始まりの鐘 [intend accident]


 連休の後半、今日も午前中だけ道場で汗を流した後、志緒は自室でACSのセットアップを図っていた。

 もはやそれが日課とすらなっている。


 そんな折、またも部屋の扉がカチャリと唐突に開く。


「ああ、兄貴――」


 変わらずの顔を覗かせて、扉の影から半身だけ志緒の部屋へと。


「そうだ、パーツの金、後で必ず返すから」

「必要無い。それよりデバイスの調子は……?」

「直して貰ってからはかなり良いよ、前はさ、使った後に頭痛くなる事があったんだ」

「頭痛が?」

「いや、今はもう全然だ――兄貴のおかげで」

「………………」


 少しの逡巡を示すように無言で立ち尽くす克司だったが、まるで何事もなかったかのように身を引いた。

 しかし直前、思い直したように再び顔を向けた。


「あんまり、それ……のめり込むなよ」

「え? ――ああ、適度に休憩挟んでるし、問題ねぇよ」


 その影をふっと部屋から消すように扉は静かに閉められた。

 志緒の重いその身がぎぃっとベッドを変形させる。

 彼は兄のそのわずかな躊躇ためらいにも気付かぬほど、ACSというデバイスが見せる夢の世界にふけっていた。















「奥崎、さっそくBoDCの洗礼を受けたってなあ」


 長閑のどかな農村の一角にて、志緒は民家の庭先でひたすら薪を割っていた。そんな折に増山が姿を見せる。


「死んでアイテムを全ロストしてからがBoDCの本当の始まりって言われてるぐらいだ、おごそかに受け止めるこった」

「まあ、勉強にはなった」

 

 志緒達は失われた装備類を買い直す為、最も確実な道を選んでいた。

 つまりは単純労働である。

 危険が無い分、しかしその過程は地味で長い。恭弥と瑞貴も街の料理亭で配膳などの仕事に就いている。――ゲームの中でアルバイトという新感覚に戸惑いながら、何とかこなしているらしい。

 根気よく仕事を続け、初歩的な装備を買い揃えられるまではには至っていた。


「それより、増山――」

「ああ、お前からのメールであった〈神聖まゆゆん☆奉仕団〉って奴等の話だな? 方々ほうぼう伝手つてを使って知らべたぜ。奴等、RMリアルマネートレードとかもやってる評判の良くない連中だった」

「やっぱりか」

「まあ、俺が使える最大限の情報ネットワークでその事は拡散しておいたから、奴等も少しは大人しくなるだろうぜ」

「こういう時だけは素直にお前が頼りになる」

「こういう時だけか?」


 そんな話をしてる合間も薪割りを続け、庭に転がっていた丸太の輪切りは全て手頃な薪へと変わっていた。

 家主に報告して賃金を貰い、志緒は腰をぐっと伸ばした。


「うむ、額に汗して働く姿こそ人間の美徳よなあ」

他人事ひとごとだと思ってぬかすな」


 時間は過ぎ――

 彼らは今、待ち合わせていた平原フィールドにつどっていた。


「さぁてさて、久方ぶりに全員が揃いなすったようだ」


 見渡す限りの平野の最中にて、増山が出張った岩棚に登り一同を見下ろしている。今ここには増山の言の通りメンバー全員が揃っていた。


「うおっほん、それではこのBoDCの世界にも大分慣れてきた頃合いであろうと思われる故、諸君等には今一度、兜の緒を締め直す意味合いも込めて、ここで大人数戦闘の何たるか解説しようと思う」


 相変わらずの芝居がかった口調で増山は声高こわだかだ。


「まーた始まった」


 呆れ顔の木ノ下が、両掌を晴れ渡った空に向けている。


「はいはーい、まっすん、大人数戦闘ってなんぞや?」

「香坂、お前は素直で大変よろしい。それに比べて宮歩は……減点1だな」

「アンタに採点される筋合いないから」

「前にも触れたがこのゲーム、レベルアップによる強化を過信できない故に個人の力では限界がすぐ見えてしまう。そこで、多人数による戦術的な動きがキモとなってくるのだ」

「それ聞いた事あんわー、なんか『俺つえー!!』が出来ないせいで一部では散々に言われてるってヤツ?」

「相変わらずそういう輩が多いらしいな、まあつまりスタンドプレーよりもチームプレーのが大事って訳だ。さらに言うと、チームプレーよりもアーミープレーのが相当に重要になってくる。隊伍たいごを組み、陣形を整えて、一気呵成いっきかせいに攻め落とす。どんな強力な魔物も、この物量作戦には敵わないんだぜ」

「ボスキャラの攻略方法が大勢で囲んで石を投げるってなだけはある」


 志緒が皮肉気に口許を歪めた。


「言わんとしてる所は判る。それじゃあロマンもへったくれも無いってんだな? しかしながら、昔から『剣は一人の敵学ぶに足らず』という言葉もあるくらいだ」

「どゆ意味なん?」

「剣術なんてものは所詮しょせん、一対一の戦いのためのものであって、一人が万人を相手する兵法には及ばないって意味だな」

「どこに戦争を吹っ掛けるつもりなんだよ」


 話の向く先に恭弥も苦笑いだ。


「まあ、ちょいと大袈裟だったか。ともかく一人で敵を倒す事ばかりにとらわれないで、味方に利する行動を取れる人間が最終的に勝利するという事だ。これは私論になるが、恐らく10人前後のチームでの戦いが一番やり応えがあって白熱するんじゃないかと俺はにらんでる」

「他のゲームとかでもパーティ組んでやるのは、まあ当たり前だわね」


 橋本が腕を組んで頷く。


「何よりパーティを組んでいた方が生存率もかなり違ってくる。死亡時のペナルティが結構シャレにならん設定だからな、基本は生き残る事を優先しなくちゃだ」

「装備とか全部なくなっちゃうんだもん……買い直せるまで大変だったぁ」


 瑞貴がしみじみとこれまでの苦労を言葉にしている。

 

「それも痛いのは確かだが、それ以上に死亡時に発生するアウラの消失とスキルやパラメータの初期化ってのが相当にヤバイぜ」

「でもまっすん、死にゲーで有名なブレドンなら死にまくって上等っしょ?」

「そこなんだよなあ……BoDCのゲーム性を考慮すれば、今作ほど死亡のペナルティが強烈なのは珍しい。せっかく育てた自キャラがあっけなく元に戻っちまうってのは、正直シビアすぎるというか、このゲーム自体を阻害してるとすら言える」


