第48話 本性


 季節は名実共に秋になり、制服も冬服になった。オレはというと、秋の大会で県ベスト16に入ったことで部内でも一目置かれるようになったが、オレの関心は別に向いていた。


倉敷くらしきくん聞いたよ。ベスト16入ったんだって? すごいじゃん!」


 オレにとっちゃ、裕子ゆうこ先輩に褒められるかどうかの方が遥かに重要だった。


「ありがとうございます。オレ頑張りましたよ」

「そうだよね、ウチの運動部でそんな話って今まで聞かなかったもん。もしかして次のキャプテンに指名されたりするんじゃない?」

「いや、次の主将は武智たけち先輩って話で決まってるんすよ。それにオレは主将なんて纏める立場は苦手ですから、裕子先輩のことすごいって思ってるんすよ」

「そう? ありがとう。やっぱり倉敷くんって優しいね」


 裕子先輩はオレの言葉を否定しない。その優しい態度を見て、自分の中に思ってもない気持ちが広がるのを感じていた。

 誰かに合わせるなんてゴメンだと思ってた。剣道部に入ったのも小学生の頃から剣道をやってた延長線上でしかなく、みんなで力を合わせて優勝しようなんて気持ちは全くなかった。現に剣道部の先輩もオレのことを協調性のないヤツだと思っているし、オレ自身もそう思っていた。


 なのに今は、裕子先輩の気を惹けるならどんなことにも手を染めてしまいそうだ。


「そういえばさ、錆川さびかわさんってまだ剣道部に来てるの?」


 だから裕子先輩の口から白髪姫の名前が出ることは気に入らなかった。


「そうっすね。あの女ぁ、なんかまた髪が白くなってますけども、あのまま『肩代わり』やってたら死ぬんじゃないっすか?」

「倉敷くん」

「……すみません」


 怒ったような低い声で窘められたことで、オレは自分の顔が不機嫌になっているのを悟った。


「まあさ、君からしたら気分は良くないよね。でも錆川さんは文芸部の一員だからさ、私としても彼女が幸せに暮らしていてほしいのはわかってくれる?」

「すみません、何かお詫びしますよ」

「いや、そこまでは……あ、そうだ。それなら相談に乗ってほしいことがあるんだけど、明日の放課後って時間ある?」

「大丈夫っすよ」


 本当は剣道部の練習があったが、裕子先輩の頼みを断りたくなかったので相談に乗ることにした。



 翌日、オレは文芸部の部室に行くと裕子先輩に出迎えられた。


「来てくれてありがとう、倉敷くん」

「今日は他のヤツらはいないんすか?」

「うん、蜜蝋みつろうさんは錆川さんと二人で話したいことがあるって言ってた。岸本きしもとくんはどこ行ったかわかんない。まあ、今日はちょっと倉敷くんと二人で話したかったからちょうどよかったよ」


 『二人で話したかった』という言葉に淡い期待を抱いたのを必死に隠していると、裕子先輩は話を切り出してきた。


「まずこれを見てほしいんだけど」


 裕子先輩はノートパソコンの画面を見せてくる。縦書きで文章が並んでいて、『勇者』や『魔王』と言った単語が目についた。


「これは?」

「私が書いた小説……だよ」

「裕子先輩が書いたんですか?」


 文芸部は各々が持ち寄った小説に関して感想を出し合うという活動内容だと聞いていたが、書くのもやっていたのか?


「それでさ、相談の内容っていうのはこの“白刃”のアマクサってキャラについてなんだけど」


 裕子先輩が指し示したのは三人の勇者の一人である、侍みたいな風貌と説明されてるキャラだった。


「コイツがどうかしたんですか?」

「実はさ、これって倉敷くんを参考にして書いたキャラなんだよ」

「え?」


 裕子先輩が、オレを参考にしたキャラを小説に出している?

 それが何を意味するかなんてオレにはわからない。だが少なくとも。


 裕子先輩にとってオレという人間は決して小さくないという事実が嬉しかった。


「それでね、相談っていうのは君を参考したキャラが出てくるこの小説を公開していいかっていう話なんだよ。黙って公開したら君にも悪いからさ」

「い、いやいや! 全然大丈夫っすよ! むしろオレなんかでよければいつでも参考にしてほしいっす!」

「本当? ありがとう。でも一応中身を確認してもらっていいかな? 個人情報とかを間違って載せてたらまずいからさ」

「わかりました」


 確かに確認はした方がいいだろう。それにオレに似たキャラが作中でどういう扱いなのかも気になる。



 数十分後。


「……」

「ど、どうかな? 大丈夫だった?」


 その質問が『小説を公開してもオレにとって問題はないか』という意図なら、何も問題はないと答える。少なくとも、この小説を読んでオレを連想する人間はごく僅かだろう。

 小説の内容は、白髪の魔王と化した女を三人の勇者が倒しに行くという内容だった。最終的に魔王に取り憑いていた黒い影を三人の勇者が共に背負うという結末で終わっている。


「一応聞きますが裕子先輩。この魔王は白髪姫がモデルってことですよね?」


 魔王は白髪の若い女という要素や小さくボソボソと話す口調など、白髪姫と共通する内容は多い。


「うん、そうだよ」

「もしかしてこれって、白髪姫の『肩代わり』をやめさせるために書いたんですか?」

「……そう思う?」

「いや、そりゃそう思いますよ。だって魔王があからさまに白髪姫をモデルにしてるし、魔王の親友のアルジャーノンってのもあのミツロウとかいう女子を参考にしてるっぽいし。やっぱり裕子先輩は優しいですね」

