第33章 sensaku
「いらっしゃい」
キッチンカーの店主が客に声を掛ける。
「毎度」
客はそう言うと、押し殺したような吐息をついた。
「如何したの、鹿沼君。元気ないじゃない」
キッチンカーの奥から、ポニーテールの女性が心配そうに客――鹿沼に声を掛けた。彼女は店長の奥さんで、痩身痩躯の旦那とは対照的なふくよかな体形に加え、童顔で招き猫のような優しい面立ちの女性だった。彼女は確か、歳は鹿沼とそう離れていなかったはずだ。
「結衣ちゃん、無理もないと思うよ。この前のイベントで大事件があったし、今度はあれだろ、社長の息子さん、行方不明なんだって? 」
店主が気の毒そうに眉を顰めた。
「晃ちゃん、行方不明って何? 」
結衣はきょとんとした表情で店主を見た。
「結衣ちゃん、知らないの? 今、ネットで大騒ぎなんだよ。厳格な校風で有名な進学校の生徒が四人、行方不明になったって話。そのうちの一人が、彼の会社の社長の息子なんだ」
「ひえええっ! 知らなかった」
店主の説明を聞き、結衣は驚きの余りに目を見開いた。
「梶山さん、社長をご存じですか? 」
鹿沼が店主に問い掛ける。
「ああ。俺が辞めた時はまだ専務だったけど」
「ここ何日間かで憔悴し切って木乃伊みたいになっていますよ。何でも同じく行方不明になった女子生徒の親が、息子さんが誘惑して連れ出したとか言い出して。他の二名の男子生徒の失踪も何か関わている可能性があるって。ただ警察は、事件と家出の両面から当たっているみたいですが」
鹿沼は声を潜めた。
梶山は部署こそ違うものの、元々鹿沼と同じ会社に勤務していた。三年前に会社を退社し、独立してキッチンカーで飲食店を経営している。彼の実家は精肉店で、元々は家を継ぐつもりで退社したのだが、近隣に開店した大型スーパーの影響で売り上げが激減したため、彼が其れを立て直そうとキッチンカーでの営業を始めたのだ。
因みに、妻の結衣は彼のお店の常連だったらしい。
「じゃあ、またマスコミがうろうろしているんだな」
梶山が顔を顰める。
「そうなんです。我々は戒厳令が敷かれているので、話し掛けられても何も答えませんが」
鹿沼は困惑しながら肉巻きおにぎりを一つと焼肉入り味噌だれ焼きおにぎりを二つ注文した。前者は串刺しの棒状のものだが、後者は普通のおにぎりに醤油だれをつけて焼いたタイプと白みそをつけて焼いたタイプの二種類ある。因みに中の具の焼肉は前者が牛肉で後者は豚肉だ。
いたってシンプルなのだが、その深みのある味に虜になる者が多く、平日でも連日客でにぎわっている。
「梶山さんの御実家って、ジビエとかも取り扱っているんですか? 」
不意に、鹿沼が梶山に問い掛けた。
「うん。最近ブームだろ? 親父に勧めたら少しは置くようになったな。猪とか、鹿とか」
「封って、知ってます? 」
鹿沼は梶山を見つめた。もし、彼がその言葉に何かしら反応したとしたら、自分が依然食べた肉巻きおにぎりに、それが使われていた可能性がある。
「封? 何だそれ」
梶山は首を傾げた。鹿沼を見つめる眼は特に泳いではおらず、動揺の色は無い。
「何処かの地方の方言なの? 」
結衣は興味深げに鹿沼に問い掛ける。
「封って、これ? 」
梶山は鹿沼にスマホを見せた。ネットで検索したらしく、スマホの画面には肉の塊に手足の生えたへんちくりんな絵面が映し出されていた。
「妖怪? 宇宙人? 流石にこれは客には出せないよ」
梶山は苦笑いを浮かべた。
「あ、それって、徳川家康の前に現れたって奴ですよね。それじゃなくて、形はオオサンショウウオやツチノコみたいな形をしてるようです」
「何かグロくね? 」
「見た目はそうなんですけど、滅茶苦茶旨いらしいです。あと、食べると超人的な力が出るようになるとか」
