本番

 次の日、さすがに終業式直前ということもあり満員御礼とまではいかないが体育館は普段の演劇の時よりも倍以上に入っていた。


 PTA観覧演劇はうちの学校の伝統ということもあり、OB・OGを中心に来ている。そんな大事な伝統なら普段やっている演劇にも来てほしいと訴えたいぐらいだ。舞台袖で開演時間まで待っている部員たちに戻ると、一年生たちが不安げな表情をしている。


「なにこの人の数」

「指の本数より多くね」

「私のお母さんも見に来ているよ」


 やはりというか、一年生がびくついている。

 こんな大人数の前で演劇をすることなんてこのPTA観覧演劇か文化祭でしか起きないから、大人数の前で披露するのが初めてである一年生は不安でうまく演技ができなくなるジンクスが毎年発生してしまうのだ。俺が一年の時も、今と同じ現象が起きてしまっていてみんなびくついていた。俺は小さい頃から演劇慣れしていたからそういうことはなかったが、演劇は全体でやるものなのでかなり大問題だ。


「うぉ、来てますね。暇で物好きな人たちが」

「大事なお客さんにそれ聞こえたら、うちの部活しばらく活動禁止になるぞ」

「おっと失礼部長。暖かい五月の演劇に来なかったのに、このクソ暑い中わざわざ来るなんてうちは我慢大会会場じゃないんですよ。見てくださいよあのおじさん。頭から湯気経ってますよ。ゆでだこですよ」


 そういえばもう一人いたな。去年俺たち一年の中でまったく緊張しなかった人間安宅が。


「どれどれ。わっほんとに湯気立ってる」

「ほんと?」

「ちょっと見せて見せて」


 安宅のゆでだこ発言が呼び水となって一年生たちがこっそりと舞台の幕の隙間から覗こうと詰め寄りだした。幸いお客さんの声が大きいこともあって、一年生たちのクスクスとする笑い声はかき消されていた。だがそれを見逃す部長ではない。


「おいおい、お前ら。開演前になだれ込むな、その恰好をお客に見せるな。あと笑うな!」


 部長がまた怒っているよ。大丈夫かこの劇。

 開幕前から混乱をきたしているのを眺めていると、裏方として手伝いに来ている三田が衣装を片手に舞台に上がってくる。


「渡会君、不安?」

「今まさに不安だよ。安宅が」

「でも、一年生たちさっきと違って大人数の人を見て緊張しなくなっているでしょ」


 あっ、たしかに。さっきまで観客を見るだけで不安げな顔をしていた一年生たちが、安宅の言葉一つで緊張がほぐされて観客を意識しなくなっている。


「クリちゃんって、ああ見えて演技がうまいから」

「それは毎度見慣れていることだが」

「普段からなんだよクリちゃんは。私たちが見ているクリちゃんは本当のクリちゃんじゃないかも」


 おい、そんな怖いこと本番前で脅かさないでくれよ。あれが全部演技だなんて、胃がひっくり返るぞ。もし安宅の本性がとんでもないサイコパスだったとちょっと想像すると余計にぞわわっときた。


「はい、最初の工事現場のシーンのヘルメット」

「公演時まで裏方として手伝ってくれてすまないな」

「いいの。自分が手がけた作品だから自分の手でやりたいもの。ところで、まだ開演まで時間があるけど相田さんには会わなくてもいいの?」

 

 三田から投げてきた問いに反応することができなかった。体育館に入る前、校門の前で相田の姿を見かけた時俺は彼女に話しかけることができなかった。昨日部長に、俺が抱いているものは愛なのかという問いに悩んでいた。


 相田のことは支えてやりたい。けどそれが好きだから、というものであるかというと違うと答えてしまう。そんな感情を抱いている手前、どうして彼氏面できるのというのか。

 けどそれを三田に話すことさえ、できない。


「集中を切らしたくなくてな。それに演劇が終わった後で会うようにしているから」

「相田さん声優デビューしたことだし、今回の劇成功させようね。私も裏方として手助けするから」


 ぐっと拳を握ってファイトと応援すると、俺もつられて「三田もファイト」と返した。開演時間まであと数分にせまり、主演である俺と安宅を除いた部員全員が舞台袖に引っ込んでいなくなったタイミングで、こっそりと先ほど一年生が覗いていた幕の隙間から客席を見る。

 体育館の真ん中に位置する生徒用観客席の、ほぼど真ん中。あの特徴的な長い黒髪を持つ相田の姿は、暗く人が多い中でも十分に把握できた。彼女の眼はまっすぐ舞台に向いている。


「おやおや、渡会もゆでだこのおっちゃんを見ているの?」

「俺は一年生たちのように緊張なんかしてないっての」

「へぇ~、相田が来ているというのに緊張しないんですか。さっきから変に憂鬱気味だと思っていたけど、私の気のせいですね。さすが演劇バカ」


 安宅はいつもの調子でニコニコと近寄る。だがその薄っぺらい笑みの下から漏れ出た言葉が明らかに俺を皮肉っていた。俺は、緊張しているわけじゃない。けど演劇だけしか考えない演劇バカでもないんだ!


