第三十五話 人喰いの獣よりおぞましい

「……また来たのか」


 冒険者業の帰り道で、キリハはうんざりした声を漏らした。

 彼女の視線の先には、切羽詰まった顔でナイフを構えた少年がいた。

 最初に襲われてから一週間、この少年は何度返り討ちにしても性懲りもなくキリハを殺そうと襲い掛かってきた。時には一日に二度、三度と襲われたこともある。現に今日も、この少年とは朝に顔を合わせたばかりだ。

 十歳そこそこの少年が凶器を握り締めて顔を強張らせている……これには荒事慣れしたキリハも、さすがに顔を顰めざるを得なかった。


「あ、あんたを殺せばお金がもらえるんだ! みんな飢えなくてすむんだ!」

「……そうかい」

「うわぁぁあああああああっ!!」


 少年が突っ込んでくる。

 キリハはうんざりした表情のまま、それでも動きだけは滑らかに少年の手からナイフを叩き落とし、足を掬って彼を地面にすっ転がした。


「うがっ……」

「まったく……ほんとうに胸糞がわ――ッ!?」


 気が落ち込んだキリハだったが、背後から迫る殺気に気付き顔を強張らせて振り向いた。

 彼女の目に、別の少年がナイフを手に突っ込んでくる姿が写り込んだ。


「ちっ――くしょう!!」

「ぎゃんっ!?」


 ほとんど至近距離だったので、手加減する余裕がなかった。

 キリハの裏拳が少年の横顔を叩くと、その軽い身体が派手にバウンドしながら転がっていく。


「ああっ!!? ギダル!!? しっかりしろギダル!?」

「ううっ……カイン兄ちゃん……痛いよぅ……」


 最初に現れた少年が、ふっ飛ばされた少年へ慌てて駆け寄る。

 ギダルと言う名らしい少年は、骨こそ折れていないが全身を強く打って血も流れていた。最初に現れたカイン少年を兄と呼んで泣き縋っている。

 似たような格好をしているが、兄弟のようには見えない。きっとなんらかのコミュニティーの兄貴分と弟分なのだろう。


「……ちっ。ほんとうに胸糞悪いね」


 なんとか直前で力を抜いたとはいえ、子供を殴り飛ばした感覚が手に残っている。キリハはそのおぞましい感覚を振り払うように拳を拭った。

 だがそれ以上におぞましいのは、こんな子供たちを刺客に仕立てたどこかの馬鹿だ。

 キリハも前世では裏街道で生きてきた人間だ。自分の手で人を殺してきたし、顎をしゃくって部下に始末させたことも数知れない。

 そんなキリハであっても、非力で幼い子供に凶器を持たせて人殺しをさせるなど、あまりの不快さに反吐が出る。便所のネズミだって鼻をしかめるだろう。

 キリハは頭を振って彼らに近寄った。ギダルを抱えるカインが精一杯の厳しい顔をして睨み付けてくる。


「……ほれ。使ってやりな」


 キリハは腰のポーチからポーション瓶を取り出してカインへ投げ渡した。ここ最近、胃薬の調合が趣味になったジェラルドが副産物で作った回復薬だ。

 投げ渡されたポーション瓶を慌てて受け取り、カインがもの問いたげな顔をする。


「……何のつもりだ」

「そりゃこっちのセリフだ。あんたはその子の『兄貴』なんだろ? なのに弟分をこんな危険な目に合わせて、いったい何のつもりなんだい?」

「……お前なんかに分かるもんか!! オレたちみたいなガキが食ってくためにどれだけ苦労してるか、お前なんかに分かるもんか!!」

「分かるさ」

「っ……」

「分かるさ。あんたみたいなガキをたくさん見てきたからね。大人が信じられないってのはよぉく分かるさ」

「…………」

「だが、あんただって分かってるだろ? なかなか賢そうだからね。あんたたちが貰える見返りは人殺しに到底見合わないものだ。ただ利用されてるだけだって分かってるだろ? あんたたちが心底嫌ってる、身勝手な大人にね」

