第十三章 エピローグ

第56話 エピローグ

「どうだい、日本は慣れたかい?」

「うん、なかなかに快適だよ。僕は魚が好きだからね。和食は魚が多いんだ。とは言っても、サシミ以外は加工されて冷凍状態で輸入してるらしいけどね」

「アラスカとか?」

「魚のスリミや魚卵はアラスカが多いね。エビはベトナムかな。それよりウィリアムはどうなんだ? アフリカはさすがにオーストラリアとは勝手が違うだろう?」

 トーマス・へムズワースは、高層マンションのベランダで東京スカイツリーを眺めながら旧友とのおしゃべりを楽しんでいた。

 日本とケニアの時差は六時間。ウィリアムのいるあたりは夕方の五時頃だろうか。さすがに日本も九月末になると、夜のベランダは少し肌寒い。

「ナイロビは都会だからね、勝手が違うってほどでもないよ。どこでも住めば都さ。それより聞いてくれよ、十年前のカビ騒ぎの時、ケニアにカビを持ち込んだ犯人って騒がれたナイロビ大学の学生五人組いただろ? あの時のリーダーだったワンガリ女史が今の上司なんだぜ」

「え、マジで? あの人のお父さんって、イーサンと一緒に火力発電所の仕事してなかった?」

「そうなんだよ、ジオンゴさんだったかな。うちの父さんと一緒に仕事してた人だよ。まさか親子二代で同じような仕事仲間になってるなんてね」

「凄いな。昔っからウィリアムはいろいろ凄かったけど、やっぱりお前凄いよ」

 ボーッとしているようで、いつも核心に触れるようなところを突いてくる。口下手なようで、ここぞという時ははっきりと主張できる。人と違う角度から物事を見て、思いがけない案を出してくる。そして、きっちり結果を出す。ウィリアムは小さい頃からそうだった。

「何言ってるんだよ、トーマスなんかずっとずっと言い続けてた二階堂研究所ニカイドウラボに本当に就職しちゃったじゃないか。その方が凄いよ」

「ウィリアムのおかげだよ。ほら、あのカビの時、ウィリアムが火山の近くって言い出して、僕がそれをニカイドウラボにメールしただろ? あれをニカイドウ博士が覚えていてくれたんだ。面接で開口一番『あの時はメールをありがとう』って言われたんだよ」

 画面の向こうで「ほんとか」と興奮する旧友は、心底トーマスの就職を喜んでくれているらしい。いくつになっても親友というのはありがたい。

「だけど、よく日本に行こうって決めたね」

「うん、ブリスベン支所にはバイオテクノロジーラボが無かったんだ」

「憧れのニカイドウ博士には会えたの?」

「今はニカイドウ博士と同じラボにいるけど滅多に会えないよ、彼は専門が地学だからね。僕はイオートーの試験の時に参加したミタライ博士の助手をやってる。楽しいよ」

 そこでウィリアムはちょっと周りを窺うように見回した。

「なあ、今度日本に遊びに行こうかと思ってるんだ。案内頼みたいんだけどいいかな?」

「ああ、もちろんだよ。一人で来るの?」

「いや、その……エラと」

 エラ! ついにエラの押しに負けたか!