 そこだけ少し面持ちを変えて、増山本人が信奉してまないこのゲームの不満を口にしていた。――かなり珍しい事に。


「どう言うかのな、簡単に死んじまう難易度なのに、その〝死〟自体が相当に重いモンとして設定されているきらいすらあるぜ。大きなクランに所属してる効率を求めるプレイヤーなんかの間じゃ、もうかなり割り切った考えが浸透しんとうしてるそうだ」

「割り切った考え? 何それ」


 木ノ下が冷めた風を装って、けれども一番に増山の話に相槌を入れている。


「ズバリだな、前衛職を使い捨てのたておとりなどの人柱にして、ひたすら後衛の人間が生き残る戦術を構築してるらしい。生き残ってアウラによるレベルアップの恩恵を受けれる人間を選定し、それ以外は切り捨てるってな訳だ」

殺伐さつばつとしてる事」

「前衛の戦闘員はやたら不遇だって嘆かれてるらしいじゃないの。うちも忠告されたわよ、近接職は難しい上に旨みが全然ないってさ」

「一応は相手を倒した時、その近くにいればいる程にアウラ吸収の倍率が大きくなるメリットもあるんだがな。しかし、死んじまったらそれも水の泡だ。効率を求めるなら、そういう最適解に辿たどり着くんだとよ。……まあ、まだテスト段階だから、そこらの調整に四苦八苦してんだろうかねえ」


 最後はまたいつもの芝居調に戻し、増山は切り替えるよう皆を見渡した。 


「という訳でだ、互いが互いをカバーし合えるパーティ規模での戦いは必須の教養とすら言える。――が、しかし、そこらのMMORPGと同じやり方でいいなんて思ってたら痛い目を見るだけじゃ済まないぜ?」

「連携とか言ってみても、実際に動いてる最中だとかなり手間取るよなー」


 恭弥も覚えがある戦闘時のその立ち回りについて愚痴をこぼす。


「そうだ、瞬発力と判断力――この二つを維持したまま、刻一刻と移り変わる戦況を見渡す必要がある。典型的なネトゲ仕様の、秒刻みで敵の行動パターンが設定されてたりはしないからな。スキルにリキャストタイムだってありゃしない。強い敵は強力な攻撃を体力の続く限り放ってくる。物量作戦が有効なのも頷けるだろ」


