希望の黄色い花

「ザハド、ひとつ聞いていいか? どうしてこんなことを話すつもりになったんだ?」

 フローレスは問い詰める風でもなく、落ち着いた声で話しかけた。

「誰にも言うつもりなんてなかったんだ…。だけどあの時、アイリの緑竜石の光に触れた時、急に思い出してしまったんだ。だからせめてアイリには伝えたかった…。自分勝手な、せめてもの罪滅ぼしのつもりだったのかもしれない……」

 ザハドはうつむき片手で頭を押さえながら、ひと言ひと言、言葉を選んで言った。

「それまでは怒りや憎しみしかなかった。あたり一面を瓦礫で埋め尽くされたような冷たくすさみきった心の中に、ともすると見落としてしまいそうな、怒りでも憎しみでもない、小さな希望が見えたんだ…。それは黄色い可憐な一輪の花の形をして、瓦礫に押しつぶされそうになりながらもけなげに咲いていた。そして、一度その花の存在に気が付くと、そこらじゅうから同じような花のつぼみがいくつもいくつも浮かび上がってきて、今にも花開こうとしているのが目に入ってきた。これが全部咲いたらきっと黄色い絨毯になるんだろう、そうなったらどんなにか綺麗だろうと思っていると、どこかから急に現れた黒い影がつぼみを踏みにじりはじめた。花はもはや咲くことはなく、そればかりか、あわれにも次から次へと茶色く枯れてボロボロに崩れていってしまった。『やめろ!』と大声で叫んだはずの声は音にはならず、黒い影に手を伸ばしてもちゅうをつかむだけで、影が通ったあとにはまた瓦礫の山が広がるばかりだった。せっかく咲こうとしているのに、どうしてそんなひどいことをするのかと唇を噛んだ時、やっと気が付いたんだ…。あの影はまぎれもない自分自身のことだったんだ、と。

 怒りや憎しみで殺伐とした荒野のような心の中でも、希望の花はそこらじゅうで咲こうとしていたのに、あえて咲かせないようにとそれらを踏みにじって心を殺し、大事なものから目を背けていたのは、ほかでもない自分だった。アイリの緑竜石の光に触れて、そのことをようやく思い出したんだ…。

 そして、ふと我に返って足元を見ると、今にも踏み下ろそうとしていた足の下に小さな黄色い花が咲いていた。それが現実なのか幻を見ていたのかは今となっては定かではないけど、あぁ、よかった、まだ一輪残っていたんだと思った時、自分はなんて罪深いことをしてきたんだろうと涙が止めどなく流れ、体の震えが止まらなくなってしまった…。

 そう、ほんとはわかっていたんだ。マリアンナが復讐なんて望んではいなかったことも…彼女が正しいということも…そして進むべきは彼女の選択だったということも……。

 けれど、すべて遅すぎたんだ。もはや後戻りはできなかった。そして黒い影がやったように、足元のその黄色い花を力いっぱい踏みにじると、心の迷いに蓋をして、城へ戻って計画を進めたんだ…」

「王を殺すという計画か?」

「………」

 フローレスの質問にザハドは沈黙で答えた。

「そうか…。それではわたしもお前にひとつ話をしておこう」

「話?」

「ああ、かねてからこの国に対して何か不穏な動きがあることはわかっていた。国同士の謀略など今に始まったことではないが、ザハド、お前も要注意人物のうちのひとりにあげられていた。そんなところへちょうどアイリが入隊することになり、お前に教育係をやらせることにしたんだが、それは逆にアイリの目をつけることでお前をゆるく監視する意味合いもあった。新人のアイリになら心を許すほどでなくても、警戒心はやわらぐだろうからな」

「監視されていただって…?」

 ザハドは驚きの目でフローレスを見た。

「その様子ではまったく気付いていなかったようだな」

「アイリは知っていたのか…?」

「……いいえ」

「これは王の極秘の命令で、知っているものはほとんどいない」

「じゃあ、知っていてだまされたふりをしていたってことなのか…」

「いや、それは違う。具体的に何を企んでいるのかはとうとう突き止められなかったし、王を守れなかったのは痛恨の極みだ。だが、それよりも、わたしはお前を信じたかったんだ」

「信じる?」

「そうだ。ザハド、お前はわたしの理想に付いてきてくれる仲間だと思っていた。新しい国を創るという理想に。お前がもし疑いをかけられるようなことをしている人間であっても、必ず考えをあらためて、そしてわたしの理想を理解してくれるだろうと信じていた。王はそうは思っていなかったようだが、口を出すことはなく、お前のことはわたしに一任してくれていた」

「あ、あなたの理想に付いていくだって…? この争いの時代にあって、平和な国を創ろうだなんて高い理想を掲げているのは知っている。けど、あなただけがどんなに理想を語っても、周りの人間が腐っていたらそんなもの実現なんてできやしないでしょう…馬鹿げた夢物語だ……」