「……だったら、どうしろっていうんだ……!」

「分かってるはずだよ? 弟分のために体を張れるんならね」


 キリハはそう言って、彼らの横を通り過ぎた。

 カイン少年の視線を背に受け、キリハはひっそりと嘆息した。


「まったく……ほんとうに胸糞が悪い」


 ※   ※   ※


 それから2日。

 さすがにカインも懲りたのか、キリハを襲っては来なかった。だが視線は感じる。何処からか隙を狙ってはいるようだ。


「まったく……ほんとうに胸糞が悪い」

「あの子供か、姉御?」


 下町の食堂で食事をするキリハとヒエンだったが、なかなか食事に手を付けないキリハに、ヒエンが小首を傾げる。


「助けてやらないのか?」

「助けて欲しいって言われてないからね」

「……やはり、姉御は面白い」


 ヒエンが笑った。

 風のように自由かと思えば、大地のように泰然自若としている。かと思えばつまらないことでイラつき、自分の心情と信条の間で動くことを自重する。

 器が大きいのか小さいのか、心が広いのか狭いのか。

 分かりやすそうで分かりにくい――そんな難解さが、いまのヒエンには何より興味深い。

 人間風に言うのなら……そう、ヒエンにとって、キリハは何とも味わい深い人間だった。


「遅れてすみません……ご注文の品です」

「うん? もう全部来たと思ったが?」


 給仕の少女がトレイに食べ物を載せてやってきた。

 ヒエンは自分ではなくキリハが何か注文でもしたのかと思って主を見やったが、彼女は給仕の少女をじっと見つめていた。


「……貰おうか」

「は、はい。こちらになります……」

「そっちじゃない。トレイの上じゃなくて下に隠してるものだ」

「ッ!?」


 少女がびくりと身体を震わす。

 怯えた顔をする幼い少女に、キリハは静かな瞳をじっと向けている。


「何もしないよ。ただ、そんな無粋なものはあたしが預かっとくから、素直に出しな」

「………………はい……」


 少女がトレイの下に隠した手を見せると、そこにはここ最近見慣れた粗末なナイフが握られていた。

 キリハは少女の手からひょいとナイフを取り上げると、代わりに銀貨を少女の手に握らせた。

 驚く少女に、キリハは優しく笑い掛ける。


「また誰にナイフを渡されたら、あたしの所へ持ってきなさい。あたしがそのお駄賃以上の値段で買い取るからね」

「………………はい」

「愛い盛りの女の子なら、ナイフよりリボンの一つでも買いな。ナイフなんて振り回しても、女振りを下げるだけだよ?」

「…………はい」

「うん。もう行きな」

「……はい」


 少女は銀貨を握り締めて去っていった。

 取り上げたナイフをさり気なく手荷物の中に紛れ込ませ、キリハは食事を再開した。店の中はそこそこの客がいるが、誰もキリハが暗殺されかけたことなど気が付いていない。


「……やはり、姉御は面白い」


 紅蓮竜は無邪気に笑った。


 ※   ※   ※


「…………来たか」


 下町の食堂で幼い少女からナイフを取り上げた翌日。

 仕事もせず適当な空き地で寝っ転がって空を眺めていたキリハは、小さな足音を聞いて身を起こした。

 近付いてくるのは、キリハを殺そうとしていたカイン少年だった。


「…………ニアのこと、礼を言う」

「ニア? ああ、あの食堂であたしにプレゼントをくれた女の子か」

「……殺さないでくれて、感謝する」

「誰が殺すか。あんな女の子を」


 キリハは機嫌悪そうに吐き捨てた。

 ニアという女の子は、目の前のカインより年下だった。せいぜい七歳か八歳だろう。小学校低学年の年頃の女の子を殺すなんて、そんな胸糞の悪くなることは御免だった。


「…………」

「………………」


 カインは、今日は何も持ってきていなかった。徒手空拳で、じっとキリハを見つめている。

 キリハもカインを見つめ返す。

 カインはじっとキリハを観察している。言い方は悪いが、野良猫が人間を観察するような目だ。

 いま、彼は必死にキリハを推し量っている。

 だから、キリハは瞬きもせず見つめ返す。

 眼と眼の語り合いは、たっぷり十分は掛かっただろうか。

 先に視線を逸したのは、カインの方だった。

 彼はゆっくりと跪くと、キリハに対して頭を下げて土下座した。


「……お願いです。オレを……オレたちを助けてぐだ、ざい……ッ!」

「ああ、もちろんだとも」


 キリハは即答すると、ぽんぽんとカインの頭を撫でてやる。


「一端の『男』が、頭を下げたんだ。『男』の頭は、決して安くはないからね」


 押し殺した鳴き声が漏れ出す。

 この涙に見合った報いをくれてやろうと、キリハは子供たちにナイフを握らせたクズに対して怒りを燃え上がらせた。

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