第50話 二階堂研究所生物科学ラボ研究員・御手洗(1)
テレビではいつものように有識者によるリモート会談が行われている。
今日は二階堂研究所生物科学ラボの主任研究員である天野梨香とアオカビ対策特別担当の筧大臣の他に、警察関係者、呼吸器専門医、最近テレビでよく見かける大手塾講師、政府がウィルスの安全性確認を依頼した国立大学の教授も参加している。錚々たる顔ぶれだ。
恐ろしい事に、今日の放送は全国ライブ放送だ。しかも番組内でリアルタイム世論調査が行われており、番組視聴者がウィルスを使うことに賛成かどうか投票できる。
現時点では、「賛成」「反対」「総理の判断に任せる」がほぼ同率で競っているようだ。
『こうしている間にもカビの被害はどんどん広がっています。昨夜はフィリピンで旅客機が着陸に失敗、オーバーランしたらしいですね。怪我人が出なかったからいいようなものの、カビの胞子でタイヤがスリップするなど前代未聞です』
『日本ではこの二カ月で四桁にのぼる企業が倒産しているんですよ。アメリカでは失業に伴う治安の悪化で、強盗や殺人などの事件が例年に比べ五倍以上に増えている。総理はこれをどうお考えなんでしょうかね。筧大臣は総理から何かお聞きになっているのではありませんか』
『いえ、最近では私も避けられているような気がしましてね』
コメンテーターやゲストの政府への鋭い指摘に、筧もやや呆れ顔で応えている。政府代表できているはずなのに、総理への侮蔑のこもった態度をもはや隠す気すらないらしい。
近頃の総理は記者会見にすら顔を出さなくなった。こうして筧を自分の代わりに出演させていることが多い。忙しいという理由からのようだが、本当のところは誰にもわからない。
ことこのカビに関しては失政続き甚だしく、散々叩かれた挙句、逃げ回っているという専らの噂である。
先週は臨時国会の召集要求にも応じなかった。この未曽有の事態に立ち向かう気があるのだろうかと、国民の苛立ちは頂点に向かいつつある。
もちろん、総理の代理として発言している筧も同じ、いや、国民以上に苛立っていることだろう。決断すべき人間がのらりくらりと問題を先延ばしにし続け、そのしわ寄せが全て筧に集まって来るのだから。
『いい加減、総理には腹を括っていただきたいのですが、なかなか。いっそその全責任を放棄して下されば、私の責任に於いてウィルス全国散布に踏み切るのですが』
『しかし反対派もいますよね』
『どんな政策を打ち出したところで必ず反対派はいます。満場一致で賛成なんてことはまず無い。支持率に一喜一憂し、世論に怯え、責任という言葉に足元を掬われているようなら、それは総理の器ではない。そういう方にはとっとと辞めていただきたい』
投票数がぐんぐん伸びている。この番組での投票は、出演者の会話を聞きながら投票し直すこともできるため、発言によってそれが左右されるのだ。
身振り手振りで聴衆一人一人に熱く語りかけるような『大演説』タイプの人間はリモート演説には向かないかもしれない。だがその点、淡々と、時に厭味を交えながらというスタイルの筧はリモート会議に合っている。
『現在、世界中の人々は未来への見通しが立たないまま不自由な生活を強いられている。出口が見えない事への不安が人々のストレスを増幅させ、ほんのちょっとの言動があっという間に炎上する。互いが互いを監視し、『正義』の名のもとに他人を攻撃する。そういう世界になっている』
筧が現状を確認するように静かに話すところへ、梨香が更に重ねる。
『哀れな生贄の子羊は、人々が攻撃に飽きるまで延々と生きたまま地獄の焔に焼かれるが如く、正義という名の中傷に嬲られ続けるのよ。ケニアの大学生たちやアラスカの留学生がいい例だわ』
『こうして今テレビを見ている視聴者も、自分だけは大丈夫、自分だけは他人を中傷したりしない、そう思っているでしょう。だからこそ、それが正義の名を借りた攻撃だということに気づかない』
『一番恐ろしいのは、パンデミックではなくて歪んだ正義と不確定情報によるインフォデミックだわ』
少し前までは「筧のジジイ大っ嫌い」と言っていた梨香も、硫黄島での彼の意外な一面を見て考えが変わったらしい。
それは御手洗も同じで、つくづく人というのは実際に付き合ってみないとわからないものだと感じる。それを考えれば、総理にも総理なりの考えがあってのことなのかもしれない。
とはいえ、隣りの部屋でリモート会議に参加している梨香はそんな忖度とは無縁の人間だ。開け放したドアから見える彼女の様子とテレビ画面を交互に監視しながら、御手洗はヒヤヒヤさせられている。
テレビの中で、大手塾講師のコメンテーターが「子供たちが心配ですね」と話を続けた。
『給食やお弁当の関係で午前授業で帰ってきてしまう子供たちは、足りない授業時間から来る単位不足で気持ちが不安定になりがちです。夏休みも大幅に減らされるということで親が塾に期待をするわけなんですが、塾も学校の授業がどの程度進んでいるのかわからないので手が出せないんです』
さらにそれを受けて警視庁からのコメンテーターが厳しい顔を見せた。
『そして午後からは時間を持て余している。友達と繋がっていたいという思いから、ついSNSに頼り、ネットいじめや犯罪の標的になってしまう、何から何まで狂ってしまうんです。一刻も早く解決しないと、人々の心がどんどんカビに蝕まれて行くんですよ』
『ああ、怖いですね。児童ポルノ法に抵触するような犯罪も起きてますからね』
『児童買春周旋・勧誘罪ですと、五年以下の懲役若しくは五百万円以下の罰金刑です。併科と言って同時に課せられる場合もありますから、くだらないことは考えないようにしていただきたいものですね』
司会者が『ちょっと話を戻しますが』と脱線しかけた話題をレールに戻す。
『天野博士の開発したウィルスですが、実際、問題点はあったのですか? これは安全性確認を請け負った先生にお聞きしたいのですが』
気難しそうなゴマ塩頭――あれはT大の教授だ、先日ウィルスの説明に行ったときに責任者を名乗っていた――が、姿勢を正してゆっくりと口を開いた。
『研究施設内でのテストは問題ないが、自然に出してみてどうなるかは未知数であるとしか言いようがありません。そこは天野博士と同じ意見です。天野博士以上の対策を思いつくかと問われれば、それは非常に難しいと答えます』
『私は科学者として自分の仕事はしたわ。だけど私たちができるのは作るところまでで、それを実際に使うかどうかの判断は私の仕事じゃない。いつまでも判断を渋っている間にも日本の経済は悪化の一途を辿って行くし、人々の不満はどんどん膨れ上がっていくわ。総理には判断を先延ばしにする時間など一秒も無いはずよ』
テレビと同じ音声が隣の部屋から聞こえてくる。パソコンのカメラに向かって話している梨香も、熱が入ると声も大きくなってくる。
『しかし、ウィルスの安全性がわからないままでは使うことができないという総理の意向は変わっていないんですよ』
『確かにわからない。だけど一つはっきりしているのは、使わなければ人類はただ一種類の青カビに淘汰されるということよ。総理はいつまでも引きこもっていないで、さっさと決断すべきだわ』
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