「確かに自分のことしか考えないやつらも大勢いる。それにお前の国の人たちに取り返しのつかないことをしてしまったのは詫びのしようがない。しかしザハド、お前はわたしのその馬鹿げた理想に少しでも付いてきてくれたのではなかったのか?」

「そんなことは…。ぜ、ぜんぶあなたたちをあざむいて信用を得るためにやったことですよ…」

「本当にそうなのか? すべて嘘だったと言うのか?」

「そ、そうです…」

「だったらなぜ何度もわたしを助けた? お前がいなければわたしはとっくの昔に竜に殺されていた。それはここにいる者たちもよく知っているはずだ。見殺しにすればよかったじゃないか。そのほうが楽に計画を進められたはずだ。誰も怪しむやつなんていない。そんなこと簡単だっただろ?」

「何度もそうしようと思った……けど………」

 ザハドは目を閉じ眉間にしわを寄せながら苦悶の表情を浮かべていたが、ふいにその力を抜いてゆっくりと目を開き、フローレスを見ながらつぶやくように言った。

「いや…王子の理想なんて馬鹿げてるんだ…」

「それは自覚している。まあ、そう言うお前の理想もかなり馬鹿げていると思うがな」

「………?!」

「人間同士はもとより、竜とも共存する国を創るだなんて言ったのは、いったいどこの誰だ?」

「それをどこで…」

 ザハドはアイリをちらりと見やった。

「まあいいじゃないか。お互い馬鹿な理想とやらを持ってやっていけると思っていただけに、とても残念でならない………」

 フローレスはザハドから目をそらし、日の差し込む窓をまぶしそうに見つめた。

「……竜はわたしの、そして、竜と人とはマリアンナの理想だった…。わたしは人なんてどうでもよかった。でも彼女はいつも願っていた。竜と、そして世の中の人とがともに幸せに生きることを……」

 ザハドは穏やかな表情で少し笑ったようだった。

「竜と、生きる………」

 アイリがつぶやいた。

「竜と生きる、か。それも悪くないかもな」

 フローレスも口に出した。

「竜と生きるとは笑わせるな。それじゃオレたちの商売上がったりじゃねえか」

 ずっと黙ってやり取りを聞いていたレイモンが軽口を挟んできたが、それを遮るように、ザハドが急に声を荒らげた。

「アイリの緑竜石だ…! ひょっとしてそれがあれば何か変えられたのかもしれない……アイリに会うのがもうすこし早ければ…。ああ、もう…わからない………またすべて闇に包まれてしまったみたいだ…」

「もうすこし早く?」

「遅いんだ…今となってはもう遅いんだ…遅すぎるんだ……!!」

 ザハドはうなされるように頭を振りあらぬ方を見ながら暴れだした。

「もう遅いだと? おいザハド、しっかりしろ! 何を言っているんだ? まだ何か隠しているのか?」


 その時、ひとりの兵士がノックもせずに慌てて部屋に入ってきた。

「申し上げます!!」

「どうした?!」

「王都に向かって竜の大群が押し寄せてきています!」

「なんだと?! 数はどのくらいだ?」

「ざっと見積もって、およそ3000!」

「なにっ、3000だと? 今どのあたりにいるんだ?!」

「街の外縁から50キロールを切ったあたりです。なお人とおぼしきものたちが竜を先導している模様です」

「あの金色の竜はいるのか?」

「まだはっきりとは確認できていませんが、おそらくいるだろうとのことです」

「なんだ、そのおそらくというのは?」

「あのときの金色の竜の圧力と同じものを、大勢の者が感じ取っているものですから…」

「圧力か…」

「それに馬がおびえて動こうとしません」

「あぁ、最悪の事態だ…。まさかここまでやるなんて…。もう何もかも遅い…何もかも…もう…だめだ………」

 ザハドは頭を抱え震えだした。

「ザハド! てめぇー、何てことを!」

 レイモンはザハドの胸ぐらをつかみ、今にも殴りかかろうとした。

「やめて!」

 アイリが叫んだ。

「今はそんなことをやってる場合じゃないでしょ!!」

「そうは言ってもだな…!」

「アイリの言うとおりだ。これより緊急会議を開く。5分後に作戦室に集合だ。それまでに各兵団はいつでも出撃できるように準備を整えておいてくれ。それから…」

 フローレスは言いよどむことなく命令を出した。

「はっ!!」

 その場にいた全員は敬礼し、続いて部屋を飛び出していこうとしたが、レイモンが突然足を止めた。


 すると同時に部屋の扉が重い音を立てて開き、全員がいっせいに動きを止めた。

 そこにはいつも王のそばに仕えていた黒ひげの男の姿があった。常に誰をも見下すような態度で近寄りがたい存在だった男。その彼が部屋にいる全員を見わたすと深々と礼をした。アイリはおろかフローレスでさえも彼のこんな姿は見たことがなかった。