「まあでも仮に急に台詞が飛んで渡会が無言になったとしても大丈夫ですよ。私が全力アドリブでフォローしますので、途中マネキンと代わってても安心してくださいね」

「お前……本気で怒るからな」

「そんなにやる気があるのなら、あと一分後に始まる公演で解放してくださいよ」


 ビーー!!

 体育館に響く開演時間開始の音が鳴った。女性がアナウンスで劇のタイトルを読み上げると、とっとと安宅は舞台袖に引き込んで逃げてしまった。こんなタイミングよく逃げるとは。もしかして、さっきのは俺の不安を取り除くための演技なのだろうか。


 …………いや、もう考えるのは止めだ。集中集中。 

 練習の時でやったときと同じく、舞台の上座に立ち警戒棒を振って、交通誘導員のバイトをしている桐谷の演技を始める。


 そして、舞台の幕が上がる。


『桐谷君! まさかこんなところで会えるなんて、覚えている? 私、同郷の美紗だよ』

『美紗……美紗か。ひさしぶり』


***


 劇は思ったよりも順調だった。最初の安宅のおどけに一年生だけでなく他の部員たちも影響を受けたらしく、観客席にいるゆでだこおじさん(名前知らないためこの名前で通す)を出る前にちらりと見ると緊張が吐き出るようで、台詞も動きも失敗らしい失敗がない。


『桐谷君にもう一度夢を持たせてほしい。あのままじゃ彼はダメなままになる』

『だけど、俺たちにできることなんてあるのかな』

『あると思う。だって私たち友達じゃない』


 物語も中盤にさしかかり、主人公の火野美紗が桐谷のために奔走するシーンにまで入ってきたが、主役の安宅もムカつくことに相変わらず絶好調。今回の劇は会話主体だから台詞も多く、疲労が溜まりやすいはずなのに最初から最後までおしとやかな少女の役を演じきっている。


「クリちゃん安定してうまいよね」

「去年の観覧演劇もそうだったよ。一年の中で俺と安宅だけはミスもなく完璧だったから」

「渡会君は今の所問題とかない? 万が一のことも考えて、渡会君の脚本を持ちながら裏の方で待機しているけど」

「心配ない。最初もうまく演じきれた。このままでもいけるって」


 三田を心配させないように余裕があるように見せかけたが、客席にいるに動いていたら自分でも驚くほどうまいこと演じていた。主人公の火野の思い人というポジションであるため台詞も多く、動きもかなりある。しかし五月にスランプがあったとは思えないほど俺の体は無駄なく、なめらかに動けていた。


「それならいいけど。でも万が一のこともあるから後ろで控えておくからね。渡会君が大好きな演劇を、彼女の前で失敗なんかさせたくないもの」


 ぎゅっと三田が脚本を握り締めると、次の場面転換のために裏方の人たちの下に下がっていった。


 珍しく「ありがとう」も「サンキュー」という軽い口を返すことができなかった。

 相田のことを見てしまうと、負い目を感じてしまう。今回のことで相田に何も責任はない、これは俺の問題。だけど、時間は俺に考える時間を与えてくれずここまで来てしまった。

 そして時間は俺を待たせてくれない。舞台が暗転し、俺が出る場面に入った。


***


 物語も終局の時。

 夢をあきらめてしまったサッカーを、弱小少年サッカーチームの指導者として進みかけた時、試合の直前でまた逃げてしまった桐谷を火野が高台がある公園へまで追いかけるシーン。この演劇のハイライトともあり、観客がかたずを飲んで見守っている。


『桐谷君。どうして逃げたの。みんな待っているんだよ。まだ間に合うよ』

『…………美紗。俺は、みんなに期待されるほどの人間じゃない』


 必死に戻ってくるように懇願する火野に対して、高台にある柵に持たれかけながら憂鬱気に答える。


 よし、あとはこの場を切り抜けたら、終われる。開演前に安宅に緊張しているのかと聞かれて否定していたが、神経自体は張りつめていた。相田がいることに気が散ってしまうから今回は観客を見ないように舞台の方に注力していた。そのおかげで、より演技に集中できるようになった。


『桐谷君の教えで、みんなサッカーがうまくなったし。指導してくれる人をやっと見つけてくれて感謝しているよ。私。桐谷君がまた頑張っていることをみたいの。だから』

『もう、やめてくれ。たしかにみんなうまくなった。うまくなったさ、だけどプロに通用しない足を持っている人間が指導者だなんて、がっかりするだけだ』


 自暴自棄気味に火野の手を振り払う。相田が教えてくれたように、この桐谷の言葉は嘘が含まれる。みんなに期待されて、それに応えることができない恐怖を抱えている。自分がどんな人間や指導のうまさとか桐谷にとっては重要じゃないとか重要ではない。


