「……暇だ」

 仕事を始めてからもうすぐ昼になろうと言うのに香御堂こうみどうに客は無い。

 こんなことで店として大丈夫なのか? と思いながら、知哉ともやみことに言われた通り店内を歩いて香を眺めていた。

 知哉ともやが知っている香と言えば線香で、もちろん香御堂こうみどうにも線香はある。

 ただその数の多さに知哉ともやは驚いていた。

 香りやメーカーによる種類の違いもあったが、線香の長さによっても様々な種類がある。

 こういうことが全く分からない知哉ともやはただ「へぇ」と感心しながら見ていたが、ふとみことの「二階にある書物にて勉強」という言葉を思い出し、香御堂こうみどうの外を眺めて暫く客は来なさそうだと確認してから二階へ上がった。

 自分の家の階段とは違い、油断すれば落ちてしまうのではないかという急階段。

 踏み板の奥行きもほとんどなく、つま先立ちで上る梯子のような階段を上がれば、二階というよりは屋根裏部屋のように天井板がなく家の骨格剥き出しの高く広い空間が現れる。

 居住スペースの台所や居間と同じくダンボール箱が積み重なっているが、これにはきちんと何が入っているのか側面に手書きで書かれており、それを確認しながら何か勉強の素材となるような本が無いか探した。

 ある程度の掃除はされているのか埃は少なく、少しかがまなくてはならないが、天井が高いので歩き回っても疲れない。

 箱の側面を見て中から本を取り出してみるが、一体どれが香という物を全く知らない素人の自分に適している本なのか分からず首を傾げる。

 すると、先ほどまでは何とも感じていなかったのに妙に気になるダンボール箱が視界に入ってきた。

 呼ばれるようにそのダンボール箱の所にやってきた知哉ともやは、不思議に思いながら箱を開けてみる。

 すると自分が知っている、その辺の本屋で売っている書物とは違い、文字の書かれた方の両端をそろえる様に山折りし、それを何枚も重ねて折り目とは逆の紙端を糸で器用に閉じてあった。

 歴史の教科書か何かで見た記憶がある古い和歌集のようにも見えるが、書かれてある文字は古典文字でも達筆な草書体でもなく、知哉ともやでも読める几帳面な楷書体。

 知哉ともやはダンボールから丁寧に一冊一冊出しながら眺め、数点選び出すと後は箱にしまって、選んだ本を小脇に抱えながら急階段を注意して降りた。

 帳場に座り、机の上に持ってきた本を広げて小さく息をつく。

 何故その本を選んだのかは自分でもよく分からなかったが、これがいいと思って勝手に選んでしまっていた。

 その時の感覚はとても不思議なもので、自分が本を求めると言うよりも本が自分を求めて呼んでいるよう。

 本が自分を求めてくる感覚は未だ知哉ともやの中にあり、はじめにどれを読もうなどと迷う必要もなく、左端に置いた流水に小花が散る赤い千代紙のような表紙の本を手に取る。

 その本に記されているのは香という物と人々とのつながりの話。

 香という物には香道こうどうという物があり、「華道」「茶道」のように流派というものもある。

 知哉ともやは香と言えば仏事の線香という人であったため、集中と静寂の中で香りを楽しみ遊ぶ芸道であると書かれてあるのを見て「そうなのか」とただ感心していた。

 雑音も日常のどたばたも関係の無い、静寂の中で香りという物に集中する芸事。

 その言葉は何処かこの香御堂こうみどうに似ていると知哉ともやは思っていた。

 そして香道には二つの要素「聞香もんこう」と「組香くみこう」があり、そのやり方なども本には詳しく書いていたが香という世界に初めて触れる知哉にとってはあまりピンとこない部分だった。

 それよりも興味を持ったのは香という物の歴史。

 お香やインセンス等、最近少しの流行があったのは知っているが、「香」としての歴史は結構古い。

 もともと宗教的に利用されていた香が、香りを楽しむものとして日本独自の芸道として進化し、それが様々な広がりを見せた事。

 またこの世界では香りを「嗅ぐ」のではなく「聞く」というのだと言う所にもなんだか上品さと寂びを感じる。

 香という物はなんだか辛気臭い仏教徒にしか関係ないようなそんな偏見にもにた感覚で、興味をそそる世界じゃないと思っていた。

 しかし、本に求められるようにして、読み進めていくうちにもっとこの世界を知ってみたいと思うようになっている自分がいる。

 一冊を読み終え、小さく息を吐き出して時計を見れば短い針は十の数字を指していた。

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