思わぬ転校生

 その後結局、小百合からなんのメッセージもなかった。

 不安が先走り、午後の講義中も下ばかり向いてたせいで、隣に座っていた胡桃沢のミニスカからのぞくフトモモばかり目に入ってたような気がする。

 こんなこと書くとヘンタイ不審者みたいに思われるかもしれないけど、下心は皆無だからな。


 まあそんなこんなで午後の講義も終わりを迎え、俺はダッシュで帰宅した。

 そうして家について一番最初に目に入ってきたのは、なぜかソファーで横になって眠っている小百合と、それを心配そうに見守る恵理さん、おふくろの姿だった。


「……いったい、なにがあったの?」


 俺がそう訊くと、小百合の頭をさすってなだめているような恵理さんが顔を上げて、説明してくれた。うん、母親の顔だ。


「あのね、小百合と一緒に、前の中学校から引っ越してきた子がいたんだけど……」


「うん」


「その子がね……持地晋平くん、だったの」


「……ああ!?」


 ちょっと待て。もちじしんぺーくんって、確か前の中学校で小百合をいじめていた、前住んでいたアパートの大家さんの息子……だよな。

 アパートの大家さんなら突然引っ越したりするような仕事上の事情があるわけないし。


「まさか、小百合を追いかけて?」


 俺の推測に恵理さんがこくんと頷く。

 おいおいおい。


「なるほど……それで小百合が」


 新しい中学校で心機一転頑張ろう、なんて思ってたところに、いじめの首謀者という前の中学校の負の遺産が突然現れたら、そりゃ小百合じゃなくても憂鬱に押しつぶされそうになるわなあ。


「そうなのよ……それで具合が悪くなって帰ってきたんだけど、悲しみすぎて疲れちゃったのか、いま寝たとこなの」


「はぁ」


 中学生でそんな簡単に転校とかできるのか? というか駅四つ先から通うことになるんだろ? しかもなんで小百合と一緒に……


 という疑問を脳内に浮かべていたら、小百合がふと目を覚ました。


「う、ううん……」


「……起きたか、小百合」


「……お兄ちゃん?」


 俺が帰宅したことに気づいた小百合は、ソファーで横になったまま、見開かれた目からだらだらと涙を流し始める。


「お、おい、小百合」


「ううう……せっかくお兄ちゃんに励ましてもらったのに……背中を押してもらったのに、今度も友達……できそうにないですううぅぅ……」


「ああああそんなことはないだから泣くな悲観するな小百合だいじょうぶだから絶対にだいじょうぶだから!」


 こんな泣き方をされたら兄として狼狽えてしまうのは当然である。

 おろおろしながら小百合に話しかけるも、そんな精神状態で発せられた言葉が小百合を泣き止ませられるわけもなく。


「……クッソ、しんぺー。あいつ一回シメたろか」


「乗った。手伝うわよ、睦月君」


 妹を愛する兄と、娘を愛する母が思うことは一緒だった。

 思わずガシッと腕を合わせ、お互いに口元を吊り上げる。


「落ち着きなさい、睦月。恵理も」


 そこでおふくろは、たしなめるようにそばにあった新聞で俺と恵理さんの頭をポンポンと叩いた。いたくはない。


「暴力で言うこと聞かせてもこっちが訴えられるだけでしょ。どうせなら相手の弱みを握って、二度と逆らえないように身の程をわきまえさせる方がいいじゃないの」


 だがヤベェ、言ってることはおふくろが一番怖い。やっぱりおふくろも怒ってるんだな。

 小百合を思う気持ちは家族みんな一緒。さて、どうしてくれようか──などと考えていたら。


 ピーンポーン、と家のチャイムが鳴った。


「……はい。どちら様ですか?」


「あ、あの……持地と、いいます。石井小百合さんに、お話があって……」


「あ゛あ゛!?」


 インターホン越しに姿を確認すると……確かに持地少年だ。あの時の。

 塩対応どころか、思わず凄んでしまったのは仕方あるまい。


 だが、玄関のドアを渋々開け、迎え入れた持地少年はこれまでとは百八十度ほどうってかわった、しおらしい態度を見せていた。


「石井……さん、いままでごめんなさい!」


 そして、なんの用かと俺の後ろに隠れながらびくびくしていた小百合に向かって、頭を深々と下げながら謝罪したのだ。これには俺や恵理さん、おふくろは勿論のこと、小百合ですらも呆気にとられていた。

