少年は喜びを噛み締める

 部屋に入り、僕の方を見たエミリーは瞳を大きく見開くとその手に持っていた綺麗な花束を床に落とし、口を押えた。その大きな瞳は潤い、目端には薄っすらと涙が浮かんでいる。


「エミ、リー……?」


 僕が名前を呼ぶと、エミリーはベッドに駆け寄り、僕の胸に飛び込んできた。勢いよく飛び込んできたため僕の身体はそのままベッドに押し倒される。


「ちょっ!? ちょっとエミリーさん!?」


 僕はいきなりのことに驚きながらもエミリーに突然抱き着かれたことに対し、嬉しさや恥ずかしさなど様々な感情が入り混じり、声を上ずらせてしまう。抱き着かれたエミリーからはとても甘い匂いが鼻孔びこうくすぐり、触れている部分からは女子特有の柔らかさが伝わってくるためどうしても意識してしまう。


 しかし、その様子を見ていつものエミリーではないと感じた。

 胸元で僕に抱き着くエミリーは嗚咽おえつを漏らしながら涙を流している。僕はどうしていいか分からず、エミリーのシルクのような手触りの亜麻色の髪を撫でた。

 しばらくそうしていると、目を涙で腫らしたエミリーが僕の胸から顔を上げた。


「ごめん、なさい、ジン君。私が起きたら、ジン君とグレイが凄い大怪我をしてベッドで寝てて、それで、私心配で心配で……」

「僕のせいで心配かけてごめん。でも、エミリーが無事で良かった」


 そう言って笑いかけると、エミリーは僕の胸を軽く叩き、再び顔を僕の胸にうずめた。


「私はジン君やグレイに傷付いて欲しくありません……。私のために二人共無茶をしたんですよね?」

「……」


 エミリーを助けたい、その一心だった。だから僕はエミリーの気持ちを考えていなかったのかもしれない。

 僕は、一度もエミリーがどう思うかなんて考えもしなかった。


「でも――」


 俯いた僕の頭を何かが優しく包み込んだ。柔らかくて、暖かくて、甘い香りがして、心がとても安らぐ。

 すぐにエミリーが僕の頭を胸に抱きかかえているのだと気づくが、その時は恥ずかしさや緊張は感じず、ただただこの気持ちよさを享受したいと思った。


「ありがとうございます、ジン君。二人が私のために傷付いたことはすっごく嫌ですけど、でも、それ以上に二人が私のために頑張ってくれたことがすっごく嬉しいです」


 優しく囁きかけるようにエミリーが僕の耳元で語り掛けると、そっと抱擁が解かれ、僕の頭は解放された。少し名残惜しさを感じながらも僕は笑みを浮かべた。


「エミリーの方はもう大丈夫なの?」

「はい、ジン君とグレイのおかげで私はすっかり元気になりました。グレイの方も元気になったので心配しなくていいです。一昨日に目が覚めて、昨日から身体が鈍ると言って外で身体を動かしてますよ」

「ははっ、確かにグレイなら言いそうだなあ」


 容易に想像できる光景を思い浮べていると、不意にドアがノックされ、侍女のお姉さんが部屋の中に入ってきた。


「エミリア様とのお話が終わり次第ジン様を呼ぶように陛下より仰せつかって参りました。ジン様、今よろしいでしょうか?」

「はい。それじゃあエミリーまた後で」

「はい、行ってらっしゃい、ジン君」


 なんだか新婚夫婦みたいだなあと妄想を膨らませそうになるが、頭を振ってそれを掻き消すと侍女に連れられ、執務室へと案内された。

 扉を三回軽く叩き、部屋の中へと入ると椅子に座ったツヴァイ様が笑顔で出迎えてくれた。


「やあジン君。エミリーと楽しく話していただろうに、邪魔してごめんね」

「い、いえ、そんなことは……」

「あははっ、そんなに畏まらなくても大丈夫だよ。ここには僕と君しかいないんだしね」


 ツヴァイ様は「さて、」と一息つくと、執務室の中で待機していた侍女に目配せをし、部屋の中から退出させた。

 僅かな沈黙が生まれ、ツヴァイ様がいつの間にかテーブルの上に用意されていた紅茶を手に取り、軽く口をつけると、そっとソーサーに容器を戻す。


「それじゃあ本題に入ろうか。これから話すのはジン君に対する褒章についてだ」

「褒章……ですか?」

「うん、褒章。簡単に説明すれば何か凄いことをした人に対して国から勲章を与えたりすることかな。今回ジン君は我がヴェラムエイジ王国の王女、エミリア・フォン・ヴェラムエイジの命を救った英雄という扱いになるんだよ」


