4章6話:トラブル
「神嶋一本ナイッサー!」
「行けェェエ!」
「やったれァァア!」
第一セット中盤、北雷が十七点、サンショーが十九点の状況で神嶋にサーブが回って来た。
(何としても俺が切り開く。狙うのはセッターだが、厄介なのはあのリベロ……)
ボールが回って来てからぐるぐると考える。
(守備範囲が異様に広い。小柄だが瞬発力があって、とにかく鬱陶しい。何とかして、アイツの守備範囲を掻い潜る必要がある)
サンショーのリベロである小平は、一年生ながらもスタメンに選ばれただけありかなりの実力だ。サンショーのメンバーが攻撃に専念出来るのは、一重に小平の守備力あってのことである。速攻を重視したハイスピードな試合展開を『勝利の方程式』とする以上、優秀なリベロの存在は必要不可欠だったのだ。そして速攻のためのキーマンとなる他に、相手サーバーを困らせるという大きなメリットも与える。そして今、その戦略は完璧にハマっていた。
神嶋はいつも通りのジャンプサーブを選択した。普段よりも重いはずのサーブは綺麗に小平が上げ、東堂に返したのである。
「リン!」
「ヤナ!」
鋭い声が上がり、トスが柳原に上がった。
(この人のスパイクは、無理にキルブロックしない……!)
ブロックに跳んだ能登は、自分の指先をかすることを予測して指先に力を入れる。信じられないほど重い柳原のスパイクを、無理にブロックしようものなら指に怪我をする。
「ワンチ!」
予想通りボールは指先をかすり、北雷側のコートに入る。凉がレシーブするが、勢いを殺しきれずにそのままコート外に出た。
笛が鳴り、サンショー側の得点にカウントされる。
「すいません……」
凉の言葉に神嶋は首を横に振った。
「切り替えろ。まだ追いつける」
その言葉に、凉は内心呻く。これで点差は三点に広がった。相手は二十点。デュースが無いと考えれば、相手が追加で五点取れば第一セットを取られてしまう。三セットマッチなので二セット先取のチームが勝つが、第一セットを取られたときのダメージは大きい。
(しっかりしないと……。さっきから集中砲火食らって、ボクのところで落としてる)
隣にいる神嶋を横目で見ると、いつもと変わらない表情だ。きっと自分はとても余裕が無い顔なのだろう。
(そうだ、さっきからボクのせいで失点してる)
頭の中に最悪の結末が浮かぶ。
(……負ける?自分のせいで?)
背中に冷たいモノが滑り落ちる。
(これまで、みんな頑張って来たのに?)
チームでやるスポーツの試合では負けは連帯責任だと、中学の顧問が口うるさく言っていた。当時は面倒で聞き流していたが、それは事実だ。
一人のミスが全てにヒビを入れる。そしてそのヒビは大きくなり、やがて亀裂に変わって試合は崩れていく。その恐ろしさを、凉は肌で知っていた。
(ダメだ……)
全身が急に冷え、指先の感覚が消える。頭の中に恐怖が張り付いて離れない。
(ダメだ、役立たずじゃ、ダメだ)
呼吸の間隔が短くなり、ひゅっ、と喉が音を鳴らした。
(このまま、崩され続けたら……)
頭が回らない。身体が固まって指を動かせない。どんどん息が苦しくなっていく。目の焦点が定まらなくなったとき、肩に衝撃が走った。
「凉!大丈夫か⁈」
ハッとして顔を上げると、前の川村と隣の神嶋が心配そうに見ていた。
