葉桜の邂逅①
日は沈み、薄闇がひたひたと足元から迫ってくる。その闇が胸までせりあがり、安穏と日々を送る俺を責める。
「明日は突然来なくなる」
数か月前、日本国中に突き付けられた苦いことわり。そのことわりに、からめとられないために、必死で前を向いてきた。己の日常を守るため。
立ち止れば必然、ずぶずぶと虚しさに沈み込む。
「震災をつたえるテレビで毎日増えていく数字。あの数字の人たちは、みんな明日はくるって思ってたよね」
その問いにコンセントを抜きっぱなしにしている俺は、何もいえない。明日はかならず来るなんて、言えるわけがない。
数字は数字であって、一人ひとりの人生に思いをはせるなんて俺はしなかった。
「あの人たちは、明日したいことがあったはず、それなのにできなくなっちゃった。だから私は、今日する。三年後なんてとんでもない、明日もまってらんない!」
そう叫んだ声が、もう誰もいなくなった宵の広場にこだまする。
苦いことわりを見続けた結果、出した答えなんだな。虚しさに耳や目をふさぎ前進するのではなく、すべてをありのまま受け止め前を真っすぐみながら歩いていく。
お前の心はとっくに飛びたっていたのか。そんなおまえに、地上にいる俺が何をいっても届くわけがない。
「先生ごめんね、せっかくここまで来てくれたのに。自分でちゃんと先生にやめるっていいたかったの」
そう言って頬をゆがめ、寂しそうに笑う。その寂し気な笑みが、少し俺の心を軽くした。
「学校は私みたいなのさっさとやめてほしいはずなのに、先生は引き留めてくれた。それだけでうれしいよ」
今度は屈託なく笑う顔をまともに見られなくて、うつむいて、首を横にふる。
もう、何を言ってもダメなんだ。そうは思うが聞かずにはいられなかった。
「高校を辞めてどうするんだ?」
最後ぐらい、担任らしく心配はさせてくれ。
「ママがねアメリカにおいでって。だからアメリカの高校にいくことにしたの」
「ママ? おまえもう一人お母さんがいるのか」
そんなこと、聞いてないぞ。
「そう、私お母さん二人いるの。ママは今アメリカで仕事してるんだ。アメリカの方が私にあってるって」
実の母という事か? 今の母親は再婚? 家庭調査票では、そこまで突っ込んだ家庭の事情はわからない。父親はどこにいるんだ。
聞くべきかどうか悩んだが……やめた。それこそ、春川にとって親など些細なことに違いない。
「今日お母さん、被災地から帰ってくるんだ。もう電話では、高校やめてアメリカに行くって言ったけど、病院まで迎えに来たの」
そういい、木陰の向こうの母親の勤務する総合病院を仰ぎ見る。今日被災地から直接自宅に帰るのではなく、まず病院に帰ってくるのだろう。
被災地の母とは連絡とれなかったんじゃなかったのか。本当に食えない奴だ。
「先生は、このままでいいの? 先生、絵を教えるのは好きだけど、学校嫌いでしょ。いっつも美術準備室にいるし」
余計なお世話だ、そう口にしようとしたら笑いがもれていた。
「これじゃあ、どっちが先生かわからないな」
「年上が先生って決め付けがよくないんだよ。日本は年功序列がきついから。私には尊敬できる人なら、誰だって先生。だから、先生は私の先生だよ」
「ありがとう。じゃあおまえは俺の先生だな。俺の信じる常識をぶっ壊して、新しい世界を見せてくれた。すごく尊敬できる先生だ」
俺の言葉に、春川は年相応の少女の顔になり、くしゃくしゃに笑ってこちらに両手を広げかけてくる。
「ありがとう先生! 大好きだよ」
そう言って、抱きついてきた。ここはまだ日本だ春川。こういうことは向こうにいってからやってくれ。
女に抱きつかれたら、反射的に背中へ手を回しそうになる。教師から男に変身しかけた瞬間、春川を呼ぶ声がした。俺は慌ててまだ抱きついている彼女をひっぺがした。
ぬくもりは即座に離れていき、名残惜しそうなそぶりもみせず、その声に向かって春川は全力で駆け出した。
その先に、大きな荷物を抱えた人物が夕闇の中立っていた。もう俺は、母親の顔を見ても動揺しない。春川が誰の娘かなんて、どうでもいい。春川は春川だ。
背をのばし、体全体を使って手を振る春川に、俺も手を振り返した。
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