第1話 その4

 翌朝、教室ではすでにホームルームが始まっていた。教壇では教師が一人ずつ生徒の名前を呼んで出欠を確認していた。

「中谷……は、今日も保健室だな」

 中谷というのは、昨日も一人だけ登校していなかった女子生徒のことだった。

 悦司にとってもほとんど記憶に残っていない生徒で、入学式以来、毎日のように保健室登校をしているのだという。

 誰も座っていない席をぼんやり眺めていた悦司は、なぜか同じように中谷の席を見ていた美穂と目が合った。

(そういえば美穂が「たまに保健室まで様子を見に行ってる」って言ってたような……)

 美穂は悦司の顔を見て、ニコッと笑ってから前を向いた。


 悦司は解散のことが予想してた以上にショックだったのか、その後の授業にも身が入らなかった。

 そのまま放課後になると、帰り支度を始めていた悦司の席に美穂がやってきた。

「悦司、一緒に帰ろう」

「ああ」

「と、その前に保健室に寄っていいかな?聖愛(まりあ)ちゃんの……えっと、中谷さんのところにプリント持って行きたいんだ」

「うん、構わないよ」

 帰り支度を終えた悦司と美穂は鞄を持ち、教室から保健室に向かって歩き始めた。


 校舎の一階にある保健室までは少し距離があった。二人は1年A組の教室がある二階の廊下を並んで歩いていた。

 どこかぼんやりしている悦司のことを気遣った美穂が、笑顔で話しかけてきた。

「どう?相方は見つかりそう?」

「やっぱり同じクラスからは難しそうかな……」

「そっか。悦司の相方となると、みんなも尻込みしちゃうよね」

「ぜんぜんそんなことはないんだけどな」

「いやー、やっぱり怖いって」

 二人は階段を降り、一階についた。ここで悦司は思い切って美穂に相談してみた。

「なぁ、美穂は誰か『こいつなら』って推薦できそうな人はいる?」

「そうだなぁ……実は一人だけいるんだけど、女の子なんだよね」

「オレは男でも女でも、構わないんだけど」

「その子、センスはありそうなんだけどさ、ここの方が耐えられなさそうなんだよね」

 美穂はそう言って、自分の親指で胸のあたりを指した。

「そっか……確かにオレはネタのこととなると、ギリギリまで攻めるからな」

「そうなんだよね……」

 美穂はそのまま口ごもってしまった。

(女子か……女子とコンビを組むなんて、今まで考えたこと無かったけど……)

 美穂からの意外な提案、――「女子の相方」というアイデアを聞いた悦司の頭の中には、なぜか昨日の生配信で偶然見つけた金髪のギャルの顔が浮かんでいた。

 何やら考え事を始めた様子の悦司を見て、美穂は話をやめ、そのまま無言で保健室に向かった。


 保健室は校舎の一階の一番奥の突き当りにある。

 その手前にある職員室に差し掛かったところで、タイミングよく扉が開き、一人の女子生徒が出てきた。

 その女子生徒は、悦司も同じクラスで見たことがある生徒だった。

「あ、鮎川さん。さようなら」

「……」

 鮎川と呼ばれた女子生徒は学校指定の鞄を提げ、黒いセミロングの髪をなびかせて、二人の横を無言で通り過ぎて行った。

 その瞬間、景色がスローモーションになった。

 ――悦司は見つけてしまった。学校指定のバッグにつけられたアクセサリーを。

 ――歩くたびに揺れる、変な色をした人形のキーホルダーを。

「おい、お前!そのキーホルダー!」

「は?何?誰?」

 鮎川は驚いた顔をして立ち止まり、振り向いた。

「オレ、同じクラスの椎名、椎名悦司だけど」

「……知らない」

「ねぇ悦司、鮎川さんがどうかしたの?」

 美穂が怪訝そうに悦司の顔を見た。

「あれ?やっぱ違うか。昨日のあいつは金髪だったしな」

 悦司は昨日の配信者が持っていたものと同じキーホルダーを見て「もしかしたら」と思っていたのだった。

「何?意味分かんない」

 鮎川はそう吐き捨てると、悦司と美穂を置いて、スタスタと歩いて行ってしまった。

 悦司は去っていく鮎川の背中をじっと見つめていた。

「……なぁ美穂、悪いんだけど、先に保健室に行っててくれないか?」

「えっ?」

「すぐに行くから」

「……ちょ、ちょっと!」

 悦司は美穂をそこに置いたまま、鮎川の後を追った。


「ねぇ鮎川さん!鮎川さん!ちょっと待って!」

 悦司は思ったよりも早足で歩いていく鮎川を追いかけ続け、ようやく昇降口で追いついた。

「なぁ、ちょっとだけ確かめさせてくれないかな?」

「何なの…?さっきから。キモいんだけど」

「どうしても引っかかることがあるんだ」

「わたしにはないんだけど」

 帰ろうとする鮎川の肩を、悦司が掴んだ。

「なぁ鮎川……お前……「インフルエンサー」だろ」

「えっ?えっ?ちょっとまって!?なに?なんで?なんで?」

 鮎川は突然赤面してオロオロしはじめた。

「おいマジか!こんなミラクルないだろ!」

「えっ、も、も、もしかして、見てた系の人?!」

「そっか。なるほどな。あの金髪の違和感はウィッグだったからか」

「な、な、何のことやら……」

 完全に目が泳いでいる。悦司はさらに続けた。

「クラスに女子は一人だけって言ってなかったっけ?」

「言ってな……じゃなくて、な、何のことかな?」

「スクールカーストの頂点なんだよね?誰かと話してるの見たこと無いけど」

「うるさい、バカ。死ね!」

「お前。そういう言い方、良くないぞ。『有名になりたい』って書いてあっただろ」

「ぐはっ!う、うぅ……」

「もしお前が有名になったら、そういう一言が命取りになるんだからな」

「うるさいな。『お前、お前』言わないでよ!」

「じゃあ『マホトーン』の方がいいか?」

「バカ!やめろ!」

「そしたら鮎川さんで」

「やめて!マジキモい!」


 昇降口で大声で怒鳴りあっていたところに、保健室での用を済ませた美穂がやってきた。

「悦司、もう終わったよ……って、どうしたの?」

 美穂は急に曇った顔に変わり、悦司と鮎川を交互に見た。

「……ねえ、悦司、鮎川さんと何してるの?」

「は?誰?この人」

「マホ……じゃなくて、お前、クラスメイトの名前ぜんぜん覚えてないだろ。武内だよ。武内美穂」

「知らない。あんたのことも、この人のことも知らない」

「それでよく『わたしはクラスの人気者』なんて言ってたな」

「そ、そんなこと言ってない……」

 悦司は意地悪心が芽生えたのか、まだ不審そうな顔をしている美穂に向かって、こんなことを尋ねた。

「なぁ、美穂、あいつが鞄にぶら下げているキーホルダー、見たことあるか?」

「えっ…?」

 美穂は鮎川の鞄を見た。変な色の人形がぶら下がっていたが、全く見覚えが無かった。

「ちょっと見たことないけど……どうかしたの?」

「それがさ、こいつ昨日、全員に配……」

「もうやめろ!やめろー!!」

 赤面したまま大声で怒鳴った鮎川は、その場にいることに耐えられず、走り去ってしまった。

「ははっ。あいつ面白いな」

「……えっ?どこが?」

 嬉しそうな悦司の顔を見て、美穂の表情がさらに曇った。

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