シングルマザーの限界

 小百合の荷物運搬完了。


 さて、そこからいろいろ作業はしたが、とくにおもしろいことはないのでカットしておく。

 大事なことは、恵理さんと小百合の部屋を決めたことぐらいだ。


「い、いいんですか、こんな広い部屋をわたしひとりで使っても!?」


 部屋を与えられ、感極まった小百合の一言である。広いって、たかだか六畳程度だよ? 

 でもあのアパートでは、自分の部屋など持てなかっただろうからなあ。思春期の女子には個室が必要に違いない。ヒミツが増えるお年頃だし。


 ちなみに小百合の部屋の隣は俺の部屋だ。


 鼻歌交じりで荷物を整理しながら自分の部屋を整えている小百合を生暖かい目で見守っていると、後ろから恵理さんが声をかけてくる。


「睦月くん」


「ん? どうかしましたか、恵理さん?」


 振り向くと目に入ってくる、母親の顔をした恵理さん。怒っているかお気楽極楽かの感情二択しか見ていなかったので、一瞬ぎょっとした。


「聞いたわ。小百合がいじめられてたところを助けてくれて、ありがとう」


「ああ……」


 なんだそのことか。ほっとしたおかげで軽く返すことができそう。


「別に大したことじゃないですよ。かっこよく助けられたら自慢もできたんですけどね」


「……それでも、よ」


 母親としての表情を崩さない恵理さんが、いかにシングルマザーとして苦労してきたか。俺は即座に理解した。


「いままで、大人の男性に助けてもらったことがなかったからね、小百合は」


「……」


「本当に嬉しそうに、『お兄ちゃんに助けてもらったの! かっこよかった!』って、はしゃいでいたわ」


 その言葉を聞いて、オヤジの位牌に線香の灰を投げつけたい衝動に駆られたよ、俺。


「当たり前です、兄妹なんですから」


「ふふ……」


 頭をボリボリと掻いてごまかしたはいいものの、つい恵理さんから目をそらしてしまう。たかだか二十年の人生経験では女傑にはかなわないわ、たとえ見た目がロリババ……いや幼く見えても。


「たぶんこれからは、私では小百合を助けられないときもあると思う。厚かましいお願いではあるけれど、その時は……どうか小百合を助けてあげてほしいの。お願い、睦月君」


「いや頭下げなくていいですってば恵理さん。ほっとけるわけないじゃないですか。心配しないでください」


「……ありがとう」


 言われるまでもない。

 俺は小百合にとことん優しくするんだ。今までの分も。


「……ところでですね、からかってきた男の子……晋平君、でしたっけ」


「ああ……」


 ヤバい。晋平君の名前を出したら、恵理さんと目と目で通じ合ってしまった。


「しんぺーくんも、素直じゃないから……気持ちバレバレなのにねえ」


「いやそうですけど、だからといって『めぐんでください』って書いた立札を小百合の机の上に立てるのは、いくらなんでもやりすぎでしょう」


「ああ……あれはさすがに私も激怒して、ちょっと世の中の厳しさを教えてあげたから大丈夫」


「何したんですか!?」


「取るに足らないことよ。でもそれに対して大家さんが本気で怒っちゃってねー、いろいろゴタゴタしたときはさすがに焦ったわ、あはは」


「……」


 唖然。

 母親としてはともかく、後先考えない猪突猛進的な行動は恵理さんに控えてもらわないと、たくさんトラブルが起きる未来が待ってるかもしれない。確信に近いくらいでそう感じる。


 …………


 だが俺がそんなことお願いできるわけないってね。

 いいや、おふくろに頼もう。



 ―・―・―・―・―・―・―



 その日の晩御飯。

 おかずが二品以上あることに大興奮した小百合の姿が、皆の涙を誘った。


 お風呂では人間ダシのきいていない湯船に感動した小百合が以下略。


 いろいろな経緯の末に、一日の終わり、就寝タイムを迎える。

 気疲れしたような幸せなような感覚のまま、自室のベッドで横になっていると。


 コンコンコン。


「……誰?」


『わ、わたしです』


「小百合か。どうぞ」


 ガチャ。

 遠慮がちに小百合がドアを開けてきた。片手で枕を抱きしめながら。


「どうした? 寝れないのか?」


「は、はい。部屋にひとりきりで寝るなんて今までなかったので、落ち着かなくて……」


「そっか」


 つまりこれは。

 よし、すぐさま察した俺はできる兄。


「じゃあ、一緒に寝るか?」


「いいんですか!?」


 ぱあっと小百合の笑顔が咲く。

 ならば、俺のベッドの傍らに布団を敷いて、兄妹仲良く就寝準備だ。


「小百合、ベッドのほうがよくないか?」


「いえ、ベッドは慣れてないのでおちつかなくて……でも、お兄ちゃんと一緒にベッドなら」


「それはちょっと」


「あう……」


 残念そうな小百合を見ると心が少しだけ痛むが、さすがに初日から七歳年下の妹と一緒のベッドで寝る度胸はないくらい、俺は常識人のつもり。


 よどんだ空気を一掃したいこんな時は、話題転換に限る。


「ところで小百合、この家はどうだ? 不満なく過ごしていけそうか?」


「もちろんです!」


 即答。すごいな、1フレームもないリバーサル返事だ。


「こんな恵まれたところで暮らせるなんて、幸せすぎて……夢じゃないかと思ってます」


 石井家の普通からかけ離れた生活を聞いていると、確かに小百合の返事通りかもしれないが。これって特別恵まれてない普通の生活だよね。

 オヤジ、地獄で小百合と同じくらい苦しんでくれよ、頼むから。


「それならよかった。遠慮は無用だからね。小百合も、恵理さんも」


「ありがとうございます……お母さんも、本当によかった……くたびれていない笑顔のお母さんを見たのは久しぶりでしたから」


 おおっと、いままで母娘だけの家族だったせいか、小百合も母である恵理さんのことを気にかけていた様子。


「……だよね。恵理さんも大変だったと思う」


「はい。自分よりもわたしのことばかり優先しちゃってて、お母さんはぜんぜん自由な時間もなくて。働いて苦しんでばっかりだったんじゃないかと……いつも……」


 小百合が鼻声だ。焦るよ新米兄は。


 …………


 うーん、確かに苦しいことはいっぱいあったと思うけど。

 小百合がいてくれた、そのことだけで恵理さんは救われてたと思うなあ。

 葬儀の時も、小百合のことを思って怒鳴り込んできたわけで。親子の絆が印旛沼いんばぬまより深いことは明確だし、涙を誘うレベルだよね。


 ま、おふくろはおそらく喫茶店フロイラインを恵理さんに手伝ってもらうつもりだろうし、衣食住も保証されたからには、恵理さんも楽になるはず。


「もう大丈夫だよ。恵理さんも、これからは自分の趣味に費やす時間くらい持てるはずだから。余裕をもって、一緒に楽しく暮らしていこうね」


「はい……はい……本当に、ありがとうございます……よかった……」


 感極まった小百合に礼を言われ、思わず頬をポリポリ掻いてしまうくらい、むず痒い。


 特にありがとうとか言われることじゃないんだ。家族として当然のことなんだから。

 というわけで、またまた話題転換行ってみようか。


「と、ところで、恵理さんの趣味はなにかな?」


 何も考えず訊いてみた。

 それを受けた小百合は、ちょっとだけ上を向いて言い放つ。


「お母さんの趣味ですか? そうですね……自動販売機の釣り銭口を調べること、でしょうか?」


「うん、それはやる時間がなくてむしろ歓迎」


 趣味と実益兼ねすぎだろ、それ。

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