第52話 いらない人間


 【3年前】


 私はみんなにとって『いらない人間』じゃないかと思ったのは、柏原学園中等部に入ってしばらくのことだった。

 その時の私はまだ髪も黒く、他人から気味悪がられることもなかったけれど、今よりも遥かに苦しい時期だった。


「えっと……ごめん。あなたの名前、なんだっけ?」


 グループ課題の最中でクラスメイトから言われた言葉。おそらく本人は何気ない気持ちで言ったのだろうが、当時の私にとっては心を抉るに十分な言葉だった。

 内気なりに必死に周りと上手くやろうとしていた。クラスの輪に入ろうとしていた。そんな私の努力は無意味だったのだと、その言葉ひとつだけで悟ってしまった。

 私はいつだってみんなの輪に入れない。誰の印象にも残らない。誰も錆川さびかわ紗雨ささめという人間を覚えない。


 だから私はみんなにとって、いらない。その時の私は本気でそう思っていた。


「錆川、お前保健室にこもってるけど、別に調子悪くないんだろ? なんで教室に来ないんだ?」


 保健室登校を続ける私に対して、担任の先生は疲れた様子で質問してきた。先生からすれば、何の理由もないのに授業にも出ず、成績も下がっていく私の存在は厄介でしかないんだろう。

 だけどこの人はわかってない。私にとって、「誰からも必要とされてない場所」に居続けることがどれだけ苦痛なのかを。それに比べれば、怪我をしたとか病気になった時の痛みなんて蚊に刺されたほどにも感じない。

 私がロクに受け答えをしないと悟った先生は保健室を出ていき、私は再度横になった。



 放課後になると、荷物をまとめながらこれからのことについて考えてしまう。

 私は将来どうしたいんだろう。私がこの世界にとって何の役に立つんだろう。

 『別に役に立たなくてもいい』と知った風な言葉が世の中には溢れているけど、役に立たない人間が存在するのを世の中は許してくれない。


 許してくれるのなら、兄さん――錆川切雨きりさめは今でも生きていたはずだ。


 私から見れば完璧な兄だった。弱きを助け、強きを挫く。そんな言葉が似合う人だったし、通っていた学校でも周りの人たちに慕われていた。


 だけど兄さんは事故で歩けない体になった。


 たった一日の出来事が世界における兄さんの評価を一変させた。たった一回の事故によって兄さんを取り巻く世界は冷たくなった。

 あれだけ兄さんを頼っていた人たちが、まるで腫物を扱うかのように兄さんから離れて行った。兄さんが守りたかった人たちが、兄さんを傷つける敵となった。


 それに耐えられなかった兄さんは、自ら命を絶った。そしてその葬式の最中で誰かが言った言葉が私の心を深く抉った。


『なんで事故ったのが兄貴の方なんだよ』


 その出来事は私にこの世界の冷たさ、残酷さを思い知らせるのに十分なものだった。あの兄さんですら『役に立たない』と思われたらあっさり切り捨てられるんだ。何もない私が世界に受け入れられるはずもない。

 だから必死にクラスメイトに受け入れられようとした。でもその結果がこの間の出来事だ。つまり私は生きていても仕方のない存在だった。

 こんな世界からは早く出て行ってしまいたい。だけど世界はそれすらも許してくれない。


 何かが必要だった。私がみんなの役に立てる何かが。


 ※※※


 その翌日。


「おい、大丈夫か!?」


 体育の授業で男子たちが騒いでいるのを聞いて様子を見に行くと、クラスメイトの一人が足を押さえて倒れていた。


「ぐ、ああ……!」


 苦しそうに呻き、押さえている足が青く変色している。ただ事ではないのは見れば明らかだった。


「と、とにかく先生呼んでくる!」


 クラスメイト達がその場を離れたことで、怪我した男子の一番近くに私が残されることになった。厄介ごとを自然と押し付けられた形になったけど、私になにかできるはずもない。


