第3話 眠い音

 とりあえず佐倉さんからの許可はもらえたので、図書室での読書を再開する。


 近くから授業中の先生の声が聞こえてくる。

 一年生の頃は罪悪感があり、心苦しい事が多かったのだが、慣れとは恐ろしく、今はどちらかというと少し楽しい。


 気持ち悪いことから逃げられている事が楽しいというわけじゃなく、自分の好きな事をやれているからだ。


 僕がダメだと思って教室に戻ろうとした時、白石は寂しそうな顔をしていた。その顔を見た時に、自分と似たような感覚があり、戻っても気持ち悪くなる教室に戻るだけなら、好きな事をさせてあげたいと思った。


 自分勝手な事で、本当なら悪いことかもしれない。だとしても、自分と同じ苦しみを持っている人をどうにかしたかった。


 気がつけば本はあとがきまで読んでいて、僕は本を閉じた。

 今の時間はだいたい五時間目の休み時間ぐらいといったところで、白石はまだ読書中だった。


「白石さんはまだ本読んでる?それとも今休み時間だから戻る?」

「えっ、もうそんな時間なんですか。本当はまだ読んでいたいんですけど……後ちょっとなので」

「わかった。僕は別にいいよこのままサボってても。佐倉さんは自己責任でって事は自分で判断しろって事だし」

「それならまだ読みたいです。あと数十ページだけ読んじゃいます」

「僕はちょっと眠くなってきたから準備室のソファで寝てるから。読み終わったら起こして」


 白石は頷き、すぐに本に視線を戻している。

 あんなに本に夢中になる人を見るのは久しぶりで、楽しそうに本を読んでいる姿を見ていると少し羨ましく思えた。


 僕は準備室にあるソファに寝転がり、念の為にアラームを六時間目終わりに設定して、視界を暗闇に預けた。


—──────────


 アラームが静寂を破るように騒々しく鳴り出す。


「んんっ」


 まだ瞼が重く、目が開かない。手で目を擦り、視界を元に戻そうとすると、違和感がある事に気づいた。


「ん?」


 自分の頭の位置が肘掛けで寝ていた時と違う事とその頭の下敷きになっているのは白石の膝であったことだ。


「んー!?」

「わっ、ちゃんとアラーム通り起きましたね。おはようございます」

「おはよう、じゃない!いくら隣にいることを許したからってやっていい事と悪い事があるだろ!?」


 自分が置かれている状況を理解出来ても、理解したくない。どうして、僕は白石に膝枕をされているのだ。

 床で寝ていて心配だったというのなら、まだわかる。だが、僕はしっかりとソファで寝て、白石にその事をしっかりと伝えた、はず。


「ぐっすりと眠っていましたね。寝顔可愛かったです」

「そりゃあどうも。で、この状況はどういう事?起こしてくれと頼んだが、膝枕をしてとは頼んでないよな?」

「はい、頼まれてないです。六時間目の授業が図書室でやる授業だったみたいで、すぐに佐倉さんが教えてくれたので私はばれずに済みました。ですが、座る椅子が無かったのでお邪魔させてもらった感じです」

「あの馬鹿佐倉姉!それぐらいしっかり覚えておけ!」

「佐倉姉?」


 僕ははっと口を塞ぐが、聞かれてしまったようだ。


「これはその、二人の時だけの呼称で。出来たら秘密にしてくれると助かる」

「司書さんと仲良くしてても悪くは無いと思いますが……分かりました」

「それで、もう起きてもいいか?それと膝枕に至った理由はそれだけじゃないだろ?」

「ごめんなさい。なんでわかったんですか?色は見えてないんですよね」

「色は見えてない。見えてなくとも椅子が無いからっていうのは少しおかしいし、あっちに作業する用の椅子があるから」

「ばれたら仕方ありません。本当は識音くんの音が変わったので、近くで聞きたくなったんです。一クラス分の音を聞きたくなかったのもありますが、一番の理由は前者です」


 僕の音が変化して聞きたくなった。

 僕の音は他とは違うと聞いたが、いまいちピンと来ない。


「私は音楽の知識があまりないので表現がしにくいですが、簡単に言うと弾む音が静かな音に変わった感じです。波の音みたいに」

「あのザザーってやつ?」

「そうですそうです。そういう音って、魅力的で聞きたくなって、つい近くで聞こうと思ったら膝枕を。胸に耳を押し当てるわけにはいかないので」

「まだ耳を押し当ててもらった方がマシだった気がする……」

「そうでしたか。それじゃあ――」

「待て待て待て今やるな。マシとは言ったが、やっていいとは言ってない!付き合ってるわけじゃないんだし」

「それもそうですね、ごめんなさい」


 僕は白石の膝の上にある頭を起こして、起き上がる。それに続いて白石もソファから立ち上がった。


「六時間目の終わりにアラームを設定して起きたから当然なんだけど、廊下の方が騒がしいな」

「部活で移動とか、普通にお友達とお喋りしてるんじゃないでしょうか。元気でいい事です」

「ああ、それはいい。だが、この状況。僕は帰れないぞ……」

「私の事を見てれば問題無いはずです。行きましょう?」

「いやいやいや!無理だから!大勢の前で白石さんを見続けながら帰るとか不審者のそれと変わらないから!」

「別に話しながら動けばいいと思うんですけど……違いますか?」

「あ、そうか。話しながら歩くのは別に何もおかしくはない、のか」


 それじゃあ、不審者のような考え方をしていたのは僕だけだったということか。なんか恥ずかしい……。


「あ、今音が変わった。恥ずかしいんですか?」

「そうだった、人の感情が聞こえるんだった。自分だけこういう考えしてたのがなんか、ね」

「私みたいな不登校や早退してた人を見続けるのは周りの目線が痛くなるからですよね。別に変じゃないです」

「そういうわけじゃないんだけどな。出来たら早歩きで頼む。あまり見られたくないし、話題が尽きる前に早くここから出たい」

「了解しました!」


 白石がピシッと片腕だけ上げて返事をする。

 あまり見られないような動きをしてみせたので、目線を外してしまった。正直可愛かった。

 僕はそれを聞かれないようにそそくさと図書室を出て行き、それに連なって白石も図書室を出た。

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