 英雄という言葉にむず痒さを覚えていると、苦々しい表情を浮かべてツヴァイ様が続けた。


「でもね、ジン君が今回やったことは捉え方によっては反逆罪にも問われるものなんだ」

「え?」


 予想もしていなかったキーワードが出てきたことで思わず声を漏らしてしまう。反逆罪、それはあまりこの国の法律について理解していなくても、重い罪だと分かる程のものだ。


「ジン君はエミリーを助けるためにグレイの、第三王子グレイ・フォン・ヴェラムエイジの助力を借りたね。そして、迷宮ダンジョンの中でグレイは瀕死の重傷を負った。それはつまり、一歩間違えれば王子を殺していたかもしれないということになってしまうんだ」

「……」

「勿論僕やグレイ、エミリーは君にそんな気が無かったことは理解してる。でもね、褒章を与えるとなった場合、それをよく思わない貴族達も大勢いるんだ。そういった君のことを良く思っていない貴族達はそうやって君にとって不利益となることを平然と公言するだろう」


 つまり、僕がエミリーのためにした行動は褒章を与える程のものであるが、僕が褒章を貰うことを良しとしない貴族達によって僕が反逆罪に問われる可能性がある、そういうことだろう。

 僕は笑みを浮かべた。


「あの……ツヴァイ様、僕に褒章なんて必要ありません。僕は、僕がエミリーを助けたいと思ったから行動しただけです。こうしてエミリーが無事であったのなら、それが僕にとっての報酬です」

「ジン君……。そうか……君がそう言うのなら。でも、公にして褒章を与えることを出来ないけど、君にはきっちりと御礼をさせてもらうよ。僕の可愛い娘の命を助けてくれたんだからね。ジン君は何か欲しいものはあるかい?」

「欲しいもの、ですか……」


 そういう風に聞かれると困ってしまう。僕は両親に誕生日プレゼントに何が欲しいか聞かれる時も凄く悩んでしまうのだ。

 何か欲しいものがないかと考えていると一つ思いついた。


「その……純粋にお金が欲しいです」

「お金、かい?」

「はい、いつまでもこうして王城に居座る訳にもいきませんから。そのためのお金をツヴァイ様に出してもらうというのは可笑しな話かもしれませんけど」

「ははっ、分かったよ。それじゃあジン君への報酬は白金貨十枚にしよう」


 白金貨は確か一枚が十万コルになる。それで、一コルの価値が日本円でいうところの百円相当だから、白金貨一枚でおよそ一千万円。つまり……。


「い、一億円っ!?」

「……? イチオクエン? それはなんだい?」

「あっいえ独り言なので気にしないでください。それよりも、白金貨十枚なんて貰えませんよ!」

「ダメだよ、もう決めたんだからね。さあ、それじゃあこれでお話は終わりだよ」


 ツヴァイ様はニコニコと笑みを浮かべながら席を立つと部屋を出て行ってしまった。呆然と僕がその場に座っているといつの間にか部屋の中に入ってきていた執事服を着た老年の男性、アルバートさんが僕の肩に手を置いた。


「何のお話をされていたのかは存じあげませぬが、ツヴァイ陛下はああいう御方です。ジン様もお部屋に戻りましょう」

「……はい」


 僕は肩を落としながら執務室を後とし、用意された部屋へと廊下を歩いていると窓から中庭の様子が垣間見えた。中庭の中心には人影があり、注視するとそれが鍛錬に励むグレイであると分かった。

