第24話

 新しい情報は第一指導者ヘル・シングの耳に入る前に必ず補佐長を経由する。そして、その情報は時には微妙に捻じ曲げられ、またある時は大部分が削除されて伝えられ、あるがままの姿を晒すことはなかった。それは過去からもそうであり、未来もそうなるし、現在も変わってはいない。だが、これを歴代の補佐長の不正と一刀両断にしては彼らがあまりにも浮かばれないだろう。彼らは彼らで、修正された情報をもたらすことで数少ない人類を、第一指導者ヘル・シングのから守ってきたのだ。指導者の蛮勇と言う名の災厄から。

 古来より、表舞台に出ない、この情報操作の証拠はいくらも存在するとされたが未だ確たる証を手にした者は、指導者はおろか誰もいない。なぜなら、それらは補佐長の職にく者に、口伝くでんという形で連綿とバトンタッチされていく性質を持っていたからだ。

 例えば、化物退治の名の下に無理な物資徴発を強いられた村々の連鎖暴動を、帳簿の改竄という手段で未発に終わらせたこともあるし、あまりに酷い戦士徴用で村々どころか、隊商の働き手まで底をつき、それでなくとも脆弱な人類の補給路と情報伝達網が枯死してしまう寸前、指導者に人口子宮稼働率を大幅に上げさせるという方策で、それに制動をかけたことすらあった。歴代の補佐長たちが頭を悩ませたこういった操作は、まさに人間社会を維持する生命線だったのだ。だからこそ人間社会全体に関わる危機の予兆を見逃す愚だけは冒すことはできない。数世代に一度の割合で、第一指導者ヘル・シングを上回るヴァンパイア危機クライシスが確実に起こるとされているのだから。


               *

 レン補佐長は城塞都市の中心部にある集会所にいた。そして、その一角に位置する謁見の間にかしづいた隊商の世話役からの情報に眉をしかめた。

「もう一度聞くが、その話に間違いはないのだな」

「私どもの、お話を信じちゃもらえないんで」

 本当は否定して欲しかった気持ちを見透かされたような気がして、レン補佐長は苛立ち、目の前の男には寛容さよりも、より大きな威圧で対応することに決めた。

「昨今は不穏な噂を流すことで物資の交換比率をほしいままに操ろうとする輩がいると聞き及んでいるのでな。もし、お前がそのような考えを持っているのなら……」

「いえ、滅相もございません」と、芽生えかけた抗議の目を摘まれた男は首をすくめた。「本当でございますとも。その証拠にられた奴らの死体を持参いたしました」

「なに?!」と、補佐長が驚きも隠さず、声をあげた。「お前は、この城塞内に汚染された死体を持ち込んだと言うのか! 何と無謀な!」

 囁くより大きな声を出したことがないと信じられていたレン補佐長の怒声に、その場にいた警護の戦士たちは身構え、世話役はますます縮こまった。

「お前は害悪を持ち込んだのだな?!」

「いっ、いえ!」と、今では真っ白な石の床に這いつくばらんばかりになった世話役は声を震わせた。「私どもは何もそのような……念の為に胸に鉄杭を打ち込んで、三日三晩、生き返らねぇか確かめた上でのことでさぁ。決して悪気があったわけじゃございません。どうか、どうかお慈悲を……」

 男が採った処置を聞いたレン補佐長は一応胸を撫でおろしたものの、どうしても直に死体の見聞をしなければならない衝動に突き動かされた。それは人類を守るという崇高な使命感からのものではなく、多分に自己の安全を確認したいがためのものだった。だが、それを誰も責めることなど出来ないだろう。それほど数世代に一度は訪れるとされるヴァンパイア危機クライシスは補佐長職にく者の心に耐え難い恐怖として刻みつけられていたからだ。

