第25章 ginen

「今回の件は単純なようで複雑ね」

 八雲香織は表情を歪めた。

 ミートフェスタ事件を鎮静した一時間後に、望結達関係者はFの会議室に顔を連ねていた。

 蓮はノートパソコンのキーを叩きながら、モニターに惨状を映し出している。

「そ。妙な事ばかりよねえ」

 西條莉音は相槌を打つと、そっと望結に目線を向けた。

 望結は無言のまま、静かに頷く。

「凜さんを襲った連中ですが――申し訳ありません。我々救護班の包囲網には引っ掛かりませんでした」

 日焼けした短髪の男性が心苦し気に目を伏せた。

 三十代半ば位か。カーキ色のシャツとパンツに包まれた、細身ながら圧を感じる筋肉質な鍛えぬかれた肉体は、重厚感を醸している。

 田島敬人――救護班の班長であり、Fが誇る猛者の一人である。警察の元特殊部隊に属しており、その前は自衛官だったという経歴の持ち主だ。

「処理班も同様です。五人が消えた周辺をくまなく探したのですが、痕跡すら見当たりませんでした」

 細身の銀縁眼鏡の青年が、田島に追従した。歳は田島より若いものの、落ち着き払った物腰は何処か老成しているように思えた。恐らくは今までに過酷な経験と訓練を積み重ねた結果なのだろう。

 東宮響――現場の事後処理を担当する班長。田島同様、警察の元特殊部隊に属していた経歴を持つ。

「公園の至る所にあった防犯カメラも、データをハードディスクごと全部抜き取られていました。消去だけでしたら、復活させられるとでも思ったんでしょうか。やることが荒っぽいです」

 蓮が忌々し気に吐き捨てた。

「凶変した三人の身元は? 」

 八雲が蓮に問い掛けた。

「モニターに出します」

 蓮がノートパソコンのキーを叩いた。

 顔写真と共に、三人の個人情報がモニターに映し出される。

『橋本 直哉 二十一歳 K大経済学部 柔道部所属』

『藤野 優裕 ニ十歳  K大国文学部 柔道部所属』

『須本 康弘 二十歳  K大経済学部 柔道部所属』

「三人とも、大学の柔道部員とは。格闘技の経験者が凶変か・・・最悪だな」

 田島が眉を顰めた。

「彼らが凶変した原因なんですが、恐らくは調理用の肉に封を紛れ込ませたものと思われます」

 蓮が淡々と語る。

「今回のミートフェスタを開催するに当たり、地元保健所より、食中毒対策と称して、異例の原材料チェックを掛けています。原則ジビエは禁止。異なる肉が紛れ込んでも、一目で分かるようにしていますし、各ブースにも不審物があれば情報を共有するように依頼していました」

「チェックをかいくぐって持ち込んだ奴がいるって事ですか? 開催前に我々も保健所の職員になりすましてチェックを掛けたんですけど」

 東宮は不満気に首を傾げた。

「今回のテロを企てた組織の内通者が、調理スタッフの中にいたのでは? 恐らくは極秘に持ち込んで」

 凜が徐に語った。

「確かに」

 八雲が唸る。

「その組織って、やっぱり隠形? 」

 西條が蓮の顔を食い入るように見つめた。

「はっきりとはしてませんが、恐らくはそうです。今回の我々の布陣も、隠形とつながりがあると思われる『烏森』という人物が、ミートフェスタの運営と接触していたという情報を入手したのがきっかけですから」

 蓮は頷き、そう答えると、更に言葉を続けた。

「彼らが殺めた被害者何ですが、看護師が二人と店のスタッフが一人。ただ、妙な事に、出店のテント裏で別の被害者が見つかっているんです。二人とも女性で、一人は壁に叩きつけられて全身激しく損傷。もう一人は両肩が潰されてはいましたが、死因はそれではなく、溺死でした」

