父親が若い頃にこのタイラーのDVDを買っており、それを4年前に見ました。シリーズもので、単独の映画もありましたね。この時代に作られた宇宙アニメとしては圧倒的な完成度で、最近のアニメ物とは一線を画す、良く練られた名作だと思います。私はアザリンちゃんとル・バラバ・ドム提督、それと山本大尉が好きでした。登場するキャラクターの個性が全てきっちり描かれているのも素晴らしい。最近のアニメに出てくる似たような性格の女の子や男の子みたいに、みんなおんなじじゃん…的なものとは全然違う。この時代のアニメはほんと、良く原作を精査した上で作られていたのだなぁ~と、改めて思った次第です。今はなんか適当に出してるだけみたい。数こそ多いけど、駄作ばかりの様に思います。
作者からの返信
お読み下さりありがとうございます!
返信が大変遅くなり申し訳ありません。
おっしゃる通り、宇宙ミリタリーアニメとしては、『無責任艦長タイラー』が最高でしょう。作中に携帯電話が無いだけで、それを除けば今年の作品としても十分に通用する中身だと思います。
アザリン陛下とドムのカップリングは本当に素晴らしく、敵役ながらあっぱれな大人(たいじん)ぶりでしたね。自主的に“そよかぜ” の捕虜になって気ままに過ごしてから、やっぱり帝国へ帰る……と翻意するアザリンの心境はすがすがしく感じられましたし、そのことが第23話で“無血決戦”の実現につながるなど、伏線バッチリの傑作でした!
こういった「敵ながら天晴れ」なキャラは、21世紀になってとんとお見掛けしなくなりました。
思えば『タイラー』の登場人物は、原作の発表年をみれば、時代的に“昭和”の人々です。職場は年功序列の終身雇用で、非正規雇用は原則的に無く、“格差”もさほど意識されなかった時代ですね。2025年の現在よりも、日本人はずっと豊かで、のびのびと生きていたように思います。
最近のアニメは(小説や映画も含めて)面白く無くなってきたと、私も思います。とくに2012年頃から、全国的に息の詰まるような鬱屈感が蔓延したと感じますが、その中で、アニメなどの原作者も制作者も委縮してしまい、社会の空気を読んで、刺激の少ない無難な内容に転落していったのかもしれません。SNSの評価を気にして、アンチなコメントに襲われるのを恐れているかのような……
『タイラー』のような、自由な気風にあふれた心豊かな作品は、たぶん、二度と生まれないでしょう。貴重な逸品だと思います。
私が好きなキャラはユリコ・スターで、終始タイラーに振り回されながらも、最終話で大逆転してタイラーを振り回したみたいで、じつに爽快な人物でした。最近、最終話を見直して新しい解釈ができることに改めて驚いた次第です。詳しくは本エッセイの「312●」以降で再び『タイラー』について書かせていただきました。
つ ドラえもん
歴史改変するということは、本来生まれてくる人を生まれてこなかったことにすること。
瀧君が三葉を救わなければ、彼は三葉意外の誰かと結婚してその子供をもうけていたはず。
それを積極的に仕掛けたのがドラえもんとセワシ君。
のび太は憧れのしずかちゃんと結婚できたけど、本来生まれてくるはずのジャイ子との子供達は…(写真まである)😨
歴史改変物って怖いですねぇn
作者からの返信
お読み下さりありがとうございます!
おっしゃる通り、歴史改変って怖いですね。
某国大統領を若いうちに暗殺するとか、ミッドウェー海戦を日本軍の勝利にするとか、(マンガ『ジパング』で無責任にやりまくっていたような)ド派手な史実介入よりも、もっと身近で小さな出来事が変わってしまうところが不気味ですね。
『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(1985)が典型例でしょう。
過去へ戻って両親の出会いを図らずも邪魔してしまった結果、子供である自分が(家族写真の中で)じわじわと消えてゆく恐怖を、コメディながら上手に表現していたと思います。
ありふれた展開かもしれませんが、タイムトラベルの結果、何も悪いことはしていないのに「ああっ私が消えてしまう!」というクライシス、これからも時間SFで使われ続けるような……
タイラーの中では実はヤマモトがぶっちぎりに好きですね。
彼がいるからこそこの作品は形になったと言っていいと思います。
タイラーに常に反発しつつも、その奔放さに惹かれつつ、常に自分の立ち位置や生きるべき指針を模索する。
彼だけはタイラーに依存せず、時に師、時に反面教師として相対する立場にいた「もうひとりの主役」としての存在を示し続けたと思います。
作者からの返信
お読み下さりありがとうございます!
遅筆のため返信が大変遅くなり、失礼いたしました……
ええ、そうですね、私もヤマモトが好きです。
タイラーに散々振り回されながらも、物語の中で成長して、最後はガップリとタイラーを受け止める懐の深さを見せてくれましたね。
ラアルゴンとの“決戦”で「艦長のお仕事を邪魔してはなりません」のセリフとか、タイラーがあわや処刑の場面で、その場所を仲間たちに教えたりと、他者を立てるところは立て、一歩引きながらもここぞというときにはパワーを発揮するといった、本当に“良い上司”になったんだなあ……と。
“そよかぜ”のチームって、今みても最高ですよね!
