第二十九夜 暴力
双葉はその男に、
「オリエンテーリングをやってるんです」
と答えた。
「オリエンテーリング?なんだそれ」
馴れ馴れしく声をかけてきた、二十代から三十代前半の年齢に見えるその男は、ぶっきら棒にそう言った。
「地図を見ながら、決められた場所にあるポストに書かれた記号を書いて早く回ったチームが勝ちっていうゲームみたいなやつです」
双葉は律儀に説明する。
「ふーん、そうなんだ。それよりおじさんとちょっと楽しい事しねえか?橋の下に秘密基地があるからさ」
これ、ヤバいやつだ。
学校で教わった「いかのおすし✴︎」案件じゃねえのか?
「いやです。行きません。僕たち優勝目指してるんで時間がもったいないです」
俺はそう答えた双葉は馬鹿だと思った。
案の定、男の表情が変わった。
馬鹿にしたような笑い顔が消えて、怒気を含んだ表情になった。
「優勝とかなんとか、お前たちに選択肢なんてねえんだよ。お前ら。ちょっとこっち来い」
「いいえ、行けません。僕たち、知らない人にはついて行けないんです」俺は怖かったけど、勇気を振り絞ってそう言った。
「何言ってんだよ。俺たちはもう知り合いだ。知らない人じゃない」
またヘラヘラした顔に戻って屁理屈を捏ねる男。
「おい、みんな!いいから行こうぜ?」
双葉がみんなを男を無視するように促したのを見て男は本当の牙を剥きはじめた。
「四の五の言ってんじゃねえ!いいからこっちこい!」
男は一番近くに居た奈央の手首を掴んで引っ張って行き相楽橋のたもとに続く階段を降りはじめた。
「やめろよ!何してんだよ!嫌がってるじゃないか!」
雄二が止めようとしが、呆気なく男に蹴倒されてしまった。
「うっ、うっ、」
雄二は苦しそうに腹を抱えて倒れたままだ。
これはやばい状況になった。
近くには先生は居ない。大声をあげようにも周りに民家はなく、車はまったく通らない。
「いやーっ!やめて!助けて!」
頭の中で色々考えているうちに男は奈央を連れてどんどん階段を下っていた。
奈央の悲鳴が俺たちの緊張を極限まで高めた。
「おい、止めろよ!待てよ!」
今度は双葉と俺が二人で男に喰らい付いた。
男の太く浅黒い腕は見かけだけでなく、相当に鍛えられているようで、俺たち二人も平手打ちされ倒されてしまった。
麻里奈はへたり込んで泣いている。
香織は倒された雄二に付き添っていた。
本当にやばい。奈央に何かあったら大変だ。そして考えある最悪の状況になった。
男は相楽橋のたもとまで奈央を連れていくと、
「さあ、ママゴトでもすっか?お嬢ちゃん。何か俺に作ってくれよ」
と腰をかがめて奈央の顔を覗き込むように言った。
ママゴトなんてこいつが本当に望むわけもない。俺たちはこいつに殺される。
俺の膝は震えている。恐怖にこれほど支配されたのは生まれて初めてだ。
そして男を前にして奈緒は硬直して声も出ない。
俺と双葉はまだ動けた。なんとか川原まで降りると男に向かって石を投げた。
「この野郎!奈央から離れろ!変態野郎!」
男に石は当たらなかったが、男を苛立たせるには十分だった。
「こら、お前らから殺してやるよ」
男は俺たちに向かってきた。
「奈央ーっ!今のうちだ!逃げろ!」
俺は叫んだ。
しかし奈央は完全に恐怖で足がすくんで動けないで震えている。
「何やってんだ!奈央!逃げるんだ!」
双葉も叫ぶ。
そうしている間にも男は俺たちに近づいて来ている。
俺はその時、妙に落ち着いていた。景色がスローモーションのように見えていた。階段の上には麻里奈がまだへたり込んで泣いている。雄二は階段の途中で腹を抱えてまだ倒れている。
しかし、香織がいない。
振り向くと、双葉が男に首を絞められていた。俺は我に返った。
「やめろ!」と俺が叫んだ刹那、背後から忍び寄った香織がどこからか金属バットを拾って男の頭を痛打したのだ。
「おっ?おおぉお、…」
声にならない声を出して男はバットで殴られてもなお動き続けているが、三半規管をやられたのか、まともには歩けないようだ。
「この…クソガキ…」
今度は香織を追いかけ始めた。
しかし男の耳から血が流れている。男もまともな状態ではない。
しかし、いつの間にか川を後ろに背負って逃げ場がなくなり香織は金属バットを構えて男を迎え討とうとしている。
手負いの大人を舐めてはいけない。
「香織!いいから逃げろ!」
俺は怒鳴ったが、香織は観念したようにギュッと目を瞑ってしまった。
すると、双葉が猛然と斜め後ろから突進して、男を川に突き落とした。
派手な音を立てて、男は川に落ちた。
この辺は川幅はそれ程広くないものの水深がそこそこあり水量は多かった。男は頭を殴られていたため、岸に上がるのもままならず、浮き沈みしながら流されて行った。
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