第25話 立ち退き命令

 こうも背景を明かされてしまうと、『知り合いのよしみで、ちょちょいっと治してくださいよー』とは絶対に言えなくなる。

 というか『最近は入り用』だったと言葉を濁して伝えられたのだが、その内訳も大半は俺たち稀人まれびとの対応に時間と手間を割いたり、ご馳走を振る舞ったりしたためだろう。あのときの御恩がこんなかせになって返ってくるとは思わなかった。

 ましてや冒険都市の最高戦力の一角であるトワルデさんのレベルを俺たちのためだけに下げていただいて、さらに借りを作るなんて到底頼めることではない。


 気まずい沈黙が流れたので、「無理を言い出してごめんなさい」と引き下がった。

 トワルデさんもできるなら快く要望に応じて治癒したいだろう。しかし、都市の安全を護る責任者である立場上それができないのだ。

 

「ごめんなさいね。あなた方ならば確実に後から補填いただけるでしょうから、お金が準備できなくても私の余力さえ確保できればすぐにでも治癒はするのですが……」と今できる最大限の配慮を申し出ながらも、ふと思い至ったように眉根を寄せて言いづらそうに補足する。


「……治癒するのであれば、スラムからはお引越しした方が良いと思います。腕が完治したとなればすぐに知れ渡り、あらぬ注目を受けるかもしれません」



 帰路の足取りは重かった。

 最上級回復魔法の術者がトワルデさんであったと判明し、治療費は後払いでいい、施術の順番は最大限に優先するとしてくれたのは破格の待遇だろう。

 しかし、お引越しの課題が上乗せされるとは予想外だった。

 だが考えてみれば当たり前のことだ。ラドナは有名人であるし、スラムの世間は狭い。その右腕が治ったとなれば、瞬く間に誰もの知るところとなるだろう。そうなれば金の出所は!? 教会とコネがあるのか!? と噂に尾ひれがついて広まることとなる。

 俺たちは何も持たないスラムの一住民と思われているからこそ今の平穏がある。大金を隠し持っている、あるいは有力者と強い繋がりがあると誤解されれば、良からぬことを考える者が出てきかねない。その矛先が俺たちに向けられるだけなら自衛もできるだろう。しかし、スラムの子供達に魔の手が忍び寄った場合、最悪は人質に取られたのなら被害を出さずに済む保証はなくなる。

 確かにトワルデさんの懸念は至極真っ当で、起こりうる最悪の未来を示唆するものであった。


 スラムに帰ると、何やら辺りが騒がしかった。皆が紙を片手にやかましく話している。嫌な予感に自然と足早になる。

 俺たちの住み処に着けば、年長の女の子が足早に駆け寄ってきて、「鎧の人たちがこの紙を配ってて……」と震える声で訴えてきた。他の子たちも不安げに俺たちに読むようにお願いしてくる。この子たちは文字が読めない。冒険者生活が落ち着いたら教えようかと思っていたが、まだその段階ではなかったのだ。

 しかし、文字が読めなくても、いや目を通す前の俺たちですらその文書の内容には察しが付いている。

 嫌な予感の通り、その文書の見出しは「立ち退き命令」であった。鉱山ギルドの大きな印が押され、その文書の正当性を主張していた。

 

 文書の内容は要約すればこの通りだ。

 鉱山ギルドによる一帯の開発が決まった。当該区画を不法占拠している者は速やかに立ち退くことを命じる。3日後に再び来た時には魔法を行使して一帯を誰もいない更地にする。

 

 何とも一方的な命令であった。しかし、勝手に住み着いているのは俺たちである。権利的には開発者の言い分が完全に正当である。こうなるともう待ったなしで引越し先を探さなければならない。