タイガーモス号のプロペラに関しては、車で言う半クラッチみたいなものが働いた可能性もあります。
エンジンとペラが直結していると動きがピーキーになり過ぎますからね。
動力ですが、ドーラが船内放送をしている時に部下たちがドラムカンからガソリンのような物をじょうごでタンクに入れてる描写があった気がします。
そう考えると普通にガソリンエンジン説が有力かも……でもそれじゃ砲撃を受けた時に爆発四散してるかな(;^_^A
作者からの返信
お読み下さりありがとうございます!
返信が遅くなり申し訳ありません。
そうですね、ガソリンエンジンもアリかとは思います。
ただ、おっしゃる通り、ものすごく危険。
そして自動車もそうですが、少なからぬ容量のタンクが必要となり、どこに置くかが課題ですね。
<部下たちがドラムカンからガソリンのような物をじょうごでタンクに入れてる描写>につきましては、フラップターはガソリンエンジンで発電して、人工筋肉みたいなのに通電し、高速震動させて羽ばたかせている……といった説明を読んだことがありますので、その補給場面かもしれません。
それらも含めて、いろいろと想像を楽しめるというのが、この作品の魅力だと思います。私の説は、あくまで一つの仮説ということで……
深い、実に深い考察ですね。
個人的にはラピュタの続編はどうやっても蛇足になる気がします。あの物語が冒険活劇としてあまりにも完成され過ぎているので、その後の日常や人生なんかは視聴者の想像の中でこそ紡がれるべきだと思っています。
魔法、というかチートや異世界転生、ざまぁ復讐などの安直な主人公万々歳物語が溢れているのは実に嘆かわしい事であります。
ドキドキもハラハラもなく、ただただ主人公の為にある世界、力、魔法、そしてモブからヒロインまでが、主人公に尽くすためにいるだけの世界。
そこでは主人公以外の人の命が実に軽く、絵に描いた餅のようなヘイトを振り撒いた悪役をすり潰してスッキリする。
何が面白いのか、全く理解できませんハイ。
作者からの返信
お読み下さりありがとうございます!
返信が遅くなり申し訳ありません。
はい、あくまで個人的な思いとして、ラピュタの続編は可能性アリかなと思いますが、『ふしぎの海のナディア』の続編映画がああなったことをかんがみると、続編は鬼門かもしれませんね……
にしても、昨今のテンプレなラノベ的作品は、小説もアニメも、なにかこう、ついていけない感が大きいですね。歳のせいか、みんな同じに見えてしまって……
そこでお書き下さった<ただただ主人公の為にある世界>にとても納得します。
今の読者が求めているのは、そういう世界なんでしょうね。
逆に言うと、そういう作品を書かなくてはいけないのかな?
ちょっと寂しい感じもいたしますが。
>フラップターで飛びまわりながら、様々な残骸に混じって空中を降ってくる財宝を、手でキャッチしたんですよ。
自分は軍隊が集めて山にしていた宝を、咄嗟に持てるだけ持って逃げたと解釈していました。
海賊の一人が「なにしろ時間がなくてよ」って言ってましたし。
でも確かに空中キャッチはありそう、宮崎監督が大好きそうな展開ですしw
>つまり「一緒に死のう、僕はかまわない、そうしよう」とパズーは伝えたのです。
これですよねぇ(*'ω'*)
要塞に囚われてた時、シータはパズーに素っ気ない態度を取る事で彼を守ろうとし、それでイジけたパズーはドーラによって、彼女が自分を犠牲にしてパズーを助けた事を知らされたのですから。
なのであのセリフは「同じ失敗はしないよ」と言ってるに等しいんですよねぇ。
作者からの返信
お読み下さりありがとうございます!
返信が遅くなり申し訳ありません。
そうですよね。おっしゃる通り、「同じ失敗はしないよ」と伝える、いい場面ですね!
彼の安全を思ってわざとつれない態度で突き放す、というシータの行動が絶妙な伏線になっているのですね。なるほどです。
逆に最近のラノベ的アニメではそういった伏線無しで、のっけから、お約束のように相思相愛になってしまうのが、物足りないのかも……
フラップターはエンジンを切って滑空も出来ますし、シータを攫った後は再度フラップターに乗り込んで脱出する手はずだった可能性がありますから、周囲で飛びながら待機していた可能性も……
個人的には奥寺先輩より、さやちん&テッシー推しな私(;・∀・)
作者からの返信
お読み下さりありがとうございます!
返信が遅くなり申し訳ありません。
たくさんのコメント、重ねて感謝申し上げます!
