アイリのこととバイオレットのこと
フローレスを先頭に、アイリと3人の兵士たちは、街のはずれに向け馬を走らせていた。
砂ぼこりが舞い上がり、石畳の道は一瞬視界が悪くなる。
フローレスは相変わらず身軽だが、アイリは全身を黒い甲冑に包まれていた。
港町セヌマからこの王都にたどり着いた日、赤い竜の退治に同行した時、初めて身に付けた防具が黒い甲冑だった。
これまでは甲冑といえば銀色のものしかなかったが、職人が新たな試みとして黒いものを作り、大々的に売り出した。はじめのうちは物珍しいこともあり、なかなか順調に売れていたものの、そのうちに、黒い防具を身に付けると竜の標的になりやすいだとか、怪我をしやすいだとか、呪われているだとか、そんなまことしやかな噂が立ち、縁起が悪いと次第に敬遠されていった。
そうして兵団でも使われずに倉庫に眠っていたものを、あの日アイリが身に付けることになったのだったが、アイリはこの黒い甲冑が気に入り、ボロボロになって使えなくなり次のものが必要になった時も、同じように倉庫に眠っていたものを引っ張り出してきて、体に合わせて調整してもらい、このように身に付けている。
今では黒い甲冑は、彼女のトレードマークとなっていた。
金色の髪は頭の上でふたつにくるりとまとめ、邪魔にならないように兜の中にしまってある。一度甲冑を着てしまえば、外見からは女なのか男なのかすら区別がつかないが、黒い甲冑を探せば、それがアイリだとすぐにわかる。
そして、馬の動きに合わせて体が動くたびに、かしゃりかしゃりと音を立てる、腰に差した長短2本の剣がある。
長い方は兵団に入ってから調達した剣。身長の3分の2以上あり剣身の幅も広く、アイリの体には少し不釣り合いに大きく、そのうえ重いが、竜を相手にするには最低でもこの程度のものは必要で、この3年でやっと使いこなせるようになった。レイトスからもらった細身の剣は今は大事にしまってある。
短い方の剣、父ヨシュアの形見の短剣は使うことはほとんどないが、いつも腰に差してある。
石畳をものともせず走り続ける馬たち。アイリを乗せた馬は、フローレスの馬の後を付かず離れず一定の距離を保って走っている。
この馬は、仔馬の頃、竜に襲われていたところをフローレスに助けられた。親はすでに食い荒らされたあとだったが、おそらく身を挺して子供を守ったのだろう、仔馬は林の中に隠れていて無事だった。かなりおびえていたが、フローレスの馬が近づくとようやく安心したようで、首にかけるロープもとくに嫌がる様子もなく城へとやってきた。この2頭はとても仲がよく、一緒に行動することが多いため、こうして全速力に近いスピードで走る時も、息がぴったりだった。
アイリの馬は、気性が荒いわけではないものの、なかなか人を乗せようとせず扱いに困っていたが、なぜか初めて対面した時から彼女にはよく懐いた。そして、アイリが世話を買って出たのがきっかけとなり、それ以来、よいパートナーとして訓練を積み、たび重なる実戦にも臨んできた。アイリが落ち込んだときには慰められたこともある。今ではアイリにとって欠くことのできない、信頼できる友と呼んでもいいほどの存在となっていた。
兵団の馬は個人的な所有物ではなく、あくまで使役する動物、いわば武器と同じようなくくりで扱われ、情が移らないために名前を付けることは禁じられていたが、アイリはひそかにこの馬のことをバイオレットと呼んでいた。体は他の馬と同じように栗色をしているが、その瞳は、どう表現したらよいかわからない、まさに神秘的というほかない紫色をしている。鼻筋には縦長の白い十字が走っている。
アイリはバイオレットの手綱をきつく握り、その息づかいを感じるように身を委ねていたが、誰かの視線を感じたような気がしてふと空を見上げた。
しかし、そこにはただ、ベージュの建物に囲まれて、どこまでも突き抜けるように青い空があるだけだった。
街の石畳の道が終わると、見渡すかぎりの畑が広がり、その向こうにはなだらかな起伏のある緑の丘が連なっている。竜に襲われれば惨劇が待っているだけだが、そんなものとはまったく無縁の、まるで別世界にいるかのようなのどかな風景だった。
馬は青々とした畑の中を飛ぶように駆けていった。
やがて畑を抜け、草丈の短い草花を蹴散らしながら丘の上まで来たとき、眼下に兵士たちが弧を描くように層をなして並んでいるのが見えてきた。
フローレスは全体を見渡すことのできるこの場所から、状況を確かめようと馬を止めた。アイリとほかの兵士たちも続いて横に並んだ。
「……もう、やることもなさそうだな」
アイリが見ると、ずらりと並んだ兵士たちの先に、逃げるように羽ばたく1匹の竜の姿があった。
その竜はふらつきながらやっとのことで飛んでいるように見え、丘の向こうにある黒々とした森を目指しているようだった。
竜の後ろから追い立てるようにして馬を走らせる何人かの人の姿があったが、さすがに追いつけないと見えて、途中で引き返しはじめた。
この様子だと、しばらくはこの竜がふたたび街を襲いに来ることはないだろう。
「このまま戻ってもいいが…、ま、とりあえず行ってみるか」
フローレスはそう言うと、「さあ、行こうか」とアイリたちを促し、ふたたび馬を走らせ丘を下った。
アイリは緊張感から開放され、重い
目の前に広がる風景が、急に鮮やかな色を帯びて心の中に飛び込んできた。こんな気持ちになったのは久しぶりだった。
馬は急ぐことなく、まるで遠乗りでもしているようだった。
気が付くと黄色い花畑の中を走っていた。
両親に連れられ黄色い花の絨毯の上を歩いた、幼い頃の記憶が蘇る。
頬を流れる風が心地よかった。
草のにおいが鼻を優しくくすぐった。
重い甲冑を捨て去り、このままバイオレットとどこまでも走っていきたいと思った。
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