第45話

「もしもし、姫神ひめがみ? 今ちょっといいか?」

「! ち、チカ……?」

 唯哉いちかは自分を許してくれたのか。

 また自分と『友達』でいてくれるのか。

 そんなことをグルグル考えていた悠栖ゆずの耳に届く、唯哉の想い人の名前。

 唯哉の声で聞かされるその名前は自分の心を抉る刃のようだった。

 何故唯哉は今このタイミングで那鳥なとりに電話を掛けているのか?

 理由が全く分からない悠栖は、この場から逃げ出したいと思った。

 『好きな人』と喋る幸せそうな唯哉を目の前で見ていろなんて、拷問以外何物でもない。自分の『好きな人』はその唯哉なんだから。

 自分が泣いて取り乱したから匿われただけだと現実を必死に受け止める悠栖。

 だが、一度期待した心にはそれがまた辛かった。

(部屋戻ったら思い切り泣いていいかな……)

 朋喜ともきに鬱陶しいと思われるかもしれないが、我慢できそうもない。

 悠栖は楽し気に電話する唯哉の邪魔をしないよう踵を返し部屋を出て行こうとした。

 しかし、ドアノブに手を伸ばしたその時、「待て待て待て!」と背後から迫る声。唯哉の声だ。

 その慌てた様子に、悠栖はこの場にいることは精神的な拷問だと分かってくれと視線だけで訴える。

 すると唯哉は苦笑を濃くして、「今から全部説明するから、頼むから待ってくれ」と悠栖の肩に頭を預けてきた。

『おい、さっさとスピーカーにしろっ』

 近くなった距離。おかげで電話口から那鳥の声が聞こえる。その横柄な喋り方は相変わらずだった。

 電話の向こうから命令された唯哉は、「今からスピーカーにする」と那鳥に返すと言葉通り携帯をスピーカーモードに切り替えた。

『天野、聞こえるか?』

「! き、聞こえてる、けど……」

 部屋に響く那鳥の声に心臓が痛む。

 それでも自分に寄りかかってくる唯哉のせいで逃げ出すことができないから、悠栖は尻すぼみになりながらも返事をした。

 すると那鳥は『今度会った時に殴られてやるから怒鳴らず聞けよ』と話を切り出した。

 いったい何を話されるのか、悠栖は気が気じゃなかった。

 だが、那鳥が語った話は悠栖の想像を遥かに超えていた。

『この一週間、お前を避けるように汐に指示した。何を言われても冷たくあしらえって指示もした』

「!? えっ……? 何、が……?」

『だから、お前が汐怒らせた日の夜に、俺が良いって言うまでどんなことを言われても、どんな態度をとられても、我慢して許さずに冷たくしろって言ったんだよ』

 この日本語は分かるな? と馬鹿にしたように尋ねてくる那鳥。

 悠栖は全く理解できないと、救いを求めるように唯哉を見上げた。

「ごめん。そういうことなんだ」

「な、なんでっ……。なんでそんな命令聞くんだよ……? いくら好きな奴の言うことでも、こんな命令聞くなんてチカらしくねぇーよっ……」

 そんなに那鳥のことが好きなのかと改めて思い知らされ、打ちのめされる。

 悠栖はまた目頭を熱くする想いに鼻を啜った。

 だが、そんな悠栖に那鳥が突っ込みを入れる。まだそんな勘違いしてんのか? と。

「へ……?」

『天野が何を見てそう思ったのか知らねぇーけど、うしおは俺のことなんてこれっぽっちも眼中にないぞ』

「! そ、そんなこと言ってやるなよっ! チカは姫神の事めちゃくちゃ大事にしてるんだぞっ!?」

『そりゃ大事にしてくれるだろうよ。アドバイザーなんだからな』

 確かに那鳥は同性からの好意に嫌悪感しかないかもしれない。でも大事な親友の好意を無視しないでやってくれ。

 そう訴える悠栖に那鳥は『平行線だな』と言葉を遮り、唯哉を呼んだ。

『そもそもの間違いを正してくれ。そうじゃないと弁解も説明もできない』

「いや、でも―――」

『安心しろよ。天野が今俺にぎゃんぎゃん噛みついてきてるのはお前が親友だからじゃねーから。そうだよな? 天野』

 唯哉と言葉を交わしていた那鳥の口ぶりはまるで自分の『想い』を知っているようだ。

 悠栖は自分がついさっき自覚した『想い』をどうしてお前が知っているんだと驚き電話口で声を荒げた。

『気付くに決まってるだろうが。自慢じゃないけど俺は人間の妬み嫉みには敏感なんだよ』

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