それぞれにご返答させていただく代わりに、『君の名は。』につきまして、エッセイ本文で作品の分析を再度やり直してみました。
そちらをお読み下されば有り難く存じます。
おかげさまで、新たな発見といいますか、作品の構造について
解剖めいた試みもできて、懸案だった謎も解けたようなスッキリ気分になれました。
『君の名は。』は、既存の時間SF映画作品のアイデアをいくつも組み合わせた骨格に、オリジナリティを加えるために映画『転校生』の“入れ替わり”と、時間移動を結合したうえ、主人公二人の友人たちとのエピソードを肉付けした、複雑な構造であることがわかります。
本当にすごい作品ですね。
自分的には、『ジェニーの肖像』で最重要な日付「10月4日」にちなんで、宮水神社の秋祭りの日が設定されたのではないか……という仮説を発見できたことが大きな収穫でした。
あ……前の話に書いたコメントが、ここでしっかり書かれてた(;^_^A
ひとつ追加要素を。
体が入れ替わる事によって、これまでの異性感覚ではあり得なかった「肉欲」が刺激された事もお互いが惹かれる大きな要因であったでしょう。
瀧君はさんざん三葉のオッパイモミモミしてましたし、三葉もトイレから出て来た時には何度か真っ赤になってましたから、果たして用を足してただけなのかどうかは不明のはずです。
まして若い男子の朝は……ねぇ(苦笑)
下品な話ですが、これ結構重要だったりします。お互い異性の局部に触れる経験なんてまず無い筈ですからねぇ。
ネットとかでよく言われているのが、「俊樹と二葉も入れ替わりを経験している」「それで本来縁がなかった二人が出会った」説です。
一葉も昔入れ代わった事があると語ってましたから、二葉と俊樹にもその経験があったのではないかと思います。
で、あるならばつい先ほどの我が娘らしからぬ、自分のネクタイを引っ掴んで凄む三葉と、今目の前で涙を流しながらも凛として懇願に来た三葉に「別人」の可能性を見たのかも知れません。
入れ替わり時の記憶は夢のように曖昧になっていくらしいので、そこまで注意力が働かなかったのかも知れません。
夢で見た事って、メインの印象深い事(入れ替わってる!?)は覚えていても、その脇にあった事(彗星接近?はぁ??)はなんかおぼろげっぽいですから。
タイラーで印象深かったシーンに、最終話(だったかな?)の街角スクリーンでの軍人募集のCM,あれ強烈に印象に残っています。
1話でおちゃらけたそのCMに乗せられたタイラーがひょいひょい軍人希望するのに対し、終盤で「戦場」を見て、体験して来た彼が全く同じCMを見た時の印象の違い。
あのシーンのBGMや空気感も相まって、非常にインパクトがあったのを覚えています。
個人的には、宮崎アニメのベスト・ボーイミーツガールは、トトロのサツキとカンタだと強く思う私……。
あれこそ正しい十代はじめの男女の空気感ですよ(*'ω'*)
01●はじめに……1995-2006 “豊穣の十二年”への応援コメント
うおおおお! なんて私好みのエッセイなのでしょうか、世代ドンピ!
僭越ながら私も漫画、アニメを題材にしたエッセイを連載しておりますので、本作は非常に興味深いです。
エヴァを皮切りに、世間のアニメというものの価値が一回りレベルアップした印象がありました。
「オタク」という言葉が単なる悪口から脱却し始めたのもこの時期からではなかったでしょうか。
作画のクオリティが上がり、制作陣が作り上げる「世界」がどんどん発展を遂げる、そんな時代であったかと思います。
ですが、今は確かに完全に頭打ちな印象がありますね。
新しい物を生み出すより、単に今流行っているものをトレースすることで、最低限の人気を確保しにかかる、いわゆるテンプレアニメが非常に多くなっています。
まぁその大半はラノベ原作なんですけどね(;^_^A
作者からの返信
多くのコメントありがとうございます!
遅筆のため返信にかなりお時間を頂戴しますこと、何卒お許し下さい。
比較的最近のアニメでは『廻るピングドラム』『終末のイゼッタ』『終末トレインどこへいく』など、オリジナル企画のアニメが良かったような……
反面、マンガやラノベ発のアニメは、仰せの通りテンプレ化していると感じます。
マンガ自体も、描かれているのがキャラの顔と上半身ばかりで、手塚先生や石ノ森先生の古典的な画風と比べても“動きを感じない”絵柄ばかりが目に付くような。
原因としては……
①書店数がここ20年で半減し、文字の書籍が売れなくなったこと。
②出版の編集者様が冒険できず、作品選定が保守化する傾向。
③書き手も委縮して、冒険的な試みをしなくなったのでは?
そんな気がいたします。その結果……
①コンテストで大賞を獲ってデビューした作家様が長続きしない。
②編集者様に、気長に作家を育てる余裕がないのでは?
③編集者様もテンプレなアニメとラノベで育ったので、発想が型を破れなくなってきたのでは?
④書き手も編集者も格差社会に吞み込まれて、20世紀の“中間層”が支持した内容の作品が芽を出せなくなった?
⑤運よくヒットしても、なぜか延々と続いてスッキリ完結せずに終わる。
……そういった空気を感じますね。あくまで個人の感想ですが。
書き手にとってますます厳しい時代になっていくと思われますが、混迷する時期こそ、過去の素晴らしい作品に改めて啓発されることも大事かと思います。
編集済
レプカの件ですが、「ギガントを飛ばして世界を支配したところで、支配下に入る生産性のある国はハイハーバーくらい」はどうなんでしょうかね?
