この平和な世界がクソすぎて、僕はもうタヒってしまうかもしれない

花音小坂(旧ペンネーム はな)

プロローグ 願い


           *


 目の前に血が見える。自分のものだ。視線を少し動かすと、バラバラになった腕と足が見える。身体の半分は抉られ、臓器が露出している。


 負けた。


 両親も、親友も、全員死んだ。それでも、自分は……ヒーローだったから、歯を食いしばって怪人たちと戦い続けてきた。何年も何年も。


「なのに……結局、悪が勝つのかよ」


 怪人が突如として現れ、無惨に人々が殺されていく世界。死が隣にある非情な世界。毎年、何千万人の人々が殺されていく残酷な世界。


「……」


 目が霞み、意識が朦朧としてきた。ああ、もうすぐ、自分は死ぬんだと思った。こんなに呆気なく、簡単に。悔しかった。目の前の怪人に敵わないことに。


 でも、それ以上に悔しいのは。


 いったい、なんで、こんな世界になってしまったんだろうということだ。思えば20年前は、平和な世界だった。当時、小学生だった修は、当然のように朝起きて、ご飯を食べて、家を出た。


 そんな日常が、ずっと続くと疑わなかった。


「修! 修、◯×△……」


 ああ、彼女が何か言っている。でも、もう意識が朦朧としていてよく聞き取れない。相沢木乃(あいざわこの)。初めて好きになった子。ずっと、好きだった子。


 結局……好きって言えなかったな。


『……し……い』


 薄れてゆく意識の中で。


 声が聞こえた。


『欲……し……い』


 誰の声だかわからない。見知らぬ人の声みたいだった。


『力が……欲しい』


「……ふっ」


 見知らぬ男の言葉を聞きながら、笑ってしまった。この期に及んで、力なんて。もう、僕には守るものなんてない。すべて失ってしまった。


 だから。


 次に生まれ変わる時は、平和な世界がいい。


           *

           *

           *


「修……修……起きなさい」

「……」


 声が聞こえる。なんだか、どこかで聞いたことがある懐かしい声だ。今は、もう聞くことができない、夢で何度も聞いた声。


「……母さ」

「起きなさいって言ってるでしょう!」

「うわぁ!」


 降り注いだ怒鳴り声で、蒼月修は慌てて飛び起きた。あたりを見渡すと、そこは見慣れた? 部屋だった。いや、知らない。見覚えはない。でも、どこか既視感のあるような不思議な感覚だった。


「……っ」


 だが、それよりも驚いたのは、目の前に飛び込んできた懐かしい顔だった。


「えっ……母さん?」


 そんなはずはない。自分は、先ほど殺されたはずだ……助かった? いや、そんなバカな。あの絶望的な戦力差で、それはあり得ない。


 万が一、生き残ったとしても、


 修は、高なる鼓動を抑えて、何度も何度も自分に言い聞かせる。でも……そこにいるのは、紛れもなく20年前に死んだはずの母、蒼月真美子だった。思わず、目頭に熱いものが込み上げる。


「まったく、32歳にもなってだらしない。早く仕事行きなさいよ。遅刻しちゃうでしょう!」

「し、仕事? まさか、出動指令!? 怪人が近くに!?」


 修は反射的に身構え、窓の外を見る。


「……っ」


 目の前には、信じられない光景が広がっていた。破壊されていない家が、綺麗に立ち並んでいる。割れたガラスも、焼け落ちた廃屋も、死体に群がるカラスもネズミも見当たらない。


「何寝ぼけてんのよ! いいから、早く起きなさいって言ってるでしょう!」

「……嘘だ」


 先ほどまでの惨めな記憶を思い返してみる。無数の怪人が基地に攻め込んできて、圧倒的な物量の前に屈したのだ。


「……」


 修は、母の真美子をマジマジと見る。よく見ると、かなり老け込んでいるように感じる。20年前に母は死んでおらず、相応に歳を取った? そんなバカな。


「今、いつ?」

「7時30分! もう、7時30分よ。出勤時間何時かわかる? いつまで、親に起こしてもらってるの? コドオジなの? いえ、断固として、あなた、今、話題のコドオジなんですけど!」

「じゃなくて! 今、西暦何年何月何日!?」


 そう質問しながら、修は周囲をカレンダーを探す。何がなんだか、訳がわからない。とにかく、現状を確認したかった。


 20××年6月20日。


「……っ」


 同じ日だ。自分が……蒼月修が殺された日。世界を守ることができなかった、あの日だ。だが、ここは修の生きている世界では断じてない。あの凄惨な、殺伐とした、悲惨な世界じゃないのだ。


「なんで……」


 脳内に疑問符がつきながらも、思わず目頭が熱くなる。自分が、生きているのか死んでいるのかはわからない。


 でも、また会えーー


「はぁ、やっぱり、Fラン大学はダメね! エ・フ・ラ・ンは! ねえ、お父さん! あなたがカッコつけて『学費出してやるか』とか言うから! 薄給のくせに、カッコつけて! あー、絶対に浪人させとけばよかった。ねえ、聞いてる」

「えっ……今、なんてーー」

「お父さん! 聞いてる、ねえ、育て方誤ってます! 完全に育て方誤ってるんですけど、ねえ、聞いてる! お・と・う・さ・ん!?」


 !?


「と、父さん!? 父さんも生きてるの!?」

「死んでます! 黙って、リビングで、寝そべってるんだから、もはや死んでると同じよね! ねえ、お父さん!」

「……っ」


 部屋を出て、急いでリビングに向かうと、生きてる。やはり、歳は取っているようだが、紛れもなく生きている。蒼月賢斗。10年前に、怪人に殺された父が、生きている。


 どうなってるのか、まったくわからない。


「夢? 僕は、今、夢を見ているのか……」

「ふざけんじゃないわよ!」

「ぶっ!?」


 壮絶な張り手が修の頬に飛んだ。ブタれた。めちゃくちゃ、頬がジンジンする。いや、この熱い痛みは絶対に違う。紛れもなく、現実のものだ。


「夢じゃ……ない」

「あー、もう。借りた奨学金も使い込んじゃうし、なんでこんなにクズなのかしら……お父さんに似たのかしらねぇ!?」

「……」

「ねえ、聞いてるの!? 私は、あんたのためを思ってーー」

「ちょっと黙ってて!」


 修はすぐに、インターネットを検索して情報を確認する。


「ああ、そうですか! 私、もう知りませんからね! せいぜい、遅刻して上司に怒られて、クビにでもなりなさい!」


 バタンと、強くドアが閉まるが、修としては、もうそれどころじゃなかった。テレビのニュースをつけ、インターネットで片っ端から検索した。


 そして、6時間後。


 修は、ボソッとつぶやいた。


 

 


























「世界が……平和になってる」

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