 言ってしまえば、敵が何か行動を起こす前に仕留める――この一言に要約されるのだった。


「さて、講義でつちかった知識なんてもんは実際の戦闘の際、十分の一も役立つかどうかってとこだ。故に、これから実地訓練を行おうと思う」

「いいじゃんよー! 俺って勉強よりもモロ実戦派だし?」


 そういう訳で、彼らは亜人種の魔物が住み着いているという荒地まで遠征を果たし、増山の指揮の下にて多人数戦闘のいろはを体に叩き込むのだった。






 犬のような風貌の小鬼――コボルト達は群れなして襲い掛かってくる。多勢対多勢の戦闘にはうってつけの教材となった。


「香坂! アーチャーのお前が突っ込んでどうすんだ!?」

「だって、当たんねーんよぉ」

「的は動いてんだからそう簡単に当たるか! 牽制でいいんだ! 牽制で! ――って、ああっ! 宮歩――バカお前、敵に橋本達の背後を盗らせるなって!」

「こっちはもう魔術が撃てないの!」

「だから無駄撃ちに気を付けろって念を押したろ!?」

「待ってて、ミヤちゃん! 私が体力回復させるから!」

「橋本! 藤堂! もう背後に回り込まれてる! 分断される前に一旦こっちまで退け!」

「え!? ちょっと何やってんのさ……!」


 個体の強さは大した事はないが、それでも連携の取れた見事な動きに劣勢を強いられる。

 前衛に橋本と恭弥、その後方に志緒と瑞貴が控えて遊軍として前線の補佐を担当、さらに後方から香坂と木ノ下が遠距離攻撃を仕掛け、全体の指揮を増山が執っている。

 定石通りの陣形を組んでいたが、恭弥達が敵の群れに取り囲まれつつあり、陣形が瓦解がかいする危機であった。


「奥崎――前衛に加わってくれ!」

「篠宮が一人になっちまうぞ」

「篠宮はこっちに合流! 引き続き、宮歩達の回復を頼む!」

「う、うん!」

「ていうかアンタも魔法で援護しなさいよ!」

「俺のは描いた方陣内じゃないと効果が発生しないんだ! だからダイレクトには攻撃できないんだよ! そう言うんなら、俺の方陣まで追い立ててくれよ!?」

「そんな器用な真似できないの!」

「まっすーん、そろそろ俺の矢が尽きそうなんよ? マジどうしよう、矢が無くなったら俺もナイフ持って前衛に加わった方がいい感じ?」

「――いや! 香坂のパラメータじゃ直接の戦闘はキツイ! それより地形効果のスキルは?!」

「ここが岩場じゃなくて森なら〈無常の風アンブッシュキル〉で抜群だったんに、ぶっちゃけ期待できないっすわ」


 戦況は緊迫していた。

 未だ脱落者こそ出ていないもの、このままでは前衛の二人に敵が群がってしまい、それも時間の問題となる。


「くそ、仕方ねぇ――」


 志緒は炎を振りまいて寄ってくる小鬼どもを牽制しつつ、恭弥達の退路を何とか確保した。


「橋本、増山達のとこまで退がれ」

「え、何で? ――うちが退がるの?」

「こっちと代われって事だ」


 重装備と攻撃力が売りな〈重闘士〉では、恭弥とペアを組んで動くにはあまりに差分があった。

 つまり散り散りにならないよう恭弥は橋本の足に動きを合わせなくてはならず、その長所がまるで殺されていた。


「恭弥、もう足を温存する必要はねぇぞ――ケツは守ってやるから群れの中央目掛けて駆け抜けろ」

「よしきた!」

「――おい!? お前ら……!」


 重たい鎖が外れたように恭弥の俊足が如何いかんなく発揮される。

 群れ成す敵は、急激に自分達の懐に飛び込んでくる二人に虚をかれたようだ。無様な程に翻弄ほんろうされている。

 志緒が示した群れの中心には一際ひときわ体の大きい群れのボスらしきコボルトがいた。

 恭弥が〈軽装騎士〉の補助スキルを駆使し、雷光のような速度で立ち塞がる敵を屠り去っては、その中心へと一直線に駆け込む。

 その後ろから斧を振るう志緒も続く。恭弥が挟み込まれないようその背中を確実に守っていた。


 群れのボスの許まで恭弥のその手が届く範囲へと至った。

 その瞬間、志緒は諸手にまとった炎で周囲に円陣を刻み込む。炎の壁が志緒達と二体の側近を含めたボスとを取り囲む。


「一分で必ず仕留めろ、それ以上はこっちが続かねぇぞ」

「あいよ!」


 そう軽快に返事をした恭弥は、跳びかかって来た両隣の喉を連続で刺し貫いていた。

 志緒は炎を継続的に撒き散らして、周囲のコボルトどもが即席のリングに上がって来ないよう防いでいた。


 恭弥と〈犬鬼の長アルファコボルト〉との一騎打ちが始まる。

 粗製の剣を振りかざして襲い掛かってくる相手。身体の大きさ故に、力も相当のものだ。

 だが相変わらずの軽業師のような芸当で、恭弥のその身は地面と問わず、中空と問わず、自在に踊るように駆け抜ける。

 その攻撃を紙一重でかわし、時にくぐり抜けていく。

 そうして相手に攻撃を誘発させ、その隙を衝くような鋭角な剣筋からの電光石火の刺突――その連撃である。

 大腿部に2箇所、腹部と胸部に3箇所、傾いた相手への止めの一閃が耳の穴から脳へと侵入を果たすと、相手はそのまま鼻先から地面へと激突して光と化した。


 実質1分も時間を要していない――舌を巻くべき早業だ。

 その急襲戦法にて見事大将首を挙げてみせた彼ら。それを遠巻きから増山達も目を丸くして眺めていた。


 だがボス格を失ったコボルト達は未だ臨戦態勢。

 とは言え、やはり指揮する者を失った奴等は先程までの連携ある動きを保てていない。

 志緒はその弱点を見て取り、構わず恭弥を促し、群れをさらに突っ切ってはその後方へと至る。

 そこで反転し、引き寄せられた輩の腹に斧を喰い込ませた。

 立ち止まっては乱戦の続きだ。


 その行動を目撃していた増山も、彼等が意図するその部分をかいしたようで高々と声を張り上げる。


「そうか――挟撃だ! 今度はこっちが奴等を挟み込んで仕留め切るぜ!!」











 危うい場面はあったものの成功に終わった魔物群の遠征討伐。

 特に恭弥のその凄まじい功績を皆が夢中になって褒めそやしていた。


 街に戻ると、増山の再三の注進によって報奨金の一部を冒険者ギルドが運営する銀行機関に預ける事にした。

 増山以外の全員が未だ口座を持ってない為、彼らはギルド本館にてその手続きを行う。

 待合所のような場所で全員が椅子に座って順番を待つ。

 ギルド本館にはプレイヤーも相当数だが、アルドランも同等にいた。


「お待たせしました。『ミズキアステリスク』様、こちらへどうぞ」

「あ、はい……あの、えっと、『ミズキ』だけでいいです、『アステリスク』は読まないで下さい……」

「フルネームでお呼びさせて頂くのが規則ですので」

「でもあの、私の名前『ミズキ』だけなんです……『アステリスク』は出来心だったんですぅ……!」


 窓口にて、冒険者ギルドの制服を着た妙齢の女性に対して瑞貴が涙をこぼしながら必死にお願いしていた。


「エッグイなー」

「篠宮のやつ、初期の登録の際に『mizuki*』って書いたって?」

「ぬははは、アルドランにそういうネトゲ特有の感性は無いからな。まあ必然といえば必然な訳だよ」


 増山が声を立てて笑っている。

 彼の言の通り、名前におしゃれ感覚で記号を付け足そうものなら、このような羞恥プレイをさせられる訳だ。

 例えば『† 漆黒の剣士‐クラウド †』と登録すれば、アルドランは『ダガーシッコクノケンシハイフンクラウドダガー』と呼んでくる。――ものすごく難儀だ。


「お待たせしました。『フジドー』様、こちらまでお越し下さい」

「あれってお前か――恭弥?」

「武士道みたいでカッコイイだろ」

「センスが壊滅的な奴っているんだよなあ」

「それな!」


 増山と香坂が頷き合う。


「ひっでーな……なんだよもう」

「いいから、はやく行け」

「お次でお待ちの『シシャモ』様、こちらへ――」

「はいな、うちだわ」


 橋本が椅子から立ち上がった。


「――『シシャモ』って何なん?」

「うちが飼ってる猫の名前」

「飼ってる猫に『シシャモ』って名付ける上に、それをさらに自分のキャラ名にもしてしまうのかあ」

「親方のセンスどこ? ここ?」

「うっさいわい」

「お待たせ致しております。お次の『ミャウミャウ』様、こちらまでどうぞ」

「…………」

「ぶははは! 『ミャウミャウ』だって?! いかにもな名前付けてる奴がいるもんだぜ」

「…………」

「なあ、今の聞いたか宮歩? どうした、みや――あっ……」

「…………」

「さっきからヤケに大人しいと思ったら、お前……」

「――『ミャウミャウ』様? いらっしゃいませんか? 『ミャウミャウ』様?」

「ほら、早く行かんと傷口が開く一方だぞ」


 うつむいたまま顔を真っ赤にした木ノ下が、オイルの切れたロボットのように手足を連結させて歩いていく。


「お次の方、こちらへどうぞ。――お次の『ユウタヒダリショウカッコアクサンシルコンフレックスアンダラインアクサンシルコンフレックスミギショウカッコ』様、お待たせ致しました」

