第18話 傷口に塩を、念入りに
バイトが終わり、いつも通り十時半頃帰宅した三澄は、健気にも出迎えてくれる若菜にほっとしながら、二階の自室へと向かった。
荷物を置き、着替えを済ませてリビングに下りてくると、テーブルに用意された二人分の夕食から湯気が出ている。
「あーっと……、日中はちゃんと休んだ?」
心配になった。用意してくれるのは、とてもありがたいんだけど。
「ああ、はい。あまりやることもないので、結構ゆっくりさせてもらいましたけど……」
「……やることがない?」
「はい」
残りの配膳をするべくキッチンへ戻っていく若菜を尻目に、三澄は一人席に着く。
もしかしたら彼女が嘘を吐くかも。そんな懸念込みでした質問へ、帰ってきた答えは予想の斜め上だった。
この際、嘘であるかは置いておくとして、彼女の言葉に、間違いはないように思う。
この家に、娯楽の類は少ない。唯一、三澄の部屋に漫画と文庫本がいくらか置いてあるが、若菜が許可を取らず持ち出すことはないだろう。
そして勿論、一日中やらないといけないような家事は存在しない。やろうと思えば、掃除だけ、無限にできなくもないが、そんな形跡もない。
「ちなみに昼って何食べた?」
いつの間にか席に着いていた若菜へ、そう尋ねた。
「冷凍食品がたくさん残っていたので、それを頂きましたけど……」
「冷凍食品……」
三澄が普段から買い溜めていたものだろう。つまり、昼食に凝ったものを作ったわけでもない。
となると、彼女は今日一日中、本格的に暇だったということになる。
一日二日暇なくらいどうってことはない。
だが、延々と続くのなら話は別だ。
「あの、何か……?」
「え? あーいや……」
若菜の不安げな視線に、我に返る。
「とりあえず食べようか」
ひとまず取り繕い、食事を始めた。
だが、三澄はすぐさま再び思考の渦へ。機械的に箸を動かし、咀嚼、そして時折全てが止まる。その様は、「あの……ご飯、お口に合わなかったですか?」と若菜を不安にしてしまうほど。
昼、柚葉とした話が、どうしても頭から離れないのだ。
進路、成績、お金。どうすべきかは、明らかなはずなのに。
しかし、若菜を不安にさせ続けるのも流石に良くないので、気を紛らわせるためにも、話題を提示してみる。
「なあ……映画とか、好き?」
「映画、ですか? 嫌いではないですけど……」
「動画の有料配信サービスあるじゃん。暇な時にどうかなーって思うんだけど」
昼間の番組だけでは、彼女も退屈だろう。ネット環境も、以前のままほとんど使われず埃を被っているし、丁度いい。
「それって、お金とかかかるんですよね?」
「そりゃあ、まあ。有料だしな」
無料だと、違法になる。
「なら、大丈夫です」
若菜が頭を振る。
「いやでも、暇なんだろ? ああ、それとも、他に何か欲しいものがあるとか?」
「いえ、そうではなくて。本当に大丈夫なんです。何もいらないんです」
「何もいらないって……。ああ、もしかしてお金を心配してる? 大丈夫だって。じゃなかったら言い出さないし」
月額五〇〇円そこらでひっ迫するほど、崖っぷちな生活はしていない。
「でも、無駄遣いですよ。それに見かけは少額でも、積み重なればいずれ響いてきます」
「それが分かった上での話なんだけどな……」
「でも、大丈夫です」
頑なだ。どうあがいても首を縦に振らせるのは難しそう。
いっそ勝手に契約してしまおうか。既にあるものなら、彼女が遠慮をする意味はないだろうから。
そんな算段を立てていると、
「あっ……。あの、ちょっと待っててください」
若菜が何かを思いついたように立ち上がり、リビングを出て階段を駆け上がっていった。
急にどうしたのか。訳も分からず、三澄は呆け顔で若菜の帰還を待つ。
しばらくして、戻ってきた彼女の手には、
「預金通帳?」
「ごめんなさい、忘れてて。あの、これ、これからの生活の足しにしてください」
彼女の家のものは全て警察に押収されたと聞いていた。だから銀行口座の方も全部凍結されたものと考えていたが、彼女名義のものだけはその限りではなかったのか。
差し出されて、彼女の言うまま受け取っていいものか迷う。
「……これ、どうしたの?」
そう試しに聞いてみると、
「両親が私名義で口座を開設していたんです。どうやら生前に、定期的に振り込んでいたみたいで」
びっくりするぐらい普通の声音で、とんでもないこと口にした。
「……」
「それなりの額が入っていますから」
そう言って通帳を広げて見せてくる若菜の顔には、どこか相手におもねるような、へにゃっとした笑みが張り付いている。
――ふざけてんのか。
一瞬にして、頭が沸騰した。
「そんなもん――!」
感情の赴くまま、勢いよく椅子から立ち上がり右手を振り上げる。
「ひっ――」
その瞬間、若菜が怯えるように身を固くした。三澄の脳裏に僅かな不純物が混ざる。
「――っ」
響く、破裂音にも似た衝撃。
「……え?」
若菜が呆気に取られている。
「自分の大切な物を、そんな簡単に赤の他人に渡すんじゃねぇよ」
若菜を殴らなかったことに少し安堵。しかし昂る感情は止まらず、自分の頬を打った右手を、今度は額の所まで移動させ、アイアンクロ―が如く握り締める。
ぎりぎりと、圧迫感。だが、痛いとは思わない。むしろ、今にも漏れ出そうになる黒い感情をせき止める蓋として機能してくれ、ありがたい思いだ。
「そのお金は、お前の将来のためを想って、お前の両親が遺してくれたものだろうが。他人に使わせようとすんじゃねえ」
言っていて、吐き気がした。
おぞましいほどの自己矛盾。捨て去るべきダブルスタンダード。
三澄はついさっきまで、若菜と暮らすと決めてからずっと、誰のために、誰のお金を使おうとしていたのか。
――説教くれてるお前は一体何様なんだよ。
若菜への怒りと自己嫌悪で、がんじがらめになっていく。かけるべき言葉が、もう見つからない。
そんな混沌とした内情を誤魔化すように、三澄は若菜から目を逸らし、言葉を絞り出す。
「……とにかく、それは受け取れない。どっかに大事にしまっとけ」
椅子にどさりと座り、腕をだらりと垂らして息を吐く。
そういえばまだ食事中だった。もう冷えてしまっているかもしれない。
「座って。気分じゃないかもしれないけど、今は食べよう」
呆然と立ち尽くしていた若菜を見やる。
「………………はい」
緩慢な動きで若菜が席に着く。
それから、二人は黙々と箸を動かし続けた。
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