第13話

「おおっ」

 ファミリアが声を上げた。俺も上げたかった。

 目の前のつっこちゃんだけが表情を変えていない。読みぬけがないか、しっかりと確認しているようだった。その点に関しては俺が保証する。もう、逆転はない。

 自玉に詰みがないので、勝ちのつもりだった。しかし、角を二枚捨てる筋で詰めろ逃れの詰めろがかかってしまった。まったく予想していない手順で、逃れようがなくなっていた。

「負けました」

「あ……ありがとうございます」

 三回目の研究会にしての初めての黒星。もう少し時間がかかると思っていた。しっかりした内容だった。

「勉強してるね。わかるよ」

「あ、いや……はい」

 この将棋は、女性初のプロ棋士とかそう言った類のものではない。いずれ、追いつかれるかもしれない存在だ。普通にすれば、活躍できる。そういう芯の太い才能だ。かわいい外見の奥には、様々な鋭いものが隠されていると思う。そういうものに対して、敬意を抱きたい。

 いつか、大きな場所で勝負をすることになるかもしれない。

 結局この日は、つっこちゃんが全勝でトップだった。

「でも、次はこうはいかないから」

「が……頑張ります」

 自分にとってこの研究会が身になるかどうかという不安は、解消されそうだ。後輩に追いつかれないこと、それも大事なことだ。

 などと考えていたらポケットの中で携帯電話が震えた。沖原さんからだった。

<元気にしてる? 今度仕事場観に行くからね!>

 彼女はまだ俺の仕事がわかっていないらしい。それとも数少ない出場イベントを調べてくるつもりだろうか。

<あんまり仕事してないよ>

 返信して気が付いた。俺、普段はすぐに返信しない人じゃないか。

 沖原さんには返さなきゃ、そう思ったのだ。なぜだかはわからないけれど。

「皆川さんですか〜?」

 せっきーがにやにやとした顔で聴いてくる。

「違うけど」

「なーんだ」

 その時またメールの着信が。なんと、皆川さんからだった。

<明日、土産があるから。たまたま欲しいって言ってたもの見つけたから買ってきた。>

 そういえば仕事で沖縄に行くと言っていた。ただ、何かを要求した覚えはまったくない。

 皆川さんへの返信は少し保留。他の三人が注目の対局を検討し始めたので、それに加わった。



「え、これを俺にですか?」

「だって辻村、ゴーヤ欲しいって言ったじゃない」

「言ったかなあ……」

「言った。言ってなくても喜んだらどうなのよ」

「……ありがとうございます。で、どうやって調理すればいいんでしょうか」

「知らない」

 なぜか皆川さんからゴーヤを貰った。それにしてもゴーヤとは。以前気になると言った気もするけれど、あくまで「調理済み」のものに関してだったはずだ。

 でも、なんだろう、皆川さんはどこか嬉しそうだった。というより、なんか爽やかになった気がする。つんつんした感じは変わらないのだけれど、表情が柔らかくなって、余裕も感じられる。沖縄に行くとそうなるのだろうか。

 控室に来た人に聞いてみたのだが、ゴーヤの調理方法はわからないままだった。袋から取り出して、直接触ってみる。足ふみマットにこんなのあるよね。

 見ているうちに、その存在自体が面白くなってきた。この外観、そしてこの質感、なぜこんな風に進化したのだろう。そしてこれを食べてみようと思った人はどんな人だったのだろう。よく見るために、持っていた黒いバンダナの上に乗せてみる。緑色が鮮やかで、これなら部屋に飾ってもいい気すらしてくる。

「どうしたの、辻村君?」

 振り向くと、三東先生がいた。目を丸くして俺のことを見ている。

「いやなんか、変だけどきれいだな、と思って」

「ゴーヤが?」

「ゴーヤが」

 とはいえずっと見ているのも確かに変だ。そのままゴーヤをバンダナに包んで、鞄の中に入れた。

「そういえば皆川さん、来週対局じゃないですか」

「そうね……木田さんと」

「大一番じゃないですか」

「別に。いつもと同じ」

 そうは言うものの、意識しているはずだ。二人は同年代で、女流棋士を目指すうえでも同じようなペースで勝ってきた。他にもう一人、前川さんという強い女の子がいたけれど、彼女は奨励会に入った後、段に上がる前にやめてしまった。木田さんは奨励会試験に落ちたものの、女流棋士になることを決意してからはぐんぐん強くなっている印象がある。つっこちゃんにも負け、同年代のライバルには一歩差が開けられた感のある皆川さん。このまま負けっぱなしだと、上を向くことをやめてしまうかもしれない。