「――な、なんだぁ?!」

「――長ぇ!?」


 さすがの志緒も増山と同じリアクションを余儀なくされた。


「あー、もしかしてだけど、今マジ最初に『ユウタ』つった? ならもしかしたら俺かもしんねーわ」

「香坂お前、どんな名前付けたんだ……!?」

「いや、違うんよ、名前の後に顔文字入れただけなんだわ。すっげースタンダードなにっこりマークの、ほらこういう感じの――」


 香坂が指でなぞった感覚から言って、顔文字は(^_^)というものだろう。


「ほーん、あの顔文字って言葉にするとああなんか」

「いや、顔文字は顔文字だろうに」

「お次でお待ちの『シオ』様、どうぞこちらへ」

「わお、普通だこと」

「この流れじゃ俺が間違ってるみたいじゃねぇか……!」


 遣る瀬ない怒りを押し止めて、志緒は呼ばれた窓口へと向かう。

 そんなこんなで、全員が全員――心にダメージを喰らいつつ、それでもギルド銀行の開設を無事に終えた。


「まあ色々あったが、取り敢えずはこれで目的達成だな。そんじゃあ、今日はここまでにしとこうか」

「ちょっと! 納得いかないんだけど!」

「なんだよ、宮歩――もといミャウミャウ?」

「その名前で呼ぶな!」


 どうやら彼女の傷がこの中で一番深いらしい。


「アンタ一人だけ恥掻いてないじゃないの!?」

「そういやそうだ。増山は登録名、一体何にしたんだよ?」

「一人だけ名前呼ばれずに済んでずるいよぉ?!」

「なんだ、そんな事か」

「ふん! どうせアンタの事だから、恥ずかしすぎて世間を歩けないような名前付けたんでしょうが!?」

「そりゃお前だろお? ミャウミャウ?」

「――うっさい!! ――二度とその名前を口にすんじゃない!!」

「増山、お前の登録名聞くまでこいつら治まらねぇぞ」


 状況を冷静に見極めている志緒がそう口を挟んだ。


「ふぅむ……良かろう、では今からギルドに所持金を幾らか預けてこよう。その時に名前は確認できるだろうぜ」

「――か、覚悟しときなさいよ!!」

「ミヤ、あんたちょっとホント落ち着きなって」


 一同にせっつかれて、増山は窓口へと向かった。


「失礼、お嬢さん――銀行に預けたいものがあるのだがね」


 またいつものように芝居臭い台詞を繰り出す。


「はい、うけたまわります。それでは登録名をお願いできますか? 腕輪による認証を行いますので」

「登録名は、そう……マグダート」

「マグダート? フルネームでお願いできますか」

「我が名は――マグダート・スヴェーグ・オブライエン!」

「登録を確認しました。それでは、マグダート様……」

「おっと、お嬢さん、差し支えなければ『マグダート卿』とそう呼んでくれたまえ」

かしこまりましたマグダート卿、それではこちらに腕輪を」


 渾身のドヤ顔を志緒達へと見せる増山――もといマグダート卿が、眉尻の前でシュビッと二本指を立てるのだった。
















 連休は終わり、今日からまた学校の日々だ。

 いつものように駐輪場にて恭弥が待っていた。


「おーっす、志緒」

「おう」


 ここ数日ゲーム内でしか会ってないからか、制服姿の恭弥がやたらと新鮮に映る。


「んー、あの蛇みたいな赤い刺青してない志緒に違和感が……」


 どうやら相手も同じ事を考えていたらしい。

 教室に向かうと、早速と増山が景気の良いを声を掛ける。


「いよう、ご両人! いやぁ、もうすぐだな」

「何がだ?」

「おいおい――奥崎ぃ! そりゃないぜ!」

「もうすぐブレドンの製品版が出るって話だよ」

「あぁ」


 ACSの広報戦略は歯止めが利かないのかという程に大々的につ見境なく行われている。メディアは元より、週間の頻度で各地でイベンドなどが執り行われているというのだから驚き以外にない。

 確かにそれを可能とせしめる発明だというのは間違いないが。


「製品版が出たら、今やってる俺達に影響が出るのか?」

「いや、ただ人はがばっと増えるぜえ」

「テスターは年齢制限が設けられてたもんなー」

「ネット界隈じゃあ、『おっさん達にもゲームやらせろ!』って声が渦巻いてたぐらいだ。さぞ喜んでるだろうぜ」

「なんで15~25歳って制限があったんだろ?」

「若い人間のが新しい物に対して偏見がないからじゃないか? テレビじゃ未だに有識者(笑)とかいう連中がACSを叩いてんだぜ、腹立たしい事に」

「それが理由っぽいかも」


 そこで、彼らの間に割り込んでくる人間がいた


「おはよ――藤堂」

「氷川か、おはよう」


 氷川瑠璃佳だった。

 他の女子生徒とベースが同じとは思えない彼女の制服姿だ。胸の部分だけはち切れそうなシャツや、裾が極端に短いスカートなどは、常に他人――主に異性――からの視線を釘付ける。


「香坂は?」

「まだ来てないっぽい」

「一応はこの前の事、直接謝ろうと思ったんだけど」

「氷川もまだブレドンやってるんだ?」

「うん、あれって面白いじゃん。街の中ブラついたり、人と話したりしてるだけでも――すっごい楽しめる」

「うむ! 造り込みの半端なさはBoDCの一大長所だからな!」

「藤堂は増山達と4人だけで遊んでるの?」

「いいや、瑞貴達も一緒だよ」

「瑞貴……?」

「ああっと、隣のクラスの篠宮達の事だぜ」

「うん、瑞貴」

「へぇ……そうなんだ」


 氷川の眼の色がさっきまでとは変わる。


「じゃあ、今度は私も藤堂達に混ぜてよ? この前は流れちゃったしね」

「そいじゃ、いつでもいいから声掛けてくれよ」

「……ありがと、藤堂」


 さり気なく恭弥のその肩を指先ですっと撫でるように触れて、氷川はとても未成年とは思えない艶のある笑みで手を振った。


「奥崎、ちょっと――」


 増山が手で口許を覆うようにして、志緒に小声で話しかけてくる。


「俺の思い違いならいいんだけどな……もしかして藤堂、完全にロックオンされてないか?」

「まるで肉食獣の眼だったな、ありゃ」

「イケメンもイケメンで難儀するのう」


 その後、予鈴ぎりぎりで香坂が教室にすべり込んできた。

 先程のやり取りなど露知らず「今日も氷川がエロいんよー」などと言っていた。











 遂にACSの製品版が販売されるその前日となる。

 テスターに人数制限は無しとは言え、サーバーは日本のみで年齢にも制限があったため、それこそ世界的な熱狂が予見されていた。


 サーバー保守点検などで一事ログインできない状態だったが、その午前中のたったの六時間でさえもプレイヤー達からの怨嗟えんさの声がネットに木霊こだましていた。

 正規品が発売されたあかつきにはもっと恐ろしい事になりそうだ。


 製品版の発売が開始されるその瞬間、つまり日付が変わるちょうどその時間帯に合わせてゲーム内でもお祭り騒ぎが予定されている。

 無論プレイヤー達が勝手に行う物だ。

 とは言え、志緒達もそれに参加するべく動いていた。


「マジ? クリスタル使わないで帝都まで行く気なん?」

「違う違う、そりゃクリスタルは勿論使う。帝都までは一番近い都市から発っても、馬を使って数日はかかる行程だ。けどなぁ、ワープしてぽんっと帝都に放り出されるのも、こうおもむきがないだろ? だから帝都手前のワープクリスタルまで跳んで、そっから馬車で行くってな提案だ」