「ラドナ、この辺りの土地・建物の相場は分かるか?」


「いや、私はスラムに来る前は宿暮らしだった。独り身の冒険者は住居を構えないぞ」


 そうだろうな。だから冒険者ギルドの一帯は現代の主要都市の駅周辺のビジネスホテルのように階を重ねた宿が軒を連ねているのだ。冒険者が家を構えるのは、十分に稼業に成功して行き付けの店なりから伴侶を見初めたときのずっと先の段階だろう。

 となれば新しい住まいを探すしかないだろう。


「私が街中で調査するのはあまり……」

「あたしもそういうのは疎くて……」


 リッテは種族の関係もあって不用意に街中で聞き込むのはよろしくないだろう。チユキは社会人経験もないことだし、となると消去法ではあるが俺が調べるべきだろう。

 難題ではあるが、差し当たって冒険者ギルドに住宅事情を尋ねてみるとしよう。

 

 結論から言えば、引っ越し先が見つかるわけもなかった。

 冒険者ギルドは確かにお金を貸してくれる。しかし、それは家賃の前借り程度のもので、家や土地を買う資金の足しになるものではない。

 さらに俺たちの求めるべき条件が難しすぎる。大人4人と子供10人という超大所帯なので、まず既存の建売物件が該当しない。となると土地だけの確保を目指すことになるが、大変な労力で維持している城壁内は土地価格も高騰している。数年かけて貯蓄するならまだしも、数日では到底工面できるものではない。スラム住まいとなれば信用もなく大金も借りられない。


 結局は何の目処も得られないまま、期限の3日後を迎えることとなった。一応の準備で確認したことといえば、カードに住まいを仕舞えることである。10数枚のカードを行使すれば、スラムの簡素な家くらい簡単に整理して持ち運べることが分かった。

 となると最悪の場合は、城壁の外に今の住居を展開して交代の番をしながら暮らすことになるだろう。そうなれば大幅な戦力ダウンとなるので、結局は別の未開発のウォールサイド・スラムに引っ越すしかないのだろう。

 実際にスラムのご近所さんたちは真っ先に他のスラムに移り住んだらしい。スラムからスラムへ何度も転々とした経験のある人も多いようだ。このバタバタとした開発前の引越し騒ぎも、スラムに暮らしなれた人にとっては恒例の光景なのだろう。ただ俺たちがスラム住まいを脱しようと背伸びして遠回りしたために、準備不足で期限を迎えることになっただけなのだ。


 辺りの住居は無人となり、めぼしいものは持ち去られて、風がいつもより強く吹き抜けている。スラムのご近所さんたちはなんだかんだで身の丈に合った生きる術を身に付けており、ちゃんと移住済みのようであった。出遅れたのは俺たちくらいだったのだ。

 今の住居をカードに仕舞った上で、せめて開発者に直談判してみるかと4人と子供たちで立ち退き命令の刻限を待っていた。ちなみにスラムのご近所さんには直談判なんて無駄だからやめておけと言われた。でもダメなら元々でぶつかってみて、この異世界での無茶を試してみたいと思っていた。

 人のいなくなった住居を使ってかくれんぼをして子供たちと遊びながら、本当に誰も居なくなったんだなと実感しているうちに、遠くより金属が擦れる音が混じり、重い足音が近づいてきた。重装鎧兵たちが接近しているのだ。

 子供たちにかくれんぼをやめて、みんなで集合するように指示した。そして、鉱山ギルドご一行と対面することとなった。


「なによ。何でまだ人がいるのよ」


 4名の重装鎧兵を伴って、場違いな令嬢がそこに現れた。パーマの当てられた金髪で、ブルーの瞳が冷ややかにこちらを見ている。

 青みがかった黒色のローブはいかにも高貴で、金の宝石が先端にあしらわれたロッドは高等な魔法使いといった出で立ちだ。年若く、俺たちと変わらない年齢に見える。人形のように整った顔立ちもまた住む世界の違いを感じさせた。


 話が通じる気もしないのだが、半ばヤケクソでベラベラ話すとしよう。

 交渉は俺の仕事だ。成果を上げられる見込みは薄いが、やってみるしかない。

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