市場
アレットは押し付けられた瓶の中身をコップに淹れてみた。
とろりとした液体で、あまり飲みたくないような濃い色をしている。
コップに顔を近づけてすんすんと香りを嗅いでみる。薬のように苦そうなにおいが鼻先に漂ってきて、アレットは顔をしかめた。
「うーん……。彼女、一体どういうつもりだったのかしら」
前日の外出で突如年上の婦人から押し付けられた小瓶である。
ソレーヌに渡して処分をしてもらった方がよかったのかもしれない。好奇心の強いアレットはこういうとき、つい得体のしれないものでもあけてみてしまうのである。
「ヘオンツークというのはダガスランドでもやり手の商会を運営しているって言っていたわよね」
あのあと合流したシレイユにそれとなく聞いてみたところ、大陸間貿易で財を成した家だと言っていた。その後ソレーヌにもヘオンツーク家のことを尋ねてみたところ、現在の商会主とその妻の名前をすらすらと挙げてみせた。恐るべきことにソレーヌはすでにアルメート共和国の上流階級の主だった家の名前を頭に入れているのだ。有能すぎる侍女にアレットの方が恐縮した。
そのヘオンツーク家の奥方がどうしてアレットにこんなものを渡すのだろう。
意味が分からない。苦しんでいるとか役に立つとか、前後の文脈も無しに話を始めるからお手上げだった。
さすがに良く知らない液体を飲むのは憚れるため、コップに注いでみるだけに終わりそうだ。
小瓶はどうしようか、ソレーヌに言って処分をしてもらった方がいいだろうか、と考えていると扉が控えめに叩かれた。
「はぁい」
返事をすると「そろそろ準備をしませんと約束に遅れます」と扉越しにソレーヌの声が聞こえてきた。
「あ、いけない」
今日はシレイユから個人的に誘われているのだ。
社交ばかりだとつまらないでしょう、と遊びに誘ってくれたのだ。
アレットは慌てて部屋から出てソレーヌに手伝ってもらって外出着に着替えた。
社交ではないから目立たなくていい。深い緑色のシックな外出着を着てシレイユの屋敷へ向かった。
「アレット早い時間から悪いわね」
「ううん」
確かにお昼前だが、昨日はヴァレルと何もなかったから朝寝坊することもなかった。
「せっかくだから魚市場に案内してあげようと思って。大きなサメ揚がっているといいわね~。あと、イワガキも美味しい季節だから食べましょう」
シレイユは今日も元気いっぱいでアレットも釣られて笑った。最近は社交ばかりだったからたまには友人と遊びに出かけるのもいいのかもしれない。ヴァレルも港に行くときはシレイユと一緒に、と言っていたし。
二人で馬車に乗りダガスランドの港へと繰り出した。シレイユは馬車から待ちきれないとばかりに駆け出していってアレットを慌てさせた。案内というよりアレットの方がお目付け役のような気がしなくもない。シレイユは既婚とは思えないくらい元気よくアレットを振り回した。おかげでアレットも難しいことを考えずに済んでこれはこれでよかったのかなとも思った。
あいにくと大きなサメは水揚げされていなかったが、小さなサメは並んでいて「うわ。これが本物のサメなのね」と感心すると「大物はもっともっと牙も大きいんだから」とシレイユが胸を反らした。
「ねえ、せっかくだし市場でお昼を食べましょうよ」
「この中で?」
アレットは周りを見渡した。
アレットがこれまで訪れたレストランなどとはまるで違っている。テーブル席も無ければ給仕もいない。椅子も飾り気も何もない。なにしろ樽の上にかろうじて綿入りの布を置いただけなのだから。
「ええそうよ。あっちのほうに屋台があるの。新鮮なイワガキを出してくれるわ」
シレイユが弾んだ声を出す。
慣れているようであっち、と指さす方向には確かに木材を置いただけなのでは、と思しき簡素なカウンターのようなものがある。その奥で髭を生やした男性が手を振っている。
「他にも魚を焼いたものとかも」
アレットは少しだけびっくりしたが、これがダガスランドの流儀なのかと納得もした。海が近いから新鮮な海の幸が手に入るのだ。港の人間たちと一緒になって魚を食べればアレットもこの国の住民として溶け込むことができるかもしれない。
それにアレットはもう公爵家の令嬢ではないのだ。
「楽しそうね」
「でしょう。新鮮で美味しいのよ」
シレイユに勧められるままアレットもカウンター席のみの屋台へ向かった。シレイユの頭の中はすでにイワガキで占められていて、お土産に買って帰ろうかなと帰りのことまで考えている。シレイユに倣ってアレットもいくつか買っていこうかなと考える。調理をするのは料理番だが、港で美味しい海の幸を買ってきたと聞けばヴァレルも喜んでくれるかもしれない。
生れて初めて食べたイワガキは美味しかった。
レモンを絞って生のまま食べるのだが、新鮮で身がぷりぷりとしていた。これは病みつきになりそうだと思った。
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