「ほーん、オモムキね、いんじゃね」

「帝都はこのウルフレイドっていう大国――いいや、このファザーランドって大陸の中心だ。見栄えも相当だから一度はその景観を眺めとくべきだぜ」

「旅の気分をちょっとでも味わえんだ、いきな提案だろうよ」

「だよなー、俺も賛成」

「私もそれ良いと思う」

「うちも異議なし」

「宮歩は?」

「あたしだけ反対する訳にもいかないでしょ、はいはいそれで決まり」


 帝都シルヴィカッツにて、今夜午前零時に合わせ、プレイヤー達によるカウントダウンライブがもよおされる。

 彼等は昼間の内に帝都まで移動し、少し観光をした後、夜中のカントダウンまでログアウトして休憩を取る予定を組んでいた。もしもカウントダウン直前に警告文などが来たら眼も当てられない。


「それじゃあ各自、時間までには用意を済ませておく事。――あ、そうそう、お小遣いは多めに持ってった方がいいぜえ?」

「帝都の名物って何かしらね、響子――知ってる?」

「ちょい待って、プレイングガイドの注釈になんかってるかもだわ」

「おいしい物イッパイありそうだよね」

「へえ、帝都に揃わない物はないってさ。物流の主要経路のその到達点が帝都に設定されてるから」

「さすが、大陸を統一支配してるだけはあるって事ね」


 とまあ、そんな具合で今からうきうきな一同だった。



 やがて午後3時に差し掛かり、志緒達はワープ機能により帝都に程近いクリスタルの石碑へ来ていた。

 そこからは乗り合い馬車の停留所に向かい、帝都への主要街道をのんびりと満喫する。


「見えてきたよ! あれがシルヴィカッツだよね」

「すご!? 山一つが丸ごと城砦都市になってるわよ」


 それは正に山全体にすっぽりと被せたような都市だった。

 楯状火山特有の緩傾斜で、棚田状に地域が明確化されている。まるで低く伸ばした巨大なピラミッドのようでもある。


「休火山の火口に建立こんりゅうされてるのが、皇帝オレンダス・ジリ8世の居城トライガルドだ」


 都市の頂上には、上空から観察すれば正三角形の体を成す――3つの巨大な塔からなる城が建てられている。


「火山口に城を建てたのか? ――バカか、そいつら」

「まあ現実でならごもっとも意見だが、あの地域はな、竜神の加護によって守護されてんだ。だから噴火の心配はないって設定」

「まんまフラグに聞こえるぞ」

「うむ、仰る通り。3作目にて期待を裏切らず、異神教団の陰謀で竜神の加護が消え、この都市が噴火で亡くなる直前にまで追い込まれた。無論、当時の救世主――即ちプレイヤーがその危機を救ったがな」

「その救世主ってつまり俺たちの先祖って事?」

「じゃあ何か、一作目からプレイしてる俺は遥か太古の先祖の霊ってか?」

「ははっ、本当だ、そうなるや」

「幸輝――アンタ偉そうに語ってるけど、BoDCの1作目が発売されたのは今から20年も前よ。あたし達まだ生まれてないでしょうが」

「り、リアルタイムでやってなかったとは言えなぁ……! 精神おもいだけは先人達に退けをとらないぜ!」

「このゲームそんなに歴史が古いんだね」

「おー! 町並み、近くでみるとすっげーキレーじゃん!」

「本当、すっごいわねえ」


 少し掛かって、ようやくと山裾――つまり都市の入り口に着いた。

 都市の内部の様相は相当にバラエティに富んでいて、中々に飽きさせない。比べる対象がエクトリアの農村だけであったからという理由もあるが。


 早速、志緒達は自由行動だ。

 一日あっても回りきれない広さではあるが、みな思い思いに目当ての場所を観光する。


 志緒は一人で悠々自適と街並みを巡り、20mはあろうかという大理石の彫像が居並ぶ殿堂か何かのような場所に来ていた。


 話を聞くと、帝国の歴代の英雄達や神話の登場人物を集めたという――やはり殿堂のようだ。

 その彫像群は人間の姿をしているものもあれば、ドラゴンの姿をしているものもあった。まさにファンタジーだなと一目で気に入る。


 と、そんな折に一つの彫像の前で佇む増山の後ろ姿が目に入る。

 てっきり香坂達を相手どって、頼んでもいないガイド役をメガネを光らせて演じていると思っていた。


「何してんだ、増山?」

「お、奥崎ぃ――お前もここが気なったか」

「お前は香坂や木ノ下達と一緒だと思ってたが」

「俺だって物思いにふける事もあるさ」

「そうかよ」

「なあ、奥崎、この彫像よく見てみろ」

「〈太陽神ヘクテグラウス〉か、この世界で一番偉い神様だっけか」

「創造主さ、顔をよく見てみろ――誰かに似てないか?」

「顔?」


 その彫像は羽根の生えた男性の姿をしていた。

 確かに、その彫刻の顔はどこか見覚えがあるものだ。

 目鼻が大きく、眉目秀麗に整った造形。ここ最近、よくよくお目にかかる機会が増えた人物の顔だ。


「これって――苑宮賢一郎?」

「ビンゴ」

「……随分と悪趣味だな。普通ゲームの中とは言え、自分自身を神様に仕立てあげるかよ」

「俺としちゃ、それくらいのシャレはどんと来いなんだが」

「天才の考える事はわからねぇな」

「そう、かもなぁ……なあ、奥崎」

「何だ、今度は?」

「苑宮賢一郎って人間の事をどれだけ知ってる?」

「元研究者の実業家だろ」

「いや、それがな――〝元〟なんかじゃなく今でも骨のずいまで科学者らしい。普通研究員ってさ、国なり企業なりに雇われて始めて研究できるらしいんだ。つまり莫大ばくだいの研究費用を受け持ってくれるパトロンってのがいるんだよな」