「い、いてえ、いてえ……! くそっ! 誰でもいいから、どうにかしてくれっ……!」


 でも、何もしないのは許されない。何もせずにいれば白い目で見られるだろう。

 だからせめて、怪我した足をさすろうと触れた時だった。


「う、痛っ……!」


 なぜか私の足に激痛が走った。地面に膝をついた時にガラスでも刺さったのかと足を見ると、なぜか青いアザが浮かんでいた。


「ぐ、うっ!」


 思わず自分の足を両手で押さえてしまう。でもダメだ。ここで何かしないと、私はみんなの役に立ったとはみなされない。何かしないと……


「……あれ? 痛くない?」


 そう思っていると、さっきまで倒れていた男子は不思議そうな顔を浮かべて体を起こしていた。さっきまで浮かんでいたアザもなくなっている。

 先生を呼びに行っていたクラスメイト達が戻ってくると、目の前の光景にやはり驚いていた。


「え、おい。お前、怪我してたんじゃないのか?」

「あ……いや。なんでかわからないけど、治った、のか?」

「ていうか、錆川さん、大丈夫!?」


 代わりに蹲っていた私と、足に浮かんだアザを見てみんなが驚いている。


「だ、だいじょうぶ、です……」

「お、おい、何があったんだよこれ?」

「わからねえよ! さっき錆川さんに足を触られてから、いきなり痛みがなくなって、それで……」


 しかしその直後、足の痛みがどんどん引いてきて、浮かんでいたアザもみるみるうちに消えていった。


「……え?」

「な、なに、今の……?」


 クラスメイト達も今の光景を見て驚いている。中には気色悪いものを見る目でこちらを見ている女子もいた。


「おい! 怪我したのは誰だ! いないのか!?」


 騒ぎを聞きつけてやってきた先生の声で我に返り、みんなは『そこまで大きな怪我ではなかった』と説明し、その場は収まった。



 ※※※



 しかしこれ以降、私は自分の『体質』を少しずつ理解した。

 私は他人の怪我や痛みを『肩代わり』できる。そしてそのためには、相手が私を『痛みを肩代わりしてくれる人間』だと知っているという前提が必要だった。最初に『肩代わり』した男子は、『誰でもいいから痛みを代わりに背負ってほしかった』と思いがあったから『肩代わり』できたんだろう。

 そして私の『体質』は学園内でも少しずつ共有されていった。当然、大っぴらに語られることはなかったけど学園の多くの生徒が私の『体質』を当てにした。

 私の『体質』があれば、どんな怪我を負っても瞬時に治ってしまう。そう、これこそが私が求めていた『みんなの役に立てる何か』だった。


 この『体質』があれば、みんなの望み通りに『役に立つ私』を使い捨てられる。


 自分の髪に白髪が増える度に、このまま『肩代わり』を続ければ自分は若くして死ぬという確信が強まっていった。だからこそ、この『体質』は私にこそ必要なのだ。『役に立たない』はずだった私が、『役に立つ』まま死ぬために。

 『役に立たない』と兄さんを切り捨てた世界が、『役に立たない』はずの私を頼り、私抜きでは生きていけない状態になった時には、私はもうこの世界を去っている。


 そのことを想像したら、喜びが止まらなかった。



【1年前】


「錆川さんって、自分のために生きてないよね」


 だけどそんな私の企みに気づいた人がいた。

 周囲から浮いている私を見かねた先生に勧められて入部した文芸部。そこの部長だった高等部の先輩、佐久間さくま裕子ゆうこだ。


「あなたっていつも他の誰かのことを考えてる。優しいって言ってるんじゃないよ、『他の誰かが自分をどう扱うか』をいつも気にしてるって言ってるの」


 そう言われてすっかり動かなくなった顔の筋肉が久しぶりに動いた。


「……裕子先輩は、私を止めたいんですか?」

「別に。むしろ私が止めたいのはあなたに怪我を『肩代わりさせられてる』人たちだよ」

「……みなさんは、ご自分の意志で私に肩代わりしてほしいと頼んできますが?」

「そりゃそうでしょ。痛いのなんて嫌だろうし。でもあなたは自分の『体質』をわざとこの学園内で広めているでしょ? 自分の価値を高めるために」


 そして裕子先輩は冷たく侮蔑するような目で私を見た。


「だからさ、私はあなたのことが大嫌いなんだよね」


 ……ああそうだ。わかっていたじゃないか。私はみんなから嫌われて、みんなから気味悪がられて、傷を負って当然の存在として使い捨てられる。それが私の狙いだった。

 だけどこの人は、その狙いを全て見抜いた上で私を嫌っている。この人だけは、私を正しく知った上で嫌っている。


 この人だけは、私が死んだ後も『せいせいした』と思ってしまう。


 そんなのダメだ。この人にも私のことを『役に立つ』と思ってもらわないとダメだ。


 その時。


「あ、ぐっ!?」


 ヘルメットで顔を隠した誰かが裕子先輩を殴り、気を失った。


「……ダメですよ裕子先輩。あなたは優しい裕子先輩でいてくれないと」


 くぐもった声だけど、それが岸本きしもとくんのものなのはわかった。大方、自分の理想と違う裕子先輩を許せなかったんだろう。

 岸本くんは何も言わずに私に顔を向け、裕子先輩を顎で指し示した。『肩代わり』しろという意味だろう。

 だから岸本くんが去った後に『肩代わり』すると、裕子先輩は起き上がった。


「……私を助けたつもり?」

「……つもりもなにも……実際にそうではないですか?」

「こんなことしても、私はあなたを頼らないよ。あなただけじゃない、私はもう誰も頼れない。倉敷くらしきくんも、ユーシくんも、私を助けてはくれない」

「はい?」


「だから最後に、私があなたの悲劇を終わらせる」


 そう言って、裕子先輩は部室を出て行った。



 裕子先輩が身を投げたのは、そのすぐ後のことだ。



 ショックだった。私の『体質』を身をもって知ったのに、私がいれば全ての苦痛を『肩代わり』させられるのに。裕子先輩は私なんて『いらない』とばかりに自分から命を絶ったのだ。

 そんなはずはない。私はあらゆる苦痛を肩代わりできる。私がいるからみんなは生きていける。そういう状態を作っていったはずだ。

 私は裕子先輩に負けてなんていない。私の行いが無力なわけがない。そうじゃないと、私は……


 必要とされていない世界に生きていることになってしまう。


 このままじゃダメだ。私がこの学園にいるうちに、なんとしても死なないとならない。多くの人に私の存在が必要だったと思い知らせないとならない。


 それこそが、裕子先輩に対する私の復讐だ。

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