「……」

「んでこれ、白髪姫に許可は取ったんですか?」


 白髪の魔王が三人の勇者に憎まれて倒されるという内容は、オレを参考にしたキャラを出すよりも遥かに問題が多いはずだ。なにせ小説の敵役として登場させてるわけだからな。

 しかし裕子先輩の声のトーンは低かった。


「錆川さんに許可を取る、か。必要あるかなそれ?」

「え?」

「この小説は魔王が救われるってラストにしてるし、それに錆川さんのやってることがいかに周りにとって悲劇となるかを思い知らせるために書いてるんだからさ、本人の許可はいらないんじゃないの?」

「裕子先輩……?」


 なんだ? いつもの裕子先輩じゃない。どこか言葉に棘がある。


「ねえ倉敷くん、私ってそんなに優しそうかな?」

「え?」

「別にさ、私ってそんなに立派な人間じゃないよ。自分のために生きていたいし、誰かの面倒なんて見たくないし、でもみんなは私を見て『優しそう』とか『面倒見が良さそう』とかのイメージを抱いて、なんか立派な人間だって思い込んでる」

「ど、どうしたんすか急に?」

「なんでみんな、『誰かのために生きる人』が立派だと思うのかな? なんでみんな、『自分のために生きる方がいい』って言ってる私を『誰かのために生きている優しい人』だなんて思うのかな?」


 裕子先輩の声はどんどん大きく、怒りを帯びていく。


「倉敷くんさあ、この小説を読んでも何も思わなかったわけ? 『裕子先輩、こんな実在の人物を痛めつける小説書くんですか? 意外ですね』とか言わないわけ? それともあなたは私が『優しい人』じゃないと偽者だとか思っちゃうわけ?」

「さ、さっきから何言ってるんですか?」


「私が錆川さんのこと、ずっと気に食わなかったって言っても信じないわけ?」


「……え?」


 裕子先輩が白髪姫を嫌っていた?


「そうだよねえ! 私は『優しい文芸部部長』だからねえ! 今さらそんな役からは降りられないじゃん! だから錆川さんを痛めつける小説でも書こうかと思ってもさあ! 結局優しい結末にしちゃったんだよ! だって私、もうどっちが本当の私かわからないもん!」


 先輩の目からはいつの間にか涙が溢れ出している。


「でも錆川さんが気に食わないのは事実だよ! だってあの子、『自分はみんなの苦痛を引き受ける存在』って言いながら、私のこの苦しさは全然『肩代わり』してくんないじゃん! 私は文芸部で自由に活動していたかったのに、『優しい裕子さん』がみんなが敬遠する錆川さんを引き受けないわけにはいかないじゃん! 君も、錆川さんも、ユーシくんも! みんなみんな私が『心優しくて何もかも受け入れてくれるお姉さん』だって思ってる! それがいきなり失われたら怖いじゃん! でもそれを演じ続けるのも疲れるんだよ!」


 ……まさか、これが裕子先輩の本音だってのか? オレが裕子先輩を勘違いていたっていうのはそういうことか?


「ねえ倉敷くん、助けてよ。私はこういう人間なんだよ。君だけが知ってくれればいいから……君だけが私の本性を受け止めてくれれば……私はまだ『優しい裕子さん』を演じられるから……」


 受け止めろって言われたって、まだ頭の整理が追い付いていない。ダメだ、いますぐ逃げ出してしまいたい。


 気づけばオレの足は部室の外に向かって駆け出していた。



「はあ、はあ、はあ……」


 なんでこんなことになっちまったんだ。何が裕子先輩の地雷を踏んじまったんだ。 

 だけど間違いなくオレは間違えた。いや、今までも間違い続けていた。佐久間さくま裕子という人間を勘違いし続けていたんだ。

 裕子先輩は優しい人を演じていた。本当は自分のために生きていたかった。なのに他人のために生きていく人間を演じざるを得なかった。


 そんな裕子先輩からしたら、徹頭徹尾他人のために生きる錆川紗雨ささめという人間はこの上なく気色悪い存在だったんだ。


 このままじゃダメだ、裕子先輩ともう一度話し合おう。まずは逃げ出したことを詫びて……


「……おい! あれ見ろよ!」


 なんだ? 校舎裏の方が騒がしい、何かあった……


「……あ?」


 その時、オレの目に飛び込んできたのは。


「あ、あ、あ……!」


 さっきまでオレに怒りをぶつけてきていた、心優しい先輩が血だまりに倒れている姿だった。

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