「案内してもらおうか」

 レン補佐長は男を促すと警護の戦士を伴って、長い廊下を渡り、いくつもの分厚い門をくぐり抜けて、滅多に出ることはない極寒の外へ足を運んだ。

 補佐長は一歩外へ出るなり、快適な温度に保たれていた建物内に逆戻りしたい誘惑にかられた。そして誘惑にかられながらも威厳を保った無表情を維持するのに苦労した。

 集会所の門を抜けると、城塞都市内は人類の歴史が示すような喧騒にも活気にも乏しい白銀に埋めつくされた世界だった。それでも、そこかしこに都市――都市とは名ばかりの廃墟群――に留まることを許された年老いた労働者たちの姿がちらほらと散見された。雪走り烏賊スノー・スクィードそりから、そんな光景を眺めながら暫く進むと、最外縁の城門のすぐ近くに人だかりができているのに目を止めた。

 年老いた労働者と若い準戦士たちで構成された人だかりは、そりから降り立った滅多に姿を見せない補佐長の絢爛けんらんな衣装には無頓着だった。だが、その人々は補佐長よりも彼が従えた大柄の二人の近衛戦士が自分たちに何か危害を加えるのではないかと水が引くように、その行くてを大きく開けた。

「これだな」

「へい」

 レン補佐長は覆いが掛けられた隊商のそりの荷台が大きく膨らんでいるのに目に留めた。それに気付いた世話役が揉み手をしながら補佐長に囁いた。

「なにぶん、数が多かったもので」

「そうか」

 反射的に、そう応じたに過ぎない補佐長の言葉を、自分に説明を要求されていると曲解した世話役は語を継いだ。

「移動中、うちの烏賊どもが急に停っちまいましてね、えぇ。それも全部でさぁ。で、手綱を引いても鞭をくれても動かないんで、周りを調べてみたら。雪の中から出てくるわ、出てくるわで、はい。驚いたの何のって……」

「もう、いい」

 レン補佐長は、聴衆の注意を引くように、右手を上げ、わざと大袈裟にそう言うと、同行させた世話役に死体を見せるように促した。

 世話役は、もったいぶった様子で頭を下げると、自分が運び入れたそり馭者ぎょしゃ台に目配せした。そこにいた二人の商人は、荷台に降りると触るのもはばかられるかのように覆いに手を掛け、一気に払いのけた。

 集まった聴衆の間から、息をのむざわめきと押し殺した悲鳴が同時に沸き起こった。それは戦士同士のいさかいや、第一指導者ヘル・シングの気まぐれから時々生み出される死体を見慣れているレン補佐長ですら絶句するものだった。しかし彼は口に手を当てながらも死体の数々をつぶさに見聞し始めた。もちろん、それでいて威厳を保つのはどうすべきなのかも考えながら。

 死体は商人だけでなく戦士のものもあった。身体を半ばで切断されたものや折り紙のように折り畳まれたもの、果ては、子供くらいの大きさに圧縮されてミイラ化したものまで。そして全てに共通するのは……。

「傷口からの出血がある者もいるが、それにしては死体の衣服があまり血で汚れておらんな」

「へい」

 世話役の返事は短いものだった。

「人間業とは思えん」

 レン補佐長の呟きにも似たその言葉に世話役はごくりと唾を飲み込んだ。

「ですから、先ほども申し上げましたが、念の為に死体全部に杭を打ち込んだんでさぁ」

「その際、血は流れ出なかったのだな?」

 レン補佐長の念押しに世話役だけでなく、彼の周りの聴衆も息をのんだ。

「へい。干した烏賊肉みてぇに、ただの一滴も」

 数瞬の後、補佐長は衣装を翻すと死体の山を凝視し続けている二人の近衛戦士に向き直った。

「ヴァンパイア危機クライシスだ」

 そう断定しながら、レン補佐長は気分が地の底まで沈んでいくのを感じていた。よりにもよって、自分の時代にこんな最悪が巡り合わせるとは。しかも第一指導者ヘル・シングの気まぐれな大規模出征で、いま城塞内の正規の戦士は半減している。

 レン補佐長は過去の補佐長たちの口伝くでんで何か助けになるものがないかと頭を目まぐるしく回転させはじめた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る