「溺死? 」

 田島が訝しげな表情を浮かべる。

「それも、尿で」

 蓮は困惑しつつも言葉を綴った。

「何だそれは・・・」

 田島が唸る。

「確かに、あれは尿でした。実に悪趣味な殺し方ですよね」

 東宮は蓮の言葉にフォローを入れる。

「成分を調べたんですが、凶変者三名とは一致しませんでしたし、勿論、彼女ら被害者自身のものでもなかったです」

「他にも凶変者がいると? 」

 田島が眉を顰めた。自分達が把握していない凶変者がまだ公園にいるのだ。

「まさか、凶変者を二人も沈めたと言う男性が? 確か、彼も行方が掴めていない。彼も凶変していたというのか」

 田島の顔色が変わる。凶変者が街に紛れたとなると、また裂く陸を繰り返す可能性がある。

「それはないかな。私が見る限り、彼の動きは理性あるものの動きでしたね」

 現場で一部始終を目撃していた西條が口をはさむ。

「同感です。彼ではなさそうです。両肩を踏みつぶされた被害者の衣服に足跡が残っていました。二十二センチから二十三センチでしたから、このサイズ感で行くと女性のものと思われます」

 東宮が冷静な口調で答えた。

「女性? 」

「ええ、恐らく」

 八雲の問い掛けに、東宮が頷く。

「じゃあ、女性の凶変者がいたと? 」

 八雲が唸る。

「凶変者ではないと思います。恐らくは、封の適正にあった者――憑代だと」

 蓮の言葉が重く響き渡る。

「ひょっとして、被害者の女性二人が凶変者で、襲われた女性が覚醒して反撃したのか? 」

 田島が苦悶の表情を浮かべた。

「私もそう考えました。でも、被害者の女性に二名には、封を喫食した痕跡が見当たらなかったんです」

 蓮がすかさずそう答える。

「じゃあ、理性のある状態で、二人に手を掛けたというのか? 」

 田島は声を荒げると、疑念に表情を歪めた。

「分かりません。ですが、被害者の背景も調べる必要があります。そこから憑代と化した人物までたどり着けるかも知れません」

 蓮が、淡々とした口調で語った。

 室内に静寂が訪れる。

 正当な解釈だった。理性のある状態の人間が、急遽思いも寄らぬ力を手に入れたらどうなるのか――その答えは、被害者自身に関わるエピソードが、大きく関わって来るように思われた。

「じゃあ、被害者の人間関係を調べてみましょうか。ひょっとしたら、何かしらの怨恨が絡んでいるかもしれませんね」

 八雲が、静かにそう答えた。

「あのう、話がそれてしまうんですけど」

 望結が、そっと声を上げた。

「霜月は何故、あの場に現れたのでしょうか。偶然の様には思えないのです」

「そうよね。それも謎の一つ」

 八雲が頷く。

「彼が、私を助けてくれた時、今回の騒ぎは自分ではないとは言っていました。彼の意見では隠形によるものだろうと」

 凜が重い口を開いた。彼女的には、危機を救ってもらったものの、相反する立場であるだけに、ある意味それは屈辱的な行為だった。

「結局、霜月も消息を絶ったのよね」

 八雲は不満気に呟いた。

 室内の空気が、一気に緊張と重圧に包まれる。

 部下の失態に激高するタイプではないのだが、押し殺した感情が、言葉の一つ一つに宿っているのが伺われた。

「では早速ですが、田島さんは救護者の中にその後何か異変を訴えた方がいないか調べてください。東宮さんは、被害者の身辺調査をお願いします。報告会はこれで終了します」

「承知しました」

「早速任務に就きます」

 田島と東宮は八雲に一礼すると、会議室から退出した。

「望結さん、初めての制圧体験、どうだった? 」

 八雲が優しく望結に語り掛けた。

「無我夢中でした。でも、西條さんがいらしたので安心でした」

 望結は隣の西條に会釈した。

「大したものよ。風前の灯だった親子を救ったし、凶変者を同時に二名倒したしね」

 西條は眼を細めて望結を見た。

「凜さんから鍛えて貰った成果が出たわね」

 八雲が満足げに頷く。

「そんな――彼女の努力の賜物です」

 凜が謙遜しつつ望結の頭をぐりぐりと撫でた。

「お疲れさまでした。皆さんは一旦通常業務に戻って下さい」

 八雲がみんなの顔を見回しながらそう言った。

「公園自体はもう調査しないのですか? 」

 蓮が八雲に問い掛ける。

「大丈夫。真堂さんに依頼しました」

 八雲が答えると、不意に会議室のドアが開いた。




 


 

 

 

 

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