 なにがなんだかわけがわからないよ。


「あ、あの、俺も、本当にガキみたいなことしてたなって……謝りたかったけど、もう俺と話なんてしてくれないかもしれないって……そう思って、転校先の中学校調べて、近くに親せきが住んでいたから、そこにお世話になって一緒の中学校に通おうかと……」


 たどたどしい言葉だが。

 おそらくその言葉は嘘じゃない。つまり小百合に謝りたい一心で、無理やり転校してきたってことか。


 ……考え方によっては、ストーカーじゃね? これ。


「本当に、心から謝りたいんだ! ごめん、今までのことを許してくれとは言わないけど……で、できれば、せめて普通に話せるような、友達になりたい……」


 おうおう必死だな。なんだこの豹変ぶり。


「……どうする、小百合?」


「え? え、えーと、あの……」


 心優しい小百合のことだ、おそらく持地少年を許してしまうだろう。

 俺にそう思わせるような、小百合の戸惑い方だった。


 が。

 俺には兄として、やるべきことがある。


「……持地少年、ちょっと表に出ようか。男同士の話し合いだ」


「え!?」


 俺は超展開についていけない小百合たちと離れ、持地少年の肩をガシッとつかみ、無理やり表へと引っ張り出した。

 そして真剣な顔で向き合う。


「なあ少年、どうしたんだ、この突然の豹変ぶりは?」


「い、いや、本心で、石井と仲直りしたいって……」


「本当に……それだけか?」


 妹を思う兄の真剣なまなざしを受け、持地少年は反射的に目をそらした。

 これはまさしく、警察官を見た犯罪者のソレである。


 はい、確信。


「正直に言えよ持地少年。キミも第二次性徴期だもんなあ」


「え、な、なにを……」


「いままでは小百合を好きだからイジメていた。だが性に目覚め、キミは小百合をイジメるよりも、小百合と性的なアレやソレをしたくなった。違うか?」


「な!? なっ、なっ、ち、ちが……」


「違わないだろ? だいいち、小百合と最後に会ったとき、小百合のスカートをめくったあげくに、あまりの刺激的な小百合のぱんつに鼻血吹きながら悶絶してた性少年はどこの誰だったか、忘れたとは言わせんぞ?」


 持地少年が赤くなったり蒼くなったりするさまがなんとなくたのしい。

 あの小百合の黒のTバックぱんつを見て、この少年も遅すぎる性に目覚めたのだろうか。我が妹ながら魔性の女よ。


「いいか、俺の目の黒いうちは、小百合に対して性的なアレやソレは勿論のこと、キスも手をつなぐことも許さん。小百合には結婚するまで処女を守らせる。分不相応な夢を見るな、持地少年よ。わかったか?」


「だ、だから俺はそんな……」


「ほう。そう言う割には、なにやら身体の一部が盛り上がっているようだが?」


「!?」


 俺から距離を取って、あわてて両手で股間を覆う持地少年であった。

 ふん、そりゃそうだろ。血の繋がった妹じゃなかったら、俺だってあんなに刺激的な小百合のお尻を見ただけでご飯三杯はいけるわ。


「とにかくいいな。今後、小百合を泣かせるような真似をしてみろ。兄として俺は命を懸けて、少年を地獄に落としてやるぞ。どんなことがあろうとだ」


「ひ、ひっ……」


「本当に今までの自分の行いを反省しているのなら、これからの態度で示すことだ。わかったならもう帰れ」


 なんかはたから見ると俺が悪役みたいだけど、これは紛れもない本心。

 小百合を泣かせる奴に容赦なんかしない。


 精いっぱいの凄みを含んだ俺の語気にすっかり委縮した持地少年は、無言で数回頷いて、家から逃げるように立ち去って行った。


 ──ふう、兄の役目は果たしたぞ、小百合よ。


 ちなみにそのあと、家族会議で小百合のさらなる転校を提案したが、おふくろに却下されたことだけは記しておく。


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