揺るぎない決意

 時計の歯車がコツリコツリと回る音を聞きながら、アイリはベッドに仰向けになり、天井に暖炉の赤い火の影が揺れるのを見つめていた。

 その影をつかむように伸ばした両腕には、真っ白な包帯が巻かれ、いくつか血がにじんでいるところもあった。

 手を開き、閉じてみる。問題なくちゃんと動く。

 左手首のやけどのあとがうずいた。


 唐突に右のこめかみがずきりと痛み、思わず「うっ」と声を出してしまった。

 操られていた糸がふいに切れたように腕を下ろし、ゆっくりと目をつぶった。


 ふーっとひとつ大きなため息をついた。


 今日はあまりにもいろいろなことが起こりすぎた。

 ようやく王都にたどり着き、王さまに会えたと思ったら、なぜか剣の手合わせをすることになった。その途中で赤い竜が街を襲ってきて、その討伐とうばつに付いて行きたいと言ったのはわたしだけど、結局何もできずに怪我をして戻ってきただけだった。

「何やってるんだろ、わたし…」

 天井に向かってぽつりとつぶやいた。


 赤い竜が間近にいた時のことは、今思い出してもぞっとする。思わず剣を抜いたけど、あれでよかったのだろうか…。

 竜に跳ね飛ばされたあと、白銀シルバーの甲冑の若い兵士に助けられた記憶はある。そして馬に乗ったフローレスが竜に向かって走っていく後ろ姿を見た記憶も。

 わたしはそれで助かったのだろう。

 …けれど、それからあと、どうやってここまで戻ってきたのか、実はあまりよく憶えていなかった。


 そんなことをぼんやりと考えている時、ドアをノックする音がして、誰か入ってきた。

 そして、ゆっくりとベッドに近寄ってくる気配を感じたかと思うと、声をかけてきた。

「アイリさん、具合はどうですか?」

 目を開けると、そこには心配そうに覗きこむ若い男の顔があった。

 この顔には見覚えがあった。

 赤毛に、このそばかす…どこかで……あ、そうだ。

 白銀の甲冑の…。

「ザハドさん?」

「そうです。憶えていてくれましたか」

「はい。あの…、助けてくれてありがとうございました」

 アイリは体を起こしながら言った。

「助けただなんて、そんな……。わたしが付いていながら、怪我をさせてしまって…申し訳ありません……。それで、こうして、お詫びをしにきました。お身体は大丈夫ですか?」

「はい。少し痛むところはあるけれど、大丈夫です」

「それを聞いて安心しました。隣の部屋に看護のものがいますので、もし何かあればこの呼び鈴を鳴らしてください」

「わかりました」

 それだけ言葉を交わすと、お互い特に話すこともなくなり、沈黙が訪れた。

「…その緑のペンダントきれいですね」

 アイリの胸元で緑竜石のペンダントが揺れていた。

「あぁ、これ。ペレス…一緒にここまで来た人のお母さんの形見なんです」

「そうですか…。大事なものなんですね……」

 ふたたび気まずい沈黙が訪れた。

「…それでは、長居しても悪いので、もう帰ります。突然すみませんでした。どうぞごゆっくりお休みください」

 ザハドはそう言うと、軽く頭を下げてドアへと向かったが、

「あの…」

 とアイリに呼び止められ、振り向いた。

「ほかに怪我をした人はいるんですか?」

「……え、ええ…何人かは怪我をしましたが、みんなちゃんと訓練していますので、気にするほどでもありません」

 少しの間をおいて、ザハドはぎこちない笑みを浮かべながら答えた。

「よかった…」

「それでは、また明日お目にかかりましょう」

 ザハドはあらためて頭を下げて部屋を出ていった。


 アイリがふたたび天井を見つめていると、心地よい眠気に襲われ、頭の中をいろいろなことが渦巻きはじめた。

 サラは今ごろどうしてるだろう…もう港町に着いたかしら……ペレスがわたしのことを心配してるかも……それをいうならレイおじさんのほうが心配してるはず……フローレスさんの馬すごかったな…わたしにも乗れるかな……。

