第29章 sessyoku

 篠崎彩夏は駅の改札を抜けると、寄り道する事無く家路を急いだ。 

 いつもならコンビニに立ち寄って買い物をするか、ファミレスやカフェで食事を済ませてから帰宅するのだが、その日はそんな気分にはなれなかった。

 喧騒に満ちた駅前の通りを抜け、路地裏に入ると,そこはうって変わって静寂が支配する住宅街が広がっている。

 駅から歩いて十五分程の所にあるワンルームマンションが、彼女の住まいだった。

 民家の間を抜けると、小さな公園が右手に現れた。

 痴漢防止の為か、立ち並ぶ街灯が煌々と灯りを灯し、あちらこちらに設置された防犯カメラが眼を光らせている。

 いつもなら、明るいうちにここを通過するのだが、会社の前にたむろするマスコミ関係者を避けるためにあえて遅くまで会社に留まったのだ。

 惨殺された先輩の佐藤と中村について嗅ぎまわる連中が、退社時の社員にしつこく付き纏ってくるのだ。

 二人は通り魔の被害者で、犯人はまだ捕まっていない――世間的に公表されている情報をそのまま受け取ってくれればいいものの、何処から仕入れたのかしらないが、あの二人の社内での悪評を耳にした週刊誌のルポライターが、執拗に食いついて来るのだ。

 要は、ただの通り魔殺人ではなく、そう見せかけて計画的に殺されたのではと。

 通り魔殺人はカモフラージュで、実の目的はあの二人ではなかったのかと。

 荒唐無稽な話だが、人々の好奇はそう言った不条理な要因に魅かれるのだ。

 事実、その読みは的を得ていた。

 他の犠牲者とは異なり、あの二人を殺害した犯人は篠崎なのだから。

(本当に、私が殺したのだろうか)

 篠崎には実感がなかった。

 あの瞬間、自分が自分でないような感覚に襲われていたのだ。

 まるで、何者かに憑依されたかのように。

 だが、同時にそれは今までに味わった事の無い解放感と高揚感に心身ともに満たされていた。

 常に控え目で、過酷なハラスメントを受ける日々を送っていた彼女が一転して正反対の行動を取るまでに至ったのだ。

 佐藤と田中の執拗で陰湿ないじめに耐え兼ね、自ら命をを絶とうと思ったこともあった。

 そんな彼女が、自らを排除するのではなく、苦痛の根源を排除する結果となった。

 あの時、一気にこみ上げて来た怒りが呼び覚ませた不思議な力――今は、まるで夢でも見ていたかのように息を潜めている。

『その力、選ばれた者だけが手に出来るものだからね』

 彼女を公園から人知れず連れ出してくれた二人の女子がそう教えてくれたのだ。

 見た感じは、二人とも彼女と近い歳のように思えた。

 ただ、二人の行動は眼を見張るものだった。

 突然、篠崎の前に現れた胡散臭い黒服の男を一人の女子が蹴り倒す。

 と、もう一人の女子が彼女の手を引き、公園の植え込みの間を走り出した。

 彼女に導かれるままに、篠崎は道無き道を走り抜けた。

 ふと見ると、すぐ隣をさっき得体の知れない男を蹴倒した女子が並走している。

 正面に、公園を囲う高い塀が彼女達の行く手を阻んでいる。

 不意に、篠崎の身体が手を引く女子に引き寄せられる。

 彼女は篠崎を御姫様抱っこすると、地面を蹴った。

 風を切る浮遊感が篠崎を包み込む。

 一瞬き後、彼女達は近くの雑居ビルの屋上に降り立っていた。

 彼女が篠崎をゆっくりとコンクリートの床面に降ろす。

 信じられなかった。 

 六階建ての、高層建築物ではないとは言え、彼女を抱きかかえたまま跳躍して辿り着けるような場所じゃない。

 すぐ横には、もう一人の女子が涼しげな表情で佇んでいる。

 彼女も、さっきの場所から跳躍してここに降り立ったのだ。

 二人の女子に促され、階下をそっと伺う。

 眼下の公園沿いの車道に、無数のトレーラーが並んでいた。

 出店の関係者?

