放送室での特訓

「できたぞ。原稿が」


 PTA観覧演劇用の題材が決まって二日後に部長が目の下に大きなクマをつくっておぼつかない足取りで清書された原稿を本当に持ってきてしまった時、部員全員開いた口が塞がらなかった。


「本当に徹夜しちゃったんですか部長」

「俺が承認させるのにごたつかせてしまったから、その分遅れた時間を取り戻させないと」

「いや今週もまだ三日ぐらい残っているのに、まさか完徹するとは思いませんよ普通、ワーカーホリックって言葉知ってますか?」

「ワーナーブラザーズがどうしたって? さあみんな顔が暗いぞ脚本を読み込んだら練習開始だぁ」


 ふらつき、難聴、視界が暗くなっている。どう見ても重症だろこれ。

 隣にいた安宅と顔を会わせると「これは絶対寝させないとやばい」と同じことを考えていた表情をしていた。部長が舞台へ上がる階段をわざわざ右端から左端へと蛇行しながら上がっていくのタイミングで一斉に部長を引きずり下ろした。


「部長はまず寝なかった分を取り戻してください。足がふらふらしていたら舞台に上がれないっす」

「そうですよ。今日は顧問の先生の見回りもないだろうですし、とりあえずサングラスかけてぐっすり眠ってください。来たら起こしてあげますので」

「おいおい、サングラスをかけたぐらいで簡単に寝るわけ…………グゥ」


 まるでコント劇のようにサングラスをかけてパイプ椅子に座らせるとものの数秒でねてしまった。本当に疲れていたんだな。部長不在の間は俺と安宅で回さないといけないので、舞台に上がり部員たちを集合させて今回の劇のあらましを伝える。その中には今回の劇の原作者である三田も混じっていた。


「部長さんちゃんと眠ってる?」

「うん。サングラスとかけ毛布をかけたらあっという間にぐっすり寝たよ」

「まーったく、クソ真面目というか責任感が強いと言いますか。もうちょっと肩の力を抜いてだらだらしたらいいのに。だから日本に社畜が減らないのですよ。私なんか昼寝もして夜も八時間も寝ているのですから超健康ですよ。ふん!」


 その睡眠時間とバーターに部長の真面目さを神様はどうして交換してやってもらえなかっただろうか。


「で、主要人物はだいたい四人だからそれで回すとして」

「ちょい役は三人だから裏方の人を引くと、マジでうちの部員数ギリギリですね。問題は誰が役を演じるかですけど」

「あんまり人数とか考えずに書いたから演劇部の人のこととかあんまり把握していなくて」

「悩んでもしかたない。とりあえずそれぞれ役を交代しながら練習して、役を決めていこう」

「はい。じゃあ私が最初ヒロイン役やります。渡会はお相手の桐谷ね」


 勝手に挙手して勝手に役を決めだすと安宅はぐるっと舞台を半周回ってステップを踏む。二つ目のステップを踏むと安宅の表情がふわりと柔らかくも儚げな人間に変わる。


『桐谷君! まさかこんなところで会えるなんて、覚えている? 私、同郷の美紗だよ』


 そこにいるのはいつも慌ただしくくっちゃべる一人シリアスブレイカーの安宅ではない、久々に昔のクラスメイトに出会い上京してきたばかりの少女が顕現している。


『美紗……美紗か。ひさしぶり』


 練習が始まる。

 三田が書き上げた作品『それは小さな火種だけど』。大まかなあらすじはこの前見せてもらった内容ではあるが、人物や展開などかなり大幅に書き加えている。主人公の火野美沙は大学進学を機に上京、大学への行きしなにスポーツ推薦で上京したはずの中学の同級生である桐谷が、工事現場の誘導員として働いていたのを目撃した。

 桐谷は怪我が原因でプロにも大学にも行けず、高校を中退してただその日々を生きるだけの生活を送っていた。火野はかつて夢に向かって邁進していた彼を取り戻すために同僚・同郷たちと共に彼を励ます内容になっている。


 かなりシリアスだが、温かみ溢れる内容で再び夢に向かって歩き出す内容は思わず涙を誘う。


 一通り演技を終えた後、安宅が演技モードから通常のあいつに戻ってしまった。


「はいしゅーりょー。一通りお疲れ。うんうん、私の見込んだ通りほとんど衣装に手間がかかるだけで余計な小道具とか舞台装置とかいらなそうでばんばん舞台練習に没頭できますねこれ」