「OK、最高のコースを見繕っておくよ」

「あ、ああ、よろしく。じゃ、また今度な」

「え? お、おう」

 慌てて電話を切るウィリアムが可愛く見えた。

 そうか……エラかぁ。



「さあ、兄さん。どんどん食べて。これがサツマアゲでこっちがカマボコ。タイラーさんから直々に仕込まれたんだぜ」

 グズムンドゥルは食卓に並ぶたくさんのご馳走に目を白黒させた。

「凄いな。これみんなヨウンが作ったのか?」

「まさか! サツマアゲとカマボコ以外は当然イザベラが作ったよ。僕は魚にしか興味ないから」

 シレッと言う弟の隣でイザベラがクスクス笑っている。ヨウンには勿体ないような美人の奥さんだ。隣の部屋で寝ている姪っ子も美人になるに違いない。

「ん~、うまい!」

「だろ?」

「わたしが作った料理も食べてよ。カリブーのシチュー、美味しいのよ」

「ああ、アラスカではトナカイの事をカリブーって呼ぶんだ」

 すっかりアラスカ住民になった弟が解説してくれるのを、少しの羨望を込めてグズムンドゥルは眺めた。

 やりがいのある仕事と美人の奥さん、ヨウンは小さい頃から努力家だった。それが今こうして実っている。 

「ところであれからブルーラグーンどう?」

「どうもこうもないよ。ほら、あの後すぐにニカイドウ研究所が無力化したカビを綺麗にする薬を作ってくれただろ。あれを全敷地に撒いて、しばらくしたらまた全部水洗いして、また薬を撒いて……ってもう五、六回やってるかな」

「ああ、カビの細胞壁を破壊するやつだろ。あれ危ないよな。植物全部やられちゃう」

「だからブルーラグーンだけ使用が許可されてるんだ。あそこは溶岩しかないからな。背中にタンク背負って、みんなで隙間を狙って噴霧してるよ。それも今やってる環境保全団体の職員の仕事のひとつさ。基本的にはレイキャビク大学のシーグルズル博士の研究を手伝ってるよ。もちろん環境保全のための研究だけど」

「なんだよ、兄さん知らぬ間に仲間になってたんじゃないか」

「ヨウンほど立派じゃないけどな」

 ヨウンは魚肉加工工場で仕事をしながら勉強し、今ではアンカレジの大学で海洋生物学を教えるほどになってしまった。先日などは「海洋学会で『プレートテクトニクスと深海生物がナントカカントカ』についてニカイドウ博士と議論した」と嬉しそうに言っていた。聞いてもさっぱりわからなかったが。

 アイスランドに帰って来なくなったのは、故郷よりも楽しい仕事(と隣りにいる美人)を選んだからだろう。

 専門分野はそれぞれに違えど、目指すところは一つ。『健康な』地球だ。

「明日はどこ行く予定?」

「フェアバンクスのホットスプリングスに行こうと思ってたんだ。十年前にヨウンにオススメされたからな」

「彼女と一緒に来いって言ったはずだけど?」

「いたら連れて来てると思わないか?」

「それもそうだ」

 三人で笑っていると、ヨウンがボソリと呟いた。

「兄さん、本当にホットスプリングス好きだな」

「ああ、できることならもう一度ブルーラグーンの黄色いスタッフジャケットの袖に手を通したいよ」

 ブルーラグーン再開のめどが立っていない今、グズムンドゥルはアイスランドの環境保全団体で研究職の補助の仕事をやっている。だが、いつかブルーラグーンが再開する時が来れば、真っ先に駆け付けてスタッフジャケットを着る、そう彼は決めている。

