第14話 「旅立ち・後編」

いつもよりも幼い姿になってしまった乙女へ、

アーサーが「そのままでいてください」と頼んだ理由。

それは、実はもうひとつあった。

二世代前のクロックマンとあの屋敷で長い間引きこもり生活を送っていた乙女は、

所謂籠の鳥。言うなれば極度の世間知らずであった。

数少ない趣味としていた読書で多少世の中の変動は知りえているかも知れなかったが、

16,17歳のそれとなく分別をわきまえた女性が、

今や世間に当たり前に浸透している物を目にして驚く姿は、奇妙に思われるだろう。


だが8.9歳ぐらいの子供ならばどうだ。

人の多い街中ではしゃいでいても、そうそう驚かれはしないだろう。

せいぜいが微笑ましく衆目に見守られる程度だ。

目立つことはアーサーは無論、乙女自身望んではいない。しかし、現状対処の仕様がない。

「それならば、いっそ自然に。幼い姿で振舞ってもらおう」アーサーはそう目論んだ。


乙女を上手いこと言いくるめた彼は腰を下ろし、

未だ納得がいっていない様子の乙女と視線を合わせる。

後ほんの数歩でハイロの村へとたどり着く。

その前に、彼らにはやっておかねばならないことがあった。


「お嬢さん、色を付けて貰えませんか?」


乙女の体色は、明らかに尋常ではない。

このままハイロの村はおろか、市井へと繰り出せばどんな騒ぎが起こってしまうのか、皆目見当もつかない。

それを防ぐためにも、事前に対策を講じる必要があった。

最大限目立たないように、普通の人に見えるようにカモフラージュをする必要が。

「あっ」と小さく呟いた乙女は、そうねと焦ったように頷く。


「どんな感じにすればいいかしら?」


「そうですね。ひとまず私と同じ髪と目の色にしていただけますか?

 それと一応念のために肌の色も。今のままだと、人形と思われかねません」


わかったわ、と乙女は応じ小さくなった利き手でアーサーの髪へ、

空いたもう片方の手で自身のミルク色の髪へと触れた。

──乙女のミルク色の髪が宵闇を写し取ったような黒い髪へと塗り替わる。

その様はまるで白いシーツへ、黒のインク瓶をまき散らした瞬間と酷似していた。


「これでいいかしら?」


アーサーが気づいた頃にはすべて終了していた。

アーサーと寸分違わない色を宿す乙女のかんばせが、彼の視界いっぱいに映る。

うん、と彼は乙女の血色のよくなったまろやかな頬を見ながら頷く。

髪や瞳だけでなく、眉の色も睫毛といった細やかな部位も、全てしっかりと黒く染まっていた。

まるで本当の兄妹になったような感覚を覚えながら、

アーサーは目の前の乙女へ向けて、安心させるような笑みを浮かべた。


「はい、完璧です。

 どこからどうみても良くいるローシィ人の女の子ですよ」


「本当?よかった」


アーサーの言葉に小さくホッとため息をつき、乙女はこわばっていた表情筋をゆるめる。

本物の子供とよく似た仕草を自然と行う乙女を目撃したアーサーは、

我慢できずに噴き出してしまった。


「え?なに、どうしたの?」


「いいえ、なんでも。

 さぁ、行きましょうかお嬢さん」


突然のアーサーの様子に驚いた様子の乙女を無視し、今は黒くそまった髪をくしゃくしゃに撫で回す。

髪を乱されたことに抗議の声をあげる彼女を軽妙な口ぶりで躱しつつ、

ひょいと軽やかな動作で小さくなった身体を抱き上げ、己の肩へと乗せた。


「わー……たかーい……

 じゃなくて。わたし自分で歩けるわよ。

 下ろして頂戴な」


「この方が自然なので」


目を細めながら飄々とうそぶく。

所謂肩車状態であっても、質量から解き放たれた彼女は空気と錯覚せんばかりに軽い。

その事実に多少のもの悲しさを覚えながらも、アーサーはハイロ村へと向かう一歩を踏み出した。


ハイロの村に広がる道は森の悪路とは異なり、曲がりなりにも整備されていた。

その理由は明確である。牛が歩くからだ。

牛は重要な労働力である。彼らがいなければ、農村部の人々の暮らしは成り立たない。

木材や農産物を運ぶ牛車を走らせなければならないために、田舎の道路は常に比較的綺麗に整えられていた。

だがやはり首都ウォルヌリーチと比べると、依然歩きにくい事この上なく。


「まぁでも、あの森よりかはマシだよな。

 当たり前だけど」


「なにか言った?アーサー?」


頭上から降り注ぐ声に、いいえと首を振る。

そもそも比較するのがおかしい問題だったな、と彼は思い直した。


延々と広がる緑の平原と、白雲たなびく青空で占められた風景を眺めつつ、彼は元来た道をたどる。

それは都会暮らしになれたアーサーからすれば、欠伸が出そうなほどに長閑で退屈な光景だった。


「太陽が真上にあるわね。

 森を出た頃は、昇ってすらいなかったのに」


遥かな高みから暖かな光で遍くを照らす太陽は、今現在の時刻が正午であると告げていた。

どうりで、とアーサーは納得する。


「人が全然見当たらないな、と思ったら食事の時間だったんですね」


ぐるりと周囲を睥睨するも、どこにも村人は見当たらない。

そもそもハイロの村事態、相当な過疎化で住人がほとんどいない状態にあった。

村の若者の大半が職を求めてネラムナッツの首都ウォルヌリーチや、

それなりに都心部であるフォトヘニへと旅だったからだ。


無論それはなにもハイロの村に限った話ではない。

隣村のヨカワとソレッタでも似たような、現状が起こっていた。

田舎で細々と家業を継ぐよりも快適な暮らしを望む若者が、予想以上に存在していただけの話である。


西のシニュー大陸を含めた全世界は現在、半世紀前に突如として巻き起こった産業変革のただ中にあった。

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