第五章 マーブルの風(7)
こうして、憎しみの連鎖が幕をあけた。たやすく断ち切られることなく、綿々と鎖がつながって、今ここで、ヒースの腕にからみついている。彼は震える膝を折り、その場にうずくまっていった。
モーリスは難しい顔で、顎髭を撫でた。
「なるほど……だからヒースクリフは王家の血筋を引いていて、黒魔法も使えるのだな」
褒めるようにタスクの肩をぽんと叩き、モーリスは苦渋の顔で頷いた。
「……兄があれからしばらく生きて、忘れ形見までいるとは驚いた。目許がよく似ているよ、ヒースクリフ。君の辛さはわかった。生まれたときから不自由な生活で、さぞかし苦労したことだろう」
「おまえに何がわかる……!」
ヒースは逆上していたが、身体ががたがたと震えて、呪文の詠唱も中断しているのが分かった。
イザベラは後ろから忍び寄って、隙だらけのヒースの腕から貝の腕輪を掴んだ。腕輪はすでに強大な魔法をためて、火に素手で触るような熱さを帯びていたが、かまわずに手づかみで奪い取った。
「イザベラああああ!」
ヒースが気づいて叫ぶが、バランスを崩して膝をついた。
イザベラは腕輪を足で踏みつけにして、焼け石のようなそれを砕いた。
「さあ、もうこれでおしまいよ! おとなしく捕まりなさい、ヒースクリフ!」
ちょうど、その折。
ようやく常備兵たちが大勢で踏み込んできた。
ヒースの身柄は、あっけなく拘束された。
壊れた腕輪の欠片に気付いて、タスクがそろそろと近づいてきた。傍にかがみこむ。
「姉上、せっかく作ったのに、僕のプレゼントを容赦なく壊さないでよ……」
「悪いわね。でもこれは、存在しないほうがいい危険な道具なの」
「まあ、そうだけど。少しは役に立ったでしょ?」
「全然役に立たなかったわ。来年はもっとマシなプレゼントをちょうだいな、タスク」
「もう来年の催促なの! その前に僕の誕生日は?」
「おほほほほほ。おまえの十五歳の誕生日には、我が国の伝統行事、『森に置き去り』の贈り物をあげるわね」
「いいよもう……」
姉弟が久しぶりに気の置けない会話をしている最中に、空中に渦巻くマーブルの魔力が、ゆっくりと霧散していった。
***
気を緩めすぎて身体が溶けるのではないかというほどに眠りこけて、身体を洗い、ごはんを食べてまたベッドに入り、眠った。
ジョセフィーヌとステファニーが、新しいハンカチーフをたくさん縫って用意してくれていた。専用の三段チェストまで持ち込んで、きれいに折りたたんで収納していた。
「姫さまがいつ帰ってきてもいいように、ふたりで夜なべして作ったんです」
戦うメイドたちは、ハンカチで目元をぬぐいながら告げた。
イザベラは棚を引きあけて中身を見て、真顔で返した。
「ありがとう。でも、こんなにいらないわよ……」
着心地のいい部屋着に袖を通し、肩にショールをかけて、イザベラは展望室にのぼった。
傷ついてふさがった心に、夜の闇は、優しく寄り添ってきた。
ここは、すべてのはじまり。
誕生日の夜に落ちたこの場所で、ひとりで、星を眺めた。
後ろから物音がして、振り返る。
寝間着にガウンを羽織ったモーリスが、深々と頭を下げていた。
「イザベラ。私はおまえに、なんと謝ったらいいのかわからない。でも、謝るしかない。すまなかった。私もプリエガーレたちと同じく、なにかに洗脳されていたような気がする……」
風を含んで、イザベラの丈の長いスカートが、パラソルのようにふわりと広がった。
「おまえはこの国を滅ぼすどころか、この国を救ってくれた。とんだ女傑、英雄だな。ありがとう」
イザベラは父の物言いを、鼻で笑い飛ばした。
「英雄だなんて、なりたくもないわね。だってあたし、戦いは嫌いよ。もうまっぴらごめんだわ。思い切りおしゃれして、美人だってチヤホヤされるほうがよっぽどいい」
モーリスは顔を上げ、目を細めた。
「おまえは、このランプフィルドを……嫌いになったのではないか?」
「そんなことない。あたし、この国が好きよ」
イザベラは大きく伸びをして、磯の香りを胸いっぱいに吸い込んだ。
離れてみて、よくわかった。
この懐かしき故郷。生まれ育った場所を、どんなにこの国を、愛しているのか。
「きっとあたし、立派な女王になる。みんなが笑顔でいられる国にしてみせるわ」
きれいもきたないも、幸福も身を切るような痛みも。すべてふくめて、楽しくて、高笑いがおなかの底から溢れかえるような愉快な日々だった。
それは、いじわるでわがままなイザベラにとって初めての冒険。
すんなり大人になっていたら、決して味わえなかった旨味だ。
ヒースと、ルララと、ネロと。仲間たちと相反しながらも同じ目標を持って、いっしょに紡いだ物語。すべてが大切な宝物だ。
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