 まだ目を覚ましてからグレイに会っていなかったと思い、顔を見せるべく中庭へと赴いた。


 ♢♢♢


「グレイ」

「ふっ……。ん? おお! ジンっ! もう怪我は大丈夫なのか?」

「うん、グレイの方こそもう大丈夫なの?」


 グレイの右肩は大きく抉られており、とても数日で完治する傷には見えなかったが、上半身の衣服を身に着けず鍛錬に勤しんでいるグレイの右肩に傷跡は一切見られない。


「ああ、これもアグラエル婆さんのおかげだな」

「アグラエル婆さん……?」

「俺とジンの怪我を治してくれた人だよ。一応俺とかエミリアの、というか親父とかにとっても婆さんだな。だから曽曽曽曽婆さんくらい?」


 曽曽曽曽婆さんって……。果たしてそれだけ長生きできる人間はいるのだろうか。思わず苦笑を浮かべてしまう。


「今度会ったら御礼を言っておくよ」

「おう。じゃあ、俺は鍛錬で掻いた汗を流してくるから」

「うん」


 グレイとその場で別れると中庭に一人、残されてしまった。手持無沙汰になってしまったので、アレクと何か話そうかとアレクの姿を探すが見つからない。

 すると、中庭に一人の女性がやってきた。女性は長いブロンドの髪に海のような深い青色の瞳を持っている。髪の隙間から見える耳は長く、整った顔の造形は人間のものとは思えない。

 僕がその容貌に見惚れていると女性は僕のことを見てクスリと笑みを浮かべた。


「ふふっ、どうやらその様子ならもう大丈夫そうね」

「え?」

「ああ、ごめんなさい。私の名前はアグラエル、一応貴方の怪我を治したのよ?」

「え……。え? ええええええええええええええっ!?」


 アグラエル、それはつい先程グレイから聞いた名前だ。確か曽曽曽曽婆さんとグレイは言っていたがとてもではないがそうは見えない。目の前の女性はどこからどう見ても二十代にしか思えない。


「ふふっ、驚いてるみたいね。確か貴方、ジン、といったわよね?」

「は、はい」

「そう、それじゃあジン、貴方が回復したら聞きたいことがあったの。貴方、どんな戦い方をしたらあんな怪我を負うのかしら?」

「え……?」


 アグラエル様の表情はそれまで通り和やかなものだが、その瞳はこちらの心情を全て見透かしているようで、どこか底冷えするものがあった。


「私は昔よく見たわ、貴方が負ったのと全く同じ怪我を。全身の筋肉と骨が滅茶苦茶に破壊されている状態を、ね」

「……」


 それこそが【狂化バーサーク】の最大のデメリットとも言える。【狂化バーサーク】は使用中のデメリットも大きいが、使用後はさらに酷い。【狂化バーサーク】によって強制的に身体の能力を大幅に超える力を引き出し、それを扱うことによって全身の筋肉と骨が破壊されるのだ。


 ただ、アレク曰くこのデメリットはメリットにもなるらしい。こうして破壊された筋肉と骨は回復するときにより強固で強靭なものになるらしい。


 ただ、この痛みが想像を絶するものなので真似する奴を見たことが無いと言っていたがまさかアレク以外にもいると思っていなかった。


「まあいいわ、ジン、貴方サルフォード学園に入学しなさい」

「え、どうしてですか?」

「あなたのことを治してあげた代金よ。私、サルフォード学園の学園長もやっているのよ、優秀な人材を見つけたからスカウトしてるの」

「えっと……拒否権は……」


 僕が「拒否権はないのしょうか」と、そう聞こうとしたらアグラエル様は無言で笑みを浮かべ返してきた。その笑みには有無を言わせぬ迫力があり、僕は何も言わずに頷いた。


「それじゃあ決まりね、ジン、貴方が学園に来ることを楽しみにしてるわ。それと、貴方のに弟子のことをもっと大切にしなさいと伝えておきなさい」


 それだけ言い残すとアグラエル様は中庭を立ち去ってしまった。彼女が立ち去ったあとに気が付いたが、アグラエル様は師匠に伝えろ、そう言っていたが僕は師匠がいるなんていっていないと思うのだが……。


 まあ、気にしても仕方ないか。


 僕もアグラエル様に続くように中庭を後にし、王城の中へと戻った。陽は沈みかけ、宵の帳が上がり始めている。

 そろそろ夕食の時間だろう。きゅるるとお腹の音が鳴った。

 ここからでも香ばしい香りがはっきりと分かる。僕の足は少しばかり早まった。

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