 違う。彼らは公園の駐車場に車を停めるスペースが与えられている。

 じゃあ、警察の車両か?

 だが、中から現れたのは、濃紺のアーミー服を纏った一団。

 警察の特殊部隊?

 首を傾げながらも興味深く見ていると、彼らは妙な動きを取り始めた。

 公園の入り口を次々に閉鎖し、逃げ惑う人々を次々にトレーラーの中へと誘導し始めたのだ。

(いったい、何が起こったのか)

(ひょっとしたら、自分が殺した佐藤と中村の遺体が見つかって、パニック状態になっているのだろうか)

 足が小刻みに震えていた。

 人を、二人も殺してしまったのだ。

 其れも、同じ会社の先輩を。

 そのうち一人は、篠崎の尿で溺死している。

 尿を調べれば、個人の特定はあっさりできてしまうだろう。

(私、捕まっちゃう・・・)

 さっきまで意識を支配していた高揚感が一気に罪悪感に転じ、更にそれは戦慄へと変貌を遂げ、篠崎の意識を蝕んだ。

 尿で冷たく濡れた下腹部に、再び温かい噴流が溢れる。 

『彼らは君を捕まえに来たんじゃない。他に起きた無差別殺人の対処の為だ』

 背後で低い男声が響く。

 慌てて振り向くと、そこには四十代位の長身の男性が佇んでいた。

 無駄な肉が一切ついていない、引き締まった筋肉質な肉体。

 日焼けした浅黒い顔に、優し気な眼が微笑んでいる。

 彼は、眼下の集団が警察ではなく、「F」と呼ばれる政府の秘密組織である事を告げた。

 篠崎は思い出した。彼女が佐藤と田中を殺害した直後、メインの通りがやけに騒がしかったことを。

 男性は、ちょうどその時に、出店が並ぶ通りで青年三名による惨劇が起きていたらしい。篠崎の凶行に誰も気付かなかったのは、恐らくはその為だと言う。

『Fは君を捕まえたりはしない。何故なら、彼らの仕事はこの手の事件を隠密裏に隠蔽する事だからな』

『隠蔽? 』

『そう。不条理で非現実的な出来事を抹消し、世間が混乱しないようにするのが彼らの仕事だ。私はどうかと思うがね』

 男性は不満げにそう吐き捨てた。

 彼は『霜月』と名乗った。

 とある事件に巻き込まれて、実は死んだことになっていると言う。

 彼も、篠埼同様に突然超常的な力に目覚めた能力者だそうだった。

 因みに、彼女のそばにいる女子二名も同様だった。

 何故、その様な力に目覚めたのか――篠崎は霜月に恐る恐る問い掛けた。

 それは自分自身も含め、霜月と彼女を助けてくれた女子二名についての疑問だった。

『君、最近とんでもなく美味い肉料理を食べなかったか? 』

 霜月の唐突な問い掛けに、篠崎は戸惑いを覚えた。

 その意図が読めなかったのだ。

 彼女の困惑した表情を見て取ったのか、霜月は問い掛けの意味を語ってくれた。

 彼女の力は、「封」と呼ばれるUMAの肉を食べた為に覚醒したらしかった。その肉は、一見、極上の牛の霜降り肉に見えるらしく、鯵や触感も見た目同様、今までに味わった事の無いような、味わい深い風味、旨味、舌触りを兼ね備えているらしい。

 ひょっとしたら――と、鹿沼達と試食した肉の話をしたが、彼は否定的な表情を浮かべた。可能性としてはゼロではないが、「封」の適合者――憑代となった者の覚醒には、個人差はあるものの、実体験では即効性はなかったらしい。反対に、不適合者――凶変する者は、接触後、すぐに症状が出るとの話だった。