世界は広いし、それを制するほどの飛行距離を持っているギガントは、まだ見ぬ生存者の国や町、集落へとたどり着けるかもしれません。
そうなるとギガントに搭載されている太陽エネルギーによる食糧生産(どんな技術やねん、パン出て来るってw)は、辺境の人々の救いの一手にもなるでしょう。
人々は飢えれば、メシさえもらえれば喜んで支配されるものですから。
そう考えると、あるいはレプカが長い時を経て、広く信頼される王になる未来もあったかも知れず、それを潰したのがコナン達という見方も出来なくもないかもしれません。
作中では単なる悪党として描かれていましたが、あるいは彼だけは太陽エネルギーの本当に有効な活用法を、野望とそしてひとかけらの善意の面から理解していたように思います。
なんせ学者さん達はこぞって太陽エネルギーを否定してましたからねぇ。
作者からの返信
お読み下さりありがとうございます。
おっしゃる通りですね! 私も目からウロコです。
確かにハイハーバー以外にも生存者のコロニーはあったでしょうね。作品中で触れられていないので、無いものと考えてしまいました。
ギガントによる力の支配でも、それで食べていけるならレプカを王と崇める社会が成立するのも、その通りだと思います。ご教示下さりありがとうございます。
作品の前半で、ダイスたちからタバタバをもらってプラスチップ採掘に従事する人々がいましたが、あんな雰囲気の社会になるのかな。
ただ気にかかるのは、レプカが世界王国の経営ビジョンを持っていたか? ということ。かつての彼は自分なりの理想を掲げた若者だったのでしょうが、科学者たちが言うことを聞いてくれず、その反発で独裁に走ったのかもしれませんね。
独裁者の困ったところは、社会全体の利益よりも、「権力を手に入れて維持する」ことだけに人生を捧げる傾向にハマることだと思います。
その結果レプカは「支配するために支配する」政治家(というよりは官僚的な人)になってしまったのかもしれません。21世紀の現代の独裁者もそうかもしれませんが、「他者を支配して蔑むことに異常に執着する」独裁者が歴史的な悲劇を招いて、あるいは自滅していくケースは実際にあったのではないでしょうか。
その意味で『未来少年コナン』は痛烈な教訓を残していると思います。
ルークの承認欲求を叶えるためのオビワン離脱とハンソロ凍結、とても腑に落ちました。
作者からの返信
お読み下さりありがとうございます!
マズローの欲求5段階説って、本当によくできていますね。
ラノベの登場人物たちも、この5段階をどのように組み合わせるかで
できているような感じがしますね。
ちなみに現代の世界においても、某超大国の大統領たちはどの段階におられるのか、考えてみるとおもしろいかも……
たとえば「NベルH和賞が欲しイーー!」なんて、まだ四段階目の、
それも低次の承認欲求に当たるみたいですし、
そんなんで世界を動かしていいのかな?
宮崎駿映画はよく自然と人類というワードが出て啓蒙させられるんですが、私は人類も自然の一つと考えてしまって中々引っかからないんです。
そういうことを考えさせられる事や考えること自体が狙いかもしれないですが。
人類の自然破壊なんて、隕石一個落ちるのに敵わないわけで、隕石が自然の脅威かというと、宇宙から見ると隕石も自然の一つであって、その隕石に絶滅させられる人間も所詮は自然の一つな訳でございます。
人間は、自然を大切になんて表面的なことを言わずに、人類がより繁栄できて楽しい世界を作っていくでいいのではと考える私です。人類に大切な一つが自然を大切にするということなのですが……。
お耳汚し失礼しました。
この作品を見るといつも着想が湧きます。
過去の名作が未来に繋がっていく。
作者からの返信
お読み下さりありがとうございます。
返信が遅くなって申し訳ありません。私事に振り回されていまして……
「人類がより繁栄できて楽しい世界を作っていく」のでいいのでは……とのお考え、本当に同感です。人類も自然の一部ですし、身体の中の水分(妊娠時の羊水とか?)には、人類の祖先が海から陸に上がったときの海水の塩分比率などが残されているとか言われますし……
太古の大自然が、ヒトの体内に遺伝的に保存されている……と考えますと、人類が自分たちを大切にすれば、地球の大自然の中で調和していけるはずなのですが……
困ったことは、人類は互いに殺しあったり、廃棄物を他国へ押し付けたりして、他者をあまりにも粗末にして不幸にしてしまうことでしょうね。
自然の一部として存在する価値が人類にあるのか、いつも問われているような気がします。
『太陽の王子ホルスの大冒険』は、昨年、新しいムック本(東映動画の名作も紹介)が出ましたが、今の若いアニメ関係のクリエーターが『ホルス……』などをご覧になったのか、はなはだ疑問でして、ここ十年ほどの作品を見ると、世代の断絶を強く感じます。
『ホルス……』の公開は1968年、(法改正で延長されなければ)70年で著作権保護期間が切れますから、2038年以降に、作品がどのように評価され、あるいは二次創作につながるのか、ですね。見届けられたらいいなと思います。
哀しいかな、日本は斜陽になっているんだなあと感じますね…人口の減少と、富の集中。そんな将来の不安からの囲い込みとサービスやおもてなしなんぞよりも効率化というドケチ化。
