短編小説『蠅』

加藤アガシ

短編小説『蠅』


 低気圧のせいで寒い日が続き、ようやく5月らしく暖かくなってきたある日、部屋の中で、小蠅がよく目に付く様になった。

 最初は1、2匹―――、そして気付いた時には大量発生していた。

 これにより、今までの怠惰な生活を猛省し、溜めていたゴミや、水場の排水溝などありとあらゆる場所を掃除し、ドラッグストアで買ってきた殺虫剤を部屋中に散布した。

 これでもう平穏な日常が戻ると思ったのも束の間、その翌日にはもう数匹が飛び回っていた。

 その生命力というか、繁殖力の気味悪さに打ちのめされたが、その分、昨日よりも綿密に室内を掃除し、より強力な殺虫剤をくまなく撒いた。


 しかし一体どこから、この小蠅たちは生まれてきたのだろうか―――?


 その疑わしきところをどれだけ調べても、その発生源となっている場所は分からなかった。

 そんな日々がしばらく続いた。

 いくら掃除をしようが、どこからともなく湧き上がるその小蠅たちに、やがて生活が蝕まれる様になった。


 まず朝起きて、寝る前に撒いた殺虫剤で息絶えた小蠅が床に点在していることに恐怖し、食事についても、食料へ蠅が混入する怖れに怯える様になった。

 食器にしても、蠅が足を休めた、いや卵を宿したかもしれないと思うと容易に使えなくなり、そもそもの食欲が失せていった。

 何かを口にしても、自分は今、蠅ないしはその卵を食べているのではないかという強迫観念に囚われる様になったからだ。

 ましてや部屋で寛ぎようにも、そこら中に蠅が居る様な気がしてならず、どうにも落ち着かない。

 次第には、もしやこの部屋のどこかに腐乱死体でも隠れていて、その発見を待っているのではないか、という様な妄想にも囚われる様になっていった。

 こうした強迫観念や妄想は、元からの神経質な気質と相まって、心中で日に日に膨らんでいった。


 こうなると、もはや部屋には居られない。

 ゆえに職場に居る時間を除けば、もっぱら車の中で生活を過ごすことにした。

 しかし、やがて車の中であっても、小蠅の姿を見る様になった。

 いつでもどこでも小蠅が飛んでいる気がするのだ。

 我ながら、とうとう気が触れたか、蠅に対する恐怖は極限にまで達していた。

 そしてその恐怖に比例するように蠅の残像は増えていくのだった。

 


 そうして食事がまともに取れなくなり、鏡に自身を映せば、この肉体が死へと向かっていることが理解できた。

 体は痩せ、頬はこけ、目のあたりは窪んでいた。

 職場の人間たちは、俺の明らかな変化に気を掛けてくれたが、やがてそれにすら恐怖 を抱く様になった。


 つまるところ、『たかっている』のだと―――。


 身の周りの全てのモノが、俺にたかっている。

 ふと、あの部屋には今、何匹の蠅が飛んでいることだろう、と思う。

 部屋に帰らなくなって、どれくらい経つのかさえ、もう分からない。

 しかし、おそらく無数に増えた蠅が、じっと俺の帰りを待っているのだ。

 俺の命を狙っている。

 早く絶えろ、早くその身を喰わせろと、俺の死を切望しているに違いない。



 そしてまた恐怖と同時に、あるいはそれを望んでいる自分が居ることにも薄々気付いていた。

 どうせいつかは還元する命だ。

 

 いいさ、好きなだけ子を産み、蛆となり、肉と命を喰い散らかせばいい。

 そして、お前らの命を繁栄すればいい。

 

 あの部屋にはきっと、俺の腐った肉体が眠っている―――。

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短編小説『蠅』 加藤アガシ @agashikato

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