「まじか? でも其れって都市伝説じゃねえの? 」
梶山はげらげらと爆笑した。
「ひょっとしたら、オオサンショウウオの事かもよ。美味しいかどうかは知らないけど、あれって確か漢方薬になるって聞いた事がある」
結衣がそっと鹿沼に助け舟を出す。
「でしょうか」
鹿沼は苦笑を浮かべた。
「そうだとしても、オオサンショウウオはメニューに出せないな。あれ、採っちゃいけない奴だろ? 確か特別天然記念物じゃなかったっけ? 」
梶山は顎に手を添え、神妙な面持ちで呟く。
「確かそうでしたね」
「もし、オオサンショウウオ食って超人的な力が手に入るなら、闇で手に入れてこっそり自分で食うよ」
からからと笑う梶山を見て、鹿沼は頷いた。梶山の反応から察するに、彼は封の存在を把握していなかったようだ。
「それって、本当にあるんですか? 」
背後からの声に、鹿沼は驚いた振り向いた。
ショートヘヤーの小柄な女性が、目をきらきら輝かせて立っていた。
歳はアラサーか・・・否、もっと若い。その横に黒縁の丸眼鏡を掛けたひっつめ髪の茶髪の女性が立っている。 彼女はショートヘヤーの女性よりも年下のようだ。恐らくは会社の先輩後輩の間柄か。二人ともミニスカートにカットソーと言ったラフな服装だが、恐らくはIT関係の会社のスタッフなのだろう。
スーツを強要する鹿沼の会社とは違い、そちらの会社は結構自由な服装での勤務かの所が多く、昼休みにそう言った集団と出会う度に、彼はその自由な社風を羨ましく思ったりしていた。
「封の事ですか? 」
鹿沼がショートヘヤーの彼女に尋ね返す。
「はい。ごめんなさい、話、聞いちゃいました」
にこっと微笑む彼女に、鹿沼は思わず狼狽えた。猫のような大きな眼が、彼をじっと見つめているのだ。
武道に明け暮れていたせいか、プライベートで女性と接する機会がなく話し掛けられると緊張してしまう。特に真正面から見つめられると、まるでメンドウーサの微笑を垣間見たかのように、全身の筋肉ががちがちに石化していた。
会社で部下や同僚達と会話している分には、仕事と割り切れるので、そうでもないのだが。
「お姉さん、都市伝説だよ。彼は超人になりたいらしくて、俺にそのぬっぺらほふの肉巻きおにぎりを作れって言うんだよ」
梶山はにやにや笑いながらその女性に答えた。
「いやあああ、まあ、手に入ればね」
鹿沼は照れ隠しに頭をがりがりと搔いた。
「私も食べてみたいな」
彼女はさっくりと一言呟くと、
「とりあえずは普通の肉巻きおにぎりを下さい」
と、梶山に注文した。
「私も」
連れの女性が続いて注文を入れる。
二人は弔問の品を受け取ると、鹿沼と店長に軽く会釈をし、、公園内の遊歩道へと向かった。
「可愛い娘だったねえ」
梶山は腕組みをすると鹿沼に同意を求めた。
「誰が? 」
さっきまでキッチンの奥にいたはずの結衣が、こけしの様な細いジト目で見据えながら梶山の真横に立ち、包丁の切先を彼の喉元に突きつけている。
「猫の事だよ。ほら、あの桜の木の所にいる」
梶山は狼狽しながら偶然近くを通りかかったキジトラの地域猫を指差した。
突然の御指名に、猫は驚いたような仕草で立ち止まって彼の顔を見ると、物憂げな表情で梶山達を凝視した。
が、結衣と目が合った瞬間、怯えた様な鳴き声を上げると、一目散に変えだした。
包丁を手に持つ彼女の姿に、自分がさばかれてしまうとでも思ったのだろうか。
「あ、なあんだ。猫ね」
結衣の顔に笑顔が戻る。
再びキッチンの奥に戻った妻の後ろ姿を目で追いながら、梶山は安堵の吐息をついた。
「肉巻きおにぎりにされるところだった・・・」
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