 今度は竜から逃げる人々の顔が現れた。突然、赤い竜の鋭く光る牙の列が眼の前に迫ってきたように感じ、びくっと体を震わせたが、またすぐにまどろみの中に引きずり込まれていった。

 …少しお腹が空いたな……パパ……ママ……………。

 ぼんやりとした頭でとりとめのないことを考えているうち、アイリはいつしか深い眠りに落ちていた。


 * * *


「ただいま戻りました」

 アイリとザハドが話をしていた頃、フローレスは重い扉を開け、絨毯の敷かれた国王の部屋へと入ってきた。

「あぁ、ご苦労だった」

 今この部屋には国王ひとりだけだった。手元の書類に何やら忙しくペンを走らせていたが、その手を止めると、フローレスの顔を見て言った。

「その様子だと、あまり芳しくなかったようだな。竜はどうした?」

「それは…」

 フローレスは言いよどんだ。

「どうした? 取り逃がしたのか?」

「……はい」

「そうか…」

 国王は再び書類に目を落とし、何やら書き込み始めた。

「申し訳ございません。それに…犠牲も出してしまいました」

「どれほどだ?」

「死者3人、重傷者15人、軽傷者53人です…」

「兵士が3人も死んだだと? ずいぶん手こずったようだな…」

 国王は思わず手元の紙を破りくしゃりと握りしめていた。

「残念だが、仕方ない…。亡くなった兵士の遺族の対応はわしが…」

「いえ、わたしにやらせてください。責任はわたしにありますし、彼らとその家族はわたしが一番よく知っています…」

「わかった。それでは今回はそなたに任せよう」

「ありがとうございます」

 フローレスは言い終わっても、その場を離れようとしなかった。

「ん? ほかに何かあるのか」

「…はい。言い訳にしかなりませんが……。父上、今回の赤い竜はこれまでのものとはどこか違うようで、いつもの戦略がうまく機能しませんでした。昨晩、作戦参謀と話をして、今回の失敗の問題点を洗い出したのですが、これといって大きな失策は見当たりませんでした。今までの常識が通用しない竜がこれからも襲ってくると考えると、作戦を練り直す必要があるのではないでしょうか」

「うーむ。確かに、これまで見たことのない竜もよく現れていると言うしのぉ……。わかった、考えておこう」

「その時にはわたしも会議に参加させてください」

「当然じゃ。若い者らの意見も大事じゃからのぉ」

「…ありがとうございます」

 フローレスはこんなにもすんなりと自分の意見が受け入れられるとは思わず、意外だという顔で国王を見ると、

「黒ひげの受け売りじゃ」

 と国王は言葉を返して、不敵な笑みを浮かべた。


 * * *


 翌朝、まだ空気の冷たい国王の部屋。

 国王とフローレス、そしてザハドの3人がソファーに座り、昨日の赤い竜に関する話をしていた。

 フローレスとザハドはそれぞれ感じたことを口にしていたが、共通するのは、やはりこれまでの竜とは様子が違うということだった。そしてここでも、戦略を変えないとさらに犠牲を出してしまうという結論に落ち着いた。


「お連れしました」

 しばらくして、アイリとペレスが若い兵士に連れられて部屋に入ってきた。

 アイリの腕や足には、替えたばかりの真新しい白い包帯が巻かれ、見るからに痛々しい。

「よく来た。まあ、そこに座りなさい」

 ザハドは立ち上がり、国王とフローレスはふたりと向かい合うように座った。

「アイリ、だったな。傷の具合はどうじゃ?」

「はい、もう大丈夫です」

「それは何よりだ。昨日は危険な目にあわせて申し訳なかった。わしからも詫びを言おう」

「いいえ、わたしが行きたいと言ったものですから…」

「それで、竜はどうだった?」

「え…?」

「父上、突然何ですか! せっかちにもほどが…」

 国王は諌めてくるフローレスを手で遮り、そして、

「竜を退治するということがどういうことか、わかってもらえたか?」

 とゆっくりと諭すように言った。

「……はい。逃げてくるたくさんの人を見ました。ボロボロに壊された街並みも見ました。けれど、わたしは何もできないばかりか、怪我をして助けてもらいました。本当のことを言うと、とても怖かった…です。それに、逃げ出したかったけど、怖くて動けなかった。竜に襲われた時は、あのまま食べられてしまうのかと、思いました……」

