56.聖女は魔族に餌付けされる

 快適すぎる魔王城の生活に馴染みつつあるクナウティアは、向かいで紅茶を飲むバーベナが皿に乗せてくれたチーズケーキを平らげ、満足そうに微笑む。


 このまま魔族の捕虜の方が、美味しいものが食べられるわ。問題があるとすれば、家族や親友と会えないことくらいだろう。それも頼んだら、何とかなるかもしれない。


 どこまでも箱入りの世間知らずは、無邪気にそんなことを考えた。こんなに美味しい料理を作って振る舞ってくれる親切な人達は他にいない。神殿では縛られたり意地悪されたし、王子も家に帰るのを邪魔した。


 もう魔族の一員にしてもらった方が幸せじゃないかしら。聖女とは思えない思考を、空で女神は腹を抱えて笑いながら、眦に滲んだ涙を拭う。どうしよう、この子面白過ぎるわ。もう少し加護を多めに与えておこう。


 小さな親切大きなお世話――女神ネメシアに選ばれた時点で宿った加護を、さらに重ねていくつも与えられることを、クナウティアは知らない。いつの間にか治癒魔法を得て、浄化の魔法も、それ以外の魔法も使える大量の魔力が宿ったことも、幼い外見の少女は気づかなかった。


 最近身体の調子がいいわ、程度の軽い気持ちで受け止める。それすら女神の興を増す要因だった。


「ねえ、バーベナさん」


「呼び捨てで構いません」


 にっこり笑ってくれたので、嫌われていないと安堵しながらクナウティアは、言葉を選んでお願いしてみた。


「頭の上にある猫のお耳を撫でてみたいの」


「これ、ですか?」


 ぴくぴくと耳が動くのを見つめながら、うっとりと頷く。小動物が大好きなクナウティアは、猫も犬も分け隔てなく接する。目の前に魅惑の猫耳があれば、それは撫でてみたいと口にした。


「いいですよ」


 身体の一部に勝手に触れるのは不躾で失礼な行為だと母に教わっているから、ちゃんと尋ねて許可を得るのは礼儀だと思う。バーベナの許可が出たことで、立ち上がったクナウティアは近づいた。距離を詰めてみると、ふわふわの毛が覆う猫耳は彼女の髪の間から生えているのが分かる。


 おそるおそる手を伸ばし、そっと触れた。途端にブルブルッと耳は大きく揺れる。慌てて手を離すが、バーベナは笑っていた。


「擽ったいので、もっとしっかり触ってください」


 毛の先端を触るような動きが擽ったい。バーベナは肉球のある手で、クナウティアの手を取った。人間は魔族に触れられることを嫌うが、クナウティアは自分から握手を求める人なので大丈夫だろう。


 バーベナは握った彼女の手を、自分の頭の上に押し付けた。不思議な感じがする。温かいような、どこか柔らかい感じの手が耳の付け根を優しく撫でて、耳の先まで抜けていった。


「すごいわ! 可愛いし、綺麗。私にも生えないかしら」


 心底羨ましいと息を吐いて、クナウティアは席に戻った。触らせてくれた礼を言った口で、そのままケーキをもう1切れ頼む。即物的で素直な感情表現は、魔族にとって好ましい。バーベナが切り分けたケーキに檸檬ジャムを多めに乗せて、クナウティアは甘酸っぱい菓子を頬張った。

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