 増山が彫像に顔を向けたまま、何やら語りだす。


「けどさ、苑宮賢一郎は自分の研究に充てるその莫大な費用を自らで稼いじまってるって話なんだぜ? A&IS社っていうワンマン組織を作り上げ、その膨大な人脈と、話術に長けたその手練てれん手管てくだで幅広く資金を借り受けた。そうして潤沢じゅんたくな研究費用に後押しされ、様々な技術の開発に成功した。さらにその技術を商品化して、想像もできない資本を打ち立てたってんだ。――信じられるか?」

「世の中には時折、とんでもないのが現れるもんだ」


 時代を動かす天才。――即ち、時そのものに愛されし〝寵児ちょうじ〟。


「実は俺、ちょいと嫌な噂を聞いちまってなあ」

「噂?」

「提携だの共同開発だのと建前では言ってるけど、実際にはこのゲームシステム、A&IS社の独断専行らしいんだよ。膨大な資金と大企業を束ねるその圧力とでA&ISがロックビルからBoDCっていうブランドを買い叩いたに等しいって内情が暴露されてな」

「大企業ってんなら、多少は強引な手法も使うんじゃねぇか。そんなに珍しい話とは思えんが」

「そうなのかねえ……あとそれと、このゲームのNPC――アルドラン達のAIレベルが恐ろしいまでに精巧だってのはもう分かってるだろ?」

「ほぼ俺達と同等に感じられるな、あいつ等。プログラミングでよくあれだけだませるもんだ」

「確かにBoDCシリーズのAIは素晴らしいって評判だったが、あくまでそれは既存のゲームに比べての話。ロックビル社の技術で、ここまでの精巧なAIは作れる訳ないってのが通説なんだ」


 普段の芝居臭くおどけた増山からは、かけ離れた人物がそこに居た。


「A&IS社は元々その人工知能の分野で成り上がったような会社だ。既に人間の思考と何ら遜色そんしょくないレベルのとんでもないAIの開発に成功してるって話で、けどそれを彼ら、発表する気がまるでないらしいんだ」

「まだ発表をしてないんじゃなく、する気がない? A&IS――いや苑宮という人間にとって、高性能な人工知能は大した発明じゃないとでも?」

「かもしれん……」


 少し間を空けるように増山は黙して長考する。

 ややあって、再び口を開いた。


「このゲーム世界はさ、もしかしたらたった一人の人間によって創られた物なのかもしれない。BоDC信者である俺が信奉してやまないこの世界がだぜ? ともすれば、一人の人間の思惑によって好き勝手改変されてるかもしれないんだ……たまんねえぜ」


 その巨大な彫像に投げ掛けるような余韻で以て、増山は言葉を漏らした。


「ただまあ、それでもACSっていう奇跡のデバイスのおかげで、ゲーム画面と俺の妄想の中にしかなかったこのアルドヘイムっていう世界を――目で耳で、匂いで味で、そして肌で触れて感じる事ができる。そう言う意味では、俺にとって苑宮賢一郎という存在が神に匹敵し得るのもまた事実なんだよ」


 そこで少しだけいつもの素振りを取り戻した増山が、お手上げという風に両手を広げてわざとらしい笑い声を立てる。


「ぬっはっはーっ! ネットの情報を鵜呑うのみにして、ちょいとナイーブになり過ぎてたかな。ま、忘れてくれ」

「お前がとんでもねぇブレドンキチガイだって事だけは解ったよ」

「奥崎ぃ、そりゃ褒め言葉だぜ?」


 得意げにまた高らかな声で笑いながら、志緒の肩を叩いて去っていく増山。

 残された志緒は鼻を軽く鳴らした後、今一度、ヘクテグラウス神の――その美麗な造形の面を見上げた。


「――時代の寵児、苑宮賢一郎か」














 日がどっぷりと暮れた後、再度ログインしては帝都の中央部へと降り立つ。

 一同の顔は既に並んでおり、志緒が最後であった。


「いっよっしゃぁ!! 野郎共! リスポーンクリスタルの広場に乗り込むぞぉーっ!!」


 増山は絶好調のテンションだ。


「カウントダウンって広場でやるのかな?」

「有志の人がわざわざ帝国政府に申請して、許可とって広場を借り受けたって。段取り良いよなー」

「マジ知ってる?! アイドル声優の『えりりん』が来てるってよ!」

「あのゲーム廃人で有名な声優さんの?」

「ぶっちゃけマジ仕事そっちのけでブレドンやり込んでるって話でぇ、なんか祭りの音頭とってくれるらしいんよ!」

「おらぁーっ!! 無駄話してないで突っ込むぞぉーっ!!」

「――アンタうざ過ぎ!」


 リスポーンクリスタルの広場を中心にその半径1km近くは人でごった返していた。

 無論、大半がプレイヤーではあるが、中にはアルドランが屋台を競って出店させている区画もあった。

 お祭りはとっくに始まっている模様。


「こんなに人が多いんだね」

「こりゃ一度でもはぐれたらヤバイな。志緒、ちゃんといるかー?」

「子供じゃねぇんだ、馬鹿にしてんのか」


 日本中の15歳から25歳までがここにつどっている言われても納得の規模だった。

 