どんどんサービスアップを目指していた時代を知っている身としては寂しく不安になりますね…
作者からの返信
お読み下さりありがとうございます。
日本の斜陽化と行政サービスの低下、同感です。
この度の地震では、避難所の準備があまりにもお粗末だったことが浮き彫りになっていますね。
地震発生は夕方なので、自宅が潰れた人はすぐに指定避難所へ向かったことでしょう。(自宅が無事だった人は家に残ったはず。すぐ日が暮れますから)着の身着のままで戸外へ逃れた人たちは、ぐすぐずしていたら停電で真っ暗な真冬の夜に取り残されて、凍死の危険があります。
しかし避難所の学校は無人で施錠されたまま。そこで窓ガラスを割って中に入ったとか。そしてコーラ等の自販機を破壊して飲料水を得たらしいと思われます。
この自販機の壊し方がまるで強盗並みに乱暴だったらしく、画像を観て驚きましたが、もうすぐ日が暮れるというのに係員のいない避難所で、水の備蓄がどこにあるかわからず、あるいは備蓄そのものが乏しすぎたのか……そんな悲惨な状況で、誰もがパニクっていたことが想像されますね。
その後すぐにトイレ問題が深刻化したことをみれば、簡易トイレの備蓄も少なすぎたのでしょう。
で、何が言いたいかというと、どうやら、被災後の備えは、全然できていなかったんじゃないかということです。
住民の自助は熱心に呼びかけて、公助はスッカラカン同然という現実が、そこに感じ取れます。
一事が万事、この国は「肝心なことは何もしない」状態に陥ってはいないかと、ますます気にかかります。
未来少年コナンとジブリが関係しているとは初めて知りました。私の知識が乏しく、未来少年コナン自体をあまり知らなかったのも原因かもされませんが、ナウシカやラピュタなどはBlu-rayも持っているくらい、子供と一緒に今でも見ているんで余計驚きました。宮崎駿先生の作品のジブリ名前のルパンなら聞いたことがあるし実際何度も見たのですが、なるほど、ひとつ知識が増えました。知識が繋がったというか発見でした。自分が子供の頃金曜ロードショーでもあまりしてなかっだから余計分からなかったです。
作者からの返信
お読み下さりありがとうございます。
1980年前後の宮崎駿監督作品は一連の流れとしてとらえることができると思います。
1968年の『太陽の王子ホルスの大冒険』、その十年後の『未来少年コナン』、1979年の『ルパン三世 カリオストロの城』、1980年に放映されたルパン三世第二シーズンの『死の翼アルバトロス』『さらば愛しきルパンよ』、そして1984年放映の『名探偵ホームズ』に含まれる宮崎駿監督の六作品、そこから同じ84年の『風の谷のナウシカ』へと。
この一連の作品はその後のジブリ作品の土台でもあり、アニメ本来の楽しさを存分に楽しめる、“宮崎ワールド”を形作っていると思います。何度見ても心地よいですよ!
マッカーサーは独裁者のように思われがちですが、日本に降り立った時に、明治維新以降の軍国主義政府に対する日本人の強烈な嫌悪感を知り、自らが英雄のようになっていることを知ります。
さらに、日本が巨大な文明国であること、さらにアメリカは二度と敵にしてはならないと分かり、それが日米同盟へとつながります。
そのあと、アメリカ政府はソ連に騙されていた、日本が中国で共産化を防ごうとしていたことがアメリカ政府の自覚につながり冷戦へとなります
マッカーサーはまだソ連にはビビってはおらず、朝鮮戦争でソ連が優位になったたら核を落とせばいいという立場でした
作者からの返信
お読みいただきありがとうございます。
おっしゃる通りですね。マッカーサー氏は決して単なる独裁者ではなく、
腹の座った指揮官でもあったはず。
ソ連の脅威にひるむような人物ではなく、売られたケンカは買うタイプの武闘派ではないかと思います。
武闘派の性格が強く出すぎて、解任につながったような……
だから『ゴジラ-1.0』で“ソ連ビビリ”になっているのはなんとも不自然に感じられます。「そういう設定のパラレルワールド」ということなのでしょうが……。ちょっと面白くないですね。
どれだけ未来少年コナンが好きなんですか!
それだけおされると見たくなります。
作者からの返信
お読み下さりありがとうございます!
『未来少年コナン』の魅力は、子供の視点からみる「大人の狡猾さと賢明さ」、大人の視点からみる「子供の無知と純粋さ」が丁寧に描かれていることでしょう。しかも「大人の狡猾と子供の無知」を備えた、大人と子供の間に位置するキャラのオーロ(のちに更生する)までキッチリと役割を果たしていました。
悪人も善人もリアリティ豊かで真剣味があり、本当に生きているような、じつにアニメらしいアニメでしたね。
最近の異世界TVアニメは「要領よく他者を出し抜いてマウントを取る」生き方の主人公が目について、今一つ共感できません。『未来少年コナン』のストレートさは不器用だけど、爽快な元気を与えてくれると思います。
編集済
「小白龍」とは、飛行機を意味しているような気もしますが、日本人で中国大陸に渡って馬賊の頭目になった小日向白朗の別名です
「狼の星座」という漫画の主人公ですが、鈴明美(リン・ミンメイ)が中国系ということと関係あるのかわかりません
作者からの返信
お読み下さりありがとうございます!