 彼はフローレスに向かい、慇懃いんぎんな態度で重々しく口を開いた。

「申し上げます。先ほど王が崩御ほうぎょされました」

「なにっ…………」

 フローレスは半ば覚悟していたものの、いざ現実を突きつけられると言葉が出せなかった。他の人たちも声にならない声を上げた。

「王からの最後のお言葉です。フローレス王子、今からあなたがこの国の王となって民を守り、そして幸せにしろ、と。そのために、他のものは王子を支えろ、と。これが王の遺言、いや最後のご命令です」

「こんな最悪の状況で民を守り、幸せにしろ、か……。くっ…最後まで難しい命令を下してくれるもんだな……」

 フローレスは天井を仰ぎ眉根を寄せて目をつぶったが、その端からはひとしずくの涙がこぼれ落ちた。弱みなどついぞ見せることのない彼だったが、人前で見せる涙はこれが最初で最後だった。

「王子…」と誰かがつぶやいた。

 しばらく沈黙が続き、それに堪え兼ねたルイが口を開いた。

「王子、わしは最初から国のため、いやこの国の人たちのために命を捧げる覚悟を決めとる。誰が王だろうと構やしねぇ。あんたには大きな理想があるんだろ? だったらこの老骨に鞭打ってとことん付き合ってやろうじゃないか」

 うなだれているザハドを除いて、その場にいた全員は互いにうなずいていた。

「わたしも元よりその覚悟です」

 ダレスは口の端に笑みを浮かべている。

「オレはこれによりけりだけどな」

 レイモンは親指と人差し指で輪っかをつくった。

「ルイ、みんな、気をつかわせてすまない…。いや、ありがとう!」

 フローレスはひとり一人の顔を見ながら言った。

「そうだな、今は感傷に浸ってる場合じゃないな…。よし、目が覚めた。父上の、いや、王の言葉、しかと胸に刻んだ! この身はいつでも民と共にあらん! 我々には竜の加護が付いている! みんな行くぞ!!」

「それでこそ我らの王子だ!」

「今はなんとしても竜から街を守るんだ!」

「おうっ!」

「目に物言わせてやるぜ!」

 部屋にいた血の気の多い男たちは我先にと駆け出していった。

「…フローレスさん……」

「どうしたアイリ、今は余計なことは考えるな。行くぞ!」

「は、はい!」

 アイリとフローレスがベッドの脇から離れようとした時、ザハドが手を伸ばしフローレスの袖をつかんだ。

「王子、わたしも行かせてください…!」

「何だと? ならん! ザハド、お前の処罰は追って考える。ここから動いてはだめだ。監視をつけておく。グリプトに対する叛逆者はんぎゃくしゃだということを忘れるな!」

「自分の立場はわかっています。それでも行かせてください!」

「付いてきて何をしようっていうんだ? そんな体で来られても足手まといなだけだ! それともまだ何か企んでいるのか?」

「違います! 自分のしでかした過ちがどれほどのものか、目に焼き付けたいんです!」

 フローレスは鋭い目つきでザハドをじっと見つめて言った。

「目に焼き付けてどうするんだ?」

「けじめをつけたいんです」

「死ぬことになるぞ?」

「願ったりです」

「何かあっても誰も助けないぞ?」

「覚悟しています! 最後の頼みです!」

「……わかった。連れて行ってやろう。ただし、もし何か不審なことがあれば、有無を言わさず真っ先にお前を殺すことになる」

「もちろんです。ありがとうございます!」

 ザハドはペンダントを握りしめた。

「フローレスさん、いいんですか?」

「心配するな、この責任はわたしがとる。おい、誰かいないか! この裏切り者も運んでいけ!」


 *


 静寂に包まれた薄暗い部屋。足元には冷気が臆面もなく忍び寄ってくる。

 目の前のベッドには王がいつもと変わらない様子で眠っていた。ただひとつだけ違うことをあげるとするならば、それは彼がもう二度と起きてはこないということだけだった…。

「一難去ってまた一難か…。しかし、王子ももう立派になられました」

 ひとり物思いにふけっていた黒ひげの男はそうつぶやくと、腰に差していた短剣を抜いた。

「王よ、身寄りのないわたしを拾って育ててくださり、そればかりか、ずっとあなたに仕えることができて、とても幸せだった…。これからもお供させていただきます。あとは若い者たちに任せましょう…」

 彼は短剣を自らの首に当て天井を仰いだかと思うと、その金属の冷たさを感じることすらないまま床に倒れ込んだ。絨毯じゅうたんに竜のシルエットを描くようにじわりと広がっていく暗い染み。

「竜の御加護が…あります…よう…に………」

 彼は満ち足りた穏やかな顔を残してこの世を去ったが、その死はこれから始まる人と竜との争いの、最初の犠牲であり、また皮肉なことに一番幸せな死だったといっても過言ではなかった。

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