かつての帰る場所
この世界は過去に滅びている。魔人と恐れられた存在が残した宝典魔術により、豊かな自然も栄えた街も例外なく焦土と化した。
人口はどれだけ減ったかわからない。ほんの一部を復興させるだけで事足りるほど、生存者は少なかった。
それが各地の瓦礫の山が片付けられない理由。撤去作業にかける費用も時間もない以上に、実行に移すだけの価値がないからだ。
慧の住んでいたフリーフロムのアジトも、復興の対象外となった地域の一角にあった。滅ぶ前は小さな会社のビルだったと思しき建物。それが、昨日までの彼にとって帰るべき場所だった。
屋上付きの三階建て、とだけ言えば魅力的な物件だ。
しかし電気も水道もない。多くある廃ビルからそこをアジトに選んだのは、下水道が建物のすぐ下に通っているからだ。慧は昔、藤沢からそう聞かされた。有事の際に脱出路になると。彼の思惑は見事に奏功した。
残骸が続くだけの景色。まさかその廃墟のどこかに人が住んでいるとは思わない。
人が寄りつかないということは、誰かに感知される心配もないということ。だからアジトには廃墟を選ぶ。それもまた、慧が藤沢から聞いた話だ。
車がアジト付近の道路脇に停まった。慧がドアを開けて外に出る。遅れて悠司と鏡花も降りて、アジトに目をやった。
燃えるような茜色の夕日を背景に、廃ビルは佇立する。辺りの瓦礫も紅い色を浴びて、まるで一面が火の海に沈んでいるかのように錯覚した。
すでに炎上して、燃えきった跡だというのに。
「滅亡から奇跡的に残った建物か。かろうじて原形を留めてるけど、戦禍の傷跡は
悠司は物珍しそうに、アジトの傷んだ壁面を観察する。
「おかげで脱退するきっかけになった。感謝している」
「やめたまえ。戦いの前に青臭い感情を吐き出すなんて縁起でもない」
「そういうつもりじゃなかったが……そうかもしれんな。変なことをいった」
「それでいい。まぁ、ちょっと大変なことが起きるかもしれないけど、私と鏡花もついてる。なんとかなるし、なんとかしてあげるよ」
いつもの軽い調子で気楽に告げる。悠司はイヤホンマイクを取り出して片耳に装着した。
鏡花も同様に、手慣れた動作で機器を耳に取り付ける。
「さぁ、慧くんも付けておきたまえ。他の者の侵入は許さないが、連絡手段を用意するなとはいわれてないからね」
「あまり刺激しないほうが良いと思うが」
「躊躇するなら、言い方を変えよう。君がフリーフロム側に我々の情報を流さないか心配だから、付けておいてもらえないかな」
「俺がスパイだと疑ってるのか?」
「疑ってないよ?」
緊張する慧を茶化したのだ。慧は反応に困り、悠司は満足そうに微笑む。
「こう言ったら付けておくしかないでしょ? 安心してくれ。敵が暴走しても、昼のような悲劇は起きない。我々の雇い主である警察だって無能じゃないからね。
「……やりづらい男だ」
観念して、慧はイヤホンマイクの電源を入れた。
通話中を示すランプが点灯する。
しかし耳には装着しない。元あった胸ポケットにしまった。
「ただし電源だけだ。余計な雑音は集中の阻害になる。わるいが、こちらの音声を聞けるだけにしておく。俺と阿久津の会話を聞きたいだけなら、事足りるだろ?」
「充分だよ。慧くんの邪魔をしては本末転倒だからね」
要望に折り合いをつけ、慧は二本の刀を腰の両端に差した。
彼はふたりに背を向ける。
「上倉くん」
感覚を引き締めようとする直前、名前を呼ばれ後ろに首を回す。
移動中の車内では一言も発しなかった鏡花が、場違いな明るい表情をしていた。
「安心してください。なにかあれば、私が助けに行きますからね」
「万が一のことがあったら、そのときは後始末を頼む」
彼の言葉に込められていたのは、願い。もしここで命を落としたら、目的を代わりに果たしてほしいという願いだ。命を失ってでも叶えたいから、慧は鏡花に託した。
もちろん、それは自分の手で叶えるべきとも知っている。慧としても〝万が一〟を招くつもりは毛頭ない。
ただ、生きて戻れる保障だってどこにもない。だから保険をかけておきたかったのだ。
慧は彼女の返答を待たない。異論がないことが、彼女の意思と判断した。
鏡花の気遣いに感謝を述べたかったが、いまはやめておいた。
◆
扉のない正面の入口から慧はアジトに侵入した。まずは周りを見回す。
玄関を兼ねる広間に人の気配はない。廃墟らしい深閑とした埃っぽい空気が流れている。床には生活ゴミが散乱したままで、いい加減に配置された調度品も撤去されずに残っていた。部屋の隅には散乱した本の山。慧がよく座っていた場所だ。
目に映る全てに価値がない……とは思えなかった。
ろくでもない生活だったが、悪いことばかりでもない。
慧は深く息を吸った。埃の臭いを感じる。
記憶を遡るように、彼はゆっくりと瞼を閉じた。
「十年か」
生きてきた年数の半分以上を、犯罪組織の一員として過ごしてきた。
強盗に殺人。振り返れば、本意ではないにしろ、彼は様々な悪事に加担してきた。命を差し出しても許される行為ではない。
これまでも慧にとっては耐え難きに耐える苦難の日々だった。
これから先は償いのため、より困難な試練に挑まなければならない。
けれども、それは彼の望んだ生活。望まぬ悪行を重ねるだけの時間は終わったのだ。
閉じた瞼の裏に、共に過ごしたフリーフロムの面々の幻影が現れては消えていく。
治安維持組織だった頃から藤沢についてきた連中は、絶対的な悪ではない。
みんな、生きたいだけなのだ。
正しい行いだけでは構成員を養っていけないと判断した藤沢は、他人から奪う方法を選んだ。守られるだけで好き勝手に生きる一般市民が、彼にとっては悪人と同じくらいに憎かった。
それでいて不幸な人々を拾っては組織に加入させるから、必要な費用が跳ね上がる。解消には、悪事を激化せざるを得なかった。
阿久津も千奈美も、何が悪事かわかっている。全て承知したうえで、藤沢の意志に従っているのだ。
最後に現れた幻影は、薄汚れた服を着た少女。
慧が初めて会ったときの千奈美だ。
幼い千奈美に敵意はなく、口元に微笑みがあった。懐かしい顔だ。慧は自分の守りたいものを再認識する。
幻である彼女に手を伸ばしても意味はない。
手を握ってやる代わりに、慧も少女と同じように口元を緩めてみせた。
幻影が、空気に溶けるように消えた。
落ち着いた心。ゆっくりと、慧は瞼を開いた。
「――やるか」
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