横山光輝先生の『狼の星座』(1975-76)は綿密な取材に基づいた名作ですね! 1982年のTV版マクロスにも影響していたかも。
80年代当初の中国のイメージは1989年の天安門事件よりも前だったこともあって、2023年の現在とは大きく異なり、なんだか牧歌的でしたね。
カンフー映画は中国本土でなく香港制作でしたし、当時の香港は英国領。ミンメイの実家は中国でなくヨコハマの中華街でしたから、両親や祖父母の代で日本国籍に帰化しているのかもしれません。
日本人にとって、ミンメイは「古き良き中国文化」の雰囲気と、英国や日本のテイストも交えた、多国籍的なアイドルではないかと思います。
08●『未来少年コナン』(7)アニメグルメいろいろへの応援コメント
時折り読まんで勉強させていただいてます。小説でも、特にアニメは食を取り入れるのが大切と感じる時があります。その美味しそうに見せる描写など。
味わっていなく内臓で食していると言うのは中々の感性ですね。
作者からの返信
お読み下さりありがとうございます。
食の場面、ホントに多いですね。『すずめの戸締まり』では焼うどんにポテトサラダを混ぜていたり、新作アニメを観るたび、不思議な新レシピに出会えます。
アニメに限らず実写ドラマでもそうですね、特に朝ドラ。
映画では『鎌倉ものがたり』で焼き魚をわざわざ冷やして食するパターンとか。
映像作品の仰天メニューをまとめたムック本が出てもよさそうな。
対して、外国映画の食事場面、特にアメリカ映画では、日本人からみてマズソーな食卓が多いこと。『ハリー・ポッター』第一作の広間の晩餐会で、魔法で空中から降りてきた宴会料理のマズソー度は印象に残っています。また、『チャーリーとチョコレート工場』を観たら、しばらくチョコなんか食いたくない気分に……
食へのこだわりとおいしさの表現は、日本作品が世界一ですね!
01●はじめに……1995-2006 “豊穣の十二年”への応援コメント
サムライチャンプルー!
自主企画ご参加ありがとうございます。
作者からの返信
お読み下さりありがとうございます!
あのころは凄い作品が続々でしたね。
今後ともよろしくお願いいたします。
返信が遅くなってすみません……
53●『大YAMATO零号』(6)……原点回帰と、“献辞”の熱意への応援コメント
松本先生の描く世界は「男の痩せ我慢」の美学の世界だと思ってます。
欲に惑わされない訳じゃないんです。そこでグッと痩せ我慢するからこそ、男の生きざまが輝くというような。
どうでもいいですが、大山昇太のおかげでラーメンライスがごちそうに感じるようになってしまいましたし、下宿のバーサンのせいで縦横がわからないビフテキを食ってみたいと思うようになりました。
作者からの返信
お読み下さりありがとうございます!
おっしゃる通りですね。
男としての欲望は否定せず、それをやせ我慢する……のが
松本先生の作品への正しい理解だと思います。
私の原稿も、後日修正させていただきます。
思えば21世紀にもなると、男の“痩せ我慢”の美学、
とんと見られなくなったようで、少し寂しいです。
ラーメンライスみたいに、チープだけどゴージャスに自己暗示する
“食の美学”の楽しさは、私も松本作品に教えていただいたと思います。
決して些細なことでなく、一生の食事観に影響する哲学かと。
“痩せ我慢”とは無関係ですが、後年のジブリアニメの
ラピュタの目玉焼きトーストとか、ポニョのハムラーメンの
“美味そう感覚”にも、通じるものがあるかもしれませんね。
企画当初、ファルコはチャイカと言う名前でしたね。
後、オートフェザリング使ってそうなシーンもあった様に思います。
記憶違いでしたら申し訳ないですが・・・
作者からの返信
そうそう、昔のコナン解説本の史料で、チャイカと書いていましたっけ。
機体のイメージはチャイカ(かもめ)でマッチしていそうですが、
お話の後半で武装して戦闘飛行艇になるので、ファルコ(鷹)の方が
適しているということかな? 宮崎監督のご趣味でしょうね。
夜間に無音飛行してバラクーダ号を捜索する場面とか、
ギガントから滑空してインダストリアに戻る場面では、
おっしゃる通りフェザリングしてるように見えます。
プロペラピッチだけ進行方向に合わせて、回転軸は固定せず、
ゆるやかに空回りしているという感じなのでしょうか。
「滑空して無音で捜索する」とか、作中では軽く使っていますが、
よく考えついたなあ、と驚きますし、
ファルコの性能のリアリティを感じさせますね。
編集済
コナンに関しては色々いいたことが(^^♪
今のロボットものアニメのような、追えない速度の戦闘ではなく。
追える速度で、リアリティを感じさせる躍動感が好きですね。
今の、慣性の法則を無視した、ロボットものの戦闘は好きではありませんねぇ。
追記
済みません、誤字修正しました。
作者からの返信
お読み下さりありがとうございます!
全く同感です。
まるでSFの“無慣性動力装置”を搭載したみたいに、
ビュッと動いてパッと止まる式の運動は、いまいちです。
(中のパイロットはどうなっていることやら……)
その点、半世紀昔の『サンダーバード』は頑張っていましたね。
崖っぷちに引っかかって落ちそうなトレーラーを助け上げるのに
2号が上から降りてくると、その逆噴射でトレーラーが落ちそうになる。
あわてて1号が機首を車体の下に差し込んで支えてやる場面があって、
「おお、これは作用と反作用か!」と感動したことを覚えています。
理想は映画の『ゼロ・グラビティ』でしょうか。
慣性を相手にするだけで、こんなに大変なのかと、学べますね。
01●はじめに……1995-2006 “豊穣の十二年”への応援コメント
パッと見ただけでも、上がった作品の中に
参画したアニメがありました。(*'▽')
仕上げで参加のこの2作品
『AKIRA』と初期の『エリア88』どちらも大変だったが、1週間掛かったカットをリティークでもう1度やったAKIRAはえぐかった。
作者からの返信
お読み下さりありがとうございます!
アニメ制作関係の方ですか!
身内にアニメ関係がおりますが、私自身は素人なもので、
失礼な文章がありましたら、何卒お許し下さい……。
子供のころ、どこかで『太陽の王子ホルスの大冒険』を観てから
すっかりアニメ好きになって幾星霜です。
どうぞよろしくお願いします。
太陽の王子ホルスの大冒険は未視聴なのです。
宮崎駿監督も表現するのに妥協ナシの方ですね。
作者からの返信
『太陽の王子ホルスの大冒険』、いいですよ!
ぜひおススメです。
現在のジブリアニメや“ジブリ系”なアニメの本当の原点です。
今から53年も昔の作品なのに、生き生きと表現されていて、
CGの特殊効果がないかわり、場面場面が名画のように美しく、
背景と構図、色彩と音響を総合して緻密な心理描写を実現するなど、
現在の劇場アニメの水準をむしろ超えているのでは。
90分に満たない短い尺で、ストーリーが凝縮されているため、
説明不足な点は多々あるのですが、
そこを推理と想像で補うと、驚くべき伏線が浮かびあがる……
と、いまだに空前絶後な、物凄い逸品だと思います。
モンスリーの後半ヒロイン力は絶大でしたね。
パジャマでファルコを操縦し、ダイス船長に「バカね!」と言う……
十分あざといですね今となっては。
作者からの返信
お読み下さりありがとうございます。
ホントに、モンスリーの“悪玉から善玉へ”の転向は素晴らしかったですね。
「反省します、ゴメン」で済ませるのでなく、あの積極的攻勢ぶり。
その動機として、ダイスへの恋心が(それまで二人が激しく対立していたので、観客が気付かない)伏線として隠されていたことに驚かされます。
以降の、クシャナやエボシ御前といった転向キャラの大先輩として、風格すら感じます。
しかも、おっしゃる通り、もしかすると“悪玉から善玉へ”の転向が、本人の打算による作為的な“あざとさ”だったかどうかは本人のみぞ知る……という味わい深さが、モンスリーのキャラ設定の魅力であり凄さでしょうね!
敵か味方かわからないけれど、肝心なところで大活躍するところが、カリオストロの峰不二子に通じるような……
いずれにせよ、宮崎監督が生み出された、稀有のキャラクターですね!
08●『未来少年コナン』(7)アニメグルメいろいろへの応援コメント
肉なしチンジャオロースは、ピーマンとタケノコの炒め物じゃん! と思ってますが、それをチンジャオロースと言い張る意地が、あの話の醍醐味でしょうね。
作者からの返信
お読み下さりありがとうございます。
宇宙船を運用(所有でなくレンタルかもしれませんが)し、燃料や武器弾薬を調達するカネがありながら、その日食う肉も買えないというのは不自然な気もしますが……きっと「身内に贅沢はさせねエ!」的な、ジェット氏の教育的親心で、身の回りは厳格に節約していたんでしょうね。
ジェット氏の趣味は盆栽。枝を切られ幹を曲げられて、苦しさに耐えながらも美しい姿に育つ盆栽に、人生の縮図を悟っておられたのかも。
スパイクやフェイ、ビシャスとかは他のアニメやラノベにも出てきそうなキャラですが、ジェットのような人物はなかなか見掛けないような。
その父親的な包容力と哀愁をたたえた背中、本当はこれこそ、『カウボーイビバップ』ならではの独特の魅力だったようにも思えます。
この章は何度か読み返してしまいます。
特に三つの環境の変化については慧眼だとしか言いようがなく、モンスリー女史の変容のコアにそれがあるのは、初登場時の「あの戦争の時、あたしたちは子供だった」という彼女のセリフに象徴される、すべて奪われた者は周りに対して敵意を持つしかない、との対比になっているのでしょうね。
彼女も本来は奪われた子供だったことを考えると、本当に納得できる分析なのです。
作者からの返信
お読み下さりありがとうございます!
おっしゃる通り、モンスリーさんは子供のころに奪われたものが何であるか気づくことで、武器を捨てられたんだなあ、と思います。
「あの戦争の時、あたしたちは子供だった」のセリフに対して、オジイは説教しかできなかったですが、コナンは行動で彼女に回答したんでしょうね。
奪われたことによる深い傷付きの心理は、この作品の十年前の『太陽の王子ホルスの大冒険』のヒルダにも共通するのかと。
モンスリーはもしかして、宮崎監督の、ヒルダに対する補完キャラだったのかもしれませんね……
深い洞察なのですが堅苦しくなく、どちらかと言えばなんだかニヤニヤと笑ってしまいます。
ほのぼのって言葉が一番マッチする解説内容でした。
作者からの返信
お読み下さりありがとうございます!
『未来少年コナン』、お話が終わったときの印象がとても爽やかでした。
本当にいい作品でしたね……
素敵なお話をありがとうございます。
小学生の頃、リアルタイムで見ていた身としてバラクーダ号の活躍する様々なシーンが思い起こされます。
ダイス船長のバラクーダ号への愛情を示すシーンが印象深い船であり、名前を聞くと何故か最初に津波の後の復興進水式が思い起こされます。
確かにあのシーン(記憶違いかも)での復元力には驚きました。
DVD買っちゃおうかな。
作者からの返信
お読み下さりありがとうございます!