「そんなことないでしょ、勝ちに行きましょうよ」

「辻村?」

「木田さんに勝って、いずれ峰塚さんにも勝ちましょうよ」

「峰塚さん……」

 現在女流のトップに立つ、峰塚女流四冠。かれこれ二十年近く、一番前を走り続けているのではないか。三冠になったり五冠になったり、時折変動はあるものの常に複数のタイトルを所持している。背筋がピンと伸びて、男性棋士を含めても最も対局姿勢がいいという評判だ。

「俺は、いつか定家さんに勝ちます」

 定家四冠は、男性棋界のトップに君臨する男だ。かつて七冠を達成したことがあり、やはりこちらも二十年近くトップなのである。最近は若手もちょくちょく勝てるようになってきたが、誰一人タイトルを奪うには至っていない。特徴は、とにかくよく喋る。

「辻村、なんかまっすぐだね」

 皆川さんの表情は、あまりいいものではなかった。ごまかすような微笑。少なくとも、トップに立つ人、トップを目指す人はしない笑み。

「まっすぐじゃない。常に近道を探してます」

「近道?」

「そうしないと、追い越せないから」

 研究をして最善手を探して、それも大事だろう。けれどもそれでは、同じスピードでしか前に進めない。だから自分に合った、自分だけの道を見つけないといけない。まだ若いからとか言い訳していたら、あっという間に集団の中に埋もれてしまうと思う。

「……私、頑張れば木田さんに、勝てると思う?」

「勝てますよ。まだ全然たいした距離じゃないです」

 今度は、普通の笑みを浮かべた皆川さん。

「いいこと言えるようになったなんて、辻村らしくないね」

 今日の皆川さんもちょっとらしくないですよ、という言葉は飲みこんだ。何がらしいとか、そんなこと本当はよくわからないからだ。

「あ、いたいた、辻村君と皆川さん。丁度良かった」

 今日はこんなことが多い。控室に入ってきたのは、いつも陽気なおじさん『将棋宇宙』編集部の橘さんだ。

「こんにちは。何かご用ですか」

 皆川さんの声のトーンが急に落ち着いた。大人である。

「いやね、実は今度プロ中心の団体戦を企画しようと思っていて、その関東若手チームに入ってもらえないかと」

「はあ」

「私もですか?」

「そうそう。男性二人、女性一人でチームを組むんだ。もう一人は川崎君に出てもらおうかと」

「川崎さん……ですか」

「やるならできるだけ最強にしたいからね」

「それ……私でいいんですか」

「はは、僕は皆川さんを推してるから」

 誌面用に見た目派手な人を選んだんじゃ……と思ったが口にしないことにした。確かにチームを組むなら、この三人には「意味」がある。

「それで、どのような形式になるんですか」

「四チームぐらいの総当たりで、3勝なら5点、2勝なら2点、1勝なら1点っていう風なのを考えてるよ。あとは関西若手チーム、ベテランチーム、奨励会チームを考えてるんだ」

「なるほど……俺はそれ、参加しますよ」

「……私も」

「そうかそうか、それはよかった。また詳細が決まったら連絡するから」

 橘さんはよかったよかったと言いながら部屋を後にした。いつも本当に楽しそうである。

「辻村、断るかと思った」

「なんでですか」

「川崎君と組みたくないんじゃないかって」

「そんなことないですよ。皆川さんこそ、どうなのかなって」

「……別に、楽しそうだからいいんじゃない」

 単純に棋力で選ぶなら、木田さんを始め強い人は何人かいる。皆川さんだってそんなことはわかっているはずだ。それでも、受けた。だからきっと、前向きな気持ちはあるはずだ。そして俺が予想するに、奨励会チームの女性枠は——

「じゃあ、いつ始まるかわかりませんが、その時は頑張りましょうね」

「もちろん」

 雑誌にとっては企画の一つにすぎないだろう。けれども俺たちにとっては、こういうものが大きな転機になるのはよくあることだ。

 これから、俺たちの力関係に何かが起こる。この波を、うまく引き寄せなければならない。

 盤上に散らばった駒を、並べていく。しばらくして、皆川さんも駒を並べ始める。こうして、前進していけばいい。


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