第6話「そして時間は動き出す。」

「わたしが不老不死であることは、承知の上でしょう?

 そして、ひとところに留まれはしないことも」


二代目クロックマンの当主が見つけたこの屋敷は、

人が寄り付かない、いやそれどころか忌み嫌う森の奥にあり、

クロックマン一族と乙女にとって、まさに奇跡的な立地条件だった。

そして同時に彼女が長年暮らした、暮らすことのできたかけがえのない想いでの詰まった場所でもあり、

ここを離れるという事は、耐え難い苦痛を伴うと言っても過言ではないのだ。


「この不老不死の呪いが解けないかぎり、わたしは人に交わって暮らすことはできないの」


自身の滑らかな白蝋の肌を、ぼんやりと眺め乙女はひとりごちる。

窘めるような響きを伴うその言葉は、静かな部屋にまるで波紋のように響いた。


神に等しい存在としてこの世に甦った彼女は、誰しもが羨むその体質を、ただ一言「呪い」と称した。

これは神罰だと、祝福ではなく呪いだと、そう口にしたという。

時を幾とどなく迎えたとて、永遠にうら若い乙女のままの彼女は、瞬く間に信仰の対象となった。

彼女が何度拒否しても、その声は熱に浮かされた人々には届かなかった。

やがて絶望と共に彼女は、唯一その声を聴き入れた者と共に、世間からひっそりと隠れ暮らすようになった。

それがアーサーの先祖、クロックマン一族の始まりである。


いい加減にわかって頂戴、と言わんばかりに向けられた真珠の眼に、

全身に漲っていた気概が折れかけ、アーサーは暫し瞑目する。

彼女を孤独にする訳にはいかない。それをさせないためのクロックマンなのだ。

彼女に人としての尊厳を無くすような暮らしをさせる訳にはいかない。

乙女は少女だ。うら若きひとりの少女なのだ。その実態がなんであれ。

なにより、とアーサーは述懐する。乙女は、彼女は、自身の想い人なのだから、と。

アーサーは決意して、その黒い眼を開き乙女を見据えた。


「──ならば、私がその呪いを解いてさしあげます」


そして気が付けばそんな台詞が、アーサーの口をついて出ていた。

あまりに唐突な発言に、乙女は虚を突かれたような面持ちになる。

勿論、それを言い放ったアーサー自身も困惑していたが、

乙女が呆気に取られている今が好機とばかりに深く考えることはやめて、

一気に畳みかける暴挙に挑むことにした。


「そうだ、旅に。

 旅に、出ましょう。私と共に。

 それならば、身を隠す必要はそもそもありません」


アーサー自身、無茶を言っている自覚はあった。

そもそも世間から身を隠すために隠遁生活を選んだのは乙女自身であり、

乙女の意を汲み取った初代クロックマンと共に、隠れ暮らすという生活を送っていたのだ。

旅に出るという事は、つまりは世間の目にさらされることであり、

乙女やクロックマンの意に反する行いとなる。


「……アーサー?えっと、その」


まるで言ってることがわからないと言いたげに、乙女は首を傾げる。

その表情は困惑に満ちていた。さもありなん、とアーサーも内心深く頷く。

だが口をついて出る言葉の本流は、まるで収まる気配がなかった。


「私と共に様々な場所を巡り、呪いを解く手がかりを探しましょう。

 そも、あなたの呪いを解くことは我らクロックマンの悲願でもありました。

 ならば、末裔である私がその悲願を背負うのは、当然にして必然であります」


淀みない口調でアーサーはうそぶく。だがこれは決して嘘ではなく真実であった。

乙女の身に降りかかった災いを祝福と見做した他の人々とは裏腹に、

まるで己自身のように受け止め、一族全体で生涯守り抜くと決意した一族は、

その呪いを解呪する方法をどうにかして求めていたのも、また純然たる事実であった。


「乙女よ、あなた自身が先程読まれていた本の通りに

『世界というものは広い』のです。

 私と共に、その呪いを解くすべを探しに行きましょう」


優しく目を細め、膝を折った姿勢のままアーサーは乙女に手を差し伸べる。

その姿はさながら、童話やおとぎ話の中に登場する騎士のようであった。

束の間乙女はうつむき、思案に耽る。

無機質な大理石の唇へと白魚の指を乗せるのは、乙女が考え事をする際の癖だった。

暫くして吹っ切れたのか、その白魚のような指先をおずおずと伸ばし、

アーサーの成長した、無骨で男らしいてのひらの上へと乗せた。


「……わかったわ。

 あなたがそこまで言うのなら、わたしだっていつまでも逃げてるわけにはいかないものね。

 よろしくね、アーサー。

 わたしをここから、連れ出して頂戴」


彫刻の面をあげて、乙女は破顔一笑する。

輝ける真珠の眼にはまだ多少の恐怖が残っていたが、それよりも期待の色が滲んでいた。

よかった、とアーサーは安堵のため息をつく。

そのまま全身の力が抜けてしまったのか、跪いた姿勢から体制を崩し、

勢いよく尻もちをついて転倒してしまった。


「あら、アーサー大丈夫?」


「……いっ……たたた……すみません。

 気が緩んで、つい……」


乙女に自身でも予想外な発言をしたその瞬間から、アーサーの心臓は不安からずっと高まった状態にあった。

そんな状態から安堵で一気に気が緩み、先の失態を犯したのである。

「さっきまで格好よかったのに台無しだわ」と乙女は笑い、

アーサーも情けない表情を浮かべたまま、空笑いをあげるしかなかった。

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