バラクーダ号、いいフネですね。
ガンボートと違い、見ていて「乗ってみたいなあ」と感情移入できる魅力がありました。
ゆらゆらと、本当に海に浮かんでいるようなリアリティ。
おっしゃる通り、“復興進水式”で空に巻き上げた巨大な水しぶきの中、
負けじと浮かぶさまは、凛々しいというか、健気(けなげ)と言うか……
無数のアニメの中でも、これだけしっかりと描かれた船は
他にないと思います……
未来少年コナンに劇場版なんてあったんですね
でも、がっかりダイジェストだったとは・・・
作者からの返信
お読み下さりありがとうございます。
レプカは一度、フライングマシンとともに爆発したと見せかけて、
実は生き残ってギガントを飛ばすのですが……
劇場版では、フライングマシンと心中して一巻の終わり。
インダストリアも沈まず、みんな元気でめでたしめでたし。
“そこで終わるんかい!”と、
毒にも薬にもならないデ〇ズ〇ーのスターウォーズみたいな結末でした。
ギガントの無いコナンは、まるで肉の無いスキヤキ。
巨神兵の無いナウシカ、バルスの無いラピュタでしたね……
今となれば、アニメ界の黒歴史なのかも……
08●『未来少年コナン』(7)アニメグルメいろいろへの応援コメント
お腹減ってきました。
作者からの返信
お読み下さりありがとうございます。
コロナ禍ゆえ自炊を心がけております。
カレーに黒糖を入れるとコクが出るというので試してみました。
ミソ煮ができました。
コナンの登場人物では、モンスリーが一番好みでした。有能にして苛烈。部下を心服させ、上司のレプカにも深く信頼される行動力と意志のカタマリ。そんな彼女がハイハーバーで迎える転機は、本作の最大の見所だと確信するものです。全編を通じて最も成長するキャラクターは、やはりモンスリーだったと思うのです。
作者からの返信
モンスリー、いいですね!
物語前半では“ヤな奴”だったのに、後半の変貌ぶりは、まんま主人公。
部下に持つならモンスリー、
上司と仰ぐならラオ博士、
友にするならやっぱりコナン。
そんな感じでしょうか。
物語の最初と最後で、生き方が180度転回したキャラは、
彼女だけかもしれませんね。
なぜ、そうなったのか、今更に気になります。
のちの章で、詳しく触れさせていただければと思います……
01●はじめに……1995-2006 “豊穣の十二年”への応援コメント
たしかに、記憶に残ってる作品が多いですなー。
まあ、世代世代で名作と呼ばれるものは輩出されてるわけですが。
現在のはあんまり印象に残らなくて、大昔のばっかり思い出すのは、わしが歳を取った証拠かもしれませんがのう。
作者からの返信
お読み下さりありがとうございます。
あくまで私の主観で、そう思うだけですので、何卒ご容赦ください。
確かに私も、トシのせいで、最近のアニメについていけないだけかも。
とはいえ、カウボーイビバップやビッグオーなど、
一話観ただけで、凄い! と憑りつかれる作品、
最近は出会えていないように感じますが……。
01●はじめに……1995-2006 “豊穣の十二年”への応援コメント
ちょうど今、2004年放送のマドラックスを再視聴しているところです。この辺の年代の作品は、自分も思い入れがあります。
深夜アニメもまだまだ発展途上で、意欲的・実験的・野心的な作品が多く作られた年代ですよね。
世紀末の重苦しさと新世紀の始まりへの期待も、大きく創作に関係していたようにも思えます。
とりとめなく作品をあげてしまうんですが、lainやナデシコ、青の六号、エルフェンリートなど今でも記憶に残る作品も多いです。
作者からの返信
お読み下さりありがとうございます。
lain、ナデシコ、青6も良かったですね!
マドラックスも……「(^^♪ヤンマーニ」が脳内をめぐります。
エルフェンリートは今、ネットで観ています。
1995-2006あたりの作品、おっしゃる通り時代の空気も関係していると思います。
2001年のツインタワーのテロで、世界観がガラリと変わりましたし。
色々な意味で、人の心になにか鋭いものが突き付けられた時期ではなかったかと……
01●はじめに……1995-2006 “豊穣の十二年”への応援コメント
へ〜見てみようかなぁ
そういえば爆弾っていう映画が面白かったですよ!ヒットしてほしいなぁ
作者からの返信
お読み下さりありがとうございます。
感染症対策で今は映画館へ行きませんが、映画『爆弾』、DVDが出たら必ず観ようと思います。
私にとって“爆弾映画”は、岡本喜八監督の『ああ爆弾』(1964)が秀逸で、爆弾を巡る騒動を古典芸能風和製ミュージカルに仕立てた大胆さに爆笑。
もうひとつ、『太陽を盗んだ男』(1979)は、沢田研二さん演じる中学教師が超小型のお手製原爆を造ってしまう話で、なんかメロメロの“爆弾愛”にシビれさせられますね。
二作とも、爆弾がある種のブラックユーモアのカタマリとして扱われ、爆発そのものよりも、“爆発を恐れる大衆の滑稽さ”を鋭く描いているような……
にしても、現実世界では、実物の爆弾以上に、先日逮捕された某政党の某党首に象徴される、“言葉の爆弾”の恐ろしさが際立っているようです。映画『爆弾』を上回る爆弾的なキャラが堂々と政界を闊歩する、不気味な時代になったということかもしれませんね。