第35章 gitai

「あれ、もう閉店ですか? 」

 折り畳み式のテーブルを片付けていた梶山に、一人の若い僧侶が声を掛けた。

 手に布製の袋を下げ、袈裟に衣姿で温和な笑みを浮かべる彼の面立ちは、どこか街角に佇むお地蔵様に似ていた。

 真堂玄心である。

「ええ。申し訳ありません、今日は売り切れちゃったんで」

 梶山は申し訳なさそうに真堂に頭を下げた。

「そうですか、残念! 檀家の方から、ここの肉巻きおにぎりが鬼旨いって聞いたものですから」

 真堂は残念そうに八の字眉毛で苦笑を浮かべる。

「そう言っていただけるとうれしいですね。日によって販売する場所を変えているんですけど、大体は月曜と木曜はここで店を開いていますので、宜しければおいでください」

 梶山は片付けの手を止めると、真堂にそう答えた。

「有難うございます。あ、肉巻きおにぎり以外にも普通のおにぎりもあるんですね」

 キッチンカーの前に立てかけてある、メニューが書かれた黒板を見ながら、真堂がそう呟いた。

「ええ。でも具は焼肉なんです。実家が肉屋なんで、とことん肉で攻めてみたんです」

「どんな肉ですか? 」

「牛と豚の二種類ですね。」

「へええ。ジビエとかは流石に無いんですね」

「実家の方では取り扱っているんで、考えてはいるんですけどね」

 梶山はそう答えると、再びテーブルの収納に掛かった。

「封は、取り扱ってないんですね? 」

 真堂の言葉に、梶山はぴたりと手を止めた。

「封? さっきも別のお客さんに聞かれましたけど、それってUMAですよね。今、都市伝説界隈で話題になっているんですか? 」

 梶山は愛想よく笑みを浮かべながら、真堂に尋ねた。

「都市伝説じゃないですよ。現実に存在しますから。しかもそれを悪用しようと企んでいる輩がいる」

 真堂は眼を細めながら柔らかな口調で言葉を綴った。

「面白い話ですね。私もそう言う話、嫌いじゃないですから、興味深いです」

 梶山は表情を綻ばせた。だがその眼の奥には、警戒色に似た冷たい輝きが仄かに灯っている。

「申し訳ありません、お仕事の邪魔しちゃって」

 真堂は、梶山が作業を止めて自分の話に聞き入っているのに気付き、申し訳なさそうに頭を下げた。

「いえいえ、大丈夫ですよ」

 梶山は笑顔で答えると、再びテーブルの分解に取り掛かった。

「あ、そうだ。お詫びにこれを差し上げましょう」

 真堂は手に提げていた袋から白い短冊の様なものを取り出した。

「何ですか、それ? 」

 梶山は怪訝そうに真堂の手元を凝視した。   

 和紙に墨で梵字の様な紋様と経文らしき文字が書かれている。

 御札だった。

「護符です。実は、ここの公園、ちょっと妙なんですよ。前はそんな事無かったんですが、何故か忌々しい気が地から滲み出ているんです。もし良ければ、これをお持ちになるか、店の奥に貼っておくと良いですよ」