「きっとその日が来るよ」

「わたし、行ったことないからしっかり案内して貰わなくちゃ」

 グズムンドゥルは静かに微笑むと、「必ず招待するよ」と言った。



「最近、阿曽沼さんとは連絡を取り合ってらっしゃるんですか?」

「いやぁ、忙しいらしくて。というかまだ慣れてないんでしょうね」

 千葉県庁にほど近いラーメン屋で、丹下知事とテーブルを挟んでいる小柄な男がフフフと笑った。

「第二次筧内閣のメンバー見て驚きましたよ。あの阿曽沼さんが環境相とはねぇ」

「そうなんですよ。執務室の誓いから十年、こっちはずっと千葉県知事、あっちは環境大臣ですからね」

「丹下さんも三期目でしょう? 千葉県には欠かせない人ですからねぇ」

「そう言ってもらえるとやっぱり嬉しいですね。単純なもんで」

「あれから筧さんも特に健康被害が出ていないようで、我々は首の皮一枚で助かってますよ。これで何かあったらバイオテロリストになるところでしたからねぇ」

 二階堂がフフフと笑う。彼のこの笑い方は、聞く人によって不安にもなり、楽しくもなる。裏を返すと、その人自身の鏡でもある。そこがこの男の恐ろしいところだ。

「こんな事を二階堂さんに言うのもアレなんですけど。あのカビがもたらしたことは悪い事ばかりでもなかったと思いませんか? あれによって子供たちが自分の未来について真剣に考え、世界がクリーンエネルギーに向けて動きだしたような気がするんですよ」

 ラーメン屋で話すような内容でもないかと思ったが、丹下としては逆にこういうところの方が落ちついて話せる。

「丹下さん、あのカビっていったい何だったと思います?」

「はい?」

「いえね、自然に起こることに偶然はない、全て必然だと思うんですよ」

 学者という生き物は、唐突に難しいことを言い出す――丹下は二階堂の言葉の真意が汲み取れない。

「我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか……ってあるでしょう、ポール・ゴーギャンの。カビはどこから来たのか、カビは何者か、カビはどこへ行くのか」

 ラーメン屋の喧騒が遠ざかる。丹下の意識が二階堂の言葉に吸い込まれる。

「我々人間は自然の一部なんです。一部でしかないのに、自然を支配しようとしている。支配するのではなくて、共存を考える時が来ていたんですよ。自然に間借りしていたころを思い出す時が来たといいますかね。それにはきっかけが必要だった。それがあの青カビだった」

 一瞬、何を言われているのかわからなかった。狼狽えながらも、丹下は恐る恐る口を開く。

「浄化のためのトリガーということですか?」

「私はそう思っています」

「神に派遣された青カビを、遺伝子操作したウィルスでやっつけちゃったって事ですか?」

「でもそれは必要なプロセスだったんじゃないでしょうかねぇ」

 二階堂は例のフフフという笑いを残して続けた。

「科学が発達し、我々は電気なしには生きられなくなった。しかし供給が追い付かなくなる。効率よく供給するためにまた科学を応用する。効率化を狙えば副作用が出るのは何でも同じです。火力発電ならCO2が、原子力発電なら放射性廃棄物が排出される。そして自然の力に負けて事故が起こる。それを知らせるためにカビは生まれた」

「でもそのカビに対してウィルスを作ったんですよね」

「そうです。遺伝子操作によって作り替えたウィルスを投入した。自然を科学で支配しようとしたんです。それによって我々は気づいた」

 丹下がテーブルに身を乗り出す。

「何にですか」

「矛盾ですよ」

 二階堂がニヤリと笑う。

「自然を支配しようとしていながら、自然の中でしか生きられない、それが人間という矛盾。そしてその最先端に我々科学者はいる」

 どこか遠くから響いた鈍い音。それが自分の唾を飲み込む音だと気づくのに、丹下は少しの時間を要した。

「我々は矛盾の最先端に生きる人間として、自然との共存を模索していく義務があるんですよねぇ。しゅとして生き残るための手段としてね」

「生き残るために、か……」

 ――それなら自分は政治家として何ができるのだろうか。

「その転換期に、ちょうど我々が選ばれた、そうは思いませんか?」

「我々、ですか?」

「このタイミングで、丹下さんは官と民のパイプ役。総理は筧さん。そして――」

 二階堂の声だけが響いていた丹下の耳に、唐突にゴトリと重いものが置かれる音が割り込んだ。

「はい、チャーシュー麺二丁お待ち!」

「あ、ありがとう、大将」

 ぼんやりしていた丹下の思考が現実に引き戻される。

「今期の環境大臣、誰でしたかねぇ?」

「あ、ぬまちゃん!」

 二階堂はフフフと笑うと、割り箸を割った。



(了)

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如月芳美 @kisaragi_yoshimi

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