 広場へと向かっていた彼らだが、その目的は直前にて断念させられる。人が多すぎて広場に入りきれずに混乱が生じていたのだ。

 帝国兵がその事態を収拾しようとやって来て、広場に入場制限を設けた。

 おかげで広場に入れるのは日付を跨いでからになる様子。それ故、カウントダウンを間近で見ることは出来なくなった。

 しかし有志のプレイヤー達が全体チャットの通話機能を開放して、ライブの状況を音声だけ放送してくれるらしい。

 苦肉の救済措置ではあるが、無いよりは良い。


 その為、志緒達はそこから若干遠い宿を借り受け、テラス付きのその部屋から遠く賑わいが伝わってくる広場の方へ意識を向けながら祝杯を挙げる事とした。


「えー、真に残念ではありますが、どうかまあ、これはこれで趣があるという事で一つ」

「うぃーす! 全然オッケーよ――まっすん!」

「あの身動き取れない中に留まるよりはマシでしょうね」

「うん、増山くんが気にする事じゃないよ」

「カウントダウンまで、もう10分は切ってるわよ。放送いつ始まんのさ」

「あ、今始まったみたいだ」


 ブレスレットのボイスチャット機能から通話回線をオープンにすれば、確かに聞き覚えがあるような可愛らしい声が響く。

 有志とは言え、プロの声優という事で聞き取り易くしっかりした声だ。

 放送の中では午前零時に合わせたカウントダウンのその段取りに軽く触れた後、このBoDCの歴史や概要について客との対話形式で盛り上がっていた。


「ひょーぅ! えりりんマジちょー可愛ぇぇー!」


 客からの総ツッコミを受けて取り乱している様子が音声ごしに伝わってくる。それを受けて、香坂が奇妙なテンションを沸騰させている。


 志緒は部屋の中からテラスへと移っていた。

 手摺てすりに肘と背中を預け、真上を仰いだ。夜空に瞬く星々のその光は尽きず、膜で封じたような賑わいが遠く響く。

 そんな志緒の傍らに恭弥もやって来る。


「放送聴かないの?」

「香坂が実況してるだろ」


 その言の通り、放送の内容に一々いちいちと「ひょーぅ!」だの「ふぅーぅ!」だのと喚き声を立てている。


「ははは、違いないや」


 また、あのひどく純粋で美しい――恭弥のいつもの笑みが花咲く。


「恭弥、一応は礼を言っといてやる」

「礼? ――俺に?」

「悔しいがな、俺はこのゲーム相当に楽しんでるみたいだ。だからよ、しつこく誘ってくれたお前には一応の礼儀をな」

「そんな事か」

「あくまで一応だ、取り違えんな」

「それなら俺だって、志緒にお礼を言わなきゃだ」

「――はあ?」

「だって俺、志緒と一緒だから楽しめてるんだ。志緒がいてくれなかったら、きっとここまで楽しめてないよ」

「またお前は、そういう事を恥も外聞もなく……」

「なんだよー? 志緒ちん、ツレないぞ?」

「投げ落とすぞ」


 やがて、多くのプレイヤーが待ち望んでいたその瞬間が来る。

 遠くからの熱気が一段と層を増した。


『えーっと、それじゃ、次は……――え? 何? ……ええ!? もう40秒前!? や、やばいやばい! それじゃあ質問はここまで! みん、みんなっ! カウントダンウンの準備はいい?! ……私が落ち着けって? 大丈夫大丈夫! あははは! じゃあ、いくよ! みんな合わせてね! …………20秒前! …………15前! …………10秒前!』