「あ、えと……」
「具合悪いのか?」
「いや、違い、ます」
「ならいいんだけどよ、お前、変だぞ」
川村の言葉に神嶋も頷き、そこでようやく体温が蘇る。何時間も経っていたような気がしていたのだが、まだサンショーにレシーブし損ねたボールが戻っていなかった。
「あの、ボク」
「ん?」
「すいません、さっきから、ずっと……」
凉のその言葉に、二年生二人は顔を見合わせる。
「ずっと、ミスして。レシーブ出来てないから、ボール返せてないし……。だから、点差がどんどん広がって」
段々と情けなくなる。恥ずかしくて悔しくて情けなくて、とにかく二人の顔を見られない。目線が下に落ちて声のトーンも下がる。すると川村の手が肩をさすった。
「落ち着け。ひどい顔してんぞ。背負い込みすぎ。終わったことは終わったと割り切れ。そうしないと試合展開に追っつけなくなる」
「ミスを気にするのは分かるが、もう少し周りを見ろ。落ち着いて、いつも通りの冷静さを取り戻せ。それがお前の強みなんだ」
先輩二人の言葉にゆっくりと呼吸が落ち着いていく。北雷の屋台骨を背負う彼らの言葉は、スポンジが水を吸うように凉に染み込んできた。
「本当にまずいと思ったら、海堂が動く」
神嶋の視線を追うと、そこには膝にパソコンを乗せてじっとコートを睨む海堂の姿がある。それから、何を思ったか小さく頷く。
「大丈夫、だってよ」
能登がそう言って笑った。
「何で、そんなの分かるんですか」
「勘だけど俺のはよく当たるので大丈夫です!はい、試合に集中〜!」
その言い方に思わず肩の力が抜ける。
「ミスは他がカバーしてやる。いちいち気にすんな」
「はい」
川村と能登の言葉で思い出す。このスポーツは、一人でやるモノではないことを。自分の側にいる自分以外の五人は、無条件で自分の味方であることを。
気がつくと体温が戻ってきて、身体はいつも通りだった。息を吸って前を見る。
(まだ第一セット。勝つチャンスは十分にある。落ち着いて周りを見て、頭を冷やしてボールを上げる。そうすれば、大丈夫)
ボールがサンショーに回され、柳原のサーブとなる。
「重いの来るぞ!レシーブしっかり!」
「さっこ〜〜い!」
「柳原さんナイッサー!」
「ヤナ!頼むぞ!」
コートには熱気と異様なまでの気迫が充満している。それを柳原が切り開くように北雷側へとサーブを打ち込んだ。凉はそれを目で追いながら移動する。
(位置はここ……)
膝を曲げ、腕を伸ばす。
(回転殺して野島さんに……!)
青と黄色のボールが凄まじい迫り、それを腕で弾き野島に送る。
「長い!すいません!」
勢いも回転も殺せていない。だが、ボールは何とかギリギリ繋がった。ボールを両手に収めた野島は軽く跳んでトスを上げる。その少し後ろには、すでに助走を済ませて高く跳んでいた川村が待ち構えていた。
「ッラァ!」
鋭い気迫のこもった声とともに腕を振り切るが真田の両手に弾かれる。
「チャンスボール!」
また返って来たボールを拾いに久我山が走り、すんでのところで弾きあげた。ボールが野島に渡る頃に凉は助走を始め、今日一番の高さで跳ぶ。目の前に再び真田が跳んだ。ボールを右手で押し出すように、渾身の力を込めてスパイクを打つ。ボールは真田の指先をかすめてサンショー側に落ちていく。
(よしッ!)