『ねえ、怖いの。みんなに期待されるのが』


 期待が恐怖になる。答えることができないことへの恐れ。

 桐谷の内に秘めていた感情が、俺の中にある感情とリンクを始めた。

 違う、これは桐谷の言葉だ。俺への言葉じゃない。これは演技だ。

 そう言い聞かせるが、混ざり始めた感情は止まることを知らない。


『違う。そうじゃない。俺は……俺は……』


 俺は、俺は。

 そして振り向いた瞬間、観客席にいる相田の姿をとらえた。


 …………あ、声が出ない。

 声がでないまま数秒固まってしまう。その数秒がまるで百倍にも伸ばされたかのように、長く長く感じてしまう。瞬間、足がもつれて舞台の裏に倒れた。いや正しくは引きずり込まれた。


 うわっと舞台と客席が同じ声を上げ、叫びを上げる。

 だが怪我はなかった。ぽすりと柔らかいものがクッションとなって受け止めてくれた。そして顔を上げるとそこには口元がゆがんだ三田の顔が目と鼻の先にあった。


「三田! お前」

「しっ。本番中。しっかりしてよ。大好きな演劇で、せっかくの復帰戦で失敗したら元も子もないじゃない」


 珍しく俺に𠮟責する三田に、呆気に取られてしまった。この光景、三田が声優学校の前で相田に対して怒ったときと同じだ。

 ふんわりと柔らかい焼き立てのパンのような三田の手が、頬を伝って触れてくる。


「大好きな演劇の前で好きに演技をする渡会君。小学生のころからずっとかっこよかった。でも今はかっこわるい、何があったかは今はわからない、でも後で吐き出してよね。いっぱいの観客の前で演技するかっこいい渡会君が好きなんだから」


 頬に触れていた三田の手がそのままぺちんと痛くない程度に優しく叩いてくれた。

 そうだ。ずっとこの優しさに守られていたんだ。ずっと小学校のころから三田がかっこいいと見守ってくれていて、そのために俺は、好きな演劇を続けていた。

 なのに俺と来たら、演劇を早く終わってほしいと願ってしまっていた。


「ごめん。すぐ戻る」


 しかし困ったぞ。こんな場面脚本から完全にない、完全にアドリブで乗り切るしかないのだが俺一人ならともかく安宅がアドリブに合わせてくれるだろうか。と舞台を見上げるとそこまで高くない場所であるにもかかわらず、安宅が手を伸ばしていた。


「手、手伸ばして」


 言われた通りに、手を伸ばして安宅の手を握った。


『しっかり、手を伸ばして! 足を蹴って!』


 ぐいっと引っ張り上げられて、舞台に復帰する。急に舞台から落ちた俺のことを心配し、観客全員注目していた。


『ほら立っているじゃない!』

『何が』

『自分の足で、立ち上がろうとしていたじゃない』

『あれはとっさに』

『とっさにじゃできないよ。あなたにはまだ手をつかもうと伸ばせる手もある。足もある。ここで立ち止まってしまうほど桐谷君は弱くない。まだハーフタイムも終わってない。行って、あなたの次の夢に向かって、ただひたすら。昔のようにボールを追いかけて! あの子たちの火種を消さないで!』


 火野の言葉に突き動かされる形で桐谷は高台から、一気に駆け降りる。

 そして舞台袖に消える前に、火野に向けて最後の台詞を吐く。


『グッドバイ、美紗。また会うときは、俺必ず夢を叶えるから!』


***


 舞台が無事に終わった瞬間、部長が全身の力が抜けた状態で俺たちを迎えた。


「安宅、よくやってくれた。落ちた時は俺、肝が潰れるかと。もうみんなあれがハプニングじゃなく演技だと思ってくれて助かった」

「どや。安宅様のスーパーアドリブと渡会の息の良さで完全にカバーしたから当然ですよ。もっと褒めて、ついでに私を次期部長にしてくださいよ~」

「それとこれとは別だ」

「ぶーぶー」


 安宅のおふざけたっぷりの要望が通らず膨れた。そして部長が終わりのあいさつのために出て行くと、にこっと安宅が不気味な笑顔を浮かべて俺に近づいてくる。ああ、これは怒られる流れだなと安易に考えていた。


「胸の奥に詰まっていることは、言えるうちに行っておきなよ。何度もあの女に振り回されるんじゃない」


 その表情からは想像もできないほど恐ろしく冷たい声で脅された。

 えっ、今の。安宅だよな。もう一度振り返ると先ほどの張り付けたような笑みは消え去り、いつものおふざけ満載の安宅になっていた。


 そして外から部長の挨拶の声が聞こえてくる。


「お集りの皆さん。今日は私たちの劇をご観覧いただき誠にありがとうございます。今年の劇も一年から私たち演劇部そして二年二組の三田有果さんが書いてくださった脚本のおかげで無事今回の劇をすることができました」


 パチパチパチパチと観客席から万雷の拍手が聞こえてきた。

 俺は成功させた影の立役者三田に対して今までのこと含めてお礼を言った。


「ありがとうな。俺のことずっとかっこいいって思ってくれて」


 そして舞台袖から一斉に、三田を含めた部員全員が表に出て観客の前で大きく一礼をする。


『『ありがとうございました!!』』

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