「おい。脚本とか演技についてはどうした」

「何言ってんですか。あれだけ絶賛したアリーの作品に今更ケチつけることなんてありませんよ」


 ぐっ、たしかに。


「それに昨日部長から大まかな脚本を事前に送って読み込んでいますから今更脚本に修正するところなんてないに決まってんじゃないですか。でなきゃ即演劇なんてしませんし、あと私自分の演技については直せますが他人の演技についてはまったくだめなのですので」


 テヘペロとする安宅にちょっと殺意が湧いてきた。すると脇役として舞台の袖に引っこんでいた部員の一人が三田に駆け寄ってきた。


「三田。さっき俺がやってた桐谷の同僚役だけど作者からの意見として演技おかしいとこあったか」

「え、え~っとその。うまかったと思うよ。うん上手」

「いや~そういうのじゃなくて、作者の視点からこの人物の心情としては悲しみが乗った風にとか真剣な様子がいいとか」

「あ、ああ。その。あははは。ごめんなさいわからない」


 いい答えが返ってこない。しかたないか三田は原作を書いただけで演劇のことについては完全に素人だものな。急に演技について聞くのはできないか。


「今日はとりあえずここまでにした方がいいんじゃない。演劇のことを把握している部長が今日はぐっすりお眠さんしていることだし、今回は通しでということでそれぞれつかみをするだけにして終わろう」


 危ういところを安宅が察してくれたようで、ここでお開きに持って行ってくれた。

 だがそれで三田の元気が戻るわけでもなくしょんぼりとしたままだ。


「ごめん。私作者なのにそこにいるだけになっちゃって」

「落ち込むなよ。得意不得意あるんだから、できないことはできないって言えばいいんだし。三田は部長が書いた脚本に修正を入れるとか人物の心情の補足を入れるとかそういうところでやればいいんだから」

「うん。そっちでがんばるよ」


 少しうなだれた背中を向けて三田が降りていくのを見送ると、部員たちに寝ている部長を起こさないよう注意しながら片づけるように指示を送る。徹夜明けでひどく疲れているからと部員たちは察し、できるだけ静かに片づけをしているのだがどうも部長は起きる気配がないようだ。さっきやった劇は会話劇であるため大きな音を鳴らすことはなかったが、部長は舞台から聞こえてくるはずの声や片付けの音に何も反応しないようで小さくいびきをかいていた。が、急にガクッと体が立ちあがった。


「だ、誰か来たか?」


 体育館の入り口を見るとゆっくりと相田が長い髪を揺らして入ってきていた。まさか部外者が入ってくる音だけに反応するとは。


「渡会さん今部活終わったみたいね。ちょうどいいわ、私とこの後付き合って」

「俺と?」

「当たり前でしょ」


 堂々と付き合っているのだからアピールをされるとこっちの方が何故かこそばゆいなるなぁ。


「ほらほら彼女様が直々のご指名ですよ。行かないと男がすたるものですよ」

「いよっ、幸せ者。見せつけるね~。もっと肩寄せつけ合いなよ」

「お前は少し黙ってろ」

「ひゅーひゅーお熱いね」

「小学生かお前ら」


 部員たちの冷やかしを背に舞台から降りると、体育館の壁際で三田がポンポンと片足で床を蹴っていた。


「じゃあちょっと俺抜けるからな」

「いってらっしゃい渡会君」


 憂鬱げなあいつの表情とは裏腹な明るい声に押されて俺は相田の後をついていく。


 ***


 どこまで行くのかとついていくと、案内されたのは以前相田が入っていった放送室だった。今日は相田が当番なのか中には誰もなく、見たこともない機器が静かに動いていた。

 デートにしては機械に囲まれてて華やかさがないのだけど、いやそもそもデートのためにここに連れてきたのか。


「ここでなにを」

「私放送部で当番になる時ここで声優の練習をしているの。ここ防音設備が整っているから外から声が漏れないし、鍵も内からかければ誰も入れない完全な密室になって声を出すのに最高の練習場になるの」

「もしかして、俺にここでさっきの演劇の練習をしろと」

「そういうこと。スランプ脱却のための特訓兼デートというところかな。スランプの原因をつくった責任を取るためには練習と練習と練習の積み重ねが大事。さっきやった演劇の脚本も持ってきてる?」


