【6章】なかなか第1話が終わらない

45.すべての真相3&初めての告白

 ゲーム世界の萩乃は、中学と高校の部活動で剣道をやっていた。高校三年の日本インターハイでは準々決勝まで進み、そこで惜しくも敗退。世界大会には出場できなかったものの、高校女子日本ベストエイトの実力は並ではない。

 そんな萩乃の握る竹刀とくらべれば、果物ナイフなど尺がないのも同じ。しかも後方支援役の正男による攻撃で、敵は少なからず動きを鈍らされるそうだ。

 たとえ鬼だろうと、真正面から向き合い、面を打ち込むことなど萩乃なら容易にできるはず。


(わたくし、しっかりできますかしら?)


 萩乃にとっての敵は鬼ではない。自身の心にいるとの戦いになるだろう。


「おや、どうかしたのかい?」

「いいえ。どうもしませんわ」

「それならよいが……」


 今は夕食の席にいて、ゲームの進行状況について話している最中だ。対面に座っている兄が、少し心配そうな眼差しを向けてきている。

 それで萩乃は話題を変えることにする。気になることがあるから。


「大森くんは、ご自分を幽霊でサイボーグだとおっしゃいましたわ。殺されても故障しても、またボディ交換で生き還れるのです」

「そうか。なかなか便利な身体だな」

「でも、わたくしの大森くんのゲームの中に、いつもそんなに都合よく『大森くんボーグ』があって、そこにわたくしの夢で会う彼とが転移できるものかしら? そのことが、わたくし不思議に思えてなりませんわ」


 たとえ夢遊テレポ能力者であっても、自分の見たい夢を自在に見ることなど、できっこない。行きたい世界の望み通りの時空点に、100%の確率で瞬間移動できたりはしない。なのに、に限っては、必ず萩乃のゲーム内に現れてくるのだ。なんらかの科学的根拠があるはず。

 それを萩乃は正しく理解しておきたいと思っている。知らないほうがよい事柄も、世界には星の数ほどある。それでも知識を求める気持ちは抑えられない。


「知りたいかい?」

「はい」

「では、話すことにしよう」


 兄は包み隠さずすべての真相を明かすつもりでいるらしい。

 先日桜に教えた内容を、萩乃にも丁寧に話してくれた。


「実在する世界は大きく分けて二種類がある。一つは有理的ラショナル世界ワールド。もう一つは無理的イラショナル世界ワールド。数学で習う実数に例えると、前者が有理数、後者が無理数に該当している。わかるかい?」

「はい」

「そうかそうか。では、萩乃のゲーム世界を有理数の0だとしよう。そして、大森くんボーグの存在する無理的世界は、mを自然数として、10のm乗分のπパイだとする。これは無理数なのだが、mをどんどん限りなく大きくすればどうなるか?」

「限りなく0に近づきますわ」

「正解だよ。そうやって、可算無限世界帯域の外から、萩乃のゲーム世界に影響を与える。本来なら存在していなかった大森くんボーグの存在確率を限りなく100%に近づける。それが、気づかれずにセキュリティーホールを破る方法なのだよ。あははは」

「少し難しいですわ」

「うん。まあ萩乃は気にしなくていいよ。アステロイドゲームスでも、まだ誰一人として知らない高度な技術だからな。そうだろ?」

「はい。お兄様」


 この真相を知ったのは、今のところ全世界で四人だけだ。


 ∞ ∞ ∞


 今日は改元日である。つまり大正元年五月一日だ。

 現在では地球上のほとんどの国と地域が、日本の元号を採用している。西暦は、もはや使う人間が1%未満に減ってしまった、過去の年代記法なのだ。

 そういう世界的に特別な日であっても、ここ第一帝国大学は休みにならず、すべてが通常通りに動いている。

 午後三時の少し前。ここは工学部の第四講義室で、これから複素関数論の講義がある。

 萩乃は着席している。左隣に今日は春風が座っている。その左に通路を挟んで正男がいて、彼の左は今日もまた空席だ。

 身体のすぐ近くに、なにか威圧的な感じを受けたので反射的に右横を向く。

 見ると、狭い通路に体格のよい長身男子が立っている。出席ナンバー27の野馬形金太郎だ。

 この者は、オニサピエンスに属する人間で、キレると鬼化する危険性を持っている厄介な存在である。


「あら野馬形さん。こんにちは」

「う、うん……こんにちは。猪野さん、元気してた?」

「はい。お陰様で」

「そうか、よかった。うん、あの先週は林檎をありがとう」

「どういたしまして」


 単にお礼の言葉を伝えにきただけだろう。これなら問題なさそうだ。

 オニサピエンスではあっても、普段は温和な青年なのだ。


「あのあと、嬉しくて、皮も剥かずに丸ごと食べちゃったよ。なはは、なはなは」

「お味はいかがでしたか?」

「世界のアップルのどれよりもうまかったよ。ほどよい甘酸っぱさでね」

「ふふ。それはよかったですこと」

「あの林檎の甘酸っぱさは、ただ津軽産の明治百三十六年ものの持つ、素晴らしい味覚によるものだけでなく、僕の胸に萌えいづるキミへの淡い想いだと感じてしまってね。だから、僕は、決心したんだ!」

「まあ?」

「猪野萩乃さん、好きだ! 僕とつき合ってください、お願いします!」

「あらあら、どうしましょう……」


 これが萩乃にとって生まれて初めて経験する、男子からの告白だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る