「有難うございます。でもいいです。何時もここに見せ開いている訳じゃないんで」

 梶山は、真堂の突然の申し出に、困惑しながら断りを入れた。

「店の奥に貼っておけば邪気を寄せ付けませんよ」

「結構ですから」

「まあ、遠慮なさらずに」

 真堂は頑なに拒む梶山に無理矢理護符を手渡そうとした。

 梶山の眼が吊り上がる。

「いらねえっていってんだろっ! 」

 彼は真堂に罵声を浴びせると、右腕で勢いよく護符を払いのけた。

 真堂の手から弾き飛ばされた護符が、中空を舞う。

 刹那、それは紅蓮の炎に包まれ、瞬時にして灰に成り果てた。

「やはりね・・・あなたでしたか、ここに鬼を潜ませたのは」

 真堂のまるで鋭利な刃物のような視線が、梶山を射貫く。

 常人なら、その気に伏して身動きが取れなくなるほどの圧を孕んだ眼力だった。

 が、梶山は動じない。

 憤怒に吊り上がった眼で、真堂をじっと睨み受ける。

「貴様、只者じゃねえな。何者だ? 」

「只の僧ですけど」

 真堂はにやりと口元を吊り上げた。

「後ろの二人はおめえの仲間か? 隠れてないで出てこいっ! こちとらみんなお見通しだ」

 梶山が、真堂の後方の茂みに向かって罵声を浴びせた。

 と、木立ちが揺れ、二つの影が躍り出る。

 凜と望結だ。

「とっとと消えてくれればいば、命だけは助けてやる――て、言いたいところだが、うざったいのでここで死ね」

 梶山が,たたみかけていたテーブルを片手で持ち上げるなり、いきなり真堂に投げつけた。

 が、真堂は瞬時にスライド。テーブルは地面に激突すると大きく爆ぜた。

「何やってんのよっ! 」

 キッチンカーの奥から、梶山の妻――結衣が血相変えて飛び出して来る。

「お客様、お怪我はありませんか? 申し訳ありませんでした。ほら、あなたも謝って!!」

 結衣は真堂に深々と頭を下げると、梶山にきつい口調で促した。

「その必要はねえ」

 梶山は真堂を見据えたまま、ぶっきらぼうに吐き捨てた。

 結衣は驚きの表情を浮かべた。普段、感情を露にした事の無い、穏やかな性格の夫の豹変ぶりに、結衣は困惑していた。

「どうしちゃったの? 何があったの? 」

 憮然とした態度の梶山に、結衣は激しく詰め寄った。

「うっせえっ! すっこんでろっ! 」

 梶山は真堂を見据えたまま、縋りつく結衣を突き飛ばした。

 結衣の身体がサッカーボールのように吹っ飛び、キッチンカーのカウンターを越えて厨房の壁に激突した。

 鈍い衝撃音と共に、車体が大きく揺れる。

 車内から低い呻き声が聞こえる。

 命に別状はないようだ。

「乱暴な。大切な奥様を突き飛ばすなんて」

 真堂が表情を曇らせる。

「余計なお世話だ。あんたは人の事より自分の命を心配した方がいいぜ・・・」

 梶山は鼻で笑うと、呪詛めいた妙な言葉を喉の奥で呟いた。

 不意に、彼の周囲の地面が盛り上がる。

 敷き詰められた芝生が不自然に隆起し、黒い土面が地表にむき出しになる。

 張りつめた芝生の根がばちばちと音を立てて断ち切れ、遮蔽を失った地表に土塊が一気に噴出した。

 土塊ではなかった。

 それは、人の形をしていた。

 だが、人でもなかった。

 梶山よりも頭一つ高い痩身痩躯に痩せ細った四肢。それとは対照的に、異様に膨れ上がった腹。肌は灰色に近く、頭のこめかみの辺りから、ニ十センチに満たない円錐形の灰色の角が生えている。

 大きく裂けた口からは、口腔に納まりきらない鋭利な牙が顔を覗かせている。

 鬼だ。ただその風貌は、荒ぶる神としての鬼の姿ではなく、陰の気を孕んだ妖そのものだった。

 鬼というより、巨大な餓鬼。

 其れも、四体。

「こいつら、最近贄を平らげたばかりなのによ、もう腹をすかしてんだ。まあ、丁度良いといやあ、丁度良いわ」

 梶山が、にやりと勝ち誇った笑みを浮かべる。

「贄? ひょっして、行方不明になっている高校生達か!? 」

 真堂が厳しい口調で梶山に問いただす。

「十代の若者の肉は旨かったらしいぜ。特に女はな。こいつら、身体を犯しながら奪い合う様に食ってたよ」

 梶山が得意気にそう吐き捨てた。

「あの事件、貴様が? 」

 真堂の表情が憎悪に歪む。

「こいつらが殺した訳でも、俺がやった訳でもねえ。後始末をしてやっただけさ」

 梶山は含み笑いを浮かべた。

「どう言う事だ・・・まさかっ!? 」

 真堂が驚愕に目を見開く。

「想像にお任せする。それとな、贄は皆、成仏させたぜ。俺達の邪魔をする輩の中に、霊と対話出来る奴がいるって聞いたんでな」

「貴様は隠形の手先か? 」

 真堂の問い掛けに梶山答えなかった。

 ただ、憂いに満ちた目で、遠くを見つめるような仕草をする。

「あとな、見た目は清潔感溢れる今時珍しい高校生だったけど、余程悪行を重ねて来たんだな。みんな地獄に落ちちまった」

 梶山は甲高い声で高笑いした。が、次の瞬間、その表情が一転する。

「貴様もすぐに送ってやるよ。地獄にな」

 梶山のこめかみに皺が浮かび、かっと見開いた眼に、底知れぬ嫌悪と憎悪の炎が宿る。

 彼の声を待っていたかのように、鬼が動いた。

 四体の鬼達は大きく跳躍。

 真堂には目もくれずに彼の後方へと跳んだ。

 同時に。

 梶山の足元の地面が盛り上がり、縦に長い黒い影が飛び出す。

 奴はそれに目線をくれようともせずに、右手でその末端を捕らえると、真っ直ぐ真堂に突き立てた。

 が、その動きを、真堂は完全に見切っていた。

 流れるような所作でそれを躱すと、梶山の懐に飛び込み、喉に拳を滑り込ませる。

 梶山はガマガエルにような呻き声を上げると、苦悶の表情を浮かべながら後方に崩れた。

 奴の右手には、古びた長剣が握られていた。

 日本刀ではない。 両刃の剣だ。青緑色の刀身には、呪詛らしき文字が刻まれて得る。古き時代に使われし青銅製の剣のようだが、このような長剣タイプは珍しく、その多くは主に短剣であった。

 本来は何かしらの儀式に使われたものなのだろう。

「呆れた奴だ。鬼は無視かよ。後ろの連れはどうなってもいいのか? 」

 梶山は苦しそうに呼気を荒げながら、忌々し気に呟く。

「私が鬼の動きに気を足られた隙を突こうと考えたようですが、残念でしたね」

 真堂は落ち着き払った所作で梶山と対峙する。

「けっ、仲間を見捨ててまでも俺と勝負をするってのかい? 」

 梶山はゆっくり立ち上がると、再び剣を構えた。

「仲間を見捨てる? 私はそんな薄情な人間じゃないですよ。ただ――」

 振動は両手をだらりと下げた。

「その心配におよばないからです」

 真堂の言葉が梶山の思考を貫く。

 どういう事なのか?

 梶山は真堂に猜疑の目線を投げ掛けた。

 彼の表情に気付いた真堂が、小馬鹿にするかのように笑みを浮かべる。

「残念ですが・・・彼女達の方が強いですから。私よりもね」

 



 

 


 

 

 

 




 

 


 

 




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