34.麗しき兄妹愛は空振りに
クナウティアは初めての正装が苦しくて、吐きそうだった。早朝からメイド達に顔に何か塗りたくられ、目を開けるなだの、逆に開けてあっちを見ろだの、指示されるまま従う。準備が終わったのかと思えば、内臓が出るかと心配になる程コルセットで締め上げられ、正装のマナーだと下着を取り上げられた。
意味がわからないまま高そうなドレスを被り、後ろから紐で締め上げて着せられていく。すべてが終わったとき、クナウティアは鏡の中の自分を見て「まあ綺麗」と思うより先に「もう、吐きそう」と呟いた。
美しいと褒めてくれるアルカンサス辺境伯に一礼し、兄セージの手で馬車に乗せられた。前回王都へ向かったのは聖女選定のためだが、あの日の荷馬車とは雲泥の差だった。王族の馬車に匹敵するクッションが積まれた車内で、必死に姿勢を正す。
「どうしたんだ? 顔色が青いぞ、ティア」
「お兄様、吐きそう」
両手で口元を押さえる。こみ上げる酸っぱい胃液をなんとか堪え、手のひらを見ると赤がついていた。
どうしよう、血を吐いたの? 心配させてしまう。咄嗟にドレスの袖の内側で、クナウティアは口紅を拭き取った。幸いにして薔薇色のドレスなので、赤は目立ちにくい。焦るクナウティアを見て、セージは疑惑を深めた。
父と妹は何か隠している――聖女選定の夜、馬で夜道を駆け抜けた父は、なぜ朝になって帰宅したのか。どこに泊まったか答えない2人の姿に、セージは違和感があった。
「うっ、に、さま……」
我慢できないと訴えるクナウティアに、慌てて馬車の御者に合図する。止まった馬車から降りたクナウティアは、茂みの前で嘔吐く。苦しさで滲む涙を拭おうとした聖女に、侍女が駆け寄った。背の編み紐を緩めようとして、セージを振り返る。
「男性は離れてください」
「兄でもダメか?」
「聖女様は陛下になるお方。ご理解ください」
「あ、ああ」
よろよろとセージはその場を離れた。血の繋がった妹が、突然、国王と並んで「陛下」と呼ばれる存在になる。突きつけられた事実にショックを受けたのだと、侍女や護衛の騎士は理解した。
足取り怪しく馬車に寄りかかり、セージは天を仰ぐ。なんということだ。クナウティアは誰かに襲われ……孕まされたのか。まだあどけない少女であるというのに。陛下になるなら、相手は上位の王族だろう。クナウティアは王太子と一緒の馬車に乗った、と言っていた。
美しく優しい自慢の妹だ。傷モノにされたとしても、見限ることはない。聖女に選ばれた神々しい姿に、手を出したのが王太子でも斬り捨てる! まだ幼い外見のクナウティアの背を、侍女が摩っている。
子が出来ると、女性は
こんなに早く悪阻は来ない。当たり前の認識が、セージには欠けていた。ましてや子供ができる行為の痕跡もなかったのだが、混乱した彼が気づくはずもない。
涙を滲ませた兄セージの姿に、騎士達はもらい泣きしそうになっていた。兄弟姉妹のある者は、己の大切な家族が手の届かない存在になる痛みを、我がことのように想像する。魔王を倒すため、命がけの旅に出る幼げな妹を心配するセージに同情した。
「くそっ」
吐き捨てたセージヘ騎士が一人歩み寄り、同情も露わに肩を叩いた。
「(聖女の護衛になるなら、推薦など)協力させてくれ」
孕ませた男を惨殺する協力なら要らない。自分一人で成し遂げてみせる。
「お気持ちだけで。(王族に斬りかかるなら)俺は自分の力で(復讐を)やり遂げます」
このすれ違いは、男の友情を示す名場面だった。何も知らないのは、それだけで素晴らしい。退屈が嫌いな女神は、目を細めて地上を見下ろした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます