第44話 天野梨香・6

 筧大臣とリモートで話した直後のホワイトハウスからの連絡は、ウィルスについて詳しく教えて欲しいというものだった。梨香が資料を交えながら詳細を説明すると、納得したように「早くて明日、依頼するかもしれない」という返答が帰って来た。

 いくらなんでも翌日は早すぎる。だが、アメリカはシーグルズルと二階堂研究所にコネクションがあることや、シーグルズルが単独で感染経路を探っていることなどをすでに把握しており、二階堂がカビの対処法を見つけるのを待っていたのだ。アメリカにしてみれば早くも何でもない。結局予定通り、翌日には二階堂研究所にウィルスの要請が来ていた。

 だが、当然アメリカ国民は黙っていない。ニューヨーク辺りはまだいいだろう。試験的にまず被害の顕著なアラスカで様子を見ようということになったのだ。

 アラスカ州の住民は寝耳に水だ。ただでさえカビの被害に遭っているというのに、さらにウィルスをばらまくなどとあっては、多くのアメリカ国民のためにアラスカを犠牲にするようなものだろう。

 そしてそれはあながち間違いではなかった。アメリカ大統領は当然アラスカを実験台にする気だった。

 少しでも早くロサンゼルスやサンフランシスコを通常運転に戻さなければならない。かと言って、あの辺にいきなりウィルスをばらまくのは危険すぎる。当然飛び地のアラスカに白羽の矢が立つ。何かあっても間にカナダが入っている。そこでどうにかなるだろうという算段である。

 現在はアラスカとカナダの大反発に遭い、調整は難航している。が、二階堂研究所には「そのつもりで」という打診は既に入っている。当然梨香の方も総動員でウィルスの増産に全力を注いでいる。

 シーグルズルからの連絡によると、ゲイシールでの試験をさせて欲しいと彼自身アイスランド政府に掛けあっているらしい。

 まだOKは出ていないが、どのみち今のままではゲイシールはカビで全滅だ。人間も近寄れない。そしてカビの栄養源は、いくらでも地下から噴出し続けている。カビが増えることはあっても減ることはまずありえない。

 アイスランドは都市機能が完全に壊滅状態にある。買い物に行っても何も売っていない。仕入れられないのだから当然だ。地震大国ならではの備蓄があるが、底を尽いたらおしまいだ。そうなる前にどうにかしないと、治安の維持は難しくなるだろう。

 そしてアメリカ、東海岸や中部・南部はハリケーンなどに備えている家もあるが、経済格差によってそれもまちまちだ。

 カビの蔓延している西海岸は毎年夏の山火事に備える程度でさほど熱心に備蓄しているわけではない。何かあっても自治体が動いてくれることはまず無いので、各自の判断に頼る部分が大きい。

 備蓄が底を尽きマーケットでも品薄が続けば、暴動が起こるのはあっという間だ。アイスランドよりもむしろこちらの方が治安の悪化が進んでいる。

 フィリピンからニュージーランドにかけても、都市機能が崩壊しつつある。皮肉なことに発生源と思われるオーストラリアは被害らしい被害が出ていない。

 日本は現在千葉を中心に茨城、東京、埼玉、神奈川の関東五県、それに関西は大阪、京都、神戸、その他には博多、広島、仙台、新潟、札幌などの大都市を中心にカビの被害が広がっている。

 都会の方が被害が拡大するとは皮肉なものだ。人が胞子を運んでいるからそうなるのだろうが、これから温泉地で急激に増えるのかもしれない。

 近頃は穀物倉庫が唐突に爆発する事故が増えている。誰も近寄らない倉庫の中で青カビが無限に増殖し、胞子でいっぱいになったところで変質した穀物から発生したガスに何かの拍子で引火する。まさかのカビの胞子による粉塵爆発である。

 早く手を打たなければ日本も終わる。しかし日本政府は慎重な姿勢を崩さない。未知のウィルスである、一歩間違えばというのもわからなくはない。

 筧は今頃になって自衛隊を投入し、全国のカビ殲滅作戦に出た。もっと早く動いていれば費用は一割程度で済んだものを、広がってからではどれだけ予算を投入しても物理的に無理がある。

 今から殲滅するのは不可能だ。SNSでは政府への不満が爆発している。

 あの時、千葉県にもっと予算を割いていれば。

 あの時、海外との行き来を完全にストップしていれば。

 あの時、政府主導でカビ対策をしていれば。

 いくつもの「たられば」がSNS上を覆って行く。あの青カビのように。

 そしてその焦りは離島へと向く。アメリカにおけるアラスカがそうであるように、日本国内でも「小笠原に」「八丈島に」。そして住民の反発を招く。

 誰も実験台になりたくないのだ。かと言ってこのままにしておくわけにもいかず、みんながみんな「誰かが実験台になる」のを待っている。そして時間だけが過ぎて行き、被害は拡大していく。

 国民の苛立ちは初動で後れを取った筧にそのまま向かっていくが、彼としてももう成す術もなく崖っぷちに立たされている。

「全く、最初に丹下さんが動いた時に政府も動けば良かったのよ。今頃焦ったって遅いのよ」

「そうは言うけどねぇ。筧大臣も総理の許可を取らないと進めない部分があっただろうからねぇ。どうしても万博を成功させたい総理と世論との間に挟まれて、あれはあれで大変なんだよねぇ。実は筧さんが一番苛立っていたかもしれないよ?」

「どこかが試験的にって名乗りを上げてくれたらいいのに」

 ぶすっとした梨香がいつものように腕を組んでソファの背もたれにふんぞり返る。

「そりゃ無理だよ。日本で開発されたウィルスなのに、なんで日本で試験しないのかってとこだろうからねぇ」

「じゃあやっぱりどこかの離島使うしかないじゃない」

「でも人が住んでるよ?」

「無人島で実験すればいいのよ」

 ブツブツ言う梨香にコーヒーを淹れながら、二階堂が噴き出した。

「無人島は人が行かないから、そもそもカビが生えてないよ。今からカビを生やして、それからウィルスを撒くなんて言ってる時間はないからねぇ」

 その時、思いがけない人物から二階堂のホットラインに連絡が入った。二階堂は発信先を確認すると、チラッと梨香に視線を送り、スピーカーモードに切り替えた。

「はい、二階堂です」

「政府青カビ対策特別担当大臣の筧です。緊急事態ですので手短に用件だけ」

「はい、どうぞ」

「天野梨香博士の開発したウィルスを日本政府として使いたいのです。ご準備いただけますか」

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