 口角を上げる相田であるが、その笑みは微笑みではなく鬼教官が優しく指導してあげますよと入隊したばかりで未来や希望に満ち溢れていている新人隊員を絶望の崖に叩き落す前振りに似ていた。

 いや落ち着け、俺にはそう見えるだけで、本当に優しく指導するかもしれないじゃないか。そう、きっとそうだと震える手を抑えて彼女に台本を渡す。


「よし、じゃあこのヒーロー役を最初から最後まで全部やってみようか」

「あの、この役だけでも結構台詞多いんだけど」

「それが?」


 相田は変わらず笑みを絶やさなかった。

 あっ、やっぱ鬼がいた。


 ***


「はい、いったん休憩。休憩中は極力のどを使わないようにじっくり休ませてね。それとのど飴とのどスプレー使って痛みを和らげるように」


 さっき演劇部でやったばかりなのにまたも通しでやってのども足もへとへとだ。しかも適時相田の指導が入るから通常の通しよりも二倍近く時間がかかってしまった。

 相田も同じく脚本を読みながら通しをしているのだが、彼女の場合俺がする役以外全部をした。それも女だけでなく男の役全部声色を完全に変えてだ。そんな芸当をしたにもかかわらず彼女に疲れの色が見えない。これが声優を目指している人間との違いか。


「ねえ、ちょっと立ってもらえる」

「え、まだやるの!?」

「違うわよ。今度は私の方を見てもらいたいの。これ脚本ね」


 渡されたのはこの前三田の家で読んだ『家庭科室の御厨くん』のアニメ版の脚本だった。声優学校では前に放送していたアニメを教材として使うことがあるようで、ここしばらく『家庭科室の御厨くん』で練習していたというのだ。しかもそれがちょうど俺が参考にしたおかずを作った巻でやっていたところだったので、役作りのために弁当を欲しがっていたということか。


「じゃあいくよ」


 すぅっとブラウスの上からお腹をへこませて息を深く吸い口が開かれると、ほっそりとした少女の声が声帯から流れ出た。


『御厨君。これ私が作った弁当食べてほしい、んだ』


 たった数秒の、文字としては一行にも満たない演技に度肝を抜かれた。

 これが声優学校に通っている人間か。真剣にやっている俺たちの演劇部の練習が遊びの延長にしか思えなくなるぐらい声の張りも演技も上手い。彼女が俺を参考にしたいなんておこがましく思える。しかも代役もなく自分の台詞の場面をよどみなくそのキャラの演技をこなし、完璧に演技をこなしてしまった。


「どうだった?」

「いや上手い。めっちゃうまかったよ」


 嘘偽りなく褒めた、なのに相田はにこりとも愛想を返さず不機嫌な表情をしている。そしてスカートのポケットから小さなICレコーダーを取り出した。


「レコーダーにさっきの録音しているからもう一度よく聞いてね。漫画で見たのを思い浮かべながら」


 どういうことかまだわからないまま言われたとおりに、録音された相田の声を注意深く聞く。ん? 違和感があった。さっきは圧倒的な演技力に驚いて漫然と聞いていただけだったが、漫画で見たその場面を思い出しながら聞いていると相田が出している声の演出に何か違うと直感でわかった。


「どう?」

「……俺原作を読んだところとなんか違う。この場面は自分が作った弁当のおかずを御厨がアレンジしてくれて嬉しいって感じだと思うが」

「だよね。私もこの場面を何度も読み返しているし、演じているときでもこの演技は違うってわかっているのに、その声をどうやって出すのかぜんぜんわからないの。どれがこのキャラにとって最適か誰かに指摘してもらわないと難しいのよ」


 これじゃあ三田のことを言えないよな。

 うまいうまいと褒めるだけじゃ、その人物になりきるために努力する人間は満足しないのだ。


「さて、今度は渡会さんの番よ」

「あの。まだのどの調子が…………」

「じゃあもうちょっと休憩してから、再開しましょうか」


 彼女の選択肢に止めるというコマンドはないようだ。

 その後も相田先任軍曹による演技指導が続き、何度もリテイクを繰り返しをしていった。放送室に窓がないこともあり、中にある時計がなかったら翌日放送室から登校しかけるほど夜遅くまで続いてしまった。

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