 テラスにいても、部屋の中からのその無駄に緊迫しつつも間の抜けた音声は届いてくる。

 律儀な事に瑞貴達もその瞬間に合わせ、カウントダウンを声に出し始めた。


『……なな! ろく! ごぉ! よん! さん! にぃ! いち! ゼ――』


 その瞬間だった――


 まるで電源が落ちたかのように、立体的な視覚効果のそのウィンドウがブツリと音を立てて消え去った。


「――って! ちょいちょいちょーい!?」

「――え?! ブレスレットが……!?」

「ウィンドウがいきなり消えた? ――しかも全員分?」

「ちょっと、何よもう」


 増山達が部屋で取り乱す。

 まるでそこに被さる様に、唐突に外から鐘の音が響き渡った。

 重くびついたような低音の鐘が、それでも耳にはっきりと残る音圧で以って轟いてくる。


「この音って、鐘……? どこからかな?」


 瑞貴が不安そうな気配で、部屋の外に視線を投げ掛ける。


「あーっと、城の最上階に鐘楼しょうろうがあるって設定だが……ありゃ、確か鳴らないって話じゃ……」

「つまり演出って事? ゲーム側の粋な計らいってやつ? ――そんな事よりあたし達のブレスレット起動しないんだけど……幸輝、アンタのは?」

「俺のもだ、おかしいな……なあ、そっち――奥崎達のはどうだ?」


 志緒と恭弥もテラスにて、不審に顔を見合わせてブレスレットを起動させようとしたが反応がまるでない。


「ダメだ、まるで動かねぇ」

「こっちも」

「何なのさ、うちら全員のが同時に壊われる訳ないわよね? バグ?」

「多分だが、午前中にやってたアップデートの不具合が出たのかもだ。はは、タイミング最悪だぜ」

「ちょぉっ――マジにそうよ?! 一気にずっこけちゃった訳なんよ!?」

「その内すぐにも復旧するだろうが……しかしこりゃ、広場の方も盛大にコケてる頃合いだろうぜえ」

「締まらない結果ね」


 その一事の混乱は鐘の音が鳴り止む頃にはとうに鎮まっていた。


 だが志緒は一人、自身のそのブレスレットをつぶさに検める。

 そして気が付く。


「……おい、増山」

「おん? どうした奥崎?」

「幾何学模様のせいで判りにくいが、俺のブレスレット……ひびが入ってる」

「――え? 嘘だろ」


 志緒はゆっくりと部屋に足を進め、一同の視線が集中したそこに自分の左腕を差し出した。


「お前らのも確認してみてくれ」

「あ――本当だ! よく見ると私のも割れてる」

「ちょ、俺のもじゃーん!」

「うちのも……って、全員そうじゃないコレ!?」


 皆が確認してみると、模様とは別に全員のブレスレットに割れ目があり、無事なのは一つもなかった。


「これが故障の原因か?」


 増山が難儀そうな顔で頭を傾けていた。

 志緒はそんな彼に、今一度怖いくらいに真剣な視線を当てる。


「増山、この世界には設定上、絶対に壊れないって物が一つあったよな」

「そりゃあるぜ、シリーズの根幹にもなってるクリスタルの事だろ?」

「不壊のオブジェクトって設定だったな。聖堂のオリジナルクリスタル、リスポーンクリスタルにワープクリスタル、それからログアウト時のマーカークリスタル、さらに――」


 その後は言葉ではなく、自身その左腕にめた半透明な青色のブレスレットを掲げて示した。


「そうか……設定上青水晶の住人クリスタリアンである俺たちの身分を示す物、この腕輪もそれらのクリスタルと同じ材質で出来てるはずだ」

「何なんそれ? マジどゆ事よ?」

「つまり、壊れるはずがない物が壊れた……」


 恭弥が言葉を引き継いで呟いた。


「ちょっと、壊れない物が壊れたって事が何? そんなのゲームの設定でしょ」


 木ノ下が眉をひそめて、緊迫した様子の志緒達の間に割って入る。


「壊れる筈がないその〝設定〟自体がくつがえったって事だ」

「志緒くん……? えっと、ごめん、よくわかんないよ」


 瑞貴が困った風に目をつむる。


「この腕輪が壊れたって事は、同じ材質で出来ている他のクリスタルも……もしかしたら壊れるって事だよな――奥崎?」

「もしくは『壊れた』か、だな」

「それマジでぇ?」


 志緒は再びテラスへと赴き、外の様子を窺いながらどこか虚無的ニヒルに片頬を歪めた。


「見ろよ、外の様子がにわかに慌ただしくなってきやがった」


 お祭り騒ぎとは全く異なった喧騒が広場の方から漂ってきていた。














 ――「クリスタルが倒潰とうかいした!」―― 


 志緒達が群れ成す人垣のその外側部分と接触を果たした時、そんな言葉が四方から飛び交ってくる。


「リスポーンクリスタルが壊れたってさ」

「聖堂の大水晶も粉々だったってよ」

「ブレスレットが使えないのと関係あんの?」


 リスポーンクリスタルが設置された広場に向かって、人波が押し寄せている。志緒達の位置からでは広場の様子を直接は知れないが、言葉は伝播でんぱして広がっている。

 その内容が確かなら、トライガルド城内部に存在するクリスタル教の総本山たる大聖堂のオリジナルクリスタルまでもが壊れたというのだ。


 人の波は、同じく混乱をも波及させる。

 それを見かねた帝国兵がその場を収めようとするも、祭りの時に行ったような交通整理でしずまる訳がなかった。

 中にはこの事態にかこつけて、さらに悪ノリをするような輩まで出る始末だ。


「これはやってしまいましたなあ」

「世界が大注目してる最中にこんなバグを捻じ込んでくるとは、A&ISは流石に大物ですわ」

「サーバー管理はロックビルソフトワークスと違うの?」

「システム含め、そのほとんどはA&ISが受け持ってるってよ。ロックビルはゲーム内の世界観とか設定を貸しただけらしい」

「どっちにしろ両社とも大炎上は必至だな」

「ともかくさぁ、お祭りが台無しじゃん?」

「むしろこっからが本当の祭りだろ!」


 まだ事態をそうやって楽観的に捉えている人間が大半だ。

 けれどもその内の何人かは、この事態の異常性――そして緊急性にいち早く勘付いていた。

 志緒もその内の一人だ。

 だから彼はず何よりも自身の目で状況を確認しようと、近場で一番背の高い建物へと向かった。


 監視塔、あるいは関所としても機能する都市の区画を仕切る城壁――その石階段を無断で駆け上っていた。

 その屋上から広場に目を向ける。

 建物が邪魔で下の方までは確認できなかったが、確かに広場の中心から天高く伸びているクリスタルの姿が見当たらない。


「志緒! こんな時に一人で勝手に行動するなんて――ったくもう」


 恭弥達が遅れてやってきた。


「見てみろ、少なくともリスポーンクリスタルが倒れたってのは本当のようだ」

「……確かに、クリスタルの先っちょ見えてないな」


 増山が志緒の横に並んで目をらしている。


「暗いからじゃねーの?」


 香坂がそのさらに隣で同じようにしつつ、とぼけた台詞を漏らす。


「いや香坂、むしろ暗かったら余計に見える筈だ。クリスタルは薄く発光してたんだから」

「あーね、マジそういやそうだった」

「ちょっとさあ、一体どうなってんのさ? やっぱバグ?」


 橋本が怒っているような、困っているような顔で腰に手を当てる。


「多分、重大なバグってやつだろう……」


 いつもの威勢のない増山がそう歯切れ悪く答えた。


「やっぱり、すっごい最新技術とかを詰め込んだ装置だから、問題とかも山積みなのかも……?」

「確かに、新しい物ってそういう宿命だよなー」

「やー、でもそれ、製品の発売日になった途端に起こるってどうよ? タイミングひどすぎね?」

「この事を受けてきっと製品版は発売延期ね、可哀相に」


 おそらく、この中で現在の事態を正確に捉えているのは志緒と増山の二人だけだった。

 故に彼等は口数が少なく、悄然しょうぜんとすらしていた。


 やがて、人垣の喧騒がさらに大きくなった。

 どこかの馬鹿がハメを外しすぎて帝都の内部だというのに攻撃スキルを発動させたのだ。建物の上からはその光景がよく見て取れた。

 帝国兵が慌ただしく隊伍を組んでその場に殺到する。

 件のプレイヤーはすぐさまに取り押さえられるものの、それすらもネタの延長線上であるかのようにヘラヘラと笑い、手を振りながら連行されていく。


 志緒は少し、この場に留まる事を危惧し始めた。

 増山の顔色を窺いみればどうやら彼も同じような危惧を抱いている様子だ。


「取り敢えずの確認はできた。一度、宿に戻るか」

「いいの? 外の様子を確かめようって言ったの志緒だろ」

「ともかく俺たちだけでなく、プレイヤー全員のブレスレットが例外なく機能してないのは知れた。今の状況じゃ広場には入れねぇだろうし、ここにいる意味はない。一旦、戻って出直すべきだ。……増山、お前もその方がいいだろ?」

「――あ、ああ! ここにいても仕方がないってもんよ! 腰落ち着けて、騒ぎが収まるのを待とうぜ」


 いつもよりも下手な芝居調で、それでも増山が陽気に笑い立てる。


「ようし、飲み直しだ! すっかりシラけちまったからなぁ、ただ待ってるだけじゃあれだし、ここはパァーっと行こうぜ!」

「マジ俺、よく分かってねーんすけど?」

「気にするな! お前のキャラじゃないぞ!」

「ひどくね? まっすんそれひどくね?」

「ねえ、ちょっと……」

「なっはっはっはっ! バグすらも愛する! それこそが真のBoDCマニアというものぬわのだぁ!」

「――ねぇってば!」


 木ノ下の逼迫ひっぱくした鋭い声が飛んだ。


「どうしたらいいのよ……?」


 顔を俯かせたまま、追いつめられたように声を絞り出す。


「ミヤ? 何さあんた、そんな怖い顔して」

「あたし達……これからどうしたらいいのよ……?」

「だから、一旦宿に戻ろうぜって話を――」

「――違う! そんな話してない!」

「ミヤちゃん……?」


 ここに来て、この状況を正しく理解する3人目が現れた。


「ブレスレットが使えないんじゃ……あたし達どうやってここからログアウトすればいいのよ!?」


 その悲痛とさえ取れる叫び声に、志緒と増山の二人を除いた一同が鋭く息を呑み込むのだった。






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