもとに開催され、重症の兵士たちを除き、国民も含め参加できるものをできるだけ多く集めた。

 竜との戦いの場所には広大な墓地が築かれ、無数の兵士たちが埋葬された。今はただ仮の墓碑があるにすぎないが、そのうちに慰霊碑でも建てられるのだろうというのが人々の共通の認識だった。

 そしてまたここには多くの竜の死骸も埋められた。もっとも竜は地面に空いた大穴にまとめて埋められただけではあるが、それでもたいへんな重労働に変わりはなかった。

 これらの労働に従事した兵士や国民のねぎらいの意味も込めて、祝宴には王でさえも口にしたことのない異国の酒や備蓄している食糧まで振る舞われた。街の噴水広場で演奏している音楽士の彼女の奏でる楽器の音色に乗せて、誰も彼も別け隔てなく歌や踊りを堪能した。家族や友人や恋人を亡くした人たちも、彼らとの時間を思い出しながらまるで一緒にいるかのように楽しんだ。

 けれどもここにはアイリの姿だけがなかった。

「アイリはどこに行ったんだ?」

 急に思い出したようにそう口にするものがいたが、それも喧騒にまぎれすぐに忘れられていった。


 *


「みんな、さようなら」


 城で祝宴が行われている頃、アイリはひとり満天の星空の下、星明かりにぼんやりと照らされた丘へと続く道を歩いていた。

 バイオレットと一緒に何度も通った道。

 すべてが遠い昔の出来事のようだった。

 丘の上にはいつか見た三つ星がひときわ強く輝いていた。


 聞き覚えのある音がしてふと足を止め耳を澄ませると、ぱかっぱかっという馬の足音が聞こえてきた。

 アイリが振り返ると、一頭の見覚えのある馬が近寄ってきた。

「あなたは、フローレスさんの……」

 街を囲う壁の扉が半分開き、明かりを背にした小さな人影が見えた。

「フローレスさん、ありがとう…」

 アイリが大きく手を振ると、その人影は明かりの中に消えていき、やがて扉が閉まると、街全体がぼんやりとした輝きを放った。


 アイリはひと晩走り続けた。


 そして今、目の前に広がるのはどこまでも続く緑の草原。黄色い花が絨毯のように咲きほこっていた。

 丘をわたり頬をなでていく風が心地よかった。

 彼女は馬を降り、草原の中に仰向けに倒れ込んだ。

 青空を白い雲が漂っていた。

 その中を一匹の竜が飛んでいるような気がしたが、それは輪を描いて舞う鳥の影だった。

 目を閉じるとなぜだか涙がこぼれ落ちた。

「そうだ、サラに手紙を書かなくちゃ」


 *


 その後城で行われた式典で、王の崩御がはじめて公に伝えられフローレスは正式な王に選ばれた。

 式典には辺境地域の人々も呼ばれ、その中にはアルベル国の人たちもいた。彼らの国はやはり竜によって壊滅状態となっていたが、生き残ったわずかな人たちの手で新しく国を築き上げることになった。グリプト国は彼らの求めに応じ最大限の援助をすることを約束した。

 式典ではまた竜との戦いに参加した兵士たち、死んでいった兵士たち、そして国民たちすべて等しくその功績をたたえ、この歴史的な日を記念して、〈鉄の騎士王〉の統治していたこの年を、多くの兵士たちが見たという〈翼の長い緑の竜〉の年と記すことに決まった。

 この年を境に時代は大きく変わったとされている。

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