 ただ、検証データが彼の実体験以外にはない為、否定は出来ず、他に、食べた記憶がなければ、其れなのかもしれない――それが、彼の答えだった。

 でも、もし、あの時の肉がそれならば、他の人達にも何かしらの変化が生じたはず。

 その疑念は、霜月の一言で解決した。

『何者かが、ほんの一部だけすり替えた可能性がある』

『誰が、そんな事を? 』

『隠形』

 篠崎の問い掛けに、霜月は忌々し気に答えた。

 その組織の詳細は分からない。ただ、分かっているのは「封」を使って無差別テロを行い、その中で凶変せずに能力に目覚めたものを組織に組み入れようとしているらしい。その手法が強引で、今回のイベントも奴らのターゲットになったらしい。

『特に情報を掴んでいた訳じゃないんだけどな。たまたま前に俺と関わった人物を見かけたので、警戒していたんだ』

 霜月は静かな語り口調で言葉を紡いだ。

 それともう一つ。

 「隠形」は封を保有しており、自分もまた、「封」を所有している――そう、彼は語ったのだ。

『封は、諸刃の剣だ。人類の未来を大きく変える神薬であり、魔薬でもある。調べれば分かるから、話しておこう。私も以前誤った使い方をして大きな犠牲を払ったことがある。魔の囁きを真に受けてしまってね。禁断の実を齧ってしまった』

 彼は、苦悶の表情を浮かべると、そう激白した。

『もし、君が良ければ、私達に協力して欲しい。隠形の馬鹿げたやり方を阻止するためにね。Fのやり方では、隠蔽するのが関の山だからな』

 彼の申し出を断る理由が見つからなかった。

 訳の分からない力を身に着けてしまった今、少しでもその事を語れる者がいるだけで、自分は救われるような気がしたのだ。

『ひょっとしたら、Fや隠形が君に接触してくるかもしれない。Fはあくまでも保護を目的として、当の本人の自主的な判断を重んじるが、隠形は強引に誘拐しようとするからな。連絡先を伝えるから何かあったら連絡してくれ』

 霜月はそう言うと、彼女に名刺を渡した。

『ここから出るのは下の連中がいなくなってからのがいい。私はこれで消えるが、後は彼女達が付き合ってくれるから』

 霜月はそう言うと隣のビルに跳躍し、消えた。

『これ、よかったら・・・』

 彼女を御姫様抱っこしてここまで運んでくれた女子が、篠崎にコンビニの袋を手渡した。

 霜月と会話していた時、不意に姿を消したのだが、どうやらコンビニに行って買い物をしてきたらしい。

 篠崎はコンビニ袋の中を見て赤面した。

 そこには、飲み物と一緒に真新しいショーツが一つ。

 彼女は、篠崎がしでかした事に気付いていたのだ。恐らくは、抱きかかえた時に感づいたのだろう。

 その後、二人は、Fの一団がいなくなるまで彼女に付き添い、色々と疑問に答えてくれた。

 二人とも彼女より年上で、大学院生だと分かった。霜月が、彼女達の所属する研究室の准教授だと言う事も。

『安心して。今のあなたなら、連中が仕掛けて来ても十分に身を守れるから』

 別れ際に、彼女達は篠崎にそう語った。

 そう。

 私は何も恐れる必要が無いのだ。

 篠崎の中に、安堵の気持ちが充足していく。

 不意に、彼女を妙な感覚が捉える。

 意識が、ぞわぞわするのだ。

(感じる・・・誰かが私を見ている)

(背後だ。それも一人じゃない)

 篠崎は、相手に悟られぬよう、歩調を徐々に早めた。

 と、背後の気配も歩調を合わせるかのようにペースを上げて来る。

(駆け出した方がいいか・・・それとも、繁華街の方へ出ようか)

 彼女がそう思案した刹那、不意に目の前に黒い人影が現れた。

 全身黒ずくめの服に黒い帽子。顔を覆う黒いマスクで顔は見えない。

 が、がっちりとした体格と獣のような体臭から、若い男だと想像がついた。

 パラパラと駆け寄る人影。

 振り向くと、背後に三名。

(囲まれてしまった)

 戦慄が篠崎を捉える。

 相手は隠形? それともF?

「へへっ、お姉さん、俺達と遊ばない? 」 

 正面に立つ影の一人が、猥雑な言葉を篠崎に吐いた。

 

 



 


 

 


 

 

 

 

 


 

  

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