「父上、もういいではありませんか! あんな体験をして、思い出させるだけでも酷というものです!」

「そうだな。こいつの話によると、無事に帰ってきたのが奇跡的なくらいだそうだな。竜を相手にするということは、そういうことじゃ。常に危険と隣り合わせで、みんな命をかけておる。わかってもらえたか」

 国王は白いあごひげをなでながら続けた。

「それじゃから、竜への復讐なんて考えず、この街で暮らすか、それともおとなしく帰るがよかろう。そなたを見込んで、村の復興にも力を貸してもらいたいと思っておるのでな…」

 しかし、この国王の提案は、いや、そもそもその言葉すらアイリの耳には入っていなかった。

「……王さま、わたし、これではっきりわかりました」

 アイリは国王の目を見据えて言った。

 その碧い瞳は曇りひとつなく、見るものの心の奥底にあるもの、決して他人には知られたくないものまですべて映し出すように、どこまでも澄みわたっていた。

「ん? 何がわかったというのだ?」

 国王はその瞳に引き込まれるような感覚を覚えながら聞き返した。

「わたしが昨日感じた恐怖を、他の誰にも味わわせるわけにはいかない、ということをです! やっぱり、わたし、あの金色の竜に復讐しないといけない!」

 その場にいた誰もが耳を疑った。アイリの性格を知っているはずのペレスも唖然として言葉を見つけられなかった。

 国王は絶句してアイリを見ていたが、少し思案したあと、再び諭すように言葉を探して言った。

「確かにそなたには剣のセンスがある。それは認めよう。だがしかし、わしらは村の人々どころか、そなたひとりさえろくに守れなかったんじゃぞ」

「それは、わたしに力がなかったから」

「そういう問題ではない。ひとりでどうなるっていうものではないことは、そなたもよく理解したであろう」

「だから、なおさらです! わたしを兵士にしてください!」

「何を言うておる。兵士は誰にでもなれるわけじゃない。それにそなたは年齢的にもまだ早い。今はそんなことは考えず…そうじゃ、フローレス」

「はい、何でしょう」

「今日は街でも案内してやれ。せっかく遠くから来たんじゃ。みやげ話のひとつでも持たせてやれ」

「わかりました。アイリさん、あなたはまだ怪我をしているから、少しくらいのんびりしてもバチは当たりませんよ。休むのも兵士には大事な仕事です。ちょうどわたしも市場に用事があるから、あとでペレスくんと一緒に行きましょう」

「はい…わかりました……」

「そうと決まれば話は早い。存分に楽しんでまいれ。わしは仕事をするから、皆のものは帰ってよいぞ」


 国王を残して全員が部屋を去ったあと、部屋の奥の扉がぎしぎしと音を立てて開き、黒ひげの男が出てきた。

「あの娘には驚かされたわい」

「はい。まさか兵士になりたいとは正直驚きました。で、どうされるのですか?」

「まあ、気がすむまで少しの間好きにさせるさ。望みとあらば訓練に参加させてもよい。すぐに音を上げるじゃろう。それより、例のやつはどうじゃ?」

「特に怪しいところはなさそうでした」

「わしも同感だ。疑心暗鬼になると自分が嫌になるわい」

「ただ…」

「ただ?」

「あのザハドという若者は少し気をつけていたほうがいいかもしれません。単なる思い違いだといいのですが」

「あの若者か。素性もいまひとつはっきりしないところがあるからのぉ…。これはどうじゃ?」

 国王は黒ひげの男を手招きし、ひそひそと話を始めた。

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