内心ガッツポーズを決めた後、自分も床に着地しようとする。しかし着地の瞬間、すぐ近くに川村の身体があることに気がつく。とっさに向きを変え着地しようとしたとき、右足首に嫌な痛みが走った。
「……ッ⁉︎」
そのまま左足だけでバランスを保とうとしたが、さすがに六十キロと少しある体重は妙な姿勢を取った脚一本では支えきれずにコートに倒れ込む。
「凉⁈」
「凉!」
「おい!どうした⁈」
周りの焦る声と審判の試合中断の合図が聞こえた。腕で頭を守る暇も無く、側頭部を床に強打する。
「あ"〜〜〜〜……!」
痛みに呻き、コートの上で頭をギュッと腹の方に寄せて胎児のような姿勢になる。
「凉!どうした!」
すぐ近くで誰かの声がするが、痛みのあまり聞き分けられない。
「足首……、が」
そう言うと、また違う声がした。
「着地のときに捻挫したんじゃない?朱ちゃんと接触しそうになったよネ」
その声の持ち主の手が足首に触れる。バタバタと足音がして、今度は海堂の声がした。
「凉、どうしたの。接触?捻挫?」
「ねん、ざ……」
頭が痛い。ガンガンというかグワングワンというか、とにかく形容し難い痛みが走っている。
「頭を打った。下手に動かせない」
少し余裕が出たのか、その声が神嶋だと分かった。
「凉君、いったんベンチに下がりましょう」
顧問の間宮の声がした。普段関わることは無いが、大人の声がすると安心する。
両脇から川村と能登に支えられベンチに下がると、海堂が足元に屈み込んだ。
「折れてはいないと思います。捻挫ですね。でも、頭を打ったのは心配だ」
いつもはどちらかと言えば冷たいはずの海堂の声が、不思議と柔らかい。
「どのみち、このまま試合には出せません。海堂さん、選手交代を」
間宮の言葉に海堂は頷く。
(火野かな……)
まただ、と思い内心歯軋りした。また、自分の代わりに火野が入る。今回は仕方がないとは言え、ポジションが同じとは言え、それが悔しかった。
(ボクも……、もっと、役に立ちたい)
痛みからではない涙が頰を伝う。人前で泣くのはプライドが許せないが、今はもうそんなプライドも忘れるほど痛みがひどい。誰かの手が背中を撫でていることに気がつき、そちらを見る。黙って自分の背中を撫でているのは、瑞貴だった。
「凉君は病院に連れて行きます。試合が終わるまでに戻って来られるか分かりませんので、試合が終わったら一度連絡をお願いします」
間宮は神嶋を見て続ける。
「神嶋君には僕の携帯の番号を教えてありますから、君が連絡するように」
「はい」
いくつか指示が飛ばされ、それをぼんやりと聞いていた。そのあと体育館から連れ出されるときに、瑞貴が慌てて追いかけて来る。
「お前の保険証、俺のカバンに入ってっから持ってけ」
「何で持ってんの?」
そう聞くと、瑞貴は淡々と言葉を繋いだ。
「母さんから試合の度に持たされてたんだ。それと一緒に、万札の入ってる封筒もある。一緒に青いファイルに入ってるから、それごと持ってけ」
その言葉に頷くと、頭をワシワシ撫でられる。
「この後は俺たちでちゃんと繋いでおく。だから、安心して診てもらえよな」
母譲りの同じ形の目が笑い、凉とは違う父譲りの黒髪がニシシっと笑った肩の動きに合わせて揺れた。
「……ありがと」
「おう」
体育館から出て荷物置き場に来ると、いよいよ本格的に涙が溢れて来た。
(先生いるのに……)
そう思いながら兄のカバンを引っ掻き回して青いファイルを探り当てる。余裕が無くて、中を文句を言われそうなくらいぐちゃぐちゃにしてしまった。それを自分のカバンにしまい、右足を引きずりながら正門まで歩いていたとき、間宮が静かに語りかけて来た。
「凉君、悔しいですか」
その言葉に、黙って頷く。泣き声だけはどうしても聞かれたくなくて、どうにか喉を閉めて堪えた。
「まだ勝つチャンスはある。君の仲間が必死で繋いでくれます。だから今は、きちんと怪我を診てもらいましょう」
「……ッはい」
「それで、時間をかけてちゃんと怪我を治しましょう。そうすれば、またみんなと部活が出来ます。上手くもなれるし、試合にも出られる」
嗚咽を噛み殺し、喉を閉め、黙って足を動かしながら頷く。
「君の仲間の強さは、君がよく知っているはずだ。辛くても悔しくても、今はただ仲間を信じなさい」
頷きながら、頰を流れる涙を手の甲で拭った。
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