死神と女神 アルタイルとベガ
アルタイルは、彦星とされるわし座の星。
ベガは、織姫とされること座の星。
死神と女神の生きる世界に、星座なんてものがしっかりとわかるような親切な空はないけれど、数えきれない星の中からわざわざ名付けられるとは、さぞ美しい星なのだろうと想像を膨らませることは出来る。
ただし想像は想像の域を出ることなく、実際にこの目で見ることは叶わない。
出来て、その名を冠した2人の魔法剣士と対峙するくらいだ。
ただし立ち塞がる死神が通したことがないので、女神は一度も会うどころか、顔さえ見たことがないのだが。
「会ってみたいわ。そうでなくとも、顔を見てみたい」
どういう経緯だったか、彼らの話になった女神は突然そんなことを言い出した。
迷惑だとか面倒だとかは思わなかったし、むしろ彼女なら言いそうだなと思っていたので、端的に言えば想像通りの結果だったのだけれど、しかし本当にその通りになるなんてと驚いている自分自身の存在をも、死神は感じざるを得なかった。
「ダメ?」
【……顔を見に行くのは構わん。しかしあの者らの居所も掴めぬままの散策は、時間の浪費であろう】
「そこは大丈夫よ。大体の見当はついてるわ」
【まさか、そのために女神としての権能を】
「だって、他に使い道もないのだもの」
力の無駄遣い――とは、もう言うまい。
彼女の場合、宝の持ち腐れ。使わねば損。
もしも他の局面で、それこそ戦闘において使わせるようなことがあれば、死神にとってこれ以上ない恥であり、一所か一生か、いずれにしても紛れもない不覚。
故に彼女の権能の無駄遣いは、未だ死神が無敗であることを象徴してもいたし、認識できるうちはまだ、負けていないことの証明でもあった。
【して、顔を見てどうするというのだ】
「え? 別に何も? だって、特に用件もないし……顔を見るだけでいいわ? え、ダメ?」
【いや、構わぬ】
* * * * *
「アルタイル。おまえさん、例の死神にまた挑んだんだって?」
「あぁ。結局、また勝てなかったけれどな」
アルタイルと同じ制服を着て、前の席に座る男子生徒。
ただしその頭には角があり、耳も人間の位置にはない。簡潔に言って、人と鹿を足して同じ量で割ったような姿をした、獣人であった。
九つの王国の一つ、イエロー・ブレイヴ。
様々な種族の生徒らと共にこの世界の仕組みや、モンスターの倒し方など『Another・Color』について学べる魔導学校が、現在のアルタイルとベガの学校である。
同じ学校に通って勉強する。
奇しくも2人の目標は、架空の電子世界にて叶う形となっていた。
尤も、本来ならばとっくに卒業して、次の段階へと進まなければならないだろうに、2人の籍は未だ学校にある。
同級生を構築するプログラムが2人を訝しむことさえないものの、現実世界のことを勉強する施設として最適だからと用意されていることも理解していながら、やはり2人は違和感を感じずにはいられなかった。
「ベガのそのペンダント、凄い綺麗だね!」
「でしょでしょ?! アルタイルが買ってくれたの!」
「もう、見せびらかしちゃって、このこのぉ!」
この会話も、一体何度しただろう。
彼らはあくまでNPC。
どれだけ高性能だろうと、組み込まれたプログラムにない言動は決してしない。
故に言動はパターン化されており、どれだけ多くのパターンが用意されていたとしても、どうしても限界が生じる。
故にどうしても同じ言動、同じ会話が繰り返されるのは仕方のないこと――と、2人は割り切ることさえ出来ずにいた。
4年経とうと10年経とうと慣れないだろうし、慣れてはいけないと思う。
そもそも設計した側も、最高でも3年の在籍を想定していたし、2人のように毎日通うなんて想定はしていなかったから、それこそ計算外。
回避し切れない弊害だった。
「叩けば増えるぅ! そんな夢のビスケットは如何かな?! ただし、ポケットの中では叩かないように! 砕いたときの掃除が大変だからねぇ!」
独特な言い回しでビスケットを売る男。
彼に群がり、ビスケットを買うNPC。
はしゃぐ子供達も、彼らに催促される親も、一体何度、見たことだろう。
最初こそ微笑ましい光景だと見ていたものの、わざわざ見なければ視界にさえ入らない光景に成り下がってしまったことにさえ、2人は気付けない。
もはや、かつて微笑ましいと思ったことのある光景さえ、素通りしていた。
「大丈夫か」
「うん……さすがに、ちょっと疲れて来ちゃったかも」
「毎日毎日、同じことの繰り返しみたいだからな……」
毎日学校に通い、授業を受けて、帰って、食事して、寝る。
現実世界なら、皆がここに読書然りテレビ然り、それこそゲーム然り。何かしら娯楽を挟んで気を紛らわすことだろう。
非現実に身を投じ、現実逃避することだろう。
だが2人がいる世界こそ、皆が逃げて来る非現実の仮想世界。
2人には逃げる非現実がなく、心の拠り所は互いに互いだけ。
それこそ恋愛感情を持つが故、温もりを求めるようなことさえあっても、倫理コードやらが働いて、その手の接触は弾かれる。
お陰で節度ある接触が出来ている部分はあったけれど、壊れてまで逃げたいと思った際の逃げ場が、ひたすらモンスターを蹂躙するというのは余りにも悲しくて、自暴自棄になることは珍しくなかった。
「みんなはもう、大学生……だよね」
「そうだね」
「来年になったら、私達ももう二十歳、だよね」
「……そうだね」
「私達、いつになったら、大人になれるのかな」
時計は進み、各週イベントも稼働しており、時間は進んでいるはずなのに、実感がない。
用意されたアカウントは歳を取らず、年齢による成長も老化も進化も衰退もしない。死んだとしても蘇生され、スタート地点に戻ってくるだけ。
アイテムは使った先から消えて、残るものは現実に握る機会もない命を狩るためにしか機能しない刃のみ。
自分が人間であることさえ、忘れてしまいそうになる。
自分達が、来年度には世間的に成人となることさえ忘れそうになる。
単純に数値化され、表示されるレベル。
4年もの間『Another・Color』に居続けた2人のそれは、何度も言うように、他のプレイヤーが追い付けないずっと上。
運営が設けた上限に、最も近い場所にいる。
しかし――だから何だと言うのだ。
プレイヤーらは凄いと称える。
たかがゲームと言えど、逸脱していることには違いない。
未だ、他の誰も同じ領域にいないだけ、2人のレベルは表示されている数値よりも大きな意味を持っていると言ってもいい。
将棋や囲碁にプロが存在し、協会があり、金銭の発生する歴史ある大会が開催されることに誰も疑問の余地を挟まないが、言ってしまえば、あれらもボードゲームに括られる。
だがコンピューターゲームとなると、途端にプロとは何かと定義を求め、強い拒絶を覚える人も出てくる時代が永く在った。
それでもやがて時代が認め始めプロゲーマーという言葉が生まれ、Eスポーツという形で大会が開かれることも多くなった。
ゲーマーに限らず、ゲームを愛する人は逸脱して上手い人に対して称賛を送ることを躊躇わず、嫉妬どころか尊敬し、敬愛の念を抱くことさえ少なくない。
『Another・Color』というゲームにおいて、2人は他のプレイヤーからしてみれば、敬愛すら抱く存在――それこそ将棋や囲碁で言うところの名人に位置されるだろう。
だが、プレイヤーの誰もが知らない。2人が望んで、この世界にいるわけでないことを。
そもそもプレイヤーですらなく、2人にとって『Another・Color』というゲームが、もはやゲームと呼べない世界となって、彼らの心に深く侵食していることさえ、知る由もない。
ゲームの世界を自分自身の世界と混同し、自我をゲームの世界に置いてしまう者さえいるが、2人は強制的にゲームの世界に自我を置かれた身。
自ら求めて置いたわけでなく、現実での起床を求め続ける2人には、不変過ぎる世界は自我を奪い来る怪物にさえ感じられて仕方ない。
それこそ『Another・Color』――別の色へと、何者でもない他人へと、染められてしまいそうになることに、毎日怯えている。
拠り所もなく、唯一の支えは互いという存在そのもの。相手も壊れそうであることを理解しつつ、自分も壊れまいとしながら壊すまいとしつつ支えに縋る――これ以上ない難しさ。
そしてこの現状を逃避するための異世界は、存在しない。
「ねぇ……私達、大人になるのかな。なったとして、それを自覚できるのかな。大人になったって、わかるのかな」
レベルはレベルだ。
特定の領域――この場合は『Another・Color』という電子世界――でしか通用しない、自分の能力を総合し、統合し、数値化した物。これ以上なく簡略化して、明確化して、明白化して、可視化した物。
自身の成長具合を明白に可視化し、いつでも確認することが出来ることに安心感を覚える人もいるだろうが、2人が求める成長とは肉体でもなく精神でもなく、最も単純な成長――年齢の成長、つまりは老化である。
老化と言えば聞こえは悪いが、しかしたった4年とはいえ、たかが4年とはいえ、育ち盛りの青春真っただ中にいたはずの若者2人。肉体的にも精神的にも、方向性こそわからないが、それでも大きく成長するはずだった。
だが与えられたアカウントは老いもしなければ死にもしない。
不老不死と言えば聞こえはいいかもしれないが、そんな好都合な代物ではなく、実際には肉体と精神が乖離した何とも奇妙な状態。
本当の肉体の現状も、自分達と同級生になるはずだった同い年の人達が、一体どのような成長を遂げているのかも、実際には知らない。知ることが出来ない。
現実世界の彼らが教えてくれるのは、世間の流れ。世界の流れだ。いわば現代社会という授業を毎日受けているだけだ。
本当に、いつか来るだろう起床の時から、回復した後の将来を見越しての事だったが、2人が欲しい安寧は、今にこそあった。
「アルタイル……私、時々あなたの名前、忘れそうになるの。アルタイルじゃないってわかってるのに、思い出せなくなりそうなの。自分もベガじゃないはずなのに、ベガって名前が頭にくっ付いてるの……どうしよう、ねぇ――
「個人情報保護法なんて法律を憎んでも、仕方ない。それで救われている人もいるし、迷惑している人もいる。だけど
抱き合う男女。
2人がアルタイルとベガだと知って、一瞬立ち止まるも、凝視してはいけない場面だなとわかってそそくさと去っていくプレイヤーが、何人かいた。
凝視していたのはただ1人、建物の陰から覗き込む、架空世界最強の女神だけ。
【気は済んだか】
「えぇ。思ってたより良さそうじゃない。なんだか、他のプレイヤーとは違うものを感じる」
【感じるまでもなく。最初から、知っていたであろうに。汝に与えられた権限を駆使すれば、プレイヤーの情報などわざわざ足を運び、翼を広げて羽ばたかせる必要もなく、知ることは易い】
「情報としては、ね。でも、実際に見ると聞くのと、ただページを開けば出てくる文章を黙読しただけで得られる知識とじゃ、情報の種類が違う。あなただって、実際に受けるのと聞くのとで、対応が変わって来るでしょう? 要はそう言うことよ」
【そこまで興味を引く項目が、彼らにはあるのか】
「項目じゃないわ。そう、あの子達に関する項目なんて、一切なかった。他のプレイヤーに関する情報はビッシリと、老眼鏡だか双眼鏡だかわからない何かを使わないと苦労しそうなくらいにあったけれど――だから来たのよ。あの子達の情報は、あの子達っていう人間はあそこにしかいないのだから」
【人間、と言ったか】
「あなたは人間がお嫌い? 私達を作った創造主たる人間が」
女神の問いに、死神は沈黙し、考える。
それこそ棚に上げるわけでもないが、霧の状態から実体を得て、彼女を肩に乗せてから、
【所詮は斬り捨てる命。格差などない】
と、淡泊なのか投げやりなのか、どうでもいいとさえ思っているのではないかとさえ思う回答を返して来た。
けれど女神は、それこそ頬を紅潮させて笑う。
「そっか」
若干嬉しそうな声音を残し、女神を担いだ死神は消える。
対面しておらず、対峙もしておらず、一方的に顔を覗き見ただけの邂逅とも言えない、エンカウントとも呼ぶべきなのかわからないこの巡り合わせが、果たしてどのように回るのか。
知恵の権能を司る女神とて、知る術はない。
ただ彼女を構築するプログラムが演算した結果、最初に自分の下へ到達するのは彼らだろうと――いや、彼らがいいなと思ったのは、ただの女神の我儘である。
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