2 好奇心は少女を変える

 私が最初に与えられた仕事は事務所内の簡単な清掃や必要書類のコピー、その他買い出しなど所謂雑用のみだった。清掃と言ってももちろんビル全体ではない。面接を受けたワンフロアのみで、ほかの場所はというと社員が当番でやっているらしい。食事や洗濯もそうだ。


 結果として私の仕事は想像していたよりずっと楽なものだった。ただ、社員の人達に自己紹介をした時、思っていた以上に冷たい反応……というより一人を除き完全に無視されたのが心に引っかかっている。




 私が名前を知っている社員は四人だけ。事務所長の神風亜美さん、所長補佐の坂本ケイトさん、面接担当者のルキウス・ヴェザードさん、それから自己紹介した後こっそり挨拶をしてくれた雷呀蕾さんだけだ。最初に出会ったハウライトと呼ばれていた男性はどうやらニックネームだったらしく、正確な名前は聞けていない。


 食事の時間は昼以外(昼は各個人で用意してる)いつも一緒なのに話しかけられることはないし、改めて自己紹介をし直すこともない。

 ただ、私にはなんとなく分かっていることがある。この事務所の社員は皆人ではない。


 UHM。社会で弾圧されている異形の存在たち。彼らを制御する首輪なしで働かせているここは脱法企業どころか違法企業だ。


 家具を運び入れたその日の夜ご飯の時、初めて社員全員と顔合わせをしたのだが、その顔ぶれにぎょっとした。明らかに若すぎる社員がいたからだ。そして背筋を蛇がはうような嫌な感覚が走った。


 本能的に体が危険を察知して逃げたがっていた。見た目が決定的におかしいわけでは無い。動きがおかしいわけでもない。でも何故か猛烈な恐怖が場を支配していたのだ。


 今の社会は、首輪法という法律が制定されている。それは、政府が危険ではないと判断したUHMのみ首輪を付けて普通の人間と同じような暮らしをしていいという法律だ。それでも政府の監視下に置かなければならないという条件がある。そして政府に危険だと判断されたUHMは即刻指名手配され問答無用で駆除の対象になる。しかし、この事務所の社員は一人たりとも首輪をつけていなかった。


 駆除の対象になったUHMに対し事実を容認しながら匿ったり働かせたりすることも立派な犯罪となる。

 つまり、なんというか、短絡的に言えば、私もここで働くということは罪の片棒を担ぐことになるのだ。これは早めに辞めたいと伝えるべきなのだろう。でも辞めば無職という別の恐怖が待っている。情けない……情けないとは思う。だが、安定した生活と犯罪を天秤にかけて、私は生活を取ろうとする意気地無しだ。




「そろそろ慣れてきた頃だろうし、新しい仕事をしてもらおうかしら」


 不意に呼び出されて亜美さんにそう言われた時、心の中で小さくげっと声を上げた。確かに入社してから二週間。ひたすら楽な仕事ばかりをやって、時間もあり余っていた。しかし私はその雑用だけで充分すぎるほど満足していたし、このままこの生活が続けばいいとすら思っていたところだったのだ。


 それに違法企業にこれ以上首を突っ込みたくないというのが本音だ。天国にいるであろう父母に心の中で謝罪をして、次に続く言葉を待った。


「ははは、そんなに身構えなくていいわよ。二人組でしてもらうし、そんなに難しい仕事でも、ましてやあなたにさせるのは法に触れるような仕事でもないからね」


「え、法に触れる仕事もあるんですか……?」


「あら、知りたいの?」


「あ、いえ、全然!」


 亜美はやばい目をしていた。カエルが蛇を見て縮み上がる気持ちが今ならわかる。絶対に適わない相手に真っ向から向かうと生き物は動けなくなるのだ。

 何はともあれ新しい仕事だ。法にも触れてない。二人組という所が少し引っかかったが、これを機に少しは他の社員と話が出来るようになるだろう。相手がなんであれ、いい加減完全無視は心が軋むような苦しみを覚えるのだ。


 あれよあれよと話は進められて馴染みの店に買い出しに行かされることになった。買い出しの店までの道はいつも行っている担当の人がいるらしくその人と二人組で、ということになった。




「リスト、貰いましたけどこれ以外は絶対に受け取るなってどういう意味なんですか?」


「え、あぁ、えっと、押し売りみたいに、えっと、あとから料金を請求してくるから」


「どうして2人1組なんでしょう?」


「えっと、えっと、多分夏八木さんだけだと道に迷うし、あ、えぇっと別に悪く言ってる訳じゃなくて」


「大丈夫ですよ、続けてください」


「あ、あとは俺一人だと荷物が」


 そこまで言って雷呀さんは自分の右腕をさすった。彼の右腕は肘より下が無い。左頬には常にガーゼが貼られている。


 詳しいことを聞こうとは思わないが、おそらく事故とかそんなところなのだろう。


 自信なさげに話す目線は私の靴を見つめている。真っ黒な目に真っ黒な髪、おまけに後ろ髪を括る紐も黒と徹底している彼の人相はお世辞にも良いとは言えない。


 元の顔はおそらく整っている方だとは思うのだが、隈があり目つきが悪い。元の良さを台無しにしているのだ。


「これって漢方とかですかね? 聞いたことのない植物?の名前ばかりなんですけど……」


「全部ではない、と思う。えっと、いくつかは、そう、だけど」


 無言の方が気まずいだろうと、気を利かせて努めて会話をしようともかえって悪い空気になっている。私と会話することが嫌というより、会話すること自体苦手な様にみえる。


 そこまで無理して会話することもないだろうと、あとの道はひたすら黙々と進んだ。


 大通りから路地に入って行き、迷路を辿るように右へ左へ。随分入り込んだ所にその店はあった。


「えっと、メモに、うさぎって書かれてたらこの店」


 看板の文字は掠れてとても読める状態ではないが、アンティーク調の外観は中々洒落ている。ショーウィンドウに飾られた人形は片足しかなく、腕も翼に差し替えられていたが、現代アート的なものなのだろう。精巧に作られた顔は美しく、そしてどこかあのハウライトと呼ばれた男に似ていた。


 古びた扉を押し開けると来客を知らせるベルが子気味よくなる。店の中はアンティーク雑貨や生薬、そして何が入っているかよくわからない瓶などで雑然といていた。鼻に妙な刺激の残る花の香りがする。


「おい、うさぎ!」


 人っ子一人見当たらない店内を見回しながら、雷呀さんは声を張る。うさぎというのはあだ名なのだろうか。


 それこそ可愛らしい娘でも出てきそうなあだ名ではあるが、実際に出てきたのは予想の斜め上をいく人物だった。


「はいはい、全く声が大きいな……」


「は? え?」


 棚のあいだから顔だけ出したその男は、1度見たら忘れないくらい整った顔にロングヘア、面接の時、2階まで案内してくれた男その人だった。


 驚く私を見て、うさぎと呼ばれたその人は何か悟ったような顔をして雷呀さんを小突く。


「お前から説明してやりなさい、私から説明したってタチの悪い冗談扱いされそうだ」


「あぁ……夏八木さん、この男は見た目こそそっくりだけど、ハウライトラピスとはまた別人なんだ」


「え? 事務所の人がハウライトラピスでこっちの人は別人ってことですか? 双子?」


「あー、えぇっと、血は繋がってない、他人、で。ここの店主、あだ名はうさぎ」


 何がどうしてそんな愛らしいあだ名を成人男性に付けるのかさっぱりだ。ニコニコ笑う彼もやはりUHMなのだろうか。それに何よりハウライトラピスと顔がまるで同じなのが気にかかる。そっくりなんて言い方が生ぬるいレベルなのだ。


「いつまで棚に隠れてるつもりだ」


「えっ?それ言っちゃう?この子人間でしょ?油断してたから色々そのままっていうか」


「どうせ今にバレるだろに隠す必要があるのかね……」


 服装がだらしないとかだろうか。確かに接客業なのだからある程度整った服装である必要はありそうだが、見知った常連だからときちんと考えずに出てきてしまったのかもしれない。


「私は別に気にしませんよ」


 それは気遣いであり、嘘ではなかった。ただ、私と彼らのあいだで思い違いが起きてしまっていただけなのだ。


「ほんと? そう言ってくれる人の子は少ないから嬉しいなぁ」


 ひょこりと出てきた体は現代アートだった。




 色んなキャパがオーバーして卒倒しかけたが、なんとか持ちこたえた私の感想は政府仕事しろだった。UHM多すぎない? 仕事さぼっているからこんなに沢山取りこぼしがいるんじゃない? いや、その取りこぼしのおかげで職にはつけているけれども。


 うさぎさんはUHMで両腕翼で一本足ということを除けば、人当たりの良い人(?)だった。しかしそれは雷呀さん曰く下心から来る行動らしい……。


 それはそれでなんてやつなんだという感情が湧いてきたが、邪な理由があろうとなかろうと優しいのに変わりはない。


 そして今、うさぎさんは私たちの持ってきた注文書を見ながらテキパキと商品を詰めている。しかし時々関係ないものを入れようとしているらしく、雷呀さんが厳しい顔で止めている。


 私はそれを横目で見ながら商品棚に目をやる。雑然と並んだ商品には魔法の薬ですと言われてもおかしくないようなファンタジズムを感じる瓶もある。


「気になるものがある? 一つプレゼントしようか」


「えっ! いや、そういうつもりで見ていたわけじゃないです」


「いや、いや、いいんだよ。女の子ってそういう可愛い瓶とか好きだろう?」


 気になっていたというのも事実だし、小ぶりの瓶が可愛くて目を惹くデザインだというのも事実だ。だけど、ただ可愛いだけの瓶でないというのもなんとなくわかる。


 中の液体は少しとろみを帯びていて淡い色をしている。小さい頃父に読んでもらった古い絵本で出てきた魔法の薬の様な見た目なのだ。ちなみにその絵本で出てきた薬を飲んだお姫様は100年眠ってしまった。そういうのを含めて嫌な予感がするのだ。


「お前さんが怪しいからいらないんだとさ」


「いやっ! そういう訳じゃ、あぁ、じゃあ、これ! 下さい」


 酷くショックを受けたような顔のうさぎさんを見て思わず、近くにあった瓶を適当に掴み取って渡す。瓶にはラベルひとつついておらず中身がわからない。


「いいのを選んだね、お嬢さん。それは才能が隠れていたらそれを発掘する薬だ。夢があっていいだろう?」


 それから言われたのは飲む時の注意点、効果がない時もあるという話。いよいよまずい世界に足を突っ込んでいる気がする。しかし同時に大きく興味を引かれた。


 隠れた才能……あったらいいなという気持ちとおっかないなという気持ち。おかげで帰りの道は気もそぞろだった。




 昔見たことのある子供向けのテレビ番組の中で、平凡な女の子が魔物を倒すお話があった。女の子はマスコットキャラクターと契約することによって魔法の力に目覚めて無敵の力を手に入れるのだ。もちろん私はそれがフィクションだとわかっていた。けれど、小学生低学年までの将来の夢は確かに彼女だったのだ。彼女のように、平凡な人生から抜け出して輝かしい生活の中に身を投じたい。魔を打ち倒す力が欲しい。

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