夾竹桃
おり。
夾竹桃(2025/4/5)
花園は静かではあるが、その存在感は決して、あの
花は嫌い。誰からも愛されるような可愛らしい装いをして、この世に生まれてくる。
人もそうなのかしら。今の私には、そうした仕草が鼻についてしまって、どうも苦手だ。誰かに愛されるには、おべっかを使ったり、おもねるように美辞麗句を並べたりして、騙し騙し生きていかなければならない。そういうのは、自然の愛され方ではなくて、けばけばしく
花は人が持つことのできないものを、その麗質を備えている。花は愛されるべくして愛されるし、そうなるのが当然のように咲き誇っている。人の奮励は花の窈窕たるに如かず。それが妬ましくて、花を見るとき、私は自分の醜さを見ている気分になるのだった。
そう思っていたのに、よく見てみると人を傷つける棘がある、見えないところに人を殺す毒を持っている。私はそういう花のほうが好きだ。
花園に植えられてあった一輪の花を手折ると、指先を棘が引っかいて、ぷっくりした小さな赤い膨らみが、私の指先を伝っていった。
私は自らの身に何が起きたのかを理解できず、呆然としてそれを眺めていた。痛みよりも驚きや動揺が
指先の赤い一雫が、地面に垂れた。土はすぐさま、黒く滲むようにして私の血を吸い込んだ。
私は地面にしゃがみ込み、自身の血液が汚してしまった跡を見た。地面の染みを見ていると、そこに吸い込まれてしまいそうな、何だか妙な気持ちになる。そんな感覚を打ち消そうとして、汚れた地面を手で擦った。
私の指を見て、母親はひどく狼狽した。まるでこの傷が致命傷であるかのような慌てようであった。この母親には、そういうふうに、何でもかんでも大袈裟に捉えて騒ぎ立てる悪癖がある。それは冷静に努めようとしている人間を、もっと不安に陥れてしまう。ずいぶんと傍迷惑な行為を働く人間なのだ。
そんな母をよそに「綺麗な薔薇には棘があるものだ」と兄は笑った。
彼の鈍感な態度は、却って私の気分を落ち着かせた。無論、彼自身はそのような意図はないのだろうが、無神経であることがたまには心の慰みになることもある。
「むやみに触れてはいけないんだ。美しいものだからね」
日を背にした彼の顔は、逆光で黒く照らされる。
なるほど、そういうものなのか、と幼いながらに得心した。綺麗なものは、すぐに摘まれてしまわないように、自らを守る手段を持ち合わせているのだ。何気なく触れてしまうと報復を受けるのは当然だ。
私はこれまで、母の言うような花の良さも、兄の褒める花の美しさも、私へのあてつけのような気がして悔しさばかり感じていた。
けれど、誰かを傷つけるための、そういう性質の花は綺麗だった。それだけには、何の嫉妬も覚えなかった。そんなことを言えば二人は怪訝そうな顔になってしまうに違いないけれど……。
だって、薔薇も、水仙も、夾竹桃も、鈴蘭も、どれも綺麗で魅了されてしまうのだもの。
刃物だって、人を傷つける物だけれども、父はギラギラ光るそれを、大切そうに眺めていた。私は案外、父に似ているのかもしれない。
兄は思い出したように「傷の手当てをしなくては」と母に伝えた。母は鞄の中をまさぐった。彼女は絆創膏を探す仕草でさえ、いちいち艶っぽく振る舞う。動く度毎に嬌声のような咳払いをする。そうするように癖付いているのだった。媚びるような、性のくすぐりのような、下卑た態度だった。私の未発達で不確かな感受性でさえ、それを嫌った。
見つかった絆創膏を指に巻くと、ガーゼの部分に血が染み込んでいくのが分かった。
ふと
花園は、少し
「ねえ、お父さんは?」
私は分かりきった質問を、敢えて兄と母にぶつけた。兄は鼻白む様子で「さあ、向こうのほうにいるんじゃないかな」と無頓着を装って答えた。
父は、母と兄の揃っている場所には、姿を見せないように努めているらしかった。
母も兄も可哀想だった。二人して笑っているときに、父が来ると、ぴったり笑うことを止めて、戸惑ったあげく気まずそうに黙ってしまう。
父が叱るわけではない。二人が笑っているときにだって、
父も可哀想だった。父だって本当は、家族が笑って過ごしている姿を見たいだろう。ただ、一緒になってはしゃぐなんてことが、ちょっぴり気恥ずかしくて、ちょっぴり
格好は
そんな可哀想な家族を見るたびに、自分の中にある侘しさを見つめているような気分になる。私は、母の不貞によって生まれた子供であるから、どうしようもなく、この家族にとっての毒なのだ。
母の後ろめたさは、私のせいだ。
父が精一杯気にしていないように努めても、一緒に笑うことができないのは私のせいだ。
節くれて、歪んで見える父の指。あの掌に撫でられたのはいつのことだろう。私が産まれたときは、そうしてくれただろうか。それっきり、もう金輪際起こり得ないのかもしれない。
母と私が言い争いをするときなんて、「こんなにも意見が合わないなんて、あなたは一体誰に似たのかしら」と、母は大抵これを言いかけて、気がついたように口
兄は、私達の
ごめんなさい、と心の中ではいつも思って、決して口には出さない。それを言えば、兄もいっそう悲しくなる。
謝罪は少しの慰めにもならないで、人をみすぼらしくさせる。父も同様に、母の姦通を咎めず、謝ることすら許さず、ただ一人で泣いていた。
この家族は私のせいで、実に可哀想なのだった。
少しだけ、やりきれない思いがして、指先の傷を見遣った。私の母に似ていない部分は、あの人の性格なのだろうか。私に流れている血のどこかに、私達家族の毒はある。
ときどき、母の言うことにカッとなったり、疎外感に嫌気が差したりして、めちゃくちゃにしたくなる。そんな思いをするのは、とても疲れる。疲れることは、なるたけしたくないけれど、ふとしたときに、身も心もさらけ出して、恥ずかしい思い、耐えられない思い、全部をこの家族にお
今の私を生み出してもらった、累積の所業に少しでも報いたいと思う、それを親孝行というのではないかしら。きっと私は、荊棘にはなれないけれど、毒となって、この家族を彩ることができる。
不道徳によって造られた家族なのだから、そうして一生を
泰然としている家庭も、実を覗けば、緊張の糸が張り詰めているものだ。それらの均衡は、ずっと、ずっと